昭和33年映画の観客動員数は11億を越えた。
その頃笠岡市内は映画館が陸に7館、島に5館があった。
茂平には金浦座が元小学校に月に2~3回、出張で映画を上映していた。
昭和33年当時小学4年の男子児童の話。
映画は2本立てでチャンバラ(時代劇)と現代劇だった。
当時の映画はフィルムで、都会から地方都市をまわって最後に田舎に来ていた。
話題作のシネマスコープ総天然色映画「明治天皇と日露大戦争」は特に思い出がある。
封切りから2年後位に茂平で上映された。その時は超満員だった。鞍馬天狗のおじさん(嵐寛寿郎)は天皇役も似合っていた。
人気映画だっただけにフィルムが切れまくった記憶がある。誰も文句は言わず、茂平でもこの映画が見れて子供も大人も満足気だった。
その頃笠岡市内は映画館が陸に7館、島に5館があった。
茂平には金浦座が元小学校に月に2~3回、出張で映画を上映していた。
昭和33年当時小学4年の男子児童の話。
映画は2本立てでチャンバラ(時代劇)と現代劇だった。
当時の映画はフィルムで、都会から地方都市をまわって最後に田舎に来ていた。
話題作のシネマスコープ総天然色映画「明治天皇と日露大戦争」は特に思い出がある。
封切りから2年後位に茂平で上映された。その時は超満員だった。鞍馬天狗のおじさん(嵐寛寿郎)は天皇役も似合っていた。
人気映画だっただけにフィルムが切れまくった記憶がある。誰も文句は言わず、茂平でもこの映画が見れて子供も大人も満足気だった。