ケンペル「江戸参府旅行日記」 訳者・斎藤信 東洋文庫 昭和52年発行
1691年(元禄4)
第五章・街道を旅行し、街道筋で生計を立てている人々の群れ ③比丘尼
(東海道53次内沼津 広重)
比丘尼
大部分は若くて頭をきれいに剃った人たちがいっぱいいるのを見かける。
剃髪した人々のうちには比丘尼と呼ばれる若い女性の教団がある。
これは鎌倉や京都の尼寺の支配下にあって、その庇護を受けている。
熊野や近国に多いので熊野比丘尼と呼ばれている。
最も美しい女性である。
善良で魅力的に見えるこれらの貧しく若い女性たちは、
大した苦労もせずに尼として物乞いする許可を受け、
旅行者から思うままに魅惑的な容姿で、うまく布施をまきあげる術を身につけている。
かなり多くの者は娼家で年季を終えてから自由の身となり、青春時代の残りを旅で過ごすのである。
・・・・・・・
「東海道中膝栗毛」 現代語訳・村松友視 講談社 2010年発行
比丘尼に遊ばれる
歩いていると、うしろからきみょうな音が近づいてきた。
三人の比丘尼(尼僧)が、竹の管を指で鳴らし、歌いながらやってきたのだった。
「おっ比丘尼だ。俺の方を見てにっこり笑ったぜ。にくいね、どうも。」
「笑ったんじゃねえよ。ありゃ顔にしまりがねえんだ。」
先頭をいく比丘尼が二十三くらい、もう一人は二十六、七歳、それに十一、二の小比丘尼の三人づれた。
若い方の比丘尼が喜多さんのほうへ近よって、
「もしあなた・・・・」
「あんですかあ。」
喜多さんはもう、でれっとしただらしない顔になり、口にしまりがなくなったから、ことばもあわわになっちゃった。
「火はござりませぬか。」
「ああ、タバコの火ね。はいはい、打ってさしあげましょう。」
喜多さんは、すり火打ちを出して器用に火をつけ、
「さあどうぞ。」
「ところで、どちらえ」
「名古屋のほうへ・・・。」
「ほう、名古屋ねえ。そいつはいいところへいきなさる。
名古屋なんて、なみの学問じゃちょいと出てこないよ。」
とにかく喜多さんは、はしゃいでいる。
「今夜どこへ泊るの?まだ決めてない?
ふーーん、あのね、赤坂で泊まるのがいいんじゃないかな。
おれたちも、ちょうど赤坂で泊るから。」
「わあ、うれしい!
あの、タバコを一服くださいな。
ちょうど切れちゃったんです。」
「さあさあ、どうぞどうぞ。
こんなもんでよかったらみんなあげちゃう。」
「ところでさ、あんたみたいなべっぴんさんが、
どうしてまた髪をそっちゃんたんだい。おしいことをしたなあ。」
「とんでもない。たとえ髪があったって、
あたしなんかをあいてにする男はいませんよ。」
「あるともあるとも。それなら俺が一番にかまいたいね。どうです。」
「おほほほほ・・・。」
喜多さんはひとりでうかれていたが、比丘尼がわき道へ向かって歩きだした。
「ねえ、おれたちと泊るんじゃなかったのかい。」
「ちょっとあっちの方をまわってまいりますので。じゃ、またね。」
比丘尼たちは、わき道のほうへいってしまった。
喜多さんはぽかんと見送っていた。
1691年(元禄4)
第五章・街道を旅行し、街道筋で生計を立てている人々の群れ ③比丘尼
(東海道53次内沼津 広重)
比丘尼
大部分は若くて頭をきれいに剃った人たちがいっぱいいるのを見かける。
剃髪した人々のうちには比丘尼と呼ばれる若い女性の教団がある。
これは鎌倉や京都の尼寺の支配下にあって、その庇護を受けている。
熊野や近国に多いので熊野比丘尼と呼ばれている。
最も美しい女性である。
善良で魅力的に見えるこれらの貧しく若い女性たちは、
大した苦労もせずに尼として物乞いする許可を受け、
旅行者から思うままに魅惑的な容姿で、うまく布施をまきあげる術を身につけている。
かなり多くの者は娼家で年季を終えてから自由の身となり、青春時代の残りを旅で過ごすのである。
・・・・・・・
「東海道中膝栗毛」 現代語訳・村松友視 講談社 2010年発行
比丘尼に遊ばれる
歩いていると、うしろからきみょうな音が近づいてきた。
三人の比丘尼(尼僧)が、竹の管を指で鳴らし、歌いながらやってきたのだった。
「おっ比丘尼だ。俺の方を見てにっこり笑ったぜ。にくいね、どうも。」
「笑ったんじゃねえよ。ありゃ顔にしまりがねえんだ。」
先頭をいく比丘尼が二十三くらい、もう一人は二十六、七歳、それに十一、二の小比丘尼の三人づれた。
若い方の比丘尼が喜多さんのほうへ近よって、
「もしあなた・・・・」
「あんですかあ。」
喜多さんはもう、でれっとしただらしない顔になり、口にしまりがなくなったから、ことばもあわわになっちゃった。
「火はござりませぬか。」
「ああ、タバコの火ね。はいはい、打ってさしあげましょう。」
喜多さんは、すり火打ちを出して器用に火をつけ、
「さあどうぞ。」
「ところで、どちらえ」
「名古屋のほうへ・・・。」
「ほう、名古屋ねえ。そいつはいいところへいきなさる。
名古屋なんて、なみの学問じゃちょいと出てこないよ。」
とにかく喜多さんは、はしゃいでいる。
「今夜どこへ泊るの?まだ決めてない?
ふーーん、あのね、赤坂で泊まるのがいいんじゃないかな。
おれたちも、ちょうど赤坂で泊るから。」
「わあ、うれしい!
あの、タバコを一服くださいな。
ちょうど切れちゃったんです。」
「さあさあ、どうぞどうぞ。
こんなもんでよかったらみんなあげちゃう。」
「ところでさ、あんたみたいなべっぴんさんが、
どうしてまた髪をそっちゃんたんだい。おしいことをしたなあ。」
「とんでもない。たとえ髪があったって、
あたしなんかをあいてにする男はいませんよ。」
「あるともあるとも。それなら俺が一番にかまいたいね。どうです。」
「おほほほほ・・・。」
喜多さんはひとりでうかれていたが、比丘尼がわき道へ向かって歩きだした。
「ねえ、おれたちと泊るんじゃなかったのかい。」
「ちょっとあっちの方をまわってまいりますので。じゃ、またね。」
比丘尼たちは、わき道のほうへいってしまった。
喜多さんはぽかんと見送っていた。