モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

パーチー。

2006-02-06 20:21:36 | いろんな話。
モノスヤです

今日は『祝賀会』という名のパーティに出掛けてきたのでした。
現在時間で、もう既にトンズラぶっこいて帰宅してるわけですが。

別に自分が何かもらえるわけでもなく、
ぶっちゃけ「その他大勢」なわけですし。
同業者で兼上役でもある実母から、
「代わりに行ってこい会の代表で出席してこい会費分食ってこい」
との上司命令を受け寒空の中を行ってきたわけです。

この時期のこんなパーティは、
足もとは悪いし寒いし何着てけばいいかわかんないし。
普段はジーンズ&パーカーもしくはジャージ上下みたいな格好の私、
「ちゃんとした格好」してこい言われても困りもの。

手持ちが有り過ぎて有り過ぎて困る悩みもあるでしょうが、
無けりゃ無いで困るのは金の悩みと一緒でしょうか。

まず今日の午後、
致し方なく洋服棚から10年前くらいの別珍のワンピースを取りい出し。
「入ればコレ、入らなきゃベツ。」
とブツブツ言いながら下に降りてきて、
ファスナーを恐る恐る上げると。

何とか無事に上がりきったので、コレに決まり。

洋服が決まれば、自ずと靴・カバン・エトセトラも決まり。
そこまで決まれば、自然に顔も決まり(???)。

別珍のワンピースはロングスカートなのをいいことに、
下に長袖シャツ・タイツ・スパッツ・貼るカイロなど重装備。
ちょっと「イイ振りこいて」「エエ格好」すると、
寒さが身に堪えます。

支度をし終えたところで柱時計を見ると、
程なく5時というところ。
5時が表彰式、6時が祝賀会というスケジュール。
「今から車ぶっ飛ばしても表彰式には間に合わない」、
という理由で祝賀会から出席することに。

と言いながら、しっかり会場には5時15分頃に着いたのですが。
もう自分の中で「行かないモード」に入っているため、
時間調整という名のサボタージュで隣りの本屋へ。

20分くらいブラブラして、
いかにも「今来ましたの風」な顔をして受付を済ませました。

祝賀会は何のことはなく、
いつもの式次第に則って乾杯まで進み。
盛り皿の料理を各自取って食べたり、
飲む人は飲んだり当たり障りのない話をしたり。
関係者に挨拶に行ったり、お祝いの言葉を述べたりして過ごしました。

親の代理で行くくらいなので、
出席者はほぼ親子ほど違う世代の人たちばかり。
何か気になるような話題を振られても、
空とぼけて『ワタシ、わっかりませーん。』のアピール。

後で「○○(←私)がコンナことを言ってた」と、
揚げ足取られても面倒くさいのです。
否定も肯定も、首を縦にも横にも振らず。

ただひたすら、ニッコニコしてるだけのワタシ。

時々、同業者の先輩に腕を掴まれたり。
肩を掴まれたり手を握られたりして、
拉致られ連れてかれることもありますが風の向くまま気の向くまま。

ひたすら、時間が過ぎるのを待つのでした。


座がばらけてアチコチ人が右往左往するようになり、
料理もデザートが出てきた頃が打ち止めの合図。
「中締め」と称して、
一応の終宴をみるまで2時間くらいかかるのですが。

デザートを卓の皆さんに盛り付けてお配りしたところで、
化粧室に立つと見せかけてサッサカ帰ってきました。


好きでもないウーロン茶を飲んで、
デザートを食べるわけでもなく(←私は辛党)。
家ご飯が一番と思いながら、家路につきました。

嬢が寝る前に間に合ったよ、良かった良かった。

もう15年もすれば、代理で出てもらえるでしょう。
それまで、じっと我慢ガマン。

スケバン。

2006-02-06 08:31:02 | いろんな話。
モノスヤです

「スケバン」とは「女の番長」、『スケの番』である。

もともと番長とは『律令制における役職の一つ』で、
「衛府の下級官人」のことだったという。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

それが後の後の後の世で「不良少年のボス」を指すようになったのは、
番長が『武芸に秀でた護衛の統率者』という役職だったためらしい。
「芸」はともかくとして、
「武」をもって学区(縄張り)を統率していた長ということか。

そういえば最近、
「番長」「スケバン」という言葉すら聞くことが無いような。
滅亡の危機なのか。
と思ったら「1970年代には既に希少種」となり、
1980年代には絶滅宣告を受けたそうだ。

誰が(何処が)「希少種」の認定をし、
「絶滅」の宣告をしたのか気になるところだ。



『喧嘩に強く仁義に厚く子分の面倒見が良い』
そんな番長絶滅のニュースに朗報が飛び込んできた。

松浦が4代目のスケバンを襲名するという。
もちろん、『スケバン刑事』の話だ。

「スケバン刑事」の世代中の世代、
リアル世代のモノスヤである。
(決してリアルスケバンだったわけではない)

スケバン刑事といえば『ヨーヨー』である。
(『Yoh-Yoh』のほうではない)
ところでスケバン世代と言いながらお恥ずかしいが、
あのヨーヨーには「桜の御紋」が刻み込まれていたと初めて知った。

日本人の中で、
『勧善懲悪と桜』は切っても切れない縁があるようだ。


スケバンといえば我々の中ではセーラー服であり、
セーラー(上衣)丈は限りなく短く。
スカート丈は、これでもかというくらい長いのが基本だった。
セーラーのタイ(スカーフ)は、
何でかわからない程に短くさせるのが流行だった。

セーラーの下に「赤」「紫」などの、
どぎつい色のTシャツを着るのも基本だった(かもしれない)。
初代の「麻宮サキ」に倣い、
靴下を三つ折にして履いていたことも懐かしい。

初代の斉藤由貴・二代目の南野陽子・三代目の浅香唯、
いずれも(辛うじて)自分より年上だったことにかなりホッとする。
間違いなく、同年代ではあるが。


長スカート時代の終わりがスケバンの終焉だったのか、
スケバンの絶滅と共に長スカートが廃れたのかわからないけれど。
流行は繰り返すといわれながら、
スカート丈はここ20年ずっと短いままである。
もう、これ以上は短くできない限界ギリギリまできている。

松浦のスケバン姿が、いったいどうなるのか。
やはり当時を知る者としては、
スケバンはあの長スカートとヘソ見せのセーラー服で演ってもらいたい。

松浦の父母はモノスヤと同年代で、
間違いなくスケバン世代でもある。
実際に、スケバンだったという噂もある(あくまでウワサ)。
きっとパパママから、
「それはスケバンとはいわない、スケバンとは・・・。」
とレクチャーが入ることは間違いない。

もしかしたらセーラー服あたりも持ってるかもしれない(ママ)、
ついでに潰れた学バン(学生カバン)も出てくるかもしれない。

そんな自分は、セーラーこそ手放したものの。
学バンは処分できずに仕舞いこんである。
『愛羅武勇』
などのキラキラステッカーも貼ってあったりする(ウソ)。

もしかしたら、もしかして。
あの時、愛用していた「飛び出しナイフ」も入ってるかもしれない(ウソ)。

そういえば、
好きな男の名前を安全ピンで腕に彫ったりもしたよね(ウソ)。

↑上記は、いずれもモノスヤの友人の実話である。
(ブログ管理者とは一切関係がありません)