しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

映画産業・人口のピーク(茂平の映画上映)

2014年11月27日 | 昭和31年~35年
昭和33年映画の観客動員数は11億を越えた。
その頃笠岡市内は映画館が陸に7館、島に5館があった。
茂平には金浦座が元小学校に月に2~3回、出張で映画を上映していた。

昭和33年当時小学4年の男子児童の話。
映画は2本立てでチャンバラ(時代劇)と現代劇だった。
当時の映画はフィルムで、都会から地方都市をまわって最後に田舎に来ていた。
話題作のシネマスコープ総天然色映画「明治天皇と日露大戦争」は特に思い出がある。
封切りから2年後位に茂平で上映された。その時は超満員だった。鞍馬天狗のおじさん(嵐寛寿郎)は天皇役も似合っていた。
人気映画だっただけにフィルムが切れまくった記憶がある。誰も文句は言わず、茂平でもこの映画が見れて子供も大人も満足気だった。
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国家総動員

2014年11月27日 | 昭和16年~19年
昭和13年国家総動員法が発令され、昭和16年には国民勤労報国協力令が公布、昭和18年には「女子挺身隊」が創設、昭和20年には「国民義勇隊」と改組された。

昭和16年12月2日城見村長に「女子勤労奉仕隊」の通報があり、12月8日午前10時8分上り列車で出発を命じられた隊員の話。

城見から同級生の4人が一緒に児島へいった。
村長から「白紙」を直接手渡しでもらった。
児島は繊維が盛んで軍服を編みょうた。
女工員の下でいわれるようにテゴをしょうた。
いわれた通りするんじゃができんこともあり。
朝は暗いうちから行き、夜は暗くなって帰る。いつも(行き帰りは)お月さんをみながらで。
上をみちゃぁ(お月さんをみながら)泣きながら行きょうた。

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