場所・広島県尾道市・福本渡船 渡し船(尾道・土堂~向島・小歌島)
最終日・2025年3月31日(予定)
撮影日・2024.4.1 2013.4.12 2012.7.28
尾道へ行く時は電車、または車で行く。
車で行くときは、向島に停めて、船で尾道へ渡る。
その時の3分間が楽しい。
桟橋で船を待つ、船に乗る、前に尾道と千光寺山を見ながらの3分間の船旅。
市民の足であり、旅人には揺られながらの至福の眺め。
船から降りる時に100円玉を渡すと、40円のお釣りをくれる。
船賃は60円。
ひと昔か、それ以上前には船賃が1円だったそうだ。
それで”1円ぽっぽ”と呼ばれている。
安さや、たまに事故したりで市民に親しまれてきた福本渡船だが、
来年春で廃止されると中国新聞に掲載された。
福本渡船は135年間営業してきたそうだ。
福本汽船の廃業により、
尾道~向島の渡船は「駅前渡船」と「尾道渡船」の2社だけなる。
残る2航路は末永く残ってほしい。
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お客様各位
渡船事業廃止のお知らせ
弊社渡船 (向島~尾道)は、 施設の老朽
化に伴い、 令和7年3月31日をもって渡
船事業を廃止致します。
135年余の長きにわたりご利用いただ
きました皆様方に深く感謝申し上げます。
残る半年、全力で安全運航に努めてまい
りますので、宜しくお願い致します。
令和6年9月30日
福本フェリー株式会社
(福本渡船)
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「広島県」の文字に遠く、昔、呉市江田島海軍病院にて出生にも思いを巡らしております。
その節はお言葉を頂きましてありがとうございまし
た。
昭和19年10月海軍最後のレイテ沖海戦に鳥海と共に永遠の眠りから今年は父の80回忌を迎えました。
先日、父の命日に千葉県護国神社へ子供たちと昇殿参拝に参りまして父を偲ぶことができました。
ちょうど1年間暮らしました。
当時は、造船・製鉄・海上自衛隊等がある男性の多い街でした。
ある日、能美島で急用が発生したのですが上司からは
「すぐ江田島に行ってくれ」といわれ、目を丸くしていると、同僚が
「一つの島が、江田島と西能美島と東能美島に分かれている」と教えてくれました。
その時、初めて江田島に行きました。
旧海軍兵学校の人たちも利用した小用港に降りました。
OKO様は自宅出産でなく病院でお生まれだそうですが、
お父様は偉い方だったですね。
呉の両城にお住まいだった可能性が高いですね。
もし未訪問でしたら、両城を一度訪問なさってみてください。
父は兵学校出身ではありませんが昭和12年から兵学校の通信の教官として勤務と軍歴に記載されております。
昭和14年6月に私が生まれ、母も一番幸せな時だったと想像しております。
父の事は全く知りませんが田舎の優等生の父は親戚中から厚意を頂いたようです。
私が生まれた時には、農家の仕事を放り投げて、伯母、伯父たちが次ぎ次ぎに江田島に押し掛けたと聞いております。
平成11年9月26日~2泊3日で父方従兄姉たちと「しまなみ海道から広島県を訪ねる旅」に
旧海軍兵学校、海軍病院跡などを見学し、母の背にあったころに呉駅にも足を運んだことがあります。
母が再婚に江田島時代などを聞くことがありませんでしたが、ある時、あちらのみかんは美味しかった。
又、私のおむつを洗うことも無かった。とぽつりと話してくれました。
何年間、江田島に居りましたか定かではありませんが、戦争が始まってからは早々に千葉市の母の実家に身を寄せました。