阿部山に接していたのは浅口郡鴨方町、小田郡中川村・北川村・新山村・吉田村の2郡4村。
鴨方町史にある移住戸数50、移住者数150人という数字は、増反による自宅からの通いとしか理解できないが、ほうんとうに家族が入植したものだろうか???
笠岡市史による入植者は戦後の開拓者と思える。
--------
鴨方町史より転記
日中戦争以後、わが国の食糧不足は深刻となり、政府は供出、配給の制をとり、全面的統制管理に乗り出した。
昭和17年阿部山で大規模な開墾が始まり移住者が続々と入植した。地元観生高女(現鴨方高)をはじめ岡山1中、高梁中、矢掛中なども動員されて、山頂の荒地に開墾を挑んだ。
開拓事務所より戦線慰問文
既にご承知の通り移住者戸数50、150余名の鍬の戦士は意気高らかに、絞る汗に感激と誇りを満喫しています。
既開墾地50余町歩、作付中は葉煙草5町を筆頭に、小麦、馬鈴薯、甘藷、除虫菊、蕎麦、果樹、・・・実に百数十種に及ぶ盛況です。
去る3月末配電工事が完成、電灯の恩恵を受けて文化都市にも劣りません。
益々皇国農民に徹するべく念願して止まぬものです。
昭和18年8月
--------
笠岡市史4巻より転記する
戦中戦後食糧危機対策のため各地で山地・河川敷などの開墾・開拓が行われた。
北川村30町歩は阿部山開拓地である。
標高330~350m。
昭和17年から入植が始まり、昭和22年ごろまでに12戸入植する(一戸は矢掛町)。
平成14年現在5戸が定住、そのうち3戸が農業を行っている(牛肥育、花木と水田、花木)。
--------
矢掛町史
記載はない。