しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

北木島の湖上ステージ

2022年10月19日 | 令和元年~

(北木島の「重ね岩」「猫岩」)

 

北木島に行ってきた。

 

(生まれも育ちも北木島の人)

 

 

笠岡市に水上ステージが設置されている。
場所は北木島の千ノ浜と金風呂の境の丁場跡。
いわゆる”丁場湖”(←湖というよりは池)に浮かんでいる。

イベントがあったので参加した。

 

・・・・

 

日時・2022年10月15日

場所・岡山県笠岡市北木島町金風呂

イベント名・「北木島ファンを作ろう!!湖上ステージでライブ」

 

 

6組の音楽家が湖上で演奏し、歌った。

音声は聳えたつ岩肌に響き、その際だつ景観とあいまって見る人、聴く人を感動させた。

 

いいものを観ることができた。(満足・感動)

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーインパルス笠岡上空を飛ぶ

2022年10月19日 | 令和元年~

20何年か前に一度、笠岡市の空を飛んだ。
その時は福山市の入江大橋から、もう笠岡方面には進めないという歴史的な交通渋滞を起こした。

 

(2022年10月19日 笠岡市十一番町)

 

今日のブルーインパルスは笠岡市にとって二度目だが、じつは今日のは予行演習。
本番は2022年10月22日のイベント「白線飛行」。
その日は別の場所から見ようと思っている。
土曜日が晴れるといいな。(現在の予報は曇り時々晴れ)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵馬の話②

2022年10月12日 | 笠岡市の祭り

茂平の荒神さんには、戦争を描いた絵が額で飾ってあった。

南太平の海上で日本軍戦闘機が空中戦をしている絵だった。
それが絵馬を見た最初だった。

でも空中戦を描いた絵馬は、それ以後一度も見たことがないような気がする。

 

(笠岡市大河 葛城神社)

 

・・・・・


岡山の絵馬と扁額」  脇田秀太郎  岡山文庫  昭和50年発行

 

神馬をお宮に奉納する風習が簡便になって板立馬や絵の彫刻を、
さらには馬の姿を描いて、
のちにはいろいろなものを描いて願をかけるために、あるいは満願の御礼のために、
更にはなにかの記念のために、
社頭にあるいはお寺に奉納するようになった。


板に描かれたものが一番多い。
これらの絵はがんらい奉納者自身か若しくはその縁者の者が、あるいは近在の絵心のある者が描いたもので、
原則として奉納者の名前とその年月日を書いている。
だから郷土の歴史や民俗史の生きた資料の一つである。


・・・・

 

浅口の絵馬」  浅口歴史探訪会  あさひ印刷 2010年発行

 

絵馬とは

神社、仏閣、小祠、小堂に祈願するため、または大願成就の御礼として、馬やその他の図を描いて奉納する絵のことを言います。

 

絵画の図柄(184点)

武者絵(41点)
加藤清正と豊臣秀吉併せて8点、楠公父子桜井の別れが5点、後醍醐天皇と名和長年、川中島の戦い5点、平敦盛と熊谷直実4点、賤ケ岳合戦2点、物語不明の武者16点。
芝居絵(25点)
義経と弁慶3点、太閤記もの3点、特定できないもの16点。
神話絵(14点)
神功皇后と竹内祝弥8点、天の岩戸2点、他1点。
礼拝図(12点)
社の前で祈願している絵10点、金光教礼拝2点。
日清・日露戦争図
日清5点、日露7点。
風景図(5点)
伊勢神宮参宮記念に奉納されたと思われるもの2点、ほか。
動物図(31点)
雀と狐各1点、ガザミ1点、干支関係20点、馬4点、虎2点、牛1点。
ガラス絵(20点)

船(弁才船)(4点)、模型1点
その他(19点)
除外(50点)
絵馬の風化が激しく判別困難。


・・・

(笠岡市西大戸 聖霊神社)

 

・・・・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵馬の話①

2022年10月12日 | 笠岡市の祭り

お宮に「小絵馬」があるのは、いつ頃からだろう?
奈良・平安が起源だとしても、市民に普及したのは昭和40年代からのように思う。
生活が豊かになり、印刷された絵馬を庶民が買えることができだした。

 

・・・・・・

 

(笠岡市笠岡・北八幡神社)

 

・・・・・

 

「祈りの民俗学」  佐藤・田村共著 八坂書房  2013年発行

 

カミの乗り物
馬は神聖な動物だと古くから考えられていた。
神社に馬を奉納する習俗は古くからあった。
現在でも、伊勢神宮など、神馬を飼育している神社は少なくない。
また、木彫りの馬などが拝殿などに納められている神社も多い。
絵馬が奉納されている社や小祠にいたっては枚挙にいとまがない程である。

 

絵馬奉納の歴史

すでに奈良時代には絵馬奉納があったと考えられている。
起源については、生きた馬を奉納する習俗が古くにあり、
馬を奉納できないものが馬形を、
さらにそれが簡略化されて、馬の絵を奉納するようになり、
その後、
馬だけでなく、多様な絵柄のものが出現した、といわれる。

 

小絵馬の図柄と祈り


現在、多くの社寺に奉納されているシルクスクリーン製その他の小絵馬は、
その社寺にちなむ神像や干支を描いたものが多い。
これは絵馬の頒布に社寺が直接関与するようになった近年の風潮のようで、
伝統的な小絵馬の図柄には、祈願者をあらわしたと考えられる拝みの図や、
祈願の内容を示す図柄のものがじつに多い。

 

絵馬と馬


生きた馬を奉納するのが本来であるが、
その代わりとして造り馬や馬の絵が誕生したと簡単にいうことはできないのである。
馬形も絵馬も、単なる代用品ではなく、それぞれ独自の呪力、霊力をもったものと私たちの祖先は考えていたに違いない。
板に描いた馬の絵、つまり絵馬をカミに奉納したり、同じような絵馬をカミから授与され、
それを五穀豊穣や家内安全の拠り所としたりする風習は古くからあった。
一般に絵馬は、
人びとが様々な思いを込めて、神仏に祈り、願う時、
あるいは祈願が成就した時、奉納するものだとされている。

 

(笠岡市園井 今井八幡神社)

 


・・・・・


「絵馬に願いを」  岩井宏實 二玄社 2007年発行

絵馬の歴史

日本人は古くから馬を神聖視していた。
献馬の風習は崇神天皇の時代からであると『常陸国風土記』はいう。
雨乞い、日乞いに神に献じる風が続いた。
一方では、生馬に変わって土馬・木馬などの馬形を献上する風も生まれた。
そこからさらに、馬の絵を献上することになり、ここに絵馬が誕生した。
絵馬の遺品は、すでに奈良時代に見ることができる。

平安時代になると神仏習合思想が普及した。
観世音菩薩も乗馬姿でこの世に示現されたなどの説が高まった。
そうしたことから、仏に馬の絵馬を奉納してもなんの不思議でもなくなり、著名な寺院にも絵馬が広く奉納された。

 

絵馬の図柄


小絵馬の奉納の意味や内容が多様になるのは、江戸時代も文化・文政の頃であった。
小絵馬奉納の習俗が広まっていくなかで、さまざまな図柄や洒落た図柄も生まれていくのであった。
画題も馬の図のほか、神仏像、祈願者の礼拝姿、祈願の内容、干支など実にバラエティに富んでいる。
この中でもっとも図柄の豊富なのは、祈願内容を描いた図である。
もともと小絵馬を奉納する習俗は、組織を持たない民間信仰を基盤とし、伝承され、習慣化されたものである。
そして神仏に対する願掛けは、他人にあからさまにできない事柄がきわめて多い。
そのため人知れずひっそりと「匿名性」の意味があった。
本来の絵馬は願文も氏名も書かず、干支と性別のみを記した。

 

絵馬師


祈願者に変わって絵心のある人がその図を大量に描き、祈願者はそれを買って奉納するようになる。
もとは凧屋、玩具屋、提灯屋など職人や、蒔絵師などの絵職人が片手間に絵馬を描いていた。

・・・・

 

(笠岡市北木島町 諏訪神社)

 

・・・・・

「日本の祭り」 菅田正昭 実業之日本社  2007年発行

神馬の献上

競馬は神馬(しんめ)献上の意味を持ち、もっとも速い馬を神馬に定めることになり、しだいに武技と考えられるようになった。
また実際に馬を献上する代わりに、絵に描いた馬を献上して願を掛ける「絵馬」の奉納は、現在でも各神社で行われている。

 

(浅口市寄島町 大浦神社)

 

・・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山市役所

2022年10月12日 | 無くなったもの

場所・岡山県岡山市北区大供
無くなった日・(新庁舎完成後)2026年頃解体予定
撮影日・2022年9月25日 

 

 

岡山市役所の庁舎は、2022年から建替え工事に着手する。
新庁舎は現庁舎の裏側に新築される。
2022年は、裏側にある駐車場を解体し、基礎工事着工。
2026年度中に、新庁舎が完成する予定。
新庁舎に引っ越してから、現庁舎は解体される。


現庁舎の跡地は、新庁舎前の緑地帯になる。

 

 

岡山駅から市役所への電車が欲しいところだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山駅前商店街(東側)

2022年10月12日 | 無くなったもの

場所・岡山県岡山市北区 岡山駅前1丁目 
無くなった日・2022年解体工事中
撮影日・2022年5月28日 

 

 


岡山駅前商店街の再開発工事が始まった。
商店街の玄関(左側)が解体され、商店の他に、岡山県を代表するパチンコ店や元映画館などが無くなる。

新しく、商業ビルや超高層マンションが建つ。完成は2026年の予定。

 

 

 

駅前商店街では、
昭和37年に岡山会館デパート(現ビッグカメラ)が完成して以来の大きな変化かな?
そういえば、ダイエーのトピア(現・イコットニコット)が昭和53年に完成した時も大騒動だった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笠岡高校創立120周年

2022年10月08日 | 江戸~明治

(山陽新聞・2022.10.6)

 

祖母は明治27年に、茂平の農家の次女に生まれた。
長女が家を出たので、次女である祖母が養子取りになって家を継いだ。

家を出た長女

長女が小学校の5~6年生の頃、笠岡の町に「女学校」が出来ることが決まった。
その話を聞いた長女は、どうしても「上の学校」に行きたくなった。
吉浜の分限者の人で、子なしの人が、女学校に進学したいという少女の噂を聞いて、
茂平の家に来て「うちの養子になるなら、女学校にいかしちゃる」と話した。
長女は、親の言葉を待たずに「養子に行く!」
長女は家を出て、養女になり、そして「笠岡町立女学校」に入学し、卒業した。
第二回卒業生だった。

長女は一女を残して若くして亡くなった。
その一子は毎年、お盆に先祖の墓参りに来ていた。
父の従妹になるが、多くの親族(父の兄弟や従兄妹)が集まる中でも、その一子は話すことがしっかりし、容姿も優れて、話の中心にいた。

その父の従妹の思い出は、笠岡女学校に進学した祖母の姉とセットになって想い起こす。
創立当初の笠岡女学校の生徒は気鋭の人々の集まりであったに違いない。

 

(中国新聞・2022.10.7)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神輿

2022年10月07日 | 笠岡市の祭り

まだ若かった時、ある村では「神輿を(担ぐのでなく)台車に乗せて引く」ということで、驚いたり、話題になったりしていたが、

今では、お祭りの日に神輿が出ないのがあたりまえのようになった。

 

真四角で社の形を”神輿”と呼び、ふとんの”千歳楽”などを除くと、意外に笠岡市内にある「神輿」は数少ない。

 

・・・・・

「御輿大全」  宮本卯之助 新光社 2011年発行

 

唐破風屋根(延べ屋根)  白木造り(漆塗り)  総彫り  (二重台)御輿

(尾坂・艮神社の神輿)

 

 

 

(笠岡・白雲大社の神輿)

 

屋根を見上げてみる。
唐破風屋根の湾曲部分や桝組みの一つひとつに至るまで、すべて彫刻で埋め尽くされている。

屋根部分の装飾。
蕨手には龍がまきつき、さらに鳳凰型の小鳥が羽を広げている。
いずれも繊細な彫金が施される。

軒下から一番下の台輪に至るまでの彫刻。
彫金は格の高さを演出。
龍が巻き付いた鳥居は1本の木から丸ごと彫り上げる。

 

・・・・

 

(神島外浦・神島神社の神輿)

 

御輿は、神の乗り物である。
普段は鎮守の森に鎮座するが、祭のその時だけ、神輿にお乗りになり、
町の隅ずみを巡り、人々の近くまで降りてくる。
豪華に、美しく、細部に至るまで心を込めて作られた神の乗り物は、その姿だけで、担ぐ人、見る人の心を動さずにはおかない。
工芸美術の極みにまで達しており、世界に誇れる技術品と言っても過言ではない。

 


・・・

(西大島・一宮の神輿)

 

御輿を飾る意匠

屋根、堂、台輪の3つに分かれる
神様が本来祀られている神社を模して作られるのが御輿である。
精巧な神社の再現であるばかりでなく、豪華な装飾も施される。

唐破風屋根・延屋根
曲線が重厚感と華やかさを感じさせる唐破風屋根。
直線的で屋根紋が映える延屋根。

屋根の骨格部分はケヤキなどで作られる。
それを仕上げるのは木地師の役割だ。
通常は漆塗りで仕上げられる。
漆の色には黒や朱、茶色などいくつかの色があり、さらには漆の上に金粉をまく梨地仕上げなどがある。
屋根には鳳凰、
屋根の四面には屋根紋、
屋根の四隅の蕨手には龍などの鋳物と、その上に乗る小鳥など。

桝組み
屋根の重みを均等に分散して支える桝組みは、機能と美しさを同時に叶える職人技の極致。
金箔押しや木彫刻も施す。


神社さながらに、本殿を構成する各要素がぎっしり詰め込まれている。
堂をぐるりと囲んでいるのは囲垣(いがき)である。
俗性と神域を区切るもの。
鳥居では、龍が巻きついているのがある。
龍は鳥居から先の神域を守っているとされる。
唐戸は、必ず正面につく。

飾り紐
魔除けの鈴が結ばれ、先端に大きな房が付いた飾り紐。
漆塗りには紫糸
白木御輿には金茶系が基本。

 

台輪(だいわ)
激しい衝撃にも耐える伝統の組み木製法を駆使して作られ、堂と屋根を受けとめる。
堅牢な基礎が御輿の躍動感を後押しする。

・・・・

(六島・嶋神社の神輿)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「瀬戸芸2022」

2022年10月07日 | 令和元年~

3年に一度の「瀬戸内国際芸術祭2022」が、香川県・岡山県で開催されている。
4月に次いで、今回2回目の鑑賞に行ってきた。

 

・・・

玉野へ行く。

 

 

9月25日・岡山県玉野市(宇野港)
un14
S.F. (Seaside Friction)
金氏徹平

 

 


・・・

小豆島へ行く。

 

9月26日・香川県小豆島(土庄港)


sd01
太陽の贈り物
チェ・ジョンファ(崔正化)

 

 


sd02
対極の美ー無限に続く円ー
コシノジュンコ


sd03
再び ・・・
キム・キョンミン

 


9月26日・香川県小豆島(寒霞渓)

sd54
空の玉
青木野枝

 

・・・

 

屋島に行く。

 


(対象外)

9月26日・香川県高松市屋島(獅子の霊巌)
「やしまーる」

やしまーるは「瀬戸芸2022」に合わせて完成した展望台。
屋島観光のシンボルになるのを目的とした拠点施設。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上森造翁

2022年10月04日 | 銅像の人

場所・岡山県浅口市寄島町早崎 (元寄島町役場)

 

翁は今も、寄島町や里庄町の人々から、多大な寄附を感謝されている。

 

 


「ふるさとの想い出写真集」 森脇正之編  国書刊行会  2020年発行

村上森造

村上森造は、寄島町早崎の豆腐屋に生まれ、
大志をを抱いて明治22年20歳の時、神戸へ出て、麦稈真田の貿易に従事し、
直接外国商社と取引して巨万の富を得た。
先見の明があり、絶ゆまぬ奮闘努力が知られていた。
公共事業、社会事業への寄付を惜しまず、
郷里寄島町および付近の町村の学校、役場、青年団、社寺、火見櫓などに多額の献金をした。
町民はこれに報いるため、大浦神社西に銅像を建立。
写真は昭和3年の銅像除幕式。
戦時中に供出された。

 

 

 


撮影日・2022年10月2日

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする