進駐軍の占領政策で、天皇制護持は補償されたが、
敗戦による民主制天皇の誕生には、昭和21年当時、手探り状態であったのが読み取れる。
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「天声人語」 昭和21年
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昭和21年 1・1
焦土日本
建国以来かくも悲惨な、かくも深刻な新年はいまだかつてなきところ、
満州事変の直後、内田康哉外相によって無考えに放言せられた焦土外交なるものは、
その直後松岡洋右外相の放胆無比な仕上げにあって、
ついに文字通り国を挙げて焦土と化してしまうのであった。
この沈痛な昭和21年の初頭に当たって、君民相互の信頼と敬愛とを提唱し、
単なる神話、伝説に即する現御神(あらみかみ)などの架空的観念を排する画期的詔書の渙発を見る。
まさに科学的日本への一発条たるべきものであろう。
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「天声人語」
昭和21(1946)年 1・6
四等国
昨年9月2日降伏調印によって日本は世界の四等国になったのであるとは、
マック元帥の断案であるが、
その前には、またもっと遡った開戦前に何等国であったのであろうか。
日清戦後が三等国、
日露戦後が二等国、
第一次世界大戦後が一等国になったと一応の説明はつく。
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4.21
ウォーナー博士
奈良や京都が爆撃されるかどうかについて二つの説があった。
米国は古代文化を破壊するような暴挙はすまいという説と、ドイツの場合ドデスデンには開戦以来一弾も落とさなかったので、ここだけは残す気だろうと、
同市の人口は十倍くらいに膨張したが、結局最後には灰塵に帰した、
日本の古都の場合も同じ囮戦術でくるだろうという説である。
だが奈良も京都も無傷で残された。
その陰にはウォーナー博士の尽力があった。
一美術館長の進言が、米空軍をして一指も触れさせなかったのだ。
同氏がマ司令部の顧問に迎えられたのは日本文化の幸福である。
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「天声人語」
昭和21年 4・29
嵐の中の天皇
敗戦後、初の天長節である。
天皇を神格化しないようにして祝賀会を行っても差支えない、
という文部省通牒の表現が、占領下の天長節の性格を物語っている。
天皇に関する国民の考えもずいぶん変わったが、
天皇の性格そのものも大きく変貌した。
第一は去年の9月27日、陛下のマ元帥御訪問である。
これで天皇が連合軍最高司令官の下位にお在ることを親(みずか)ら国民の前に示された。
第二は新年の詔書で、親ら神性を否定された。
それから陛下は人間として国民の中に入ってゆかれ、天皇と国民の間に、
奉上や御下問ではなく自由な会話が初めて生まれた。
家庭的なお集いの写真も出た。
以前は、天皇は神なるが故に親子夫婦の愛情を国民の前に示されるべきでないという不文律があったのだ。
天皇の性格も改正憲法が本極りになれば、落ちつく処に落ちつくわけである。
嵐の中に立つ天皇陛下のお誕生日に際し、
国民何れの論客といえども、感慨なき能わぬであろう。
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5.9
皇族と人間性
満員電車の三笠宮をみて、お疲れでしょう、大変でしょうと同情されたのに殿下はご不満で、
気楽になって満足でしょう、社会学の勉強になりましょう、と云った人が二人しかいないと嘆かれたという。
皇室や皇族方は、今までのような楽な生活は許されないが、人間的解放には新しい感激を覚えておられよう。
人間社会から隔離された生き方は、人間として決して幸福とはいわれなかった。
皇太子さまが幼い頃、動物園にゆかれた。初めての試みとして、交通止めのない行啓だったが、
何が一番面白かったですかとお付きがお尋ねしたら、「電車が動いていた」とおっしゃった。
電車はいつも止まっているものと幼心に思っておられたのだ。
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5.12
季節感の回復
日本の新緑や花の美しいのに、今さらながら目をみはるのである。
つやつやしい柿若葉や欅、栗など木々の新芽、スクスクと伸びている麦の青さ、
それに山吹やつつじなど、初夏の山河は美しい。
目に青葉の句もおのずと口にのぼる。初がつおの方はまだ実感に至らぬが。
花や緑も何年かぶりに接する心地がする。
平和になって季節感をとりもどしたのである。
五月といえば、去年の今頃はB29の絨毯爆撃がいよいよ烈しく、家を焼かれ、肉親と離れ、花や緑を賞するどころではなかった。
本土決戦で敵を殲滅するとか、一億玉砕で国体を護持するとか、あのまま続けていたら、
コロネット作戦、オリンピック作戦をまたずとも、原子爆弾で国も山河も亡びつくしたに相違ない。
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6.11
子供を粗末にする国
マ元帥の四月占領報告にの中に、少年犯罪は上昇をつづけている、とある。
東京における犯罪の五割八分が少年によるものだと指摘している。
今の日本ほど子供を粗末にする国はあるまい。
国家として子供に、とりたてていうほどの保護を与えているか。
赤ん坊の食糧たる牛乳は、ヒゲの生えた赤ん坊たちが喫茶店でガブガブのんでしまう。
学校では腹が減れば休めという。
戦災孤児がいつくような保護施設もない。
子供のことなどかまっておれぬとうのが、今の状態であろう。
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6.13
復員者への愛情
現在の失業者は二百万と推定されている。
そこへ最近までの復員者は約二百万人とみられ、あと数百万人がまだ帰っていない。
これらの大部分が失業群の中に投げこまれるとみられ、社会不安の大きな原因となる。
復員者の採用にはどこでも用心深い風がある。
速やかに新たな大きな手がうたれねば、社会不安は、食糧危機とともに内攻してゆくばかりだ。
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6.18
お米に愛国心なし
ガダルカナル島はガ島といわれた。
それが転じて餓島とよばれた。
この島から帰って栄養失調で死んだ兵隊の消化器官を解剖すると、
胃壁も腸壁もヒダがなくなりノッペリと坊主になっていたという。
都会で一番困っているのは、多子家庭と疎開やもめだ。
ことに戦災の多子家庭などは金に替える物もない。
きものを売り食いするタケノコ生活はまだ良い部類に属する。
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6.25
若き飢えるてるの悩み
一高記念祭がこの二十三日終戦後はじめて開かれた。
数々の飾り物のなかに「若き飢えるてるの悩み」というのがあった。
骸骨のようにやせ衰えている学生が白線の帽子をかぶってヒョロリと立っている。
若き飢えるてるの悩みのために、大学から国民学校まで、これから三ヶ月余の長期食糧休暇にはいろうとしている。
この百日間をどう過ごしたらよいのか、大きな悩みである。
教科書も参考書もない。
本はあっても高くて買えない。
風紀問題でも憂うべき危機が伏在している。
食べものがないから休めッ!というだけでは文部省もあまりに無責任ではないか。
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7.7
知恵者の愚
極東軍事裁判における満州事変発端に関する発言内容は、百も承知の人もあれば、初耳の人もある。
日本の上層部や政界、新聞界では常識となっている範囲をあまり出ていない。
しかし大多数の大衆にとっては、うすうすは知っていても
「そんなこともあったのか」とおどろくことが多い。
国民の九九パーセントまではツンボ桟敷に追いこまれていた。
しかもそれが小さい出来事でなはなく、国家民族の運命に至大な関係のあることばかりである。
満州事変前後からの言論報道の暗黒というものが、いかに国民の知らぬまに、国民を破滅の淵へひきずっていたかがわかる。
愚かのようでも最も賢明なものは、国民大衆である。
この戦争はやるべきか、悪い者は軍閥か、という大きな問題については、国民は本能的に、皮膚で、毛穴で感じ分け、最も正しい判断を下すものだ。
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