人気歌手のシゲちゃん(旧ジャニーズ事務所・NEWSの加藤シゲアキ)は歌や踊りだけでなく、
作家としてもよく知られている。
そのシゲちゃんが「なれのはて」という新作品を発表し、雑誌にインタビュー記事が載った。
八橋油田の近く、秋田市土橋港に製油所があった。
その土橋製油所が8月14日夜~15日未明に爆撃空襲にあい、約250名もの犠牲者を出したそうだ。
この日(昭和20年8月14日)、日本全土や外地の戦地では、翌8月15日正午の”重大放送”を待っていたが、
不運なことに米軍のマリアナ司令部に攻撃中止が伝わったのは、
8月15日午前4時45分で、既にB-29の編隊は日本空襲を終えて帰還する途中だった。
秋田県土橋のほかに、
埼玉県熊谷、群馬県伊勢崎が昭和20年8月14日~15日、「最後の空襲」攻撃された。
歴史街道」令和6年5月号 PHP研究所 令和6年4月6日発行
特別インタビュー
「なれのはて」で“最後の空襲”を描いた理由 加藤シゲアキ
今の自分に何が描けるのか
僕は生まれが広島です。とはいえ五歳までしかいなかったので、 当時の記憶はあまりないのですが、
出生の地というご縁もあって、 広島の方にお声がけいただいて、ここ十年くらい、太平洋戦争にまつわるお仕事をよくさせてもらっています。
今の自分には戦争の何が描けるんだろうと悩みました。
戦争はこれまでにもたくさん小説で描かれてきていて、優れた作 品がすでにあって、ルポルタージュとか、ノンフィクションもある。
自分の小説を良くするために戦争を利用したと思われたくないですし、フィクションだからこそ書けるものがまだはたしてあるのかと、 葛藤しました。
そこでふと、日本には東京、広島、長崎など、これまで戦争に関する作品で多く書かれてきた。
よく知られた地がありますが、戦いは日本各地であったはずだと思い至ったんです。
そのなかには僕が知らない戦いもきっとあって、それこそ僕が描くべきかもしれない描けるかもしれない。
なかでも、自分に縁がある地について書 きたいと思いました。
僕の父は岡山、母は秋田の出身です。
何気なく戦時中の秋田について調べたら、最初に、「土崎空襲」が出てきました。
詳しく調べてみると、日本最後の空襲だったことを知りました。
そこで、「なんで最後の空襲が秋田だったんだろう」と疑問が浮かんで気になってました。
土崎空襲を通して描きたかったこと
昭和20年(1945)8月14日の夜10時半頃から、8月15日の未明にかけて、土崎はB-29の爆撃に見舞われ、250名以上の方が亡くなられました。
なぜ土崎が空襲を受けたかというと、秋田には日本有数の油田があり、土崎に当時日本で最大の産油量をあげていた製油所があった からです。
そこが攻撃目標とされたのです。
空襲に向かうB-29のパイロットの映像も残っていますが、基地から飛び立って日本各地に向かい、
土崎空襲と同じくらいの時刻に、埼玉など、秋田以外の場所も空襲を受けています。
土崎空襲の史料は、実はあまり残されていません。
そのため、執筆するにあたって、読めるものは基本的にほとんど読みました。
土崎空襲で落とされたのは、焼夷弾ではなくて、爆発性の高い、かなり高性能な爆弾でした。
「燃やすこと」が目的ではなくて、「破壊すること」が目的だったと思われます。
スポットライトを当てたかったもの
土崎空襲を描いてみて、実際に被災された方がいかに大変な想いをされているかを知りました。
ただ当時、日本では他にもたくさんの街が空襲を受け、その一つひとつは、どうしても歴史のなかで埋もれてしまいやすい。
でも、僕がスポットライトを当てたかったのはそういうもので、
戦災は日本各地であったということが伝わればと願っています。
今は映像などで戦争の様子がリアルに表現されたり、「戦略」みたいなこともメディアで解説されていたりします。
でも、「空から爆弾が降ってくる、戦争は嫌なもの」という肌感覚の恐怖を伝える、
感情を動かすというのは、小説の仕事なのかもしれません。
僕は、小説は「答え」ではなくて、「問い」だと捉えています。
僕の小説のなかでは何か答えを出したいわけでもないし、自分のなかで答えが見つかっているわけでもありません。
読んだ人に、「あなたはどう考えますか」と問いかけることが、 自分の今のところの仕事だと考えています。
僕の小説を気軽に読んで、面白かった、と思っていただけたらそれだけでも嬉しいですが、
そこから、「日本最後の空襲が秋田であったんだ」とか、「戦争って、何なんだ」とか、何か感じて思いをめぐらせてもらいたいです。
・・・
・・・