土曜日の授業は昼までで、校庭で校長先生の訓話を聞いてから、各班別に1年生~6年生が列となって帰校するのが決まりになっていた。
小学校の学区内の真ん中を山陽本線が通っている。
茂平の児童は全員、用之江と大冝も半分近い児童が踏切を渡らないと学校への行き交いができなかった。
子供の暮らしには生徒全員が踏切と関わっていた。
校長先生の訓話にも、当然踏切の注意があった。
ある時の踏切注意の訓話は、子供心にも胸に響きすぎる内容だったので、今でもよく覚えている。
「踏切ではいったん立ちどまり、汽車が来ていないことを確認して渡ること。
汽車が来ていたら、決まった場所以上に近寄らない。
もし、踏切の近くにいると汽車が止まるかもしれない。
汽車を止めると大金が要ります。
そうなると、あなた方の親では支払うことができません」
つまり、子供の命なんかよりも、国鉄という権力の方がずっと大きかった。
校長先生の話に、腑に落ちないとも思ったのだろう、それで今でも覚えている。
小学校の学区内の真ん中を山陽本線が通っている。
茂平の児童は全員、用之江と大冝も半分近い児童が踏切を渡らないと学校への行き交いができなかった。
子供の暮らしには生徒全員が踏切と関わっていた。
校長先生の訓話にも、当然踏切の注意があった。
ある時の踏切注意の訓話は、子供心にも胸に響きすぎる内容だったので、今でもよく覚えている。
「踏切ではいったん立ちどまり、汽車が来ていないことを確認して渡ること。
汽車が来ていたら、決まった場所以上に近寄らない。
もし、踏切の近くにいると汽車が止まるかもしれない。
汽車を止めると大金が要ります。
そうなると、あなた方の親では支払うことができません」
つまり、子供の命なんかよりも、国鉄という権力の方がずっと大きかった。
校長先生の話に、腑に落ちないとも思ったのだろう、それで今でも覚えている。