話題の「ほめられサロン」のブログパーツです~。
※いつぞや取り上げてみてました。
⇒ ほめられてる~(モノスヤ自衛官編 - モノスヤの”てるてる”育てる記。
誰も、ほめてはくれないので(自虐的に笑。
......
今日は“主婦”に、なりきってみたよ!
モノスヤ。おいしい料理をありがとう。
モノスヤ。お前の味噌汁は最高だよ。
モノスヤ。やっぱお前じゃなきゃダメなんだよ。
心なしか「モノスヤ自衛官編」の時より“ほめられ度”が萎えてる気がするのは思い込みかい?(爆
昨朝の車中にて。
M嬢に問われる。「それで、だあさん挨拶は考えたの?」
わたし答える。「んぁ、まだ。」(詳細は前々出、前前前々出参照のこと。
そんな、わたしの反応を受けてM嬢が、、こんなことを言いました。。。
「でも、だあさんのことだから大丈夫だよね?どうせ“アドリブ”なんでしょ?(笑)」
ちっちっち、ノンノンノン。
大人を甘く見ちゃ、なりません。しかも人を、お笑い芸人みたいに!
そこで、わたしは。こんな話をしました。
「あのね、アドリブなどというのは作り込まれたネタの上に成り立つものなのよ?」
芸人さんの笑いも仕込まれ稽古を積まれて披露された上で笑いが取れるか取れないか。
競うものでしょ?
そこに生だからこそのアドリブの妙がスパイスとして、ちりばめられるわけ。
最初から“アドリブ”を出すつもりで臨んだところで、ぃぃクオリティのものは見せられないわけですよ?
後部座席のM嬢は、だあさんの挨拶が何でそんな壮大なスケールの話にすり変わるのか?
ワッカリマセン、と言うようにポカンとしていました(苦笑。
......
それは、ともかくとして。
先日TVで伊東四朗さんが、「喜劇」とその“台本”を大切にしているという話をされており。
それを聞いて頷けるところも多かったわけです。
さもさも今の笑いに求められているのは瞬間、瞬発的な生の笑い。
反射神経で取るような、その場その場そのとき限りの爆発的な笑い。
そんな傾向にもあるようですが。
元々、笑いは漫才にしてもコントにしても。
また当然、落語であっても喜劇においても。
題材があり台本があり練習を重ねてオチたりするものと。
思っているのですが、どうでしょう?
だからジャンルは異なりますが“笑い”と“日舞”には共通項があります。
見せるには材料が必要ですし、それを稽古しなくては舞台に上げられませんわね。
やっぱり「舞台」というものは、そういうものなのだと思います。
即興芝居などというものも、ありますが。
それすら下地が無かったら成り立たないわけですよね?
いっぱい引き出しに、いろんなものを入れている実績や自信があるからこそ。
それじゃアドリブで、やってみましょうか?という話になったり。
たまたま流れでアドリブが飛び出すこともある、と。
下積みの無い人が、その場で“ひょん”と繰り広げるのはアドリブとはいわないと思います。
それは素人演芸です。
プロはプロなりに用意、準備が必要なのです。当たり前のことス。
下積み、と書きましたが。
これは基礎力を養うことであり何も舞台に限ったことではありません。
スポーツでも芸術でも勉学でも。
後々大事になってくるのは基礎の大切さ、なんですな~。
土台が、しっかりしていないものの上に積み上げても足元がグラついて不安定なのと一緒ですね。
(元々は)稽古嫌いの、わたしが(こんなことを)いうのもなんですが。
ホント最近は、ひたすら稽古しかないと思うのであります。
やっておけば不意の事態、不測の状況にもアドリブなどで対処できるからね。
稽古は自分の引き出しにアイテム(武器か?)を丁寧に並べていく作業と同じです。
たまに混乱したり行き詰まったりするが、その時は整理し直してスッキリしたところでやり直しです。
いろんなものを捨てたり削ぎ落としていくのは、その後の話。
だって最初のうちは「必要最低限」の何が必要なのか?が、わからないんだもんね。
無駄なような時間の経過も、さかのぼってみれば大事なことだったんだなって。
回り道とかもね。
まあ大人になれば、わかりますよ(若人よw