ダイヤモンド・オンライン 2016年9月9日
中学生の貧困・いじめ
…保健室でしか聞こえないSOS
みわよしこ [フリーランス・ライター]
自分は貧しい」「自分は困っている」とは言いにくい。まして多感な中学生なら、なおさらだ。しかし、小さなSOSを素直に出せるかもしれない場所がある。学校の保健室だ。
中学校の保健室に集まる、声にならないSOS
保健室は子どもたちの「最後の砦」だ
2016年8月10日に刊行されたばかりの書籍『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書。以下、『ルポ 保健室』)が、静かに反響を呼んでいる。
著者は、ノンフィクション・ライターの秋山千佳さん。
秋山千佳(あきやま・ちか)氏
1980年生まれ、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当 。2013年に退社し、フリーのノンフィクションライターに。子どもや若者の生きづらさをメインテーマに取材・執筆している。著書に『戸籍のない日本人』(双葉新書)。
タイトルどおり、舞台は「保健室」だ。公立中学校の保健室の日常が、つとめて感情を込めず、淡々と、事実を……という筆致で描かれている。にもかかわらず、保健室を訪れる中学生たちの思いや声にならない叫び声が、行間から噴き出してくるように感じられる。大人社会の中で「理解できない」「問題の子」とされがちな中学生たちは、しばしば、貧困・虐待・いじめなどの中で、小さな身体を張って十余年を生き延び、闘い疲れている。中学生になると、思春期の「性」の問題も加わる。性的虐待・不本意な売春・LGBTなど自らの性認識を含めて、「生きづらさ」が大きく増幅されがちだ。
「保健室を取材すれば、いまどきの子どもの問題が見えてくるのではないか」(『ルポ 保健室』より)
と感じた秋山さんは、新聞社に勤務する記者だった2010年、保健室の取材を開始したという。取材を重ねるにつれ「当初の予想を絶するような事情を抱える子どもたちと出会う」ことになった秋山さんは、「貧困は、どの保健室でもありふれたもの」という現実を述べつつも、「子どもの立場からすると(略)苦しさは、一つのキーワードだけでは言い表せない、いくつもの困難が絡みあった状態」という。
しかし、困難な状況にある中学生たちが教室の中でSOSサインを出すことは少ない。クラスメートの中で、教員たちの中で、常に評価され緊張を強いられる場で、弱みを積極的に見せたいとは思わないだろう。しかし保健室は、安心して弱みを見せられる場だ。ちょっとした体調不良を理由として行くことのできる保健室は、今、「保健室ほど、現代の子どもたちをとりまく問題を明瞭に見渡せる場所はない」という位置づけにある。
もしも、そこにいる「保健室の先生」こと養護教諭が例外なく、ちょっとした体調不良の相談や雑談の中から子どもたちのSOSサインを感知し、たわいない雑談を繰り返しながら、置かれている環境や直面しつづけている困難を探り出し、支援のネットワークを作り上げられる状況であれば、全国の学校という学校にある保健室は「子どもたちを救う最前線」ともなりうる(以上、引用は『ルポ 保健室』より)。
戦争の悲惨どころじゃない
「平和」と無縁な子どもたち
『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)には、生徒たち・養護教諭・学校と地域社会の姿とともに、中学校の保健室の「いま」が濃縮されている。日本独自の養護教諭と養成システムの成り立ちなど背景も紹介されている
なぜ、「保健室を取材しよう」と考えたのだろうか? 問いをぶつけた私に、秋山千佳さんからは、意外な答えが返ってきた。
「大学を卒業した後、『事件記者になりたい』と思って、新聞社に入りました。希望通り、地方支局で事件を担当することができました。やりがいのある仕事でした。でも、『戦争と平和についての報道に携わりたい』と思うようになりました」
「事件記者になりたい」と思ったきっかけは?
「1999年、桶川ストーカー殺人事件の時です。その頃の私は、高校は卒業していましたが、進学も就職もせずアルバイトをしていて、浪人ともフリーターとも言えないような宙ぶらりんな状態でした」
報道は当初、被害に遭った女性に対して、それほど好意的ではなかった。「加害男性からのプレゼントを身に着けていた」といった悪意ある報道もあった。
「でも、ストーカー行為や殺人を『悪』とする立場からの報道を続ける記者もいました。そして、報道のネガティブな面をポジティブな面が上回る瞬間があり、『ストーカー規制法』へとつながりました。報道の力は国を動かして制度を作り、誰かを救うことがあるんだ、と実感しました」
一念発起した秋山さんは、受験勉強に取り組み、早稲田大学に合格した。初志貫徹して、朝日新聞社に入社した。最初に配属されたのは、滋賀県・大津支局だった。
「そこで戦争の証言を取材して、毎週、記事にする仕事をしました。『続けて取材していきたい』と思い、原爆が落とされた広島に行きたいと希望し、念願かなって広島支局に転勤することができました。原爆に関する取材にも携わることができました。今も、原爆に対する気持ちを忘れたわけではないです」
期せずして、原爆取材は、秋山さんを保健室へとつなぐ最初の一歩となった。
「原爆に関する取材をして、記事にしているうちに、『どうも、若い人に届いていない』という感じがしました。たとえば、広島市の平和記念公園には、修学旅行の中学生・高校生がたくさん来ますが、興味を持って、そこに来ているわけではないんですよね。『暑い』『つまんない』『見たくない』とか言いながら、広島平和記念資料館に入るわけです。お化け屋敷に入る感覚で入ったり、逆に、感受性の強い子が泣き出したり」
1963年生まれ、福岡市近郊で育った私は、1975年、小学校の修学旅行で長崎原爆資料館を訪れた。当時の小学校のクラスメートの中にも、現地で悪ふざけをする男子はいたが、そこまでの「他人事」感はなかった。長崎から近い地域であり、親世代や祖父母世代に何らかの形で原爆を経験した人が少なからずいたせいかもしれないが、それだけではなさそうだ。
「原爆のことを伝えたいのに、伝わらない。『なぜだろう?』と思いながら、大阪本社に異動することになりました。そこで、答えが見つかったんです」
2009年、大阪・富田林市で、高校1年だった男子高校生が、リンチの末に殺害された。事件取材を担当した秋山さんは、連日、現地に赴き、被害者・加害者双方の関係者を取材した。
「みんな、高校生または同年齢の無職の少年たちだったんですけど、彼らの多くは貧困のさなかにいたんです。腕や身体に、ボールペンで入れ墨を入れていたり。その少年たちと話をしているうちに、『自分がまったく平和じゃないから、原爆や戦争の悲惨さを聞いても、それどころじゃないんだな』と気づきました。ガーン、と衝撃を受けた感じでした。この少年少女たちが平和にならなきゃ、原爆や戦争を伝えるなら、話はそれからだ、と」
そこで秋山さんは、教育に目を向け始めた。
「彼らは、中学校には通っていたんです。不登校ではありませんでした。『不良少年』というレッテルは貼られていたにしても、学校は関与できたはずです。でも、中学を卒業してしまうと、頼れる大人がいないまま、仲間でボールペンの入れ墨を競うような生活になってしまって。この現代において、『平和』というものが保障されていない子どもたちがいるんです。『大人として、これを見逃していたら、本当に無責任だなあ』と感じました。このとき、考えることを始めさせてもらった、という気がします」
関西公立中9割で“マスク依存”
「だてマスク」から保健室へ
翌2010年、東京本社に転勤することになった秋山さんは、偶然、教育を担当することとなった。
「ちょうど東京本社に異動したタイミングで、『いま子どもたちは』という連載が始まりました。子ども・若者の生きづらさを発表できるわけです」
最初に秋山さんが記事化したのは、風邪でも花粉症でもないのにマスクを手放せない子どもたちだ。記事「マスクで隠す素の自分 よそおう-1」には、一日中マスクを手放せない子どもたちの「先生に怒られている時、マスクをしていると聞き流したり反抗したりできる」「顔を隠せて視線にさらされない安心感がある」という声が紹介されている。
『ルポ 保健室』の第一章は、東京都内の中学校の保健室から始まっている。保健室には毎朝、「マスクください」とやってくる生徒たちが来る。その中には、家でマスクを買ってもらうことができない貧困家庭の子どももいる。2016年現在も、状況はほとんど変わっていない。
同書によれば、関西の公立中学校の90.6%に、マスクを手放せない「マスク依存」の生徒がいるという(兵庫県立大学准教授・竹内和雄氏の調査による)。学校の管理職も「自信がなく、顔をさらすのが怖い」という子どもたちの心理を理解し、「育ちに由来して、自尊感情の低い子が多い」と感じている。貧富の混在している地域では、家庭の経済状況が学力差につながり、共通の話題を通じて友人関係も「格差」化していく。また、貧困でなくとも、親との関係が「マスクを買ってほしい」と言い出すこともできないものである場合もある。
「なぜかマスクをしている中学生がいる」という事実、「変わった流行」で片付ければ済みそうな小さな事実一つ一つの向こう側に、数多くの問題があり、発見され解決されるのを待っている。
保健室は「最後の砦」
居場所を奪われていく子どもたち
『ルポ 保健室』には、日々、中学校の保健室に持ち込まれる、大人の想像力を超えた問題の数々が登場する。
「障害児」とはラベリングされていないが、学級にいられず学習のできない子どもがいる。
虫歯だらけで生活習慣病を抱えた生活保護シングルマザーの子どももいる。母親は病気を抱えており、子どもの通院どころか、食事をさせることもできない。
欠席がちだが、給食の時間の直前に学校にやってくる子どもがいる。極度に痩せており、給食が生命線なのだ。
クラスメートとの性行為で緊急避妊薬を使う女子生徒、「どうせ不登校だろう」と中学校の制服を買ってもらえなかった子ども……。
養護教諭にできることは限られている。家庭の中まで踏み込んで支援することはできないし、子ども一人を飢えさせないだけの食糧や予算を動かす権限もない。そのうちに、卒業の日がやってくる。中学卒業後、高校に申し送りをすることができても、高校には「退学」がある。
中学校の保健室は、まず、義務教育と義務教育以後の境界にある。中学校の中ではあるが、中学校の辺縁、最も社会に近い位置にある。その位置にあるから可能なことが、数多くありそうだ。そこに注目した秋山さんが『ルポ 保健室』をまとめたからこそ、私はそのことに気づくことができた。
「でも私、なんで保健室に注目したのか、今となっては、はっきりとは思い出せないんです。取材を始めてからは『目からウロコ』、衝撃の連続でした。これほど、子どもの問題が、自分がいるだけで見える場所って、他にはないだろうと」(秋山さん)
養護教諭の前では、「ヘンなことを言ったら内申書の内容が悪くなるかも」と緊張する必要もない。
「教室での子どもの顔は、『素』の顔ではないことが多いです。中学は特に、教室は緊張を強いられ、成績で評価される場所ですから。でも保健室は、学校の中では唯一の、緊張や評価と無関係な場所です。子どもに残されている最後の居場所、学校の最後の砦です」
自分の小・中学校時代、そういう「異界」のような場所は、他にも数多く存在した記憶がある。用務員室もあった。図書室もあった。現在は、「放課後、図書室に常駐させておけるだけの人員の余裕がないから」などの理由から、放課後は図書室を開室していない学校も少なくない。
「今、学校で子どもの居場所になれる場所は、本当に、保健室しかないことが多いんです」
「在学中限定」の保健室の限界は?
世の中に“保健室”は必要ないか
保健室という居場所と養護教諭との関わりは、在学中限定だ。それでも、卒業後の何年にもわたり、困難の中でのその後を支え続けることもある。
「自分のために必死になってくれた大人がいた、という事実は、子どものその後にとって(略)大きな意味を持つのだ」(『ルポ 保健室』より)
それでも、人生のあらゆる段階に、「保健室」のような場所があったら、どれほど多くの人々が救われるだろうか?
『ルポ 保健室』の第4章・第5章には、長野市にある「川中島の保健室」が登場する。小・中学校に40年間勤務した元養護教諭が、定年退職後に私費で開設した「まちかど保健室」だ。
医療機関のように「壁の向こうで、ニーズのある相手が来るのを待っている」というスタイルではなく、押し付けがましくアウトリーチするのでもなく、用があってもなくても立ち寄れる「保健室」という場所とスタイルの重要さは、むしろ今後、大きくなる一方だろう。しかし、そのためには、場所と人件費の確保が必要だ。善意の私財だけで、長期に安定した運営を行うことは難しい。
「でも財源以前に、まず、保健室で何が起こっているのか、保健室がどういう役割を担っているのかを伝えて、『世の中を動かさないと』と思ったんです」
保健室があり、養護教諭がいるからできることは数多い。しかし現在のところ、地域差・学校管理職の考え方による差が大きすぎる。「教員カースト」の中では、養護教諭は最下位にあたる存在でもある。自分一人の志で学校を変えられるほどの力はない。
「『ルポ 保健室』の子どもたちは、どこにでもいる子どもたちです。特別な事例じゃありません。学校も、これといった特徴のない普通の公立中学校ばかりです。その子どもたちが、保健室で救われたり、保健室に救われることもできなかったりします。大人の目も手も届いていない子どもたちが、現時点では、たくさんいるのだろうと想像しています。だから、現状を広く知らせて、状況を変えることができれば、変わってほしい、という思いで、書籍化まで取材を続けてきました」
秋山さんが、これから伝えていきたいことは何だろうか?
「保健室だけでも、『ルポ 保健室』で完結したわけではありません。
小学生だと、大人に言葉で伝えることが難しいので、SOSもキャッチしにくいわけですが、早い年齢でキャッチできれば、その後をより大きく変えられ、心の傷が少しでも浅いうちに救うことができるかもしれません。
高校生だと、問題の内容が大人に近くなります。特に女子では、深刻な性犯罪被害・妊娠の可能性・中絶などの問題が起こります。でも高校には、退学という制度があります。退学したりさせられたりすると、その後は接触できなくなります」
「学校の保健室」という漠然とした理解では、想像の及ばないものごとが、たくさんある。
「でも、子どもや若者の生きづらさが全部、保健室に持ち込まれているわけではありません。持ち込みたくないもの・持ち込めないものもあります。そもそも、不登校だと保健室にも行けません。さらに幅広く、取材していきたいです」