Imidas連載コラム2021/09/07
吉川ひなのさんの自宅出産をドキュメントしたYouTubeが話題だ。
もともと彼女は「自然なお産」や「おむつなし育児」「洗わない育児」など独特のスタンスを持っていたようである。そうしてこのたび第三子を自宅で水中出産したのだが、妊娠中には「普通の妊婦健診」を受けていないことをインタビューで語り、医療従事者らからその危険性を指摘されていた。本人はその後、最低限の検査を受けていることを発表。そうして無事、ハワイの自宅で子どもを産んだ。
突然こんな話を始めたのは、橋迫瑞穂さんの『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(集英社新書、2021年)という本を読んだからである。*以下〈 〉部分は同書よりの引用
この本の内容を説明する文には、以下のような記述がある。
〈今世紀に入り、日本社会で大きく膨れ上がった「スピリチュアル市場」。特に近年は「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」に代表されるような妊娠・出産をめぐるコンテンツによって、女性とスピリチュアリティとの関係性はより強固なものとなっていった。しかし、こうしたスピリチュアリティは容易に保守的な家族観と結びつき、ナショナリズムとも親和性が高い。本書は、この社会において「母」たる女性が抱く不安とスピリチュアリティとの危うい関係について、その構造を解明する〉
ここで私の体験を書きたい。
それは何年か前、婦人科系の病名をネット検索した時のこと。投薬や手術など治療が必要な病気なのだが、パソコン画面には「子宮をあたためる」ことで治ると主張するサイトがずらりと並んでいたことに面食らった。
科学的根拠を無視したような記述が多く、やたらとファンシーなデザインばかりだったのだが、それが初めて「子宮系」に触れた瞬間だった。
「これがいわゆるスピリチュアル市場か……」
目の前に広がる光景にしばし言葉を失いつつ、荒唐無稽と思いながらもそれらのサイトの文章を読み進めた。
すると、何やらいろんな不調は「冷え」から来ているらしく、とにかく子宮をあたためれば万事解決するらしい。しかも病気が治るだけでなく、美容も健康もお金も手に入るという大盤振る舞いぶりではないか。これ、いろいろ不安を抱えていたりしたらあっという間にハマるかもな……。そう思ったことを覚えている。
ちなみに私自身は、ひとり身で出産経験なしの40代。スピリチュアル系にハマった経験は皆無だ。
そんなスピリチュアルの世界だが、その言葉で真っ先に思い出すのは安倍前総理大臣夫人の安倍昭恵氏だ。
反原発と大麻と神社と農業と天皇と神と宇宙と夢と平和とエコロジーと「水の波動」理論などのエセ科学と「もう一度日本の素晴らしさを取り戻そう」的な国粋主義が矛盾なく共存しているという、かなりとっ散らかった彼女の状態を私は勝手に「ゆるふわ系愛国」と名付けていたのだが、そのすべてにまぶされていたのが「スピリチュアル」という魔法の粉である。
そんなスピリチュアルの世界について、『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』が取り上げるのは――。
1 妊娠・出産を司る臓器である子宮を重視して聖性を付与する「子宮系」
2 生まれてきた子どもは母親の胎内にいた時のことを記憶していると主張する「胎内記憶」
3 過度に医療に頼らずに女性ができるだけ「自然」なやり方で出産することを推奨する「自然なお産」
まずは子宮系。関連する多くの書籍が出版されているが、同書によればこれは「努力型」と「開運型」の二つに分類されるという。
努力型では、子宮の状態を改善するヨガや体操やマッサージ、ツボの位置などが紹介されるのだが、セルフケアをすることで子宮から「悪い気」を追い払うことに比重が置かれている。また、努力型の例として紹介する「カラダを内と外から整える――インナー子宮風水」と題する記事では、〈「子宮は女性の体の中にある神秘的な〈桃色のお宮〉」〉とされ、〈それが不調をきたすと心身や運勢に不調をきたすという主張が〉展開されている。そんな子宮系では、「昔の女性」にならうことが良いとされ、また子宮が「冷えて」いる原因として欧米型の食生活があげられたりする。
一方、「開運型」は、〈「本当の自分の声」は「子宮の声」〉であり、〈それを聞けば結婚や子育て、お金などがうまく回り出す〉という主張のようで、そんな内容の書籍はベストセラーにもなっている。ちなみに子宮系のマーケットでは、膣に入れるパワーストーンなども売られている。
さて、次は胎内記憶だ。生まれる前から子どもが持つとされる記憶のことで、お腹にいた頃だけでなく、子どもが「かみさま」と相談して母親を選んだ記憶などを語り出すというものである。
子どもが自分を選んで生まれてくれた――。そのような物語は、スピリチュアル好きな女性の大好物だろう。その上、胎内記憶には母親の失敗や後悔を子どもが許し、受容するといったエピソードが散見されるそうだ。そんな胎内記憶、スピリチュアル市場において人気コンテンツだそうだが、危うさもはらんでいる。
同書で紹介される胎内記憶の主導者的な人物は、〈赤ちゃんは自分が挑戦できる環境を選んで生まれてくるため、虐待が起こりやすい家庭に生まれたり〉する場合もあると述べているそうだ。この「虐待」というキーワード、私はどうしてもひっかかる。なぜなら、私の友人知人で親から虐待を受けていた人々は、多くが親から「あなたは私という親を選んで生まれてきた」と教え込まれていたからである。その言葉は、親からの虐待を正当化するような作用ももたらしていた。あなたがどれほど親を呪おうとも、あなたが私という親を選んで生まれてきたのだからすべては自己責任。端からは荒唐無稽に思えるそんな主張でも、子どもの頃からずーっと言われ続けていれば強固に当人を縛り付けるものとなる。
著者の橋迫瑞穂さんも「虐待する家族を選ぶ」という主張が組み込まれていることについて、虐待する家族やそれを放置する社会が免責されることに疑問を呈している。
一方、この「胎内記憶の主導者的な人物」は、保守的な家族観を押し出した一般財団法人親学推進協会の特別委員でもあることも付け加えておきたい。
次は「自然なお産」。
できるだけ医療や医薬品に頼らずに女性が主体的な意識を持ってお産に向き合うことを指している。
「自然なお産」がスピリチュアル市場で注目されるきっかけは、10年に公開された河瀬直美監督の『玄牝(げんぴん)』という映画。医療器具にほとんど頼らない出産を目指す医院で「自然なお産」に挑む女性たちを記録したドキュメンタリーだという。
それだけ聞くと、「良さそう」に思えるかもしれない。しかし、妊娠・出産をめぐるスピリチュアル市場には非科学的だったり根拠に乏しい情報が散見される。
例えば昔の女性は月経血コントロールができたというもの。畳で生活したり、着物姿の所作の中でおのずと筋肉が鍛えられていたなどの主張を聞くと、思わず「エビデンスは?」と問いたくなってくるのは私だけではないだろう。
さらには〈「昔の女性」は生活のなかで体が鍛えられていたから、スムーズに妊娠・出産ができた〉という話も多いようだが、これも眉唾モノだ。著者も〈むしろ、死産の割合から見ると実態は逆であると考えるのが妥当である〉と書いている。医療の発達によって、死産や出産時の母親の死亡は劇的に減っている。そのことは、この問題にまったく詳しくない人でも共有している事実だろう。
それではなぜ、女性たちはスピリチュアルな世界に惹かれるのか。それを著者は「フェミニズム」が取りこぼしてきたものと指摘する。
〈フェミニズムは一貫して、女性に育児や家事を一方的に担わせることを批判してきた。 〉〈母になることを全面的に肯定するということは、フェミニズムがここ三〇年の間で実現できなかった、あるいはしてこなかった出来事でもあった 。〉〈妊娠・出産を必ずしも肯定してきたとは言い難いフェミニズム 〉―確かにそうだ。
一方で〈特に「子宮系」においては、保守的な「女性らしさ」を身につけることで女性としての自分に自信をつけたり、社会のなかに確固たる居場所を見つけたりすることが目指されている。これらはいずれも、「女性らしさ」を束縛するものととらえ、そこからの女性の解放を目指すフェミニズムとは対極に位置する。 〉
長らく、スピリチュアル好きな女性たちが、どうして自分の子宮や身体という内側にばかり目を向けるのかが不思議だった。そしてなぜ、「女は子どもを産んでこそ一人前」という保守的な空気に抵抗するような姿勢が見えないのかも。
しかし、そんなスピリチュアル系人気そのものが〈女性たちの葛藤〉そのものであり、〈女性たちが前向きに諦めようとする態度だ〉と著者は書く。
〈あらかじめ変容への心づもりをしておけば、妊娠・出産に迷ったり悩んだりすることはないかもしれない。さらに、「家庭」という枠組みの外側に対する期待、例えば妊娠・出産する女性や育児への社会的支援、キャリアに変容をきたさない職場環境の形成などに対して、最初から当てにしないで済む。その上で、妊娠・出産する身体に聖性が付与されるなら、この身体性を生きることにもそれなりに価値がある、というようにとらえることができるだろう。〉
ここまで書いて、改めて、自分のことを考えた。
25歳でデビューしたフリーランスの書き手である私にとって、「妊娠・出産」という選択肢は、ほとんどSFと言っていいくらいにリアリティのないものだった。
完全歩合制で日銭を稼いでナンボ、忘れられたら終わりの商売。かなりの売れっ子であればしばらく休んで産むという選択もあるだろうが、私自身は妊娠・出産なんかしたら仕事が途切れて産んだ子とともにリアルに死ぬと思っていた。その上、私は就職氷河期のロスジェネ。ただでさえ妊娠・出産へのハードルが高い世代だ。
そしてそれは、周りの非正規女性たちとも共通する感覚だった。「そうとう守られている大企業の正社員であれば妊娠や出産を考えられるかもしれないけど、自分も彼氏も非正規という状態で妊娠、出産とか異次元の話」という声をどれほど聞いてきただろう。
ここに、ロスジェネ女性の苦悩を記した一文があるので紹介したい。
「いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた」
社会学者の貴戸理恵さんが『現代思想』(青土社、19年2月号)に書いた原稿「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ――小説『軽薄』(金原ひとみ)から」の一部だ。
これはそのまま私の実感にもあてはまる。
もしかしたらそんなロスジェネ女性の苦境を見ていたからこそ、今、少し下の世代によって「妊娠・出産をめぐるスピリチュアル市場」が成り立っているのかもしれない。
女の人生は、予期せぬ妊娠で180度変わることがある。そういうことに振り回されうる女の人生に、この社会の制度は何一つ追いついていない。そしてフェミニズムは「非正規など不安定さゆえに結婚や出産を考えられない」という声に答えてこなかったとも言える。そこをぴたりと埋めたスピリチュアル系。
そう思うと、問題の根深さに頭を抱えたくなってくる。
とうとう最低気温が10度を下回った。
秋の空。
実りの秋。
ぶどう、もう少しだ。
アロニア、黒く塾した。
数年前と同じ蛾が大発生である。〈マイマイガではない、より大きい〉