昭和40年代後半、
百貨店がイケイケどんどんという時代があった。
岡山には高島屋、
倉敷には三越、
福山には伊勢丹、
広島にはそごうの進出が決まった。
百貨店は元気がいい(経営に余裕)のでエスカレーターの昇降口に女性を配置した。
それがエスカレーターガールで、
役目はエレベーターガールと、ほぼ同じ。
「何階でございます。何々売り場がございます」という案内ガール。
この時代の小売業は百貨店vsスーパー(ダイエーや西友)の対決だったが、
スーパーにエスカレーターガールはいなかった。
エレベーターガールもいなかった。
時代はその後、
最初からエレベーターガールもスカレーターガールも置かなかったスーパーが、
百貨店よりも先に市場から去った。
大型店スーパーはほぼ壊滅、
百貨店はお金持ち階級や企業相手に現状死守の状態。
今の時代では、
エレベーターに社員を配置していた、
エスカレータに社員を配置していた、
ということが信じられないだろうが、
その時代には、
エレベーターそのものが町に珍しかった。
エスカレーターに至っては、さらに珍しい文明の機種だった。
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「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和他 グラフィック社 2020年発行
エスカレーターガール
昭和の百貨店の花形と言えば、
多くの人が「上にまいりま~す」のエレベーターガールを思い浮かべるだろう。
一方で同時期に活躍したエスカレーターガールを想い出す人はあまりいないかもしれない。
上りエスカレータの乗り口の脇にスッと立ち、
浅めの美しいおじぎをしながら店内の案内をしたり、不慣れな客の乗降を確認したりする女性である。
1950年代から1960年代のほとんどの百貨店で見られた。
文字通り百貨店の顔であった。
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