お宮に「小絵馬」があるのは、いつ頃からだろう?
奈良・平安が起源だとしても、市民に普及したのは昭和40年代からのように思う。
生活が豊かになり、印刷された絵馬を庶民が買えることができだした。
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(笠岡市笠岡・北八幡神社)
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「祈りの民俗学」 佐藤・田村共著 八坂書房 2013年発行
馬
カミの乗り物
馬は神聖な動物だと古くから考えられていた。
神社に馬を奉納する習俗は古くからあった。
現在でも、伊勢神宮など、神馬を飼育している神社は少なくない。
また、木彫りの馬などが拝殿などに納められている神社も多い。
絵馬が奉納されている社や小祠にいたっては枚挙にいとまがない程である。
絵馬奉納の歴史
すでに奈良時代には絵馬奉納があったと考えられている。
起源については、生きた馬を奉納する習俗が古くにあり、
馬を奉納できないものが馬形を、
さらにそれが簡略化されて、馬の絵を奉納するようになり、
その後、
馬だけでなく、多様な絵柄のものが出現した、といわれる。
小絵馬の図柄と祈り
現在、多くの社寺に奉納されているシルクスクリーン製その他の小絵馬は、
その社寺にちなむ神像や干支を描いたものが多い。
これは絵馬の頒布に社寺が直接関与するようになった近年の風潮のようで、
伝統的な小絵馬の図柄には、祈願者をあらわしたと考えられる拝みの図や、
祈願の内容を示す図柄のものがじつに多い。
絵馬と馬
生きた馬を奉納するのが本来であるが、
その代わりとして造り馬や馬の絵が誕生したと簡単にいうことはできないのである。
馬形も絵馬も、単なる代用品ではなく、それぞれ独自の呪力、霊力をもったものと私たちの祖先は考えていたに違いない。
板に描いた馬の絵、つまり絵馬をカミに奉納したり、同じような絵馬をカミから授与され、
それを五穀豊穣や家内安全の拠り所としたりする風習は古くからあった。
一般に絵馬は、
人びとが様々な思いを込めて、神仏に祈り、願う時、
あるいは祈願が成就した時、奉納するものだとされている。
(笠岡市園井 今井八幡神社)
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「絵馬に願いを」 岩井宏實 二玄社 2007年発行
絵馬の歴史
日本人は古くから馬を神聖視していた。
献馬の風習は崇神天皇の時代からであると『常陸国風土記』はいう。
雨乞い、日乞いに神に献じる風が続いた。
一方では、生馬に変わって土馬・木馬などの馬形を献上する風も生まれた。
そこからさらに、馬の絵を献上することになり、ここに絵馬が誕生した。
絵馬の遺品は、すでに奈良時代に見ることができる。
平安時代になると神仏習合思想が普及した。
観世音菩薩も乗馬姿でこの世に示現されたなどの説が高まった。
そうしたことから、仏に馬の絵馬を奉納してもなんの不思議でもなくなり、著名な寺院にも絵馬が広く奉納された。
絵馬の図柄
小絵馬の奉納の意味や内容が多様になるのは、江戸時代も文化・文政の頃であった。
小絵馬奉納の習俗が広まっていくなかで、さまざまな図柄や洒落た図柄も生まれていくのであった。
画題も馬の図のほか、神仏像、祈願者の礼拝姿、祈願の内容、干支など実にバラエティに富んでいる。
この中でもっとも図柄の豊富なのは、祈願内容を描いた図である。
もともと小絵馬を奉納する習俗は、組織を持たない民間信仰を基盤とし、伝承され、習慣化されたものである。
そして神仏に対する願掛けは、他人にあからさまにできない事柄がきわめて多い。
そのため人知れずひっそりと「匿名性」の意味があった。
本来の絵馬は願文も氏名も書かず、干支と性別のみを記した。
絵馬師
祈願者に変わって絵心のある人がその図を大量に描き、祈願者はそれを買って奉納するようになる。
もとは凧屋、玩具屋、提灯屋など職人や、蒔絵師などの絵職人が片手間に絵馬を描いていた。
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(笠岡市北木島町 諏訪神社)
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「日本の祭り」 菅田正昭 実業之日本社 2007年発行
神馬の献上
競馬は神馬(しんめ)献上の意味を持ち、もっとも速い馬を神馬に定めることになり、しだいに武技と考えられるようになった。
また実際に馬を献上する代わりに、絵に描いた馬を献上して願を掛ける「絵馬」の奉納は、現在でも各神社で行われている。
(浅口市寄島町 大浦神社)
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