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香山リカ 常識を疑え 新型コロナウイルス感染症拡大による「心の死」を防げ!

2020年04月23日 | 健康・病気

Imidas 連載コラム 2020/04/21
   香山リカ(精神科医・立教大学現代心理学部教授)

    新型コロナウイルス感染症の拡大が、世界にそして日本に、あまりにも大きな影響を与えている。
 私自身、この2020年3月から生活がすっかり変わってしまった。勤務している立教大学は卒業式、入学式などすべての行事が中止。4月30日からはオンライン授業が始まり、7月末まで前期いっぱい続く予定だ。

 3月18日からは厚生労働省がオンラインで、チャット形式の「新型コロナウイルス感染症関連SNS心の相談」を始めることになり、コーディネーターのひとりとして相談員の募集やスーパーバイズにかかわることになった。相談は4月21日現在も続いていて、私もできる限り、相談者と相談員たちのやり取りを目視し、困難そうなケースには助言を行っている。

 また、数年前から、「精神科を受診する患者さんの身体疾患を見逃したくない」という思いがあり、大学病院の総合診療科で週に1回、外来診療を通して内科の基礎を学び直していたのだが、その外来が4月から突然、コロナ感染が疑われる患者の専用窓口となった。もちろん感染可能性が濃厚なケースは専門医が診察するのだが、度合いによっては私もヘルプ役としてかかわることがある。いまは立教大学の授業がないこともあって、週に2~3回のペースでこのコロナ検査用外来で診察の補助にあたっている。

 コロナ以前と比較すると、変わらない業務は週に2回の診療所精神科の外来診療だけ。そのほかはほとんどすべての時間を「コロナ感染症」と「コロナ感染症に関する心の不安」と向き合ってすごす、という状態になっている。
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 もちろん、心身ともに疲れる日々であることはたしかだ。「心の相談」の業務は毎晩10時まで続くので、スーパーバイズ用のオフィスで業務を終え、帰宅して軽食を摂って寝て、翌朝、大学病院で朝8時半から外来を始める日はとくに早起きがしんどい。
 しかし、「心の相談」でいろいろな人の悩みを垣間見たり、SNSで多くの人たちの発言を見たりしてつくづく思うのは、「私はこのコロナ禍にあって、やれることがあるだけ恵まれている」ということだ。

「心の相談」には多種多様な相談が寄せられるが、それを無理やりひとことで集約すると、「やることがない、やりたいのに何もできない」に尽きるのではないか。もう少し言葉を足せば、「この大きな災いの中で、自分には何もできることがない。なすすべがない」ということこそが、多くの人にとっての最大の苦痛となっているのだ。
 誤解しないでほしいのだが、これは「コロナウイルスの威力があまりに強大なので、もはや人類にはなすすべがない」という意味とは少し違う。

 哲学者の東浩紀氏は3月28日、自身の主催する、漫画家の小林よしのり氏らとのトークイベントで、コロナウイルスを「重い風邪」「雑魚キャラ」などと称したとして話題になった。
 東氏は、世界の人口の2割が死亡したとされる14世紀のペストや、2012年に発生した致死率35%の中東呼吸器症候群(MERS)と微生物学的な見地だけから比べれば、致死率の面で新型コロナウイルスそのものの威力は「弱い」と考えてしまったのかもしれない。
 しかし、現時点でそんなことを口にするのは、もし東氏が微生物学者だとしても、あまりにナイーブというか世間知らずと言われるだろう。まして、東氏は科学者ではなく哲学者、評論家なのである。その見地から考えれば、世界をこれだけ混乱に陥れている新型コロナウイルスは、あらゆる意味で「弱くない」どころか「非常に強い」と言えるのではないだろうか。
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 新型コロナウイルスは、なぜこれほどまでに人びとの生活や心理に影響を与えているのか。最大の理由は言うまでもなく、経済活動の停滞だ。先の東氏のトークイベントに出演して「(コロナは)ふつうの風邪」と発言した小林よしのり氏は、自身の4月11日付のブログでも、日本は「コロナの死者数が世界一少ない」と言い、「どうせ感染者は増え続ける。自宅療養しておけばいい」と続ける。そして、この日のブログを「自粛を止めて、経済を回す!それしかない!/『集団免疫』で必ず感染も止まる!」と結ぶのである。

小林氏の主張には、「感染もやむなしと考えて経済活動を続けろ」という、いわば“玉砕精神”のようなものも含まれているようだ。そして、ネットを見ていると、この感染覚悟の極論には一定の支持が集まっている。裏を返せば、それほど現在の経済の停滞で逼迫した状況になっている人がいる、ということなのだろう。

 たしかに、政府が非常事態を宣言し、それぞれの自治体が飲食店やスポーツジムなど特定の業種、施設に休業や営業時間短縮などを要請する中、収入が激減したり途絶えたりし、経済苦に陥る事業所や労働者が急速に増えている。国や自治体は現金給付や休業補償を検討しているが、「とても間に合わない」と倒産を決めた会社もある。

 先にあげた「心の相談」でも、実は経済苦に関する悩みが非常に多い。パートで勤めていた店から突然「明日から来なくてよい」と言われた、夫の経営するレストランの売り上げが激減して家賃も払えない、転職が決まっていたが急に内定を取り消されたなどなど、あらゆる業種、あらゆる働き方をしている人が深刻な状態に陥っているのを実感する。

精神科の診察室にも、コロナとは別に、仕事ができず経済的に苦しんでいる人は多くやって来るが、彼らには「うつ病のため、夜眠れず朝起きられない」「対人関係に自信がないから働く勇気がない」などの“働けない理由”がそれなりにある。しかし、今回のコロナの影響を受けている人たちには、それがない。ほとんどが「働く気はおおいにある」「これまで精力的に働いてきた」という人たちだ。それなのに突如として仕事がなくなった。あるいは仕事ができなくなったのである。
 働きたいのに働けない。働く意欲も体力もスキルもあるのに、働かせてもらえない。そんな理不尽なことがあろうか。
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 前半で、私はこのコロナ禍により生活が一変し、これまで以上に忙しくなってしまったが、「やれることがあるだけ恵まれている」と述べた。しかも、私の「やれること」は、コロナ検査用外来のヘルプやコロナ関連の「心の相談」など、直接この感染症にかかわることである。コロナ外来では感染のリスクもあり、まわりの医師たちの疲弊が激しいのを目の当たりにして気持ちが暗くなることもあるが、それでも「私はコロナに対し、ただ手をこまねいているわけではない」というささやかな手ごたえを感じることはできる。

ところが、今回の事態で、ほとんどの人はその正反対の状況に置かれることになっている。世界の合言葉が、「Stay Home(お家にいよう)」なのだ。
 先の「仕事がなくなった」という人はもちろん、幸いにしてすぐには解雇されていない企業の従業員でも、テレワーク、自宅待機などで出勤を止められているパターンが多い。テレワークでこれまで通りの作業をしているという人もいるようだが、できることが限られ、労働量が減ったという人の方が多いはずだ。その人たちは、最初は「通勤しなくてよいから助かる」「自宅待機でも給料が出るからありがたい」と思うだろうが、次第にその状況にも飽きてきて、不安が大きくなってくるのではないか。

 ――いつまでこの状況が続くのか、いつまで会社に行かずにいればいいのか、テレビをつけてもコロナのニュースばかりだが、自分はただ家でそれを見ていることしかできないのか、そもそも自分は社会の役に立っていたのか……。

 現代人の多くは、毎日、自分を奮い立たせ、厳しい社会の中に身を投じ、たゆまぬ努力を続けながら、自己啓発を怠らず、成長と自己実現を目指して生きてきた。簡単に言えば、「とてつもないがんばり」がほぼ「生きること」と同義になっていたのだ。私は10年ほど前から、繰り返し「がんばらないで」というテーマの本を書いてきたが、そのニーズが絶えないということは、「がんばらないで」と言われても言われても、ほとんどの人が「とてつもないがんばり」をやめられないということを意味する。
 それが新型コロナウイルス感染症の広がりによって、突然、「がんばって外で働いたり学校に行ったりすることこそが感染の元凶」と言われ、それらをすべて禁じられることになった。

「とてつもないがんばり」は、現代人にとっての普遍的な善から、突然、最大の悪へとその価値を変えられてしまったのだ。
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 イギリスのボリス・ジョンソン首相は、自身の新型コロナウイルス感染が判明する直前、3月23日のテレビ演説で国民にこう呼びかけた。
「みなさん、家にいなくてはなりません。みなさんが家にいるだけで稼いでくださる時間を活用し、器具の備蓄を増やし、治療法の研究を加速させられるのです」(筆者訳)
 どうだろう。「みなさんもこのコロナウイルスと闘うために、器具の製造や、治療法の研究のための文献探索に協力してください」と言われたら、多くの人はわれ先にと手を挙げ、製造現場に駆けつけたり、手分けして文献を探したりするのではないか。
ところが、ジョンソン首相は、国民ができるのは、「家でじっとしていて、時間稼ぎをすることだけ」と言っているのだ。「首相の呼びかけに応えよう!」と奮い立ったとしても、次の瞬間には家に入ってドアを閉じ、そこから出ないようにして動画を見たりオンライン講座でヨガをやってみたりすることくらいしかできないのだ。
――私にできることは何もないのか。この災禍の中で私の価値は、いったいどこにあるのか……。
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「自分は社会や他人にとって役に立つ人間だという感覚」を心理学で「自己有用感(self efficacy)」と言うが、新型コロナウイルス感染症のもっとも深刻な“症状”のひとつは、現代人がこの自己有用感を奪われることではないかと思うのである。
「何もするな。出てくるな。それがあなたにできる唯一のことだ」と言われ、それでも「私は社会や他人の役に立っている」という自己有用感を失わずにいるのはきわめて困難である。誰かが「いえ、あなたは立派に社会の役に立っているのだ」と伝えなければならないのではないだろうか。

 精神科医として私は、今後、多くの人が「自己有用感の喪失」という恐ろしい病を発症するのではないかと危惧している。ウイルスそのものには感染しなくても、また国の補償などによって生活の危機をとりあえず回避できたとしても、「私にできることは何もない。他人や社会の役にも立っていないし、ウイルスとの積極的な闘いにも加われていない」という思いから、うつ病やアルコール依存症、希死念慮など、メンタルヘルス上の疾患を発症する人が世界で激増するのではないか。そしてそのことにより、離婚、家庭内暴力や子どもの虐待、自殺未遂あるいは既遂といった深刻な問題も増加するかもしれない。

「Stay Home」が長引くことにより起きる自己有用感の低下や喪失は、大げさではなく致死的な病だと私は考えている。マスクを求めて早朝からドラッグストアの前で行列を作るシニアたちが批判されているが、彼らはマスクよりも、「私はやれることをやっている。家族の役にも立っている。コロナウイルスから身を守るために闘っている」という自己有用感が欲しいのではないだろうか。高齢者たちは自分の心が死なないようにするために毎日、朝から並んでマスクを集め続けているのかもしれないのである。そう考えれば、彼らを軽々しくとがめたり嘲笑したりできない、と思えてくる。
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 しかし、だからと言って私は、小林よしのり氏のように、「だから自粛を止めて働こう!」とはとても言えない。大学病院のコロナ検査用外来で目にするこの感染症の威力は、たしかにペストなどよりは小さいかもしれないが、決して東氏が言うような「雑魚キャラ」では片づけられないほどには強力だからだ。実際に軽症と思われた人が突然、自宅で呼吸困難に陥ったり、完全防御で感染者に接したはずの医療従事者が感染したり、という事例を私も目撃した。一度は回復した人が再び陽性に転じた例もある。このウイルスの振る舞いは、いまだによくわからないのだ。

 だとしたら、私たちは「Stay Home」を続けながらも、社会の中での自分の価値や、他人にとって自分が役に立っている手ごたえ、そして、この感染症と積極的に闘っているという実感を持てるような、何らかの仕組みを作らなければならない。ただ、それは「SNSでつながろう」とか「オンラインでひとを励ます動画を投稿しよう」といった方法では限界があるだろう。
 家にとどまり、仕事にはいつものように行けなくても、「私は社会の中で十分に生かされている」と自分を自分で認められるためには、何をすればよいのか。どんな手段が使えるのか。
 それを考え、そのシステムの構築を行うのが、精神科医としての私が“いまやるべきこと”だ。もちろん、私ひとりでは何もできない。この記事を読んで何かアイディアが浮かんだ人は、ぜひ教えてほしい。新型コロナウイルスからひとりひとりの身体を守ると同時に、私たちは「心の死」をなんとしても防がなければならないのである。


またまた雪が積もってしまいました。

 先ほど、夕方5時過ぎの写真です。朝起きたらうっすらと積もっていましたが、さらにひどい状況です。今も降り続いています。まだ夏タイヤに交換はしてません。