中国地方の子守唄
妻は井原市の生まれで
その妻に、「(自分や妹・弟が)中国地方の子守歌を唄ってもらっていたか」聞いてみると、
「まったくない。そもそもその歌を知り、高屋の歌であることを知ったのが20歳を過ぎてから」という返事だった。
ついでに義母の話、「(子育てを終えて、いつか)テレビの番組で紹介されて初めて知った」。
再び妻の話、
「(井原市内の病院で出産した)病院の壁に「ブラームスの子守歌」と「中国地方の子守歌」が貼ってあった。
それを見て、自分の子には中国地方の子守歌を唄うことがあった」。
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「矢掛町史 民俗編」 矢掛町 昭和55年発行
「子供のねかせ唄」
「子供のねかせ唄」は「中国地方の子守唄」として全国的に有名なものである。
矢掛から井原地方にかけて歌われた本歌を昭和3年井原市高屋の上野耐之が山田耕筰の前で歌い、先生から「僕にくれないか」といわれ、編曲として発表されているものである。
本歌 立間可年
なんねなさりませ ねたこのかわいさ
おきてなくこのねんころりん つらにいくい
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「日本の子守唄」 西舘好子 游学社 2018年発行
岡山県
育児のこころに沿って、ねんねこさっしゃりませ
【中国地方の子守唄】
子守唄は自分の心の吐け口、自分のために歌う唄なのです。
岡山県井原に伝承されていた「井原の子守唄」は、詞に感動した山田耕筰が「中国地方の子守唄」と改題し編曲しました。
途端に、中国地方のあちこちで歌われるようになりました。
今も日本の子守唄の代表格の一つです。
子育ての本質がこの子守唄の冒頭にあります。
「寝た子のかわいさ 起きて泣く子の憎さ」
これ名言だと痛感しています。
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画像・岡山県井原市高屋町 2021.10.22