場所・岡山県玉野市渋川
「銅像歴史散歩」 墨 威宏 ちくま新書 2016年発行
「北面の武士」だった西行は20代で出家し、二度の東北への旅など旅をつづけた歌人として知られる。
岡山県玉野市の渋川海岸の西行像がまさに戦乱に関係する。
「保元の乱」がおき、あっけなく敗れた崇徳上皇は讃岐に配流された。
都に戻りたいという願いかなわず、
「日本国の大魔神」になってやるとうらみながら死亡した。
西行は親交のあった崇徳上皇の霊を慰めるために白峯を訪ねた。
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは何にかはせん
西行
鎮魂の歌を詠んだ。
「日本史探訪5」 角川文庫 昭和59年発行
山本健吉
西行
西行には、自然を征服してやろうとか、ねじふせてやろうとか気持ちが毛頭ないわけです。
自然と自分が一体になろうという気持、自然の中にはいっていって友達になろう、
親しもうという気持ちなのです。
松だって、花だって、月だって、水だって、川だって、山だって、みんな友達にしようというわけです。
近代文化、科学的な文化が、今や反省期に入ってきていますね。
今のような時代には、こういった西行のような思想も顧みられていいんではないかと、そう感じます。
撮影日・2018年4月20日
「銅像歴史散歩」 墨 威宏 ちくま新書 2016年発行
「北面の武士」だった西行は20代で出家し、二度の東北への旅など旅をつづけた歌人として知られる。
岡山県玉野市の渋川海岸の西行像がまさに戦乱に関係する。
「保元の乱」がおき、あっけなく敗れた崇徳上皇は讃岐に配流された。
都に戻りたいという願いかなわず、
「日本国の大魔神」になってやるとうらみながら死亡した。
西行は親交のあった崇徳上皇の霊を慰めるために白峯を訪ねた。
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは何にかはせん
西行
鎮魂の歌を詠んだ。
「日本史探訪5」 角川文庫 昭和59年発行
山本健吉
西行
西行には、自然を征服してやろうとか、ねじふせてやろうとか気持ちが毛頭ないわけです。
自然と自分が一体になろうという気持、自然の中にはいっていって友達になろう、
親しもうという気持ちなのです。
松だって、花だって、月だって、水だって、川だって、山だって、みんな友達にしようというわけです。
近代文化、科学的な文化が、今や反省期に入ってきていますね。
今のような時代には、こういった西行のような思想も顧みられていいんではないかと、そう感じます。
撮影日・2018年4月20日