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親眠る土、基地に使うな

2021年06月23日 | 社会・経済

きょう沖縄戦終結76年「慰霊の日」

「しんぶん赤旗」2021年6月23日

遺骨を今も探す奥田千代さん(79)

 太平洋戦争末期の、地上戦で二十数万人の尊い命が奪われた沖縄戦から76年がたちます。沖縄県では23日、戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎えます。同県名護市辺野古の米軍新基地建設を強行する日本政府による、沖縄戦犠牲者の遺骨を含む可能性のある土を同基地建設の埋め立てに使う計画に対し、「戦没者と遺族、県民を冒涜(ぼうとく)する行為だ」との怒りの声が広がっています。(小林司)

 戦没者の遺骨が混じり、血と汗が染み込んだ沖縄本島南部の土砂を、「一粒たりとも掘らせることはできない」―。沖縄戦で両親の命が奪われた、同県宜野湾市在住の奥田千代さん(79)は同土砂を使用する日本政府の計画は「絶対に許せない」と訴えます。

 「お母さん、人が死んでる。怖いよ」―。当時4歳の奥田さんは、南部で「鉄の暴風」と呼ばれた銃弾・砲弾の雨の中を逃げまどいました。通りがかったサトウキビ畑は遺体の山で、足の踏み場もなかったといいます。

 本島中部の旧普天間集落(現・宜野湾市)に家がありましたが、母親と兄との3人で南部に避難しました。

 「兄の着物の腰ひもをギュッとずっとつかんでいた」―。4歳上の兄と身重の母親と南部を歩き続けました。そんな中、母親が腹部を負傷。血をだらだらと流し横たわる姿が頭に焼きついて離れません。奥田さん自身も右腕に大ケガをして、10センチ以上の傷痕が今も残っています。

 たどり着いた壕(ごう)のような穴の中に隠れ、水を探しに外に出た兄が先に、後で母親と奥田さんも米兵に捕まりました。

 奥田さんと母親は本島北部の収容所に移送。母親は移送先で、南部で受けた傷がもとで息を引き取りました。最期は傷の痛みでうなり続け、奥田さんの呼びかけにも応えられませんでした。父親は南部で戦死し、最期の状況は分かっていません。両親の遺骨を、奥田さんは現在も探し続けています。

「沖縄ないがしろ」政権代え終わりに

静かな日々を返して

 沖縄戦を主導した旧日本陸軍(第32軍)は1945年5月、司令部を置いていた首里城(現・那覇市)に米軍が迫ると、本島南部に撤退を始めました。

 当時、南部一帯には那覇・首里・本島中南部から多数の住民が避難してきていましたが、「本土防衛」「国体(天皇絶対の体制)護持」のための時間稼ぎに第32軍の撤退が決定。同軍が逃げてくると、南部は地獄のような戦場と化し、犠牲者が激増しました。

 沖縄戦で沖縄を占領した米軍は、生き残った沖縄県民を県内各地につくった収容所に閉じ込めました。住民が避難したり収容所に入れられていたりしている間に、土地を強制的に接収し、米軍基地を建設していったのです。

 奥田千代さん(79)は、収容所の横にあった穴の中に母親の遺体が放り投げられた光景に立ちすくみ、ぼうぜんと見つめていたことを思い出さない日はありません。

 奥田さんは収容所から連れ戻してくれた伯母夫妻と祖母、兄、姉とともに米軍普天間基地のゲートがある野嵩(のだけ)=現・同県宜野湾市=で戦後の生活を始めますが、その頃には、もともと住んでいた家があった場所は米軍キャンプ瑞慶覧(ずけらん)の敷地になっていました。

 「米軍はいい土地を全部取ってしまって本当に許せない」と奥田さん。現在は、普天間基地から約300メートルの場所に住み、米軍機の轟音(ごうおん)に悩まされています。

 奥田さんは、「静かな日々を返せ」「子どもたちに安心・安全な学校生活を」と、普天間基地を離着陸する米軍機の飛行差し止めなどを求めている普天間爆音訴訟の原告に加わっています。

 奥田さんが「心のよりどころ、祈りの場です」と語るのは、南部の糸満市米須(こめす)にある沖縄戦の戦没者を追悼する「魂魄(こんぱく)の塔」です。

 塔は、1946年に建立。真和志(まわし)村(現・那覇市)の住民が、散乱する戦没者の遺骨3万5千人分以上を収集し、塔に納めました。現在、塔付近の戦没者の遺骨が見つかっている採石場の開発行為が問題になっています。

 沖縄県外・国外の遺族の気持ちも考え、奥田さんは開発に「絶対反対」だと力を込めます。「祈りの場の目と鼻の先で、ガラガラと採掘の音やトラックの騒音を許していいのでしょうか」―。

 辺野古新基地建設の当初の計画では、埋め立て土砂の「岩ズリ」の多くを県外から調達し、県内の採取場所は本島北部のみとなっていましたが、現計画では離島を含む県内全域に拡大。奥田さんは「沖縄戦で県民があれだけ犠牲になってもまだ足りず、今度は県内で土砂を調達なんて、沖縄いじめもいいところ」だと憤ります。

 奥田さんには子どもが4人、孫が10人、来月には4人目のひ孫が生まれます。沖縄戦で両親を、現在は米軍基地によって平穏な日常を奪われ、子や孫たちの未来を考えても、「悩みが尽きない」と語りました。そして、こう強く願います。

 「沖縄県民をないがしろにしないでほしい。基地はもうたくさん。もういらない。政権が代わらないとだめです」―。

国の非人道性知って

沖縄戦遺骨収集ボランティア代表 具志堅隆松さん(67)

 国が沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設の埋め立てに沖縄戦犠牲者の遺骨を含むかもしれない沖縄本島南部の土砂の使用を計画している問題で、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(67)は、23日まで宗教者らとともにハンガーストライキを実施中です。同計画阻止の運動の先頭に立ってきた具志堅さんの思いは―。

 23日の「慰霊の日」は、県民や本土にいるご遺族など多くの人が戦没者のことを考え、魂の平安を祈る特別な日です。しかし今、国の計画によって遺骨は、安らかに眠るどころか海に捨てられようとしています。

 私は南部にまだ多くの未発掘の遺骨があることを訴えてきましたが、国が土砂使用計画を改める様子はありません。これは、基地に賛成・反対以前の問題です。沖縄だけでなく全国の皆さんに、国の非人道性や非常識さを知ってほしい。

 ハンストでは、国が県に提出した新基地の設計変更申請を玉城デニー知事が不承認にすることを求め、不承認を願う遺族の声を集めています。

 菅義偉首相や申請提出時の首相だった安倍晋三衆院議員は、今回の土砂使用の計画が戦没者を冒涜(ぼうとく)するものだと認めた上で、なぜ計画したのかを説明し、間違っていたことを戦没者・遺族や国民に謝罪しなければなりません。

 戦没者の遺骨を守り保護する政治の体制が必要です。土砂使用計画を止めるため、ぜひ一緒に声を上げましょう。


今日咲いた花。
シャクヤク

バラ

玉咲草藤

 



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