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共謀罪はテロ対策と無縁

2017年04月22日 | 社会・経済

TOC条約の政府説明批判 衆院法務委 藤野議員が質問

      「しんぶん赤旗」 2017年4月22日(土)

   日本共産党の藤野保史議員は21日の衆院法務委員会で、安倍政権が「共謀罪」をつくる口実にしている国際組織犯罪防止条約(TOC条約)の起草当時の議論を示し、テロ対策の条約でないことを浮き彫りにしました。

 同条約をめぐっては、国連の起草委員会でテロ犯罪を対象とするかが議論になり、日本政府交渉団が、他の主要国と並んで「テロリズムは対象とすべきでない」と主張(2000年7月)していたことが、交渉団の公電によって明らかになっています。

 藤野氏は、TOC条約の起草と同時並行で行われていたG8外相会合で、テロ対策の重要性が確認され、共同声明で、テロ対策に関する12の条約を締結することを各国に呼びかけていたことを示しました。

 同氏は、テロ対策を強調していたG8のメンバーのほとんどが、TOC条約の起草委員会では「テロ対策とは一線を画すべきだ」と主張していたとして、「TOC条約とテロ対策は別物だというのが、国際的な合意だったのではないか」とただしました。

 岸田文雄外相は、テロ犯罪と国際的な組織犯罪には関連性があるとの従来の答弁を繰り返すばかりで、まともな説明ができませんでした。

 藤野氏は、「関連があることと、議論の結果、外したことは全然違う」と述べ、“TOC条約はテロ対策”という事実に反する説明はやめるべきだと強調しました。

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危なすぎる法案 「国民」に「絶対服従」を強いる!=斎藤貴男(サンデー毎日4月30日号から)

  共謀罪が成立すると私たちの生活はどう変わるか。テロ集団の「関係者」と見なされた者の、犯罪計画への「合意」自体が犯罪とされるこの悪法は、マイナンバー制度をはじめとする監視システムと連動し、自由のない超管理社会を招来するという。反骨のジャーナリスト、斎藤貴男氏が警告する。

  私は駅の自動改札が嫌いで、いつも券売機で切符を買って、駅員さんのいる改札口を通ることにしている。仮にも人間の行動が機械ごときに、しかもセルフサービスでコントロールされたくはないからで、「スイカ」というのも、「誰何(すいか)」のダジャレだとしか思えない。あのICカードの凄(すさ)まじい機能は、つまり、そういうことではないのか。

  ところが、敵もさるもの。簡単には許してくれない。だから幾度も口論になった。

 「あっちを通れ」とアゴで指図される。こちらの意地を察知するや、「もうそんな時代じゃねーんだよ!」と吐き捨てた駅員。押し問答の揚げ句、表に出てきて拳を固め、太い柱を思い切りぶん殴るデモンストレーションで応えてくれた巨漢もいた。

  他人は自分の思い通りに動くものだとカン違いした人々は、そうならない相手を許せない。もっとも、こんな話はのどかだった時代の思い出だ。最近では多くの駅で有人改札の完全封鎖が進み、抵抗の余地さえ奪われつつある。

  天邪鬼(あまのじゃく)なヘソマガリだけが被る報いであるうちはいい。このままでは近い将来、駅員ならぬ警察官たちが、同様の発想パターンを辿(たど)ることになる。私の「自動改札を通らない」という行動を、「みんなが自由に物事を考える」に置き換えて、どうか考えてみていただきたいと思う。

 「共謀罪」の国会審議が始まった。官製用語では「テロ等準備罪」を新設する「組織犯罪処罰法改正案」だが、周知の通り、当初の条文案にテロ云々(うんぬん)は明記されてもいなかった。国民を欺くネーミングは不当なので、本稿では適切かつ客観的な「共謀罪」で通す。

  要は“テロ集団”“組織的犯罪集団”の関係者と見なされた者が、何らかの“準備行為”を起こしたと見なされれば、実際の犯行には至っていない“計画”の段階であっても、投獄ないし罰金刑に処せられる罰状だ。安倍晋三首相らは「一般国民には無関係」と強調するが、狙われた人間は、その時点で“一般国民”の扱いから外されるのだから、何をかいわんや。

  日頃から「テロリスト」の看板を掲げてテロを起こす間抜けは存在しないので、このカテゴライズは、それはそれで合理的と言えなくもない? そういえば2013年11月には、当時の石破茂・自民党幹事長(元防衛相)がブログに、特定秘密保護法に反対する国会周辺のデモを、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と書いていた。

 この国の「自由度」は極端に狭まった

  もっと言えば、国民一人ひとりの思想、それ以前の思いや考えだけでも取り締まりの対象になり得る。そこで反対派が好んで使う「平成の治安維持法」という表現は若い世代に届きにくいらしい。であれば法案名についても、「自由禁止法案」あるいは「絶対服従法案」「奴隷処罰法案」あたりへの変更を提案しておこうか。

  改めて指摘するまでもなく、この国の「自由度」は、第2次安倍政権の誕生以来、極端に狭まった。

  “愛国心”の強制や道徳の教科化、高市総務相の「停波発言」(政治的公正を欠く番組に対しては電波停止を命じることができる)等々が好例だが、14年には岐阜県で風力発電所建設計画に反対する住民らの病歴をも含む個人情報が警察に収集され、電力会社に提供されていた事実が明るみに出た。昨年には参院選で大分県の民進党、社民党、野党統一候補らを支援する団体が入居する建物敷地内に隠しカメラが設置され、人の出入りが警察に監視されていた事実までが表面化している。やはり昨年の10月に公務執行妨害容疑などで逮捕された沖縄・辺野古新基地計画反対運動のリーダーである山城博治さん(64)は、この3月に保釈が認められるまでの約5カ月間も勾留され続けていた。

  ここに「共謀罪」が加わると、私たちの生活はどうなるか。政府はすでに昨年5月、刑事司法改革関連法制の“整備”で警察の盗聴(通信傍受)による捜査対象の拡大や要件の大幅な緩和、司法取引の導入といった強大な武器を獲得している。どちらも共謀罪の摘発にうってつけの捜査手法だが、権力の支配欲にはとめどがない。

  国家公安委員会委員長が主催した「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」の最終報告(12年)には、これらの他にも国民のDNA型データベース構築や、警察が“組織的犯罪”の拠点と見なした事務所や住居に侵入し、監視カメラや盗聴器を仕掛けるのも可とさせたい旨の記述がある。この3月には裁判所の令状を取らずに対象者の車にGPS発信器を取り付ける捜査手法が最高裁に違法と判断されたが、あくまで現行法下での話。最高裁が付記した「新たな法整備が望ましい」という意見が不気味だ。ちなみに、令状を取った上でのスマホや携帯電話のGPS情報を利用した捜査は、現状でも可能である。

  以上の事例でも明らかなように、「共謀罪」を「共謀罪」だけで捉えてはいけない。現実に運用されている多様な言論統制メニューや、ハイテク技術を駆使した監視システムの数々との連動を念頭に置く必要があるのだ。

  全国の街という街に張り巡らされている監視カメラ網(ありがちな「防犯カメラ」は、設置者の複数ある目的の一部を抽出した官製の愛称でしかないので、これも機械の機能のみを客観的に説明する呼称を採用する)には、やがて顔認証やしぐさ認証、音声認証の仕組みを取り付けるべきだと、第1次安倍政権当時の有識者会議「イノベーション25戦略会議」が、その中間報告書で提言していた(07年)。私たちの近未来は警察の収音マイクにも囲まれるということか。狂気の沙汰である。

 国会が正常な機能を果たさない

  昨年1月から本格的な稼働を開始した“マイナンバー”制度が、あらゆる監視システムを串刺しにしていく。「スイカ」などの各種カード類や身分証明書類を“マイナンバー”カードに一体化する「ワンカード化」の政府目標が達成された暁には、集積された金銭のやり取りや、誰と誰がいつどこで誰と一緒にいてどんな会話を交わしていたのかに至る一挙手一投足が、すべて政府に把握され、民間企業のマーケティング目的にも開放されるのが、とっくの昔に既定路線となっている。私たち自身が望んで割り振っていただいたわけでもないのに“My”と呼ばされている、実質的には家畜同然の「スティグマ(奴隷の刻印)番号」によって。

   まだまだあるが、たとえばこんな奔流と、「共謀罪」とがいかなる関係性を持つのかは、もはや解説も無用だろう。

 ――などと書くと、またぞろ反体制派の自意識過剰とか、オオカミ少年と哄笑(こうしょう)されるのが現代の日本社会だ。けれども、少しでもいいから考えてみてほしい。

  このところの政治状況を、だ。

  13年12月の特定秘密保護法を皮切りに、集団的自衛権の行使を認める安全保障法制(15年9月)、TPPの承認およびその関連法制(16年12月)、年金カット法(同)、カジノ法(同)……と、強行採決のオンパレードだ。4月12日には自己負担割合の引き上げなどを柱とする介護保険法改正案が、衆院厚生労働委員会で強行採決された。

  政権にとって都合の悪い公文書が「廃棄」されまくってもきた。南スーダンで「戦闘」があったと書かれたPKO派遣部隊の「日報」が、一時は瞬く間に捨てられたことになっていたし、財務省が森友学園に国有地を払い下げた時の交渉記録は、契約後すぐに廃棄されたという。内閣法制局が集団的自衛権の行使容認を閣議決定前に検討した過程に至っては、そもそも文書に残されていなかったと『毎日新聞』がスクープしたこともあった。

  まともな民主主義どころか、国会そのものが、まるで正常な機能を果たしていない。日本国憲法の空文化が、私たちの目の前で、一気呵成(いっきかせい)に進行しているのである。

  麻生太郎副総理兼財務相の「ナチス発言」を想起されたい。13年7月、あの大金持ちの世襲政治家が東京都内の会合で、「(戦前のドイツでは)静かにやろうやということで、ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた」「あの手口に学んだらどうかね」とやった、あの一件だ。

  一時は国際問題にも発展しかけたが、なぜかあっさり収束。麻生氏は今もなお最高権力の地位にある。

  ナチス発言はこの間、いわゆる「お試し改憲」論が浮上するたび、その眼目である「緊急事態条項」と絡めて振り返られてきた。テロや内戦、戦争が勃発したら国民の人権が制限され、首相に権限を集中させるという内容がナチスの「全権委任法(授権法)」とそっくりだからだが、何も緊急事態条項の実現を待つまでもなく、“ナチスの手口”はごく自然に、かつ、まるで当たり前のようにして実践されている。

  実はドイツ史上において、“ナチス憲法”という成文法が存在したことなど一度もない。第一次世界大戦後に「最も民主的な憲法」と世界に讃(たた)えられたワイマール憲法は、ヒトラーの独裁下でも廃止されなかった。ただ、全権委任法をはじめとする一連の法律によって、すっかり空文化されていただけの話だ。

  現代の日本で“ナチス憲法”に当たるのは、2012年4月に自民党が公表し、件(くだん)の緊急事態条項を条文化した「日本国憲法改正草案」ではあるまいか。現状ではまだ、形の上では「お試し改憲」も行われていないのに、「草案」が高らかに謳(うた)う表現の自由規制も、多くの憲法学者が危惧していた立憲主義の否定も何もかも、いつの間にか既成事実にされてしまっている。「共謀罪」には、こうした一連の流れを決定的にする威力がある。

  当然のことながら、議論の大前提には、権力中枢にいる人々のよほど豊かな知性や人間性が認められていなくてはならない。現政権はどうか。最近だと原発事故で住まいを追われ、避難生活を余儀なくされている人々を「自己責任だ」と言い放った閣僚が、のうのうと居座り続けている。支配者意識に取り憑(つ)かれた人々の集団である。

 「黙っとけ。共謀罪、共謀罪!」

   月刊誌『世界』5月号の、「『共謀罪』のある日常とは」というタイトルの記事が興味深い。(1)大学のサークルでチラシを作成する際、雑誌に載っていた写真やイラストを無断で流用しようと相談した学生(2)基地建設反対の座り込みに行こうと航空券を購入した人やこれに賛同の意を示した友人・知人(3)痴漢冤罪(えんざい)の現場に居合わせ、目撃したままを法廷で証言しようとした人――らは、みんな逮捕される可能性があると、法律の専門家の監修と、可愛らしいイラスト付きで論じられている。(1)から順に、著作権の侵害、威力業務妨害、偽証罪の共謀罪に問われるかもしれないというのだ。

  その通りだが、私の見解はやや異なる。政治的・思想的な背景が伴わなければ、警察はむやみに逮捕したりはしないんじゃないかとか、そこまでやったら拘置所や刑務所が足りなくなるといった常識論を語りたいのではない。何よりも、圧倒的多数の人々が、危なそうな言動の一切を手控えるようになるからだ。そうできない人に対する警察官の態度も、日増しに居丈高になっていく。

  たまに冒険心の旺盛な人がいたとしても、その場合は、とばっちりを恐れる周囲があらかじめ「シーーッ! やめとけ、黙っとけ。共謀罪、共謀罪!」とかなんとか冗談めかしながら、きっと制止してしまう。共謀罪とこの国の社会の強力な同調圧力の親和性を、私たちはよくよく承知しておくべきなのである。

 米トランプ政権が内戦の続くシリアでアサド政権が化学兵器を使用したと断定し、わずか2日後に彼らの空軍基地にミサイルの雨を降らせた。間髪を入れずに「支持」を表明した安倍首相は、トランプ氏に「戦争するからお前の国の自衛隊も参加しろ」と命じられた場合、まず逆らわない。共謀罪の強行採決は、そんなタイミングでなされるのかもしれない。  

 さいとう・たかお 1958年生まれ。ジャーナリスト。監視、格差、強権をルポルタージュによって批判してきた。著書に『機会不平等』『ルポ改憲潮流』『失われたもの』など