しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

絵馬の話②

2022年10月12日 | 笠岡市の祭り

茂平の荒神さんには、戦争を描いた絵が額で飾ってあった。

南太平の海上で日本軍戦闘機が空中戦をしている絵だった。
それが絵馬を見た最初だった。

でも空中戦を描いた絵馬は、それ以後一度も見たことがないような気がする。

 

(笠岡市大河 葛城神社)

 

・・・・・


岡山の絵馬と扁額」  脇田秀太郎  岡山文庫  昭和50年発行

 

神馬をお宮に奉納する風習が簡便になって板立馬や絵の彫刻を、
さらには馬の姿を描いて、
のちにはいろいろなものを描いて願をかけるために、あるいは満願の御礼のために、
更にはなにかの記念のために、
社頭にあるいはお寺に奉納するようになった。


板に描かれたものが一番多い。
これらの絵はがんらい奉納者自身か若しくはその縁者の者が、あるいは近在の絵心のある者が描いたもので、
原則として奉納者の名前とその年月日を書いている。
だから郷土の歴史や民俗史の生きた資料の一つである。


・・・・

 

浅口の絵馬」  浅口歴史探訪会  あさひ印刷 2010年発行

 

絵馬とは

神社、仏閣、小祠、小堂に祈願するため、または大願成就の御礼として、馬やその他の図を描いて奉納する絵のことを言います。

 

絵画の図柄(184点)

武者絵(41点)
加藤清正と豊臣秀吉併せて8点、楠公父子桜井の別れが5点、後醍醐天皇と名和長年、川中島の戦い5点、平敦盛と熊谷直実4点、賤ケ岳合戦2点、物語不明の武者16点。
芝居絵(25点)
義経と弁慶3点、太閤記もの3点、特定できないもの16点。
神話絵(14点)
神功皇后と竹内祝弥8点、天の岩戸2点、他1点。
礼拝図(12点)
社の前で祈願している絵10点、金光教礼拝2点。
日清・日露戦争図
日清5点、日露7点。
風景図(5点)
伊勢神宮参宮記念に奉納されたと思われるもの2点、ほか。
動物図(31点)
雀と狐各1点、ガザミ1点、干支関係20点、馬4点、虎2点、牛1点。
ガラス絵(20点)

船(弁才船)(4点)、模型1点
その他(19点)
除外(50点)
絵馬の風化が激しく判別困難。


・・・

(笠岡市西大戸 聖霊神社)

 

・・・・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵馬の話①

2022年10月12日 | 笠岡市の祭り

お宮に「小絵馬」があるのは、いつ頃からだろう?
奈良・平安が起源だとしても、市民に普及したのは昭和40年代からのように思う。
生活が豊かになり、印刷された絵馬を庶民が買えることができだした。

 

・・・・・・

 

(笠岡市笠岡・北八幡神社)

 

・・・・・

 

「祈りの民俗学」  佐藤・田村共著 八坂書房  2013年発行

 

カミの乗り物
馬は神聖な動物だと古くから考えられていた。
神社に馬を奉納する習俗は古くからあった。
現在でも、伊勢神宮など、神馬を飼育している神社は少なくない。
また、木彫りの馬などが拝殿などに納められている神社も多い。
絵馬が奉納されている社や小祠にいたっては枚挙にいとまがない程である。

 

絵馬奉納の歴史

すでに奈良時代には絵馬奉納があったと考えられている。
起源については、生きた馬を奉納する習俗が古くにあり、
馬を奉納できないものが馬形を、
さらにそれが簡略化されて、馬の絵を奉納するようになり、
その後、
馬だけでなく、多様な絵柄のものが出現した、といわれる。

 

小絵馬の図柄と祈り


現在、多くの社寺に奉納されているシルクスクリーン製その他の小絵馬は、
その社寺にちなむ神像や干支を描いたものが多い。
これは絵馬の頒布に社寺が直接関与するようになった近年の風潮のようで、
伝統的な小絵馬の図柄には、祈願者をあらわしたと考えられる拝みの図や、
祈願の内容を示す図柄のものがじつに多い。

 

絵馬と馬


生きた馬を奉納するのが本来であるが、
その代わりとして造り馬や馬の絵が誕生したと簡単にいうことはできないのである。
馬形も絵馬も、単なる代用品ではなく、それぞれ独自の呪力、霊力をもったものと私たちの祖先は考えていたに違いない。
板に描いた馬の絵、つまり絵馬をカミに奉納したり、同じような絵馬をカミから授与され、
それを五穀豊穣や家内安全の拠り所としたりする風習は古くからあった。
一般に絵馬は、
人びとが様々な思いを込めて、神仏に祈り、願う時、
あるいは祈願が成就した時、奉納するものだとされている。

 

(笠岡市園井 今井八幡神社)

 


・・・・・


「絵馬に願いを」  岩井宏實 二玄社 2007年発行

絵馬の歴史

日本人は古くから馬を神聖視していた。
献馬の風習は崇神天皇の時代からであると『常陸国風土記』はいう。
雨乞い、日乞いに神に献じる風が続いた。
一方では、生馬に変わって土馬・木馬などの馬形を献上する風も生まれた。
そこからさらに、馬の絵を献上することになり、ここに絵馬が誕生した。
絵馬の遺品は、すでに奈良時代に見ることができる。

平安時代になると神仏習合思想が普及した。
観世音菩薩も乗馬姿でこの世に示現されたなどの説が高まった。
そうしたことから、仏に馬の絵馬を奉納してもなんの不思議でもなくなり、著名な寺院にも絵馬が広く奉納された。

 

絵馬の図柄


小絵馬の奉納の意味や内容が多様になるのは、江戸時代も文化・文政の頃であった。
小絵馬奉納の習俗が広まっていくなかで、さまざまな図柄や洒落た図柄も生まれていくのであった。
画題も馬の図のほか、神仏像、祈願者の礼拝姿、祈願の内容、干支など実にバラエティに富んでいる。
この中でもっとも図柄の豊富なのは、祈願内容を描いた図である。
もともと小絵馬を奉納する習俗は、組織を持たない民間信仰を基盤とし、伝承され、習慣化されたものである。
そして神仏に対する願掛けは、他人にあからさまにできない事柄がきわめて多い。
そのため人知れずひっそりと「匿名性」の意味があった。
本来の絵馬は願文も氏名も書かず、干支と性別のみを記した。

 

絵馬師


祈願者に変わって絵心のある人がその図を大量に描き、祈願者はそれを買って奉納するようになる。
もとは凧屋、玩具屋、提灯屋など職人や、蒔絵師などの絵職人が片手間に絵馬を描いていた。

・・・・

 

(笠岡市北木島町 諏訪神社)

 

・・・・・

「日本の祭り」 菅田正昭 実業之日本社  2007年発行

神馬の献上

競馬は神馬(しんめ)献上の意味を持ち、もっとも速い馬を神馬に定めることになり、しだいに武技と考えられるようになった。
また実際に馬を献上する代わりに、絵に描いた馬を献上して願を掛ける「絵馬」の奉納は、現在でも各神社で行われている。

 

(浅口市寄島町 大浦神社)

 

・・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神輿

2022年10月07日 | 笠岡市の祭り

まだ若かった時、ある村では「神輿を(担ぐのでなく)台車に乗せて引く」ということで、驚いたり、話題になったりしていたが、

今では、お祭りの日に神輿が出ないのがあたりまえのようになった。

 

真四角で社の形を”神輿”と呼び、ふとんの”千歳楽”などを除くと、意外に笠岡市内にある「神輿」は数少ない。

 

・・・・・

「御輿大全」  宮本卯之助 新光社 2011年発行

 

唐破風屋根(延べ屋根)  白木造り(漆塗り)  総彫り  (二重台)御輿

(尾坂・艮神社の神輿)

 

 

 

(笠岡・白雲大社の神輿)

 

屋根を見上げてみる。
唐破風屋根の湾曲部分や桝組みの一つひとつに至るまで、すべて彫刻で埋め尽くされている。

屋根部分の装飾。
蕨手には龍がまきつき、さらに鳳凰型の小鳥が羽を広げている。
いずれも繊細な彫金が施される。

軒下から一番下の台輪に至るまでの彫刻。
彫金は格の高さを演出。
龍が巻き付いた鳥居は1本の木から丸ごと彫り上げる。

 

・・・・

 

(神島外浦・神島神社の神輿)

 

御輿は、神の乗り物である。
普段は鎮守の森に鎮座するが、祭のその時だけ、神輿にお乗りになり、
町の隅ずみを巡り、人々の近くまで降りてくる。
豪華に、美しく、細部に至るまで心を込めて作られた神の乗り物は、その姿だけで、担ぐ人、見る人の心を動さずにはおかない。
工芸美術の極みにまで達しており、世界に誇れる技術品と言っても過言ではない。

 


・・・

(西大島・一宮の神輿)

 

御輿を飾る意匠

屋根、堂、台輪の3つに分かれる
神様が本来祀られている神社を模して作られるのが御輿である。
精巧な神社の再現であるばかりでなく、豪華な装飾も施される。

唐破風屋根・延屋根
曲線が重厚感と華やかさを感じさせる唐破風屋根。
直線的で屋根紋が映える延屋根。

屋根の骨格部分はケヤキなどで作られる。
それを仕上げるのは木地師の役割だ。
通常は漆塗りで仕上げられる。
漆の色には黒や朱、茶色などいくつかの色があり、さらには漆の上に金粉をまく梨地仕上げなどがある。
屋根には鳳凰、
屋根の四面には屋根紋、
屋根の四隅の蕨手には龍などの鋳物と、その上に乗る小鳥など。

桝組み
屋根の重みを均等に分散して支える桝組みは、機能と美しさを同時に叶える職人技の極致。
金箔押しや木彫刻も施す。


神社さながらに、本殿を構成する各要素がぎっしり詰め込まれている。
堂をぐるりと囲んでいるのは囲垣(いがき)である。
俗性と神域を区切るもの。
鳥居では、龍が巻きついているのがある。
龍は鳥居から先の神域を守っているとされる。
唐戸は、必ず正面につく。

飾り紐
魔除けの鈴が結ばれ、先端に大きな房が付いた飾り紐。
漆塗りには紫糸
白木御輿には金茶系が基本。

 

台輪(だいわ)
激しい衝撃にも耐える伝統の組み木製法を駆使して作られ、堂と屋根を受けとめる。
堅牢な基礎が御輿の躍動感を後押しする。

・・・・

(六島・嶋神社の神輿)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010「神島天神祭り」

2022年09月25日 | 笠岡市の祭り

笠岡市神島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「神島天神祭」

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009「神島天神祭り」

2022年09月24日 | 笠岡市の祭り

笠岡市神島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「神島天神祭」

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008「神島天神祭り」

2022年09月24日 | 笠岡市の祭り

笠岡市神島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「神島天神祭」

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007「神島天神祭り」

2022年09月23日 | 笠岡市の祭り

笠岡市神島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「神島天神祭」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006「神島天神祭り」

2022年09月23日 | 笠岡市の祭り

笠岡市神島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「神島天神祭」

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2003「神島天神祭り」

2022年09月23日 | 笠岡市の祭り

笠岡市神島
笠岡市指定重要無形民俗文化財「神島天神祭」

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茂平「八幡神社」祭り

2022年09月20日 | 笠岡市の祭り

笠岡市茂平

小学校の時、茂平のお祭りは、それはそれは楽しみな日だった。
10月1日が茂平、
10月5日が用之江、
10月10日が大冝で、
小学校は、その3日は「親呼び」(授業参観日)で、10時過ぎに学校から帰っていた。
荒神さんの下に露天商が2店ほど来ていた。日光写真やピストルを買っていた。
家には親類の人が集まり、サバ寿司や巻きずしを食べていたような気がする。
家の近くに神輿が来ると、鬼に見つからないように隠れていた。
赤鬼も青鬼もほんまに怖かった。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする