昭和39年東映「十七歳のこの胸に」。
去年西郷輝彦さんが亡くなってすぐ、追悼の意を込めて作ったが、今でも淋しさを感じている。
昭和39年東映「十七歳のこの胸に」。
去年西郷輝彦さんが亡くなってすぐ、追悼の意を込めて作ったが、今でも淋しさを感じている。
たしか高校一年生の時で、6月の頃だった。
笠岡の大和座で”新川二朗ショー”があった。
その日は、授業中にそのことが気になって、今ごろ歌っているのだろうな、と気持ちは大和座にいっていた。
高校一年生の自分が、授業を受けずに学校休み、
お金を払って歌謡ショーを見ることなんか、まったくの想像外のことだった。
高校は、木造校舎の古い二階建の55人学級の時代だった。
その時から10年ほど経った。
岡山市民会館で”新川二朗ショー”があった。
既に社会人であったし、夕方の時間だったので、職場に気兼ねなく、即チケットを買った。
じつは、その歌謡ショーは”新川二朗ショー”ではなくて、
”西川峰子&新川二朗歌謡ショー”で、残念ながら西川峰子の名が先にあった。
客席はほぼ満員で、
西川峰子は「峰子のマドロスさん」などを歌った。
その後で、”新川二朗ショー”は始まった。
新川二朗は次々にヒット曲を歌った。
あのねちっこい声で。
「指切りの街」 そのひとみ そのひとみ 僕のもの 僕のもの
「望郷」 この道は ふるさとへ ふるさとへ 続く道
「君を慕いて」 あの女(ひと)の 花の唇 あの時の 濡れた瞳よ
「真赤な地平線」 呼んでみようよ 呼んでみようよ
そしてフィナーレとなった。
最期は全員感涙の中で「ああ東京の灯よいつまでも」を歌った。
最期の最期は、
♪ああ岡山の灯よいつまでも
で幕となった。
・・・・
新川二朗は2022年8月21日、82才で亡くなった。
実際よりも3才、年齢をサバ読んでいたそうだ。
なお、岡山市民会館は千日前に移転するので、今年(2022年)が見納めになる。