すっかり枯れてしまった殺風景な芝生の庭ですが、よく見るとその枯れた芝生の間には、すでに小さな草の芽がいたるところに顔を出しています。わずかではありますが暖かな日射しを得て、やがて来る春を待っている。
我が家にホームスティをしていたデイビッドが、この状態の庭を見て「日本の芝生は冬はdieだね」と言っていた。その時、“枯れた”を表現するのに、“死んだ”という単語を使ったことに違和感を覚えたものです。例えば日本人が芝生が死んだと言えば、おそらく根っこまで枯れてしまい、春になっても芽をださない。そういう状態を言うように思います。草も寒い冬は冬眠してじっと春を待っている。私はそう解釈していますが・・。
後に分かったことですが、彼だけが若者特有の表現でもって枯れたを死んだと言ったわけではなく、ジルであったか、木の葉が枯れた状態をやっぱり死んだという単語で言っていた。感性の違いなの?それともただの表現の違いだけなの?
そういえばヨーロッパのほうでは、冬も枯れないで緑色をした芝生を植えていた。それが羨ましくてH.Cで洋芝の種を買って植えたことがありますが、夏場になって困った状態になってしまいました。大きくなりすぎて、やがて穂が出て雑草畑のようになってしまったからです。水分が多く肥沃な土と、太陽がたっぷりな夏の気候の日本には適さないということなのか、それとももっとこまめに芝刈りしなさいということなのでしょうか。
ヒヨドリ君、葉ボタンを食べないで!