笠岡市尾坂
雅な感じがする尾坂の祭り。
笠岡市真鍋島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「走り御輿」
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「岡山の祭と行事下巻」 岡山民族学会 山陽新聞社 昭和58年発行
走り御輿
笠岡市真鍋島の鎮守八幡神社は岩坪地区の西端の丘の上にある。
祭りは旧暦8月14日、15日で、勇壮な走り御輿で知られる。
神社の世話は惣代5人と組頭(本浦8組、岩坪4組)が当たるが、祭礼当番は交代で3組が務める。
御輿は本浦東西の2台、岩坪1台の3台。
輿守は1台に8人。
まず当番組の中から各神輿ごとにケイゴと称する中老の責任者が選ばれる。
ケイゴは輿守先頭を決め、相談して他の7人を選定する手順で選りすぐった若者が選ばれる。
12日、
各ケイゴ宅でハナガタメと称する会食後、
13日から3日間泊まり込みで肉食を絶ち、
夜は女性の目を避けて水垢離をとり、心身を浄めるとともに、
カケナラシをしたり密かに作戦を練る。
14日ヨミヤ参りの人々はカケナラシを見て15日の競争の予想を行う。
15日、
テングサンを先頭のお旅行列は岩坪から漁船2艘をもやった御召船3艘で、神慰め行事を行う内に本浦港に入る。
一番舟、二番舟、ついで三番舟が上ると緊張は頂点に達する、
巧みなかけひきの呼吸、
一番神輿が鬨をつくり走り出すのが合図でお旅所へと競う。
獅子舞奉納、
巫女の神事後、
御輿は再び村内の規定コースを走って11時すぎにお旅所へ納まる。
その夜は神楽、地芝居が行われたりする。
16日夕方、
御輿魚列はお旅所から浜の潮の中を競いながら、一気に八幡神社へ帰るのである。
努め方いかんで若者の値うちが決まるとあって輿守は力一杯の務めをする。
各地区の氏子の熱の入った応援が、一層雰囲気を盛りあげる。
かつてはダンジリもあったが今はない。
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笠岡市北木島町大浦海岸
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「日本の祭り」 菅田正昭 実業の日本社 2007年発行
流し雛
流し雛は、人の形をした神の形代で体を撫ぜ、厄払いを託してそれを川に流す「人形流し」の古い信仰で穢れを払い、無病息災を願ったもので、
神を迎えることはなく、送ることを主体とした行事で、「源氏物語」にも記載されている。
上己の節句(じょうみのせっく)の薬草摘みが、宮中のひいな遊びへと発展し、
雛祭りへと変わっていったとされている。
上己の「み」を、三日に照応させて、三月三日とし、
三が重なる「重三の節句」とも言う。
また邪を砕く力があるとされる桃の湯や、
桃花酒を飲むようになり「桃の節句」とも言う。
現在でも流し雛は全国各地に残り、
京都の下賀茂神社をはじめ
奈良五條、兵庫県竜野、埼玉県岩槻、岡山県笠岡、ほかかでも行事を行っている。
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「岡山の祭りと行事・上巻」 岡山民族学会 山陽新聞社 昭和57年発行
雛流し
笠岡市の北木島大浦や高島では、いまも雛流しを行っている。
色紙で素朴な紙雛を作る。
1年の月の数だけつくる
うち、1人は船頭、他は振り袖姿の娘をつくって、雛段の隅に供える。
旧3月3日には、この紙雛をウツロ舟と名付ける藁舟または紙箱の船に乗せ、
桃の花枝、貝の入ったすしなどと一緒に海に送る。
「加太へお帰り下さい」
と、口々に唱えて送るのである。
加太には全国に知られた淡島神社がある。
笠岡市笠岡
小学校の6年生の時、母が”大仙さん”に連れて行ってくれた。
笠岡中央商店街もスサキ通りも、すごい人の数だった。
母は買物のため、ある商店に入ったが、そのお店もまたいっぱいだった。
今になってみると、あの笠岡商店街の繁栄は夢だったのだろうか、とさえ思いながら笠岡を歩く自分がいる。
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「岡山の祭りと行事・上巻」 岡山民族学会 山陽新聞社 昭和57年発行
大仙院の祭り
「大仙さま」の愛称で知られる笠岡市川辺屋町にある仏性山海蔵寺大仙院の祭りである。
同院は高野山系の真言宗の寺院で、元禄5年当地に建立された。
現在の堂宇は昭和35年から51年にかけて逐次改築されたものである。
毎月旧の23日、24日が縁日で、
お寺さんに大きな片木塔婆(へぎとうば)に戒名を書いて拝んでもらう「塔婆供養」や、
梵字のみの小さな経木塔婆を買い求めて参詣者自身が念仏しながら地蔵前の仮設オケに流す「水向け供養」が行われる。
単に仏の供養という以外に、こうすることによって死者は成仏し他界へ行くともいう。
15年ほど前までは、これら1年分の塔婆を海に流す「経木流し」が行われていたが、今は月ごとに焼却して灰を流している。
笠岡市、井原市、浅口郡をはじめ広く近郊一円の信仰を集め参詣者が列をなす。
かつては牛馬市が立っていたが、
今では植え木、農作業衣、雑貨、菓子等々が境内や沿道狭しと並べられる
特に暮れ、正月、3月に参詣者が多い。
縁日は近郊の農民、老人にとっては信仰にこと寄せてのレクレーション、町への買い物の機会でもあり、スサキ通りの商店街が活気にあふれる時でもある。
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笠岡市金浦
笠岡市指定重要無形民俗文化財「おしぐらんご」
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「岡山の祭りと行事・上巻」 岡山民族学会 山陽新聞社 昭和57年発行
オシグランゴ
かつてはヒッタカの日の昼間に、オシグランゴと称する勇壮な新造漁船による競漕が、漁師の若者によって行われていた。
6隻が紅白2組に分かれ、1kmほどの沖から浜に向けて競争していたもので、
漕手4人、
舵取り1人、
旗振り1人、
の6人が褌姿で力漕し、観衆の応援と呼応して異様なまでの盛りあがりをみせていた。
この行事は、昭和36年を最後にすたれた。
かつてはオシグランゴは若衆、ヒッタカは子供が主役で行っていた。
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