しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

お腰と生理

2017年09月07日 | 暮らし
お腰と生理

母の話(2013.7.15)

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タスキをかけて畑へ行きょうた。
ズボンが無かったけえ着物を着ていきょうた。(男も女も)
モンペをはきだしたら「ええもんができて、ほんまに楽になった。」

絣(の着物)をほどいて、みなモンペに(自分で仕立て)直しょうた。
そうしょうたら、じきにあつらえたのが出だした。


生理の時はほんまにていへんなんじゃ。
(ふんどしのように)布を着て。
便所は便所でたいへんじゃし。


あんがいに来るときがあり、
畑でする時、風が強い時は(立ったままなので)特にたいへんじゃ。
尻がよう汚りょうた。
(使ったその布を)家に持って帰って洗濯して、干してまた使ようた。
洗うても、あんまり(汚れが)落ちなんだ。

賀山で養蚕をしょうる時にゃ(蚕の間に)赤いもんが落ちとるときがあった。

女学校の時でも、(制服の下から)見ょうた人がおった。おとこんこがおらんおでからかう人はいなかった。

月、月ゆうことじゃが、
早ぅ来るときに困りょうた。


お腰、腰巻は赤やピンクがあったり、
冬になればネルのにしたり。
巻いて紐で結びょうた。

小学校の5年か6年からズロースをはくようになった。
おじいさん(母の実父)が、井原に出ちゃあズロースを買うてきてくりょうた。


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労研饅頭(ろうけんまんとう)

2017年09月05日 | 暮らし
母の話・2015.1.1
 
(母は、この話の2ヶ月後に亡くなった)

母の年齢(大正10年3月生)から、昭和10年前後のことである。

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(井原高等女学校の前にある)コマツ屋ようた。
そこへ買いに行きょうた。一袋へ四つ入とった、5円しょうた。
安ぃんじゃ、あの頃の5円はやしぃ。
弁当を持っていかんもんがエットおろう、そうゆうもんが皆、あれを買うて食びょうた。
蒸しパンのようなもんじゃ。中へ黒い豆がへぇとるだけじゃ。
昼になれば急ぇで買いにいきょうた、よう売りょうた。
「早ぉ行かにゃあのうなる」ゆうて言ぉた。
学校の中でも、だいしょう売りょうたかもわかんらんなあ。

興譲館の下でも、「よう売れる」ゆうてようた。
豆はところどころに入ぇて、味はええようにしてあった。

「ローマンを買う」ゆうてようた。
世が良ぉなったら、のうなった。パンになった。
コメント (5)
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