モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

暗い

2005-10-10 20:30:49 | いろんな話。

モノスヤです

ハンドルプチ改名しましたが
まだまだ慣れず
「monosuya」を「monousya」と
打ち込んで平気だったりしています

パッと見は同じく見えるからいいかね(いくねえ)


今日プチ大そうじしてて
改めて思ったんですけど

自分って暗い
めっさ暗い
やんなるほど暗い
気絶しそうなほど暗い

隅っことか角っことか
何かの裏側とか

これ以上ないくらい身体を丸めて
ホコリを吸い取ったり
ほじくり出したり
細かい隙間をミチミチと
掃除していると

どんどんどんどん
自分が自分だけの世界に入り込んでしまって

何か夢中で
そういう作業に没頭している自分が

暗過ぎて怖いくらい

たぶん家族も
おいそれと声も掛けられない雰囲気らしい


部屋中に響き渡る
ゴーゴーシャアシャアという
掃除機の音にまみれていると

頭空っぽになっていくようです


結果的に
ちょうどよい気分転換になったみたい

悔しいけど同居人に感謝するか


黙々と作業に打ち込んでいくの
嫌いじゃないみたいです

古紙を束ねたり
ダンボールを解体したり
何百枚もプリントゴッコ印刷したり

バイトで何千枚も
押印するだけの仕事も嫌いじゃなかったよ


それをやってる間は
他のこと忘れられるのがいいんだよね
きっと


こんな自分ですが

今日は一つクリアしなければならないことを
越えられたみたいで

何よりでした


良かった。

プチ大そうじ

2005-10-10 13:26:41 | いろんな話。

モノスヤです

「プチ大そうじ」は「大そうじ」なのかという
疑問はさておき

連休三日目
秋休みの真っ只中(二学期制)
祝日の今日

珍しく「何処にも行かない誰も来ない日」ができたので

「居間を秋冬バージョンにしたい」
という大きい同居人の意向を受け
プチ大掃除をすることにしました

ただ単に
先日購入したじゅうたんを敷くついでに
「すす払い」も軽くやっておこう
というそれだけの話です

普段
「四角い部屋を丸く掃除」の言葉のごとく
(それは格言ではないよ)
大まかに掃除している我が家では

何かにつけ理由付け
大そうじなるものを行なわないと
暮れの本格大掃除の際に死ぬ目に遭うこと必至

とある日も同居人が思い立ったように
「本日を窓拭きの日と制定する」
と高らかに宣言したものだから

せっかくポッカリ空いた一日が
すっかりお掃除日和になってしまい
とても損をした気分になりました

今日も
「せっかくの休みなんだから部屋でのんびり読書がしたい」
なんてことを借りてある本を横目に内心思いながら

思い立ったが吉日で張り切っている人には言うに言えず
早々と取り掛かったまではよかったのですが・・・・・・

いつも掃除をし始めると
必ずといっていいほど双方の思惑の違いに
衝突が絶えない我が家です

同居人(大)の大そうじは
「四角い部屋を丸く掃除」の基本は崩さずに
その丸の面積を少し拡大する
それが彼女流の大そうじ

一方
ワタシの考えるところの大そうじは
普段は目を背け手を掛けずにいる
丸く掃除されている以外の部分
いわゆる部屋の隅々や角っこという部分を
集中的徹底的にキレイにしようというもの

もちろん置かれているものは寄せられ
ぶら下がっているものは外され

天井からハタキの後に掃除機が掛けられ
上から下
端っこから真ん中へと
順序良くキレイになっていかなくては
ならないのです

そうでなければ「大そうじ」の意味はない

今日は「居間の模様替え」がメインということだったので
ワタシは徹底的に居間を
居間だけをキレイにするつもりで
仕事に取り掛かろうとしたそのとき

「居間終わったら隣りとそれから次は仏間だから~」

同居人のひと言に
「話が違いますけど??」
と思わず反論してしまうワタシ

「まずだいたいやっておけばいいじゃん」(by母)
「それじゃ大そうじの意味ないでしょ」(by娘)
「暮れの大そうじにやればいいじゃない」(母)
「いつもそれで大変な思いするから今やっておくんじゃないの」(娘)

とだんだんに喧嘩腰に・・・・・・

お互い
さほど好きでもない掃除を前に
やる気減退モードに突入

結局
妥協案として「居間の後は稽古場のすす払い」
という案に賛同して始めたものの

さっさと自分の持ち分を終わらせた大きい方は
「最後に廊下の掃除機掛けておいてね~」

最終的にワタシはここでキレました

廊下の掃除機掛けなんて
普段の掃除なら数分で済むほどの廊下ですけど

「大そうじモード」のワタシが
掃除機掛けにどれだけ時間を費やしたことか

「大抵にしておきなさいよ~」
なんて声が聞こえてきましたが

「だいたい」とか「大抵に」とか「適当に」
それができるなら苦労しないんだよ

アンタ母親でしょうが娘の性分よくわかってんべや
ずるいよ

竹馬の友

2005-10-10 08:21:40 | いろんな話。

物す屋です

『竹馬の友』は「たけうまのとも」と読むのではない
ことくらいは大抵知っているか

一度失敗してだいたい覚えていることだと思うけど

その『竹馬』が「たけうま」とは違って
「ちくば」ってものなのだと言われても

そやの~~??

納得できませんねえ

だって「ちくば」なんてもの知らないしねえ


『ちくば』は、
葉の付いた笹竹の一本にまたがり
両手で竹の先を握る。
または手綱の代わりに紐や縄を付けて、
引きずり走り回る。
それらを「竹馬(ちくば)」と呼んだようです。


江戸時代になると、
馬の頭の形に似せて作ったものを竹竿に付け、
端に小さな車を二つ取り付けたものが現れる。

それを、
関東では『春駒』と呼び、
広島・鹿児島では『竹馬』と呼んだのだとか。

他の様式は、
いわゆる今も見られる『竹馬(たけうま)』と同じ。

2本の竹竿に足を乗せる横木を付け、
これに乗って歩き回るあの「竹馬」です。

地元秋田では、
それを「鷺足(さぎあし?か??)」と呼ぶらしいです。
(聞いたことないべや)

高足とも呼ばれたりするらしいよ??

大分では「ユキウマ」称だって!!


川渡りや雪降りなどに使われていたところもあるんだって!!

6っ歩くらいしか進めないんじゃ、
死活問題だなこりゃ。



っつうことで、
『竹馬の友』は「ちくばのとも」だけど。

『ちくば』は「たけうま」のことを一般的に呼んでいるらしいこと、
間違いじゃないみたい。

たまたま検索したブログで、
『ちくばは、たけうまとは違う。』
と書かれていたので慌てて日記に付記したけど。

でも、
『たけうまの友』で間違いじゃないらしいと。

調べてみてわかりました。


ってことだよ、たろちゃん(私信)。