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ノンプア。
プアがノンということ、らしい。
ノンシュガーは、シュガーがノン。
それと同じである。
違うところは、
シュガーは甘くプアは苦いといったところか。
プアは貧しいの『プア』らしい。
貧しさに負けたー、
イエ世間に負けたー。
昭和型の私には、
この貧しさや世間の風当たりのきつさが少しはわかる。
(その曲を知ってること自体が、どうかって話もあるが。)
わかるけれども、
それさえ戦前派・戦中派の諸先輩方に言わせれば。
たぶん、猪口才な。
明治型の祖父ちゃんと大正型の祖母ちゃんに言わせれば、
へな猪口、なんだろう。
今現在、
若者といっても就活真っ最中の人たちの中に、
『ノンプア・コンプレックス』
が広がっているという。
語る自分の苦労体験に欠ける、というコンプレックスらしい。
語るプア体験に事欠いてるなんて、
幸せ
なことじゃないかと思うのだけれど。
「苦労体験」や「貧乏自慢」で、
茶ができたり酒が飲めたりする時代に今の若い人たちは生きていない。
と私は思う。
採用試験の面接で、
「あなたが今まで一番苦労したことは」と問われる。
返す言葉がない。
答えの用意ができない。
面接につまずく。
採用されない。
だから、買ってでもせよとばかりに。
『ボラバイト』という経験をする機会を手に入れるのだという。
『ボラバイト』・・・ボランティア+バイト
都会の若者が経験したことのない仕事を経験すること。
地方の人たちと触れ合うことを目的とする。
お金が目的ではない。
地方で人手を必要としている時期に手伝いに出向き、
一緒に働きコミュニケーションを図る。
経験したことがない仕事にチャレンジできることが特徴。
そして、そのボラバイト体験を、
「自分が一番苦労したこと」として面接の場などの答えにするという。
不自然だ。
不自然だけど、これが時代なのかな。
企業が新卒学生の採用で、
「苦労体験」をここ数年前からか聞くようになったのだという。
「今までの人生でもっとも困難だったことと、その克服のしかた。」
「あなたの人生で一番難しいチャレンジ」
また小論文の題材として、
「自分の失敗体験」を書かせるところもあるらしい。
答えれば、いいじゃないか。
書けば、いいじゃないか。
というのは簡単過ぎ、また無責任かな。
どんなに幸せな現代っ子にも、
苦労と言わないまでも失敗談や大変だった話の一つ二つあるだろう。
問題は、
そういう体験が稀少なことより、
それを伝える術とか?それを感じ取る感覚の鋭さ??
そっちの方が薄いことなんじゃないかなと思うんだけど。
どうでしょう。
学生たちは、
ほとんど苦労していないことを引け目にも感じ、
そのことでダメ人間の烙印を押されるんじゃないかと怯えてもいるようだ。
どして???
今までは苦労知らずできたけれど、
きっと自分の苦労はこれからじゃないかと言っちゃってはダメなのか。
恵まれていた幸せだったと思う、
でもこれから先の人生は今までのようなわけには行かないだろうと思う。
そう正直に言ってみては、ダメなのか。
他人の目を、
気にし過ぎているんじゃないかなあと。
お姉さんは、そこがちょっと気懸かりだす。
社会常識が身につかないからという焦りから、
バイトを始めたとかいう彼らの話。
そんなこと、考えてバイトしたことあったかな。
欲しいもの買いたいものを手に入れるために、
小金稼いでいたけどそれが自然じゃなかったかな。
社会常識なんて、
社会に出て身に着ければいいじゃん。
なんだかんだといって、
若者といわれる群についてアレコレ言うのはいつの時代も変わらない。
それでいいんだし、
それがきっと自然だ。
あんなに言われて憤慨したくせに、
今では『イマドキの若いもんは』と言ったりする自分に苦笑。
それで、いいじゃないか。
そんな年長者の目を必要以上に恐れずに、
若い者は若い者らしく伸び伸びやれたらいいのに。
失敗も恐れずに・・・(年取りゃ嫌でも守りに入る)
もしかしたら、そんな若い人の芽を摘んでるのって。
実は大人のほうかもって思ってしまった。
それも、永遠に巡るものなのかしらん。