Imidas連載コラム第2回 2020/04/28
「コトバ」を待つ──石牟礼文学を生み出したもの
中島 先ほど(注・連載1回目の後半)水俣の話に触れましたが、『苦海浄土』などの作品で水俣病の人々の苦しみと向き合い続けた作家・石牟礼道子さんも、「いのちの政治学」を考える上で重要な人物だと思います。
というのは、石牟礼さんこそはまさに「コトバ」の人だったと思うからです。私は生前、1回だけお会いしたことがあるのですが、非常に印象的だったのが、石牟礼さんが、お話ししているときに「躊躇なく沈黙する」ことだったんですね。
若松 よく分かります。私も石牟礼さんとは晩年、親しくさせていただいていたのですが、あの沈黙は最初、とまどいますよね。
中島 こちらが何か聞いても、1分くらいじーっと黙って返事をなさらないことがよくあるんですよね。でも、それは「何かいいことを言ってやろう」と考えているわけではまったくない。何らかのコトバがやってくるのを、耳を澄ませて待っているがゆえの沈黙だったと思うのです。「語る」ことすら奪われてしまった人たちの「声なき声」にそうして耳を傾けることによって、石牟礼文学は成立していた。その意味で、『苦海浄土』はノンフィクションともまた異なる文学だといえると思います。
若松 さっき言った、コトバが生まれてくるのは無私になったときだというのは、日常においては私たちの「言葉の玉座」には自分自身が座っているからです。そうして「私」を語ろうとしている間は、コトバは降りてきてくれない。石牟礼さんは沈黙している間、玉座に座るのでなくその横で待っていたのだと思います。そこで何者かが彼女にコトバを託し、語り始めるまでの時間が、「1分間の沈黙」だったのではないでしょうか。
現代においては、表現といえばすぐに「自己表現」となりがちですが、石牟礼さんのように、逆に自己を手放すことによって表現できる人たちというのもたしかに存在している。そして、リーダーというのも、そういう人でなくてはならないと思うのです。
自己を語るのではなく何者かに託されたコトバを語るわけですから、時には自己を否定しなくてはならない場合もある。先ほど中島さんがおっしゃった「過去の過ちを認めて転換できる」のがメルケルのすごいところだというのも、そういうことではないでしょうか。今、発言することが、かつての自分の発言が否定され、糾弾されることになるかもしれない。けれど、それが、時代が私に託してきたコトバである以上、語らざるを得ない、ということだったと思うのです。
中島 対して日本の政治家の多くは、過去の自分にずっとしがみついているから、そうした「転換」ができないんですね。
私は大学でヒンディー語を学んだのですが、最初につまずいたのが「与格(よかく)」という文法の構造でした。これは、感情表現などが典型的なのですが、「私は悲しい」というときにも、主語を「私」にしないんです。直訳すると「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするんですね。これは言語についても同じで、「私はヒンディー語を話せます」というときは、「ヒンディー語が私にやってきて、とどまっている」という言い方をする。私が主体として「何か」をとらえるのではなく、私にやってくる「何か」が存在しているという考え方なんです。
そして、その「何か」は、自分を超えたところからやってくる、私にはコントロールできないもの。私はその「何か」を受け止める器にすぎない、という感覚ですね。この「何か」こそがコトバだと思うのです。こらえても流れてくる涙や悲しみで震える手は、言葉以上のコトバです。こうした「与格」的な姿勢こそが、人の胸を打つ。その本質を、インドの人々はよくとらえていたのではないかと思います。
「弱くあること」から学ぶ
中島 もう一人、石牟礼道子と並ぶ「コトバ」の人であったと私が考える文学者が、広島での被爆体験をもつ作家、原民喜です。
彼は1944年、38歳のときに11年間連れ添った妻を病気で亡くしているのですが、病床にいる妻を前にしてこんなことを書いています。
「もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残らう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……」(『遥かな旅』)
それほどまでに、原にとって妻は大きな存在であり、精神的な支柱でもありました。人付き合いの苦手だった原は、妻が隣にいなければまともに会話もできなかったともいわれています。
しかし、実際には彼は、妻が亡くなった後も、自死を選ぶまで6年あまりを生きることになります。なぜかといえば、原爆に遭ったからです。原の実家は広島の爆心地近くにあり、そこで被爆した彼は、多くの人があまりにも「無造作な死」を迎える凄惨な光景を目の当たりにすることになりました。
いわば、それまで生きてきた現実の世界が根底から崩壊してしまった。そのときに原は、自分には生きて発しなくてはならないコトバがある、命は絶えてもいい、けれどいのちを生きるためには死者とともに語らなくてはならない、と考えた。そうして書かれたのが、『夏の花』などの作品だったのだと思うのです。
原の作品は、人が危機におかれたときにどのようなコトバがあり得るのかということを考える上で大きな意味を持ちます。今また病による危機にさらされている私たちにとって、重要な問いかけだと思います。
若松 私は原民喜とは縁があって、『夏の花』に出てくる場所を何度か歩いたりしたこともあるのですが、彼は決してもともと強い人ではない、むしろ非常に繊細で、ある意味では弱い人だったと思います。
それが被爆後も生きてあれだけのものを書いたというのは、生命を持ちながら新たに生まれ変わることで、とてつもなく強くなった人なのだと思うのです。おっしゃるように、彼の思いが命からいのちへと移ってゆくのも、必然だったのではないでしょうか。
中島 この「弱さ」というのも、「いのちの政治学」における重要なキーワードです。というのは、今のような危機のときには、どうしても「弱い存在」が見えなくなっていくからです。たとえばホームレス状態にある人、難民や在日外国人……。その人たちに十分な情報が行き渡っているのか、居場所は確保されているのかといったことが、危機の中で見えなくなってしまう。そこに目を向けるためには、「自分たちはみな弱い」ということを前提にしなくてはならないと思うのです。
私たちは誰しも、赤ん坊のときには母親の乳房にしゃぶりつかなくては生きられなかったし、ある年齢になれば誰かに支えてもらわなくては生きていかれなくなる。あるいは、どんなに金持ちであっても、実は非常な孤独を抱えているということもあります。つまり、強者のように見えたとしても、それは「たまたま今、ある側面において強い」ということであって、強者と弱者は背中合わせの存在にすぎないわけです。
そのことを常に自覚して、普遍的な弱さという前提に立つことで、他者の弱さが見えてくる。それが、社会の中に分断を生まないための非常に重要な方法だと思います。
若松 人が弱さを自覚するのは、誰かに「助けられた」ときだと思います。自分が助ける側に立っているときは自分の弱さは見えなくて、助けられる立場になったときに初めて世界が違って見えてくるし、自分が助けるべき人のことも見えてくる。今、人を助けることも大事だけれど、「助けられる」ことも私たちにはとても大切な経験だと思うのです。
だから、今の政府が常に「自分たちが国民を助けてやる」という態度であることがとても気になります。本当は、リーダーこそ「弱い」人、「助けてもらう」ことのできる人でなくてはならないと思うのです。弱いからこそ支えようとする人が出てくるのであって、強いことを誇りにするリーダーは絶対に孤立していくのではないでしょうか。
中島 知らないことに出合ったときに「分かりません、教えてください」と言えたり、自分の失敗を率直に認めたりできる、自分の弱さを見せられる人のコトバこそが、人の胸を打ちます。そういう人は、弱いからこそ本当の意味で「強い」のだと思うのです。
若松 弱さを自覚することなく、他人を助けることはできないと思います。弱さを見せられない人が他人を助けたとしても、それは「施し」になってしまう。私たちがやらなくてはならないのは、施しではなくて「共有」なんだと思うのです。
だから、今、やるべきことがあるとすれば「弱くあることから学ぶ」ことに尽きると思います。
たとえば今、私たちは仕事をしたくてもなかなかできない状況にある。でも、コロナのことがなくても、病気や家庭の事情などで働きたいけれど働けないという人たちは一定数いたわけです。それが当たり前なんだ、私たちはそういう人たちとともに生きているということを、多くの人が実感できるといいと思います。
中島 そうですね。自由に外出できないという状況になって初めて、たとえば重度障害のある人が世の中をどういうふうに見ていたのか、その一端を私たちは感じられるようになったわけです。その地平を拡大させたいですね。
若松 最近、出かけるとき、マスクを手に取ったときなどに、よく福島のことを思います。すごく天気がよくて気持ちのいい日なんだけれど、マスクを付けた瞬間にその光景が一変して見える。ああ、福島の人たちはずっとこういう日常で生きていたのか、と感じる。今の危機的な状況になって、やっと私たちはほんの少しでも、彼らの痛みを共有できるようになったのかもしれません。そこからも学びたいと思っています。
ファシズムが破壊しようとするもの
若松 私が「弱さ」とともに重要だと思うのは「小さくあること」です。私たちは、万人を救うことはできません。気持ち的にはそうしたくても、能力も、行動範囲もいつもより狭まっている。その中で、この危機を切り抜けるためには、小さく深くつながっていくしかないのではないか。小さくて強い共同体をつくり直して、それをさらにつないでいくしかないと思うのです。
このコロナ危機の中で、アルベール・カミュの『ペスト』が非常に読まれているそうですが、あの小説におけるペストは、ファシズムのメタファーでもあります。
今の日本は「伝染病」とファシズム、両方の意味において、物語に描かれている状況とそっくりだと感じました。 だから今、ファシズムが破壊しようとするものを守ることが非常に重要になっていると思うのです。
たとえばハンディキャップのある人たち、芸術、人種の交わり、そして小さな共同体。そういうものをファシズムはとても嫌った。だから、それらを守ることはそのまま、ファシズムに抵抗する力になるんだと思うのです。
『ペスト』の原型ともいうべき作品に『ペストのなかの追放者たち』(宮崎嶺雄訳)という短編があります。ここでカミュは、結局ペストが人間にもたらしたのは、「別れ」、「別離」だったとも書いています。ここでの「ペスト」も、やはりファシズムのメタファーですから、「別れ」の中には、誰かが亡くなったり、会いに行けなくなるといった物理的な別れだけでなく、価値観の対立といったこともおそらく含まれる。私たちは今、そういう状況に直面しつつあるんだということが、もっと共有されるべきだと感じています。
中島 『ペスト』には、病原菌──つまりファシズムに対して、逃げる人も迎合する人も、いろんなタイプの人が登場するのですが、その中で「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」(宮崎嶺雄訳)という言葉が登場します。あれはとても印象的でした。今の状況下でも、誠実に生きるということの延長上に、ファシズムへの抵抗があるのではないかという気がしています。
もう一つ、今の日本の状況と重なると感じる本が、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』です。ナチスの台頭に至ったドイツの状況を考察した本ですが、ここにも現在日本で起きている問題が描かれていると思います。
つまり、ナチス以前、ワイマール政権下のドイツでは、非常に民主的な憲法のもと、すべての人々に広く自由が認められました。しかし、そうして自由が与えられたことによって、人々は逆に権威を求め始める。自分たちで何もかもを決めるのはもう疲れた、誰かが決めてくれたほうが楽だという考えが広まっていき、やがてナチスの台頭へとつながっていく。自由であるがゆえに自由から逃げてしまう、という構図ですね。
非常事態宣言を待ち望む声の多さなどを見ても、不安に耐えきれず、誰かが強い言葉によって私たちを仕切ってほしいという空気が、今の日本にも漂っているように感じます。でも、そうした空気がファシズムを招き寄せたことは、歴史が証明している。私たちは、それとは違うかたちのリーダーを生み出さなくてはならないんだと思うのです。
若松 それがまさに、先ほど話に出た「弱いリーダー」なのではないでしょうか。
中島 そのとおりです。弱さを見せられる、「私は弱い、だから一緒にやっていこう」と言えるリーダーこそが今、必要なんだと思います。
いのちとつながる政治を取り戻すために
中島 今、この危機的な状況において、検査体制が整わない、医療現場が疲弊している、思い切った経済政策が打ち出せないなどの問題が山積しているのは、明らかに日本が「小さな政府」を志向してきた結果だと思います。合理性を追求する新自由主義のもと、さまざまなものを切り捨ててきた末に、私たちはこれほどまでに危機に弱い体制をつくりあげてきてしまったわけです。
小さな政府というのは、福祉などをアウトソーシングすると同時に、責任もアウトソーシングしてしまうということなんですね。自分たちで全部決めてくれ、政府は責任を取らないよ、という体制なわけです。イベントを自粛しろとは言われるけれど、何の補償もないからリスクはすべて自分たちで負わなくてはならない。それでは生きていけないから自粛せずに開催しようとすると「危機感が足りない」と罵倒されてしまう。国民と政府との間には、信頼関係がまったく成り立たない。それが、小さな政府を追求してきた末の現状なんですよね。
若松 これは、福島第一原発事故のときも感じたことですが、新型コロナウイルスによって新たなリスクが生まれたわけではありません。以前からあったリスクが、コロナによって露呈したにすぎない。
もともと原発は危険だったけれど、その危険性が東日本大震災によって露呈した。今回も、もともと医療体制などが脆弱だったという現実を、新型コロナウイルスが露呈させたわけです。ともすると、「日本の医療には十分なキャパシティがあったけれど、これだけ流行が拡大してくると足りなくなる」という話にすり替えられがちですが、そこははっきりさせておかなくてはならないと思います。
この状況が「小さな政府」の結果だというのも、まったく同感です。その象徴ともいえるのが、私は図書館だと考えているんです。
図書館は、本来は単に本を貸し出すだけではない、「避難所」としての役割もあったはずなんです。事実、夏休みが明けた9月1日には、教室に行けなくて図書館に「避難」する子たちがたくさんいる。そこまでいかなくても、嫌なことがあったときに図書館に行って本を読んでいたなんていう経験は誰にでもあると思うのです。
その図書館をすら、この国は民間にアウトソーシングし続けてきました。結果として、「頼まれたら本を出して渡す」だけの、機能的なコインロッカーみたいになってしまった図書館が少なくありません。一方で逃げ場を失って、自ら命を絶ってしまう子どもたちもいます。
いのちの視点から見ればとても大事なものが、「無駄」だとして効率に置き換えられてしまう。そういう意味で、図書館の現状は今の危機的な状況とも密接につながっているのではないかと考えています。
中島 こうした状況を変えるためには、やはり「いのち」とつながった政治を取り戻さなくてはならないのだと思います。そのための知恵を歴史から見出したい、過去のリーダーや政治家の言動に学びたいというのが、この対談の趣旨です。
たとえば、次回ではまず聖武天皇を取り上げたいと考えています。奈良の大仏を建立した人として知られていますが、あの大仏は単に「大きなものをつくりたい」というだけでつくられたものではありません。疫病の流行が続き、ものすごい勢いで人が亡くなっていく、遷都を繰り返したけれども状況はいっこうに改善されない……そのときに聖武天皇がやろうとしたのは、「みんなで心の中に大仏をもとう」ということ。まさに「いのちを守ろう」ということだったのだと思います。
さらに、それに呼応して大仏建立などの工事を担った仏教僧、行基のことも取り上げたいと考えています。彼らもまた、一方的に国民に命令をするのではなく、ともに厄災に向き合っていこうとする「弱いリーダー」だったのではないかと思うのです。
若松 聖武天皇の意を受けて動いた行基の下には、さまざまな民衆がいたはずです。中には、罪を犯したりして世の中から排斥されていた人もいたでしょう。そういう人たちが、行基を「扉」にしながら天皇とつながって、世の中を支え、社会を変えていった。
そのように「扉」になりながら民衆の底力を体現していった人ともいえるのではないかと思います。
アウトカーストの人たちとともにインド独立を目指したガンディー、社会から排斥されていた黒人たちを率いて公民権運動を進めたキング牧師などにも、同じことがいえます。こういった人たちも、今後の対談の中で取り上げていきたいですね。
未来に向かって何かをやるときには、そうして歴史と深くつながることが不可避だと思います。現在の知恵だけで未来に足を進めようとするのは、とても危険です。
中島 おっしゃるとおりです。過去のリーダーたちの歩みを振り返ることで、政治というものの本質をあぶり出し、私たちが目指すべき「いのちの政治学」のすがたを見出したい。そこから、いのちを見捨ててきた今の政治に代わる、もう一つの選択肢が見えてくるのではないかと思うのです。
*対論連載「いのちの政治学~コロナ後の世界を考える」はつづきます。
この連載、長くなりそうですので、あとは皆さんが直接お読みいただければと思います。https://imidas.jp/inochinoseiji/1/?article_id=l-93-002-20-04-g812
不安定な天気が続きます。とても寒いのです。しかし時折、日がさすためハウス内は一気に暑くなります。そんなわけでハウス内の内張やトンネルの開け閉めが結構煩わしい。
ボートget
ついにボートをgetしました。5000円也。
安定させるため両サイドに「浮き」をつけるタイプです。これではジュンサイを両脇で取れないのではないかと思います。先頭あるいは船尾でしか手は届かないでしょう。それでも浮き輪のボートよりはましです。
沼にはカモさんがたくさん来ています。横断歩道を渡るカモさん一家のように、共存できれば楽しいのでしょうが。