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キーワードは「脱商品化」

2017年04月19日 | 社会・経済

全世代に広がった貧困が「自己責任」のはずがない

                  毎日新聞経済プレミア 2017年4月5日

        藤田孝典 / NPO法人ほっとプラス代表理事

 「貧困クライシス 国民総『最底辺』社会」(毎日新聞出版、972円)を出版したソーシャルワーカー・藤田孝典さんの記念トークライブを開きました。「藤田孝典さんと考えるニッポンの未来」と題し、若者世代から中高年まで、約150人の来場者と一緒に、貧困や格差の厳しい現実と、時代の変化に合わせた新しい社会システムの必要性を話し合いました。キーワードは「脱商品化」です。
                    【経済プレミア編集部・戸嶋誠司】

貧困クライシス・トークライブ(1)

  藤田 経済状況が上向かず、厳しい状況の人たちが増えています。社会を動かすOS(基本ソフト)や個々のシステムが古くなっているのではないか、という問題意識から、いくつか試案を提起したいと思います。私はこう思うとか、それは違うんじゃないかと、いろいろ意見を出してもらって、今の社会をどう変えればいいかみなさんと一緒に考えたいと思います。

  編集部 まず最初に、昨年、テレビで家計の苦しさを訴えた女子高生が、1000円ランチを食べたことをネット上で非難され、大炎上しました。また、元テレビ局アナウンサーが「自業自得の人工透析患者」を非難するブログを書き、大騒ぎになりました。困窮者や患者に対する「自己責任だ」という非難が絶えないのは、なぜでしょうか。そこからお願いします。

 日本で増えている「相対的貧困」は6人に1人

  ◆まず、「そもそも日本に貧困はあるのか」という議論がずっとあります。「食べるものがない」「住む家がない」ことが貧困であり、そんな人は少ないと。しかし、これは「絶対的貧困」と「相対的貧困」を混同した議論です。

  私たちが常々言っている貧困は「相対的貧困」です。普通の世帯と比べて所得が著しく低く、生活しづらい、生活が苦しいという種類の貧困で、これが急速に増えています。一方、「絶対的貧困」はアフリカとか東南アジアの一部の国、内戦をしている国で、食料もなく、生命を脅かされるような貧困状態を指します。

  「絶対的貧困」だけを貧困ととらえると、そこまで至らない人、食べられないぐらい困ってるわけじゃない人は助けなくていい、という議論になってしまいます。

  人はただ飲み食いだけで生きているわけではありません。酒を飲んだり、映画を見たり、みなさんのようにこの会場に集まっていろいろな情報を得たり、友人知人と交流をしたりして、社会の中で生きています。このような暮らしが普通にできない状態を貧困ととらえようと、先進諸国では考えます。基準は「人間らしい暮らしができているかどうか」です。

  女子高生が、お小遣いやアルバイトで稼いだお金で1000円ランチを食べることは、文化的な行為だと思います。アニメを見ることも、人工透析が必要な患者さんがその医療を受けることも、文化的な行為で当たり前の権利です。

  今、残念ながら文化的に暮らす権利が脅かされています。某国会議員さんが「1000円ランチを食べているんだから貧困じゃない」と誤って見てしまう、この状況の難しさを、連載「下流化ニッポンの処方箋」で伝えようとしました。

  経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の相対的貧困率は高い方です(加盟34カ国中6位の16.1%)。なのに、日本では貧困があるかないかが議論される。それは、当事者が声を上げにくい環境があるからではないかと思うのです。

  「自分でなんとかしろ」という風潮が強いので、経済的な失敗、お金がないことを(自己責任と)責められやすい。だから当事者は「助けてほしい」と声を上げにくい実態があるように思います。そこで貧困はなかなか他者の目に見えず、なかったことにされてきたのではないでしょうか。

  私の先輩、湯浅誠さんらさまざまな方たちが貧困の可視化に取り組み、だんだん深刻さが知られてきました。私も連載で、一人一人個人の暮らしに注目し、(貧困に至った)その物語を社会に知ってもらおう、貧困から抜け出せない真の理由を知ってもらおうとしてきました。貧困は必ずしも自分だけの責任ではないんじゃないか、システムの問題じゃないかと、浮かび上がらせたかったからです。

 見えにくい貧困を可視化する

  編集部 前著の「下流老人」や今回の「貧困クライシス」でも、普通の暮らし向きの人が、いとも簡単に困窮する事例がたくさん紹介されています。

 ◆「下流老人」は朝日新聞出版の本なので、あまり宣伝すると使えなくなりますから控えますけど(笑い)。

  この本は高齢者の貧困を取り上げていて、後半では、普通に生活している人にとっても貧困は無縁なものではない、ということを明らかにしています。幸いにも本のタイトルは昨年流行語大賞にノミネートされ、「いや、これは人ごとじゃないよね」と、広く伝わりました。

 今も、なかなか見えにくい貧困を見えるようにしたいと思っていますので、ご来場のみなさんも、ぜひツイッターやフェイスブックでつぶやき、発信していただけるとありがたいです。

  他者の貧困を理解できない理由の一つに、「まだまだ豊かな日本」というイメージがあると思います。一般的な中流意識とでもいいましょうか。何をイメージするかというと、サザエさん一家、ちびまる子ちゃんの大家族的世界でしょうか。最近ではクレヨンしんちゃんの家かもしれません。

  今、その家族が欠けています。昔は大家族で互いに支え合い、家族のうちの誰かが正社員として働けば、家族みんなが食べていける状況がありました。これが急速に壊れ始めたのは1990年代以降です。非正規雇用の広がりと核家族化の進行があり、少子高齢化も進んで、普通に働いても暮らしが成り立たない社会構造と仕組みが表れてきた。もはや貧困問題ではなく、社会問題ではないかと思います。

  今、全世代で貧困が広がっています。若者の貧困では、中京大学の大内先生と一緒に奨学金問題に取り組んでいます。大学の学費が高く、学費を払うために過酷なブラックバイトをしている学生がたくさんいます。アルバイト先でパワハラを受けたり、給料未払いがあったりと、大学生が労働問題に直面しています。

  そこで、社会の仕組みを劇的に変えませんかと提唱しています。一つは、大学や専門学校の学費を無償化に近づけませんかという提案です。日本の学費は高すぎますから。この無償化をさまざまな分野に広げたいと思って、活動しています。

 苦しいときは制度に頼ろう

 編集部 貧困は、特定の世代の問題ではなくなっているということですね。

  ◆そうです。40代に突入したロスジェネ世代(90年代後半以降に大学を卒業するも、就職難に直面した氷河期世代)で、卒業後非正規雇用に就いた人がたくさんいました。この人たちの多くが、今も不本意ながら非正規の仕事をしています。正規雇用に移れないまま困窮状態に陥りやすい。

   女性の貧困も厳しい状況です。男性と女性の賃金格差が激しい国ですから、女性が生きにくい社会と言っていいでしょう。特にシングルマザーは2人に1人が貧困状態ではないかとさえ言われています。この状況を改善しないと、子どもの貧困もなくなりません。

  高齢者の貧困問題では、これまでお金がない高齢者を支えていた家族が疲弊し、支えきれなくなっている状況が目につきます。介護費用や施設利用料を払えないとか、親を支えるはずの子供たちの所得が減って、余裕がない状況です。

   最近も、警察署の前に高齢者が置いていかれる事例がありました。ケアを受けていたと思われるお年寄りが突然、特養ホームや病院前に放置、つまり捨てられるケースも相次いでいます。本人が認知症を患っていると自分の名前すら言えない。名無しのまま捨てられるのです。

  そのようなケースでは、生活保護制度を使えばいい、役所にすぐに頼ればいいのですが、なぜか家族は頼りません。日本の貧困問題の特徴で、困っても「助けてくれ」と言えないのです。言うと責められるという意識、生活保護受給は恥ずかしいという意識が強いからです。これが高い自殺率にもつながっています。

  この20年で社会と経済は大きく変わりました。ここまで全世代に広がった貧困が「自己責任」のはずがありません。ならば「意識」も変えてほしいのです。制度に頼れるなら頼ってほしい。私たちはまじめに働いて、それなりに税金を払ってきました。制度に頼ってもいいじゃないですか。


「脱商品化」、ちょっと面白いと思い載せてみました。第2部・3部と続きます。

今日は風もやみ、やれやれといったところですが昼から雨が降りだしました。
カタクリは出ていましたがまだ蕾の段階です。
行者ニンニク、まだ小さいけれど食べたくて、ボールにいっぱい採ってきました。
卵とじにして食べます。
野生の物は匂いがきついですが、栽培物はそんなに匂わず、美味しく食べることができます。