マガジン9 2022年9月21日
コロナ禍で自殺が増えたことは誰もが知る通りだ。
2020年で2万1081人で、19年と比較して912人増(21年は2万1007人)。実に11年ぶりに前年を上回った。特に女性の増加がすさまじく、935人も増えて7026人。
要因はさまざまだろう。
コロナ禍でクビを切られたり、自身で経営していた事業がうまくいかなくなり、先の見えない日々に追い込まれた人々。生活苦に追い詰められて命を絶った人もいれば、コロナ禍特有の孤立がもともとあった精神疾患などを悪化させたケースも少なくないはずだ。
また、女性特有の事情に目を向けると、多くの困難が浮かんでくる。
ステイホームが呼びかけられる中、19年と比較して20年には1.5倍となったDV相談。子どもの学校の一斉休校によって、仕事を続けられなくなった女性たち。また、介護施設などでのクラスター発生により、高齢者を自宅で世話しなければならなくなった女性たちもいる。この2年半を見ていると、コロナ禍で女性が貧困に晒されるだけでなく、より無償ケアを強いられる現実が浮かび上がる。
それに関連する数字もある。女性自殺者のうち、「同居人あり」のケースが209人増加しているのだ。対して男性自殺者のうち「同居人あり」は953人減少。同居人の多くが家族だと思うが、ここから見えてくるのは、男性の場合、同居人の存在が自殺リスクを低めるものの、女性の場合は同居人が自殺リスクを高めるものになっているということではないだろうか。
さて、コロナ禍ではステイホーム、テレワークが推奨されたわけだが、これらが女性の負担を増やしたことも各種データから明らかだ。たとえば、21年4月28日、内閣府の男女共同参画局が発表した「コロナ下の女性への影響と課題に関する研究会報告書〜誰一人取り残さないポストコロナの社会へ〜」の報告書には、テレワークに関する興味深い調査結果がある。
男性では、テレワークのメリットを上げる声が目立つ。「通勤が少なくなりストレスが減る」(27.7%)「通勤時間を有意義に使える」(27.7%)「家族と一緒の時間が増えてよい」(19.2%)などだ。
一方、女性から聞こえてくるのは「家事が増える」(17.6%)「光熱費等の出費が増える」(31.2%)「自分の時間が減ることがストレス」(13.6%)などの声。
つまり、テレワークで快適になった男性が増えた一方で、女性の負担が増えている傾向があるのだ。「テレワーク、男は天国、女は地獄」という川柳のひとつでも詠みたくなってくるが、「まさにそう」という声は少なくない。
一方、コロナ禍と自殺を語る時に外せないのは、相次ぐ有名人の自殺だ。
20年7月18日に三浦春馬氏、9月14日に芦名星氏、9月27日に竹内結子氏が亡くなったことは世間に大きな衝撃を与えた。特に女性芸能人2人の自殺が相次いだ9月のショックは大きかったのだろう。翌10月の自殺者数は跳ね上がり、わずかひと月で2000人を超えて2153人。男性は前年同月比で21.3%増えて1302人。女性は前年同月比でなんと82.6%も増えて851人となっている。
同時期は、働く女性(特に非正規)にとって不安が募る時期でもあった。20年8月の労働力調査によると、パート、アルバイトは前年同月と比較して74万人減。その多くを占めるのが女性で、その数、63万人となっている。
先が見えない混乱と、失業から呼び起こされる経済的不安。なかなか人と会えずにたまっていくストレス。孤立。そんな中、テレビからもたらされた、昔からよく知る芸能人の死。やはりこの状況からは、死によってしか脱することができないのかもしれない……。そう思うほど追い詰められている人が、この国には多くいる。だからこそ、自殺報道には配慮が必要なのだ。
苦しいのは大人だけではない。子どもの自殺も増えている。2020年の小中高生の自殺者を合わせると過去最多の499人。
ステイホームは子どもから逃げ場をなくした側面もあるだろう。私が耳にしたのは、父親が失業して両親の喧嘩が増え、自分につらくあたるようになったなどの声。「家が地獄」の場合、他に居場所があればいいが、外出自粛や商業施設の休業は、子どもたちからその居場所を根こそぎ奪うものだった。
20年5月には、木村花さんの自殺が報じられた。ネットの誹謗中傷によって追い詰められたことが原因と言われているが、コロナ禍は、SNSの攻撃性を恐ろしいほどに高めたと思っている。みんなが鬱屈した思いをぶちまけるように、ターゲットと決めた誰かを徹底的に攻撃する。コロナ以前もそうだったが、コロナ禍はその傾向をより一層、病的なまでに執拗なものにした。攻撃される側はたまらない。平時であれば現実という逃げ場があるものの、ステイホームによってネットの世界の比重がどうしても高くなってしまった中での攻撃。それは今もエスカレートし続けている。
さて、ここまでこんなことを書いたのは、ジャーナリスト・渋井哲也さんの『ルポ自殺 生きづらさの先にあるのか』(河出新書)を読んだからだ。
1990年代から自殺や生きづらさの問題を追い続けてきた渋井氏の、集大成のような一冊だ。
本書は、コロナ禍で自ら命を絶ったアイドルの死についても触れている。月乃のあさん(18歳)だ。名古屋市内のビジネスホテルの屋上から飛び降りたのだという。一緒にいた女子高生との自殺で、原因のひとつは、ネット上の誹謗中傷だったようだ。
彼女の死の背景にも、コロナ禍で攻撃性を暴走させるSNSがあったのだろう。さまざまなトラブルから不安定となり自殺をほのめかす彼女に対して、「死ぬ死ぬ詐欺」という心ない言葉もあったようだ。死を思いとどまらせる言葉をかけることもできる場で、言葉の刃が誰かの死のトリガーになってしまう悲劇。
本書で驚いたのは、「インターネット時代の自殺」というタイトルの2章だ。
これを読んで、「自殺配信」が今や「誰にでもできるもの」になってしまっていることに驚いた。ユーストリームやツイキャスで配信するのだ。女子中学生がマンションからの飛び降りを配信し、女子高生が駅での飛び込み自殺を配信する。その光景を思うと、思わず思考停止したくなってくる。
98年に自殺者が3万人を突破してから、もう24年。国は自殺対策に力を入れ、その数は3万人を下回ったが、それでも、今も1日あたり57人が自ら命を絶っている。
そうしていくら国が力を入れようとも、「死にたい」人々が激減することはないだろう。その背景には、「この国で生きるハードル」が年々上がっていることもありそうだ。
役に立ち、生産性が高く、コミュ力があり即戦力で、どんなに長時間労働をしても倒れない強靭な肉体とどんなにパワハラされても病まない強靭なメンタルを持つ者しか勝ち残れない過酷なレース。死にたい人の中には、そんな企業社会でボロボロにされてしまった人も多い。
根本からこの国のシステムをはじめとしていろいろなことを見直さない限り、真の自殺対策にはならないだろう。
もうひとつ。経済的理由からの自殺は、セーフティネットを拡充することで防ぐことができるという視点も忘れたくない。「生活保護の水際作戦を決してしない」「本人が嫌がり、また扶養が期待できないことがわかっているのに扶養照会(家族に連絡がいくこと)をしない」などを徹底するだけで減らせる自殺は確実にあるのだ。
しかし、このコロナ禍で生活保護を利用する人が増えているかと言えば、減っているのが現実だ。コロナ前の2019年5月に生活保護を利用している人数は207万8707人。これに対して20年5月は2万人以上減って205万7703人、21年はさらに約1万7000人減って204万11人。そして22年5月はそこからさらに約1万6000人減って202万3336人(厚生労働省・被保護者調査より)。
なぜ、困窮する人が増えているのに利用者は減り続けるのか。生活保護バッシングによって「どうしても生活保護だけは嫌」と我慢に我慢を重ねている人も多いが、やはり個々に事情を聞くと「役所に行ったものの、もっと大変な人はいると追い返された」など水際作戦はいまだに横行している。
そんなふうに「最後のセーフティネット」から漏れる人が多くいる一方、都内の食品配布や炊き出しでは、ここに来て過去最多の数字が叩き出されている。
例えば先週末の9月17日、新宿の都庁前の食品配布(「もやい」と「新宿ごはんプラス」)には、過去最多の584人が並んだ。住まいはなんとか確保しているものの、一食分でも二食分でも食費を節約しなければならない人たちが長い列を作っているのだ。その中には、生活保護を利用できるのに利用できていない人もたくさんいるだろう。
現在、感染者は減少しており、第7波も収束か、と見られている。が、しばらくすればまた次の波が来るだろう。そのたびに医療崩壊し、自宅療養で亡くなる人が出て、というスパイラルはいつまで続くのだろうか。
自宅療養で命を落とす人も、困窮の果てに自殺に追い込まれる人も、私には国の無策の犠牲者に思える。
「自殺」から見えてくる、この国の様々な歪み。改めて、多くのことを考えさせられた。
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10月2日(日)18時から高円寺パンディットにて、『ルポ自殺 生きづらさの先にあるのか』著者の渋井哲也さん、そしてジャーナリストの畠山理仁さんとトークイベントをします。
「新刊『ルポ自殺』から考える、生きづらさから政治まで〜長年、同じテーマで取材を続けること
今日は朝から雨。畑にも出ず、色々とやりたいことに時間をつぶす。スマホの機種変更、車の不調を見てもらう。
園のようす。
昨日の写真ですが。
最低気温が注目です。
秋も深まってゆくようです。