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相次ぐ異常気象

2019年09月15日 | 自然・農業・環境問題

相次ぐ異常気象は、温暖化なしには起こりえない。そんな研究結果が相次ぎ発表

2018年の自然災害による世界の経済損失は25兆円。人間が引き起こした「気候危機」を回避するために何をすべきか、問われている。

 

朝日新聞DIGITAL2019年09月15日

 

 朝日新聞社  今年起きた異常気象の例

 

猛暑、温暖化なければ起きなかった 世界の損失25兆円

 異常気象が日常になりつつある。洪水、台風、熱波――。その影響が人々の暮らしを脅かす。人間が引き起こした「気候危機」を回避するために何をすべきか、問われている。

 米海洋大気局(NOAA)は、今年7月は世界の平均気温が観測史上最も暑い月だったと発表した。6月に続く更新だった。2014~18年の世界の年間平均気温は、高い方から1~5位を占めている。

相次ぐ異常気象は、温暖化なしには起こりえない。そんな科学的な研究結果が相次いで発表されている。

 欧州の研究機関は、西ヨーロッパ各地で40度を超えた7月の熱波について、温暖化がどの程度影響したか、スーパーコンピューターを使った最新の確率的な手法を用いて調べた。

フランスやオランダでは、現在の気候でも50~150年に1度、熱波が起こるが、温暖化がないと千年に1度以下しか起こらず、ほぼあり得ないという結果になった。英国やドイツでは、10~30年に1度起きているのが、数十年から300年に1度になるという。

 日本でも気象庁気象研究所などが同様の手法を用い、昨夏の記録的な猛暑は、温暖化がないと起こる可能性はほぼゼロだと推定した。また、同研究所の川瀬宏明主任研究官らが、記録的な降雨だった昨年の西日本豪雨について計算したところ、温暖化がないと、降水量が実際より約7%少なかった可能性があった。

 米保険会社エーオンによると、昨年の自然災害による世界の経済損失は、2250億ドル(約25兆円)に上った。被害額では、関西空港が浸水した9月の台風21号が4位、250人以上が亡くなった西日本豪雨が5位だった。国内の損害保険会社による18年度の自然災害の保険金支払額は1・6兆円で過去最高となった。

 温暖化が進めば、台風はより強大になり、洪水、干ばつ、高潮などのリスクも一層高まると考えられている。温暖化対策の科学的根拠である、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、2013~14年に発表した報告書で、今世紀末には熱波の頻度が増し、より長く続く可能性が非常に高い(確率90%以上)、中緯度の大陸などでは極端な降水がより強く、頻繁になる可能性が非常に高い(同)としている。

 気温が1度上昇すると、大気中の水蒸気は約7%増える。東京大学大気海洋研究所の木本昌秀教授は「温暖化で猛暑のリスクが高まり、1度の気温上昇で広域での雨量が約7%増えるのは、はっきりしている。リスクを減らすには、温室効果ガスの人為的な排出をゼロにするために出来ることをすべてやるしかない」と指摘する。(編集委員・石井徹)


 

 


ペットとぶどう

2019年09月14日 | 野菜・花・植物

ブドウ中毒でペットの命が危険に? 留守中の管理を徹底して危険を回避

  石井万寿美  | まねき猫ホスピタル院長 獣医師

 9/13(金) 8:00YAHOOニュース

 朝晩、ずいぶん過ごしやすくなってきました。夏を過ぎて、愛犬が少し疲れているようなので、秋の味覚「ブドウ」をあげてみよう、と思うことはありませんか?紫の濃いブドウは、ポリフェノールが豊富だし、抗酸化物質だから犬にもいいはず!と思ってはいませんか?

 自宅に帰ると、テーブルに置いてあったブドウが無くなっていて、どうも愛犬が食べてしまったようだ・・・吐いた後があり、犬の様子も何かおかしい。

もしかしたらそれは「ブドウ中毒」かもしれません。

あまり知られていないようですが、実はブドウは、犬にとっては毒性のある食べ物なのです。

今回は、なぜ何故犬や猫にブドウをあげるとよくないかを解説します。

ブドウ中毒とは何か

 最近、犬がブドウを食べると急性腎不全になる可能性があることがわかりました。アメリカの研究で、2001年に犬がブドウやレーズンを食べた後に、急性腎不全を発症した10例を発表したことから、このブドウ中毒が知られるようになりました。

 日本では、2010年の『ブドウ摂取後に急性腎不全を発症して死亡した犬の1例』が日本小動物獣医学誌に掲載されました。何故そうなるのか、原因物質はまだはっきりとわかってはいませんが、科学の進歩とともに今後解明されるでしょう。現時点では、臨床現場でブドウは犬や猫に食べさせてはいけないものと認識されています。

ブドウ中毒の症状

・嘔吐・下痢・食欲不振・意識が朦朧とする・尿の量が多い・症状が進むと尿が出なくなる

などが急性腎不全の症状です。

どんなブドウでも毒になる

・赤いブドウ キングデラ(キングデラウェア)

・緑のブドウ シャインマスカット

干しブドウ (レーズン)

どんな種類のブドウでも、中毒になるといわれています。

ブドウ中毒の実験数は、まだ多くはありません。

 犬が食べてはいけないものとしてはタマネキが有名ですが、実はブドウも入っているのです。

飼い主が注意していただきたいこと

・パンやチーズ、ビスケット、シリアルなどに、ブドウが入っていることがあります。飼い主が見ていないときに、誤って食べてしまうことのないよう注意してください。

ブドウを食べてしまったら

・ブドウを食べた可能性があれば、すぐに動物病院に連れていき、血液検査をしてもらいましょう。

・水分を多くあげましょう。( 飲めるようでしたら、体重1kgあたり、20mlは飲ませてください。)

ブドウ中毒の治療

 ブドウ中毒には解毒剤はありませんので、獣医師は下記のような治療を施します。

・血液検査による腎臓の値(尿素窒素、クレアチニン) が高くないか。

・尿検査で蛋白尿、血尿などが出たら。

・電解質に異常がないか。

・カルシウム、リンが上昇していないか。

・脱水していないか。

などを調べて診断して、

・ブドウを食べて1時間以内の場合は、吐かせる。

・24 時間の静脈点滴を行うことで、ブドウが持っている中毒物質が薄まり、尿として排泄されます。

・炭素の吸着剤を内服させる 。体の中にある尿素窒素の吸着の手助けをしてくれます。

対処方法で治療をします。

ブドウ中毒の予防

・ブドウ、干しブドウ(レーズン)は、絶対にあげない。

・お菓子などにブドウが入っていることもあるため、そのようなものをあげる場合には、内容成分をよく確認する。

・テーブルなど、犬が届くところにブドウを置かない。

・ブドウ狩りには、犬を連れて行かない。

・尿が出ているか、量は以前より多くないか、血が混じっていないかなども見てください。

ブドウのほかに犬に与えてはいけない食べ物の代表例

タマネギ、ネギ

 有機チオ硫酸化合物が赤血球を破壊して、多量に摂取すると貧血を起こす。

 チョコレート

 テオブロミンが震えや心悸亢進などの神経症状などを起こす。

アルコール

 犬はアルコールを分解する酵素を持っていないためずっと体内に残り、人間でいうところの二日酔いの症状に。

カフェインの入ったもの (コーヒー、紅茶、緑茶など)

 興奮などの神経症状を起こす。症状は、チョコレートに似ています。

キシリトールの入ったもの (歯磨き剤、ガムなど)

  低血糖を起こして、食べすぎると意識不明になることも。

まとめ

 今は、ラブラドールレトリバーのなどの大型犬でも、ほとんどが室内飼いです。飼い主が留守の時、彼らは「何か食べるものはないかな?」と探しています。彼らの興味は、なによりも食べ物です。食欲の秋が到来し、彼らをブドウ中毒に巻き込むか否かは、飼い主の知識とお部屋の管理にかかっています。犬がブドウやブドウ類を口にしないよう、くれぐれも注意してあげてくださいね。

 


秋の気配

 


安倍再改造内閣

2019年09月13日 | 社会・経済

安倍再改造内閣 優先順位を違えるな

 東京新聞 社説  2019年9月12日

 第四次安倍再改造内閣が始動した。安倍晋三首相は憲法改正への意欲を重ねて示したが、改憲を要する切迫性に乏しい。優先順位を違(たが)えてはならない。

 安倍首相はきのう、内閣改造後の記者会見で第一次内閣を含めて十一回目となる組閣の狙いを「安定と挑戦」にあると強調した。

 再改造内閣の顔ぶれを見ると、二〇一二年十二月の第二次内閣発足から首相を支える麻生太郎副総理兼財務相と菅義偉官房長官を留任させるとともに、総務相に高市早苗、厚生労働相に加藤勝信両氏を再起用。河野太郎外相を防衛相に、河野氏の後任に茂木敏充経済再生担当相を横滑りさせた。

◆麻生氏続投への違和感

 初入閣は十三人に上り、十七のポストが入れ替わる安倍内閣では最も大規模な改造となったが、重要閣僚など政権の骨格を維持することで、政権運営の「安定」を優先させたのだろう。

 自民党の派閥別に見ると、派閥に属さない無派閥が六人と最も多く、細田、麻生両派がそれぞれ三人、竹下、岸田、二階各派がそれぞれ二人と、昨年の党総裁選を戦った石破茂元地方創生担当相率いる石破派と石原派を除く各派閥からほぼ均等に起用している。

 かつて権勢を誇った自民党の派閥は、平成の政治改革を通じて、その力を失ったとはいえ、党内では依然、一定の影響力を持つ。

 主要派閥からバランスよく起用することで無用な摩擦を避け、政権運営への協力を取り付ける意図が透けて見える。

 とはいえ、麻生氏を副総理兼財務相という要職に起用し続けていることには違和感を禁じ得ない。

 麻生氏は、森友学園をめぐる決裁文書の改ざんや、事務次官が辞任に追い込まれたセクハラ疑惑を巡り、財務省のトップとして責任を取るべき立場にある。

◆成果が問われる小泉氏

 にもかかわらず、またも続投とは、首相が一連の政権不祥事を軽視しているとしか思えない。

 首相の側近でもある萩生田光一氏の文部科学相起用も同様だ

 萩生田氏は、首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」傘下の大学で客員教授を務めていたことがあり、同学園の獣医学部新設では、官房副長官だった萩生田氏が新設条件の修正を指示したメールの存在が指摘されている。

 森友・加計問題は、国有地売却や大学の学部新設を巡り、公平・公正であるべき行政判断が、首相らへの忖度(そんたく)で歪(ゆが)められたか否かが問われた、国の根幹に関わる問題だ。閣僚続投や新任により不問に付すわけにはいかない。

 今回の内閣改造で最も注目されるのは小泉進次郎氏の環境相起用だろう。現在三十八歳。〇八年に三十四歳で少子化担当相に就いた小渕優子氏、一九九八年に三十七歳で郵政相になった野田聖子氏に次ぐ、戦後三番目の若い閣僚だ。

 将来を担うリーダー候補の一人として、外相の茂木氏や厚労相の加藤氏、防衛相の河野氏らと閣内で競い合わせる布陣である。

 とはいえ、小泉氏は人気や期待が先行している感は否めない。東京電力福島第一原発の汚染水対策など、難問も山積する。閣僚としてどんな成果を上げられるのかこそ、問われなければならない。

首相はきのうの会見で「令和の時代の新しい日本を切り開いていく。その先にあるのは憲法改正への挑戦だ。困難でも、必ずや成し遂げる決意だ」と強調した。

 二〇二一年九月に党総裁の任期を迎える首相は、一九五五年の自民党結党以来「党是」としてきた憲法改正を実現し、歴史に名を残したいに違いない。

 とはいえ、改憲が国民にとって喫緊の課題とはとても思えない。

 共同通信社が八月十七、十八両日に実施した最新の全国電話世論調査によると、安倍首相の下での改憲に反対が52・2%と、賛成の35・5%を大きく上回る。

参院選直後の七月二十二、二十三両日に実施した同様の調査では安倍内閣が優先して取り組むべき課題は「年金・医療・介護」が48・5%と最も多く、「景気や雇用など経済政策」(38・5%)「子育て・少子化対策」(26・0%)と続く。「憲法改正」は6・9%にとどまる(複数回答)

◆まっとうな政治に戻せ

 社会保障や雇用など国民の多くが望む暮らしの安定よりも、国民が望まず、緊急性もない改憲を優先させるようなことがあってはならない。衆参両院での与党多数という政治資産は、国民生活の安定にこそ、振り向けるべきである。

 安倍首相は十一月には在職期間が戦前の桂太郎を超え、歴代一位となる見込みだが、「長きをもって貴しとせず」である。

 国民やその代表たる国会と謙虚に向き合い、政治の信頼を回復する。そんなまっとうな政治姿勢こそ安倍政権には求められている。

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首相「党一丸で改憲」

「2019年9月12日(木)「しんぶん赤旗」


改造内閣 12閣僚が日本会議議連幹部

 安倍晋三首相(自民党総裁)は11日、自民党役員人事とともに内閣改造を行い、第4次安倍再改造内閣を発足させました。新閣僚には改憲・右翼団体「日本会議」と一心同体の「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)の幹部らを多数起用。安倍首相は「わが党の長年の悲願である憲法改正を、党一丸となって強くすすめていきたい」(同日の党役員会)と号令をかけました。悲願の改憲発議を目指して首相の側近を多数配置した内閣改造、党人事です。

 安倍首相は内閣改造後の記者会見でも、「令和の時代の新しい日本を切り開いていく。その先にあるのは自民党立党以来の悲願である憲法改正への挑戦だ。困難でも必ずや成し遂げていく」と発言。衆参の憲法審査会で「自衛隊明記」の9条改憲案を含めた改憲論議を開始する考えを強調しました。

 第4次安倍再改造内閣は、安倍首相を含め閣僚20人中12人を日本会議議連の幹部で固めました。

安倍首相と麻生太郎財務相は同議連特別顧問衛藤晟一沖縄北方相は同議連幹事長で、「日本会議」結成前からの筋金入りの改憲・「靖国」派です。萩生田光一文科相は同議連政策審議副会長で、安倍首相の側近中の側近といわれます。「ワイルドな改憲」発言で憲法審の強行開催や、改憲発議に向けた衆院議長の首のすげ替えなど、首相の意を受け危険な発信を続けてきました。

 党人事では、二階俊博幹事長、岸田文雄政調会長を留任させ、改憲への挑戦の中で党内の「安定」化を図る狙い。議連副会長の下村博文前改憲推進本部長は選対委員長に就任。参院幹事長には世耕弘成前経産相が就き、官邸直結で参院の引き締めを図り、改憲論議への野党の取り込みを狙います。

 最悪の状態にある日韓関係のもと、日本会議議連は、日本の過去の植民地支配と侵略戦争を美化する主張を続けています。衛藤氏と北村誠吾地方創生相、高市早苗総務相は安倍首相と共に、12年11月に日本軍「慰安婦」は性奴隷でなかったなどとする意見広告を米紙に出しました。再改造内閣は、韓国とのさらなる関係悪化に加え、世界とのあつれきを深めるものです。

 


 昨日、手の湿疹がひどくなり急遽札幌の皮膚科へ。さらに、3人の兄弟姉妹と娘、息子5軒に野菜などをもって行ってきた。娘は誕生日のすぐ後だったので孫を連れて食事へ。それから息子の家へゆき5ケ月になる孫にご対面。目鼻立ちもしっかりし、笑うようになった。

 そんなこんなで家にたどり着いたのは午前1時を過ぎたころでした。とうとう更新できませんでした。それでも多くの方がご訪問下さり感謝です。

 江部乙の沼には「カモ」がいなくなってしばらくたちますが、今度は「雁」が20羽くらい来ています。でも、警戒心が強く観察していると一斉に逃げてしまいます。水藻も大分食べてくれてます。



収容されている外国人たちが苦しむ長期拘束と「仮放免」問題ー入管施設で100人がハンスト?!

2019年09月11日 | 社会・経済

在留資格なき外国人に人権はないのか?

 Imidas時事オピニオン2019/09/10

 2019年夏、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターで、長期拘束に抗議して、約100人の外国人収容者がハンガーストライキを行っていると報道された。いったい牛久の入管で何が起こっているのか? 樫田秀樹さんの〝入管〟取材、第2弾です。(掲載されている写真は省略させていただきました。)

 日本人と結婚しても在留資格が与えられない?

「私たちは愛し合って結婚しました。でも、私が日本人であっても、彼が『仮放免』の外国人なら彼には日本の在留資格はありません。在留資格がない以上、いつまた彼が『収容所』に送られるのか。その不安に怯える毎日です」

 こう話すのは、トルコ国籍のクルド人の夫を持つ嶋津まゆみさん。この夫婦をして「もしかしたら今日収容か」との不安を抱かせるのは、日本の入国管理制度がここ23年で徹底した長期収容に動いているからだ。

 日本には、17カ所の法務省の入国管理施設がある。このうちの9施設で は、日本での在留資格がない、もしくは失った外国人が、「母国への帰還の準備が整うまで」を前提に収容されている。その人数、20196月末時点で1253名。最多が東京出入国在留管理局 (東京都港区。以下、東京入管)の425名、それに次ぐのが東日本入国管理センター(茨城県牛久市。以下、牛久入管)の316名だ(出入国在留管理庁作成資料より。資料提供:「牛久入管収容所問題を考える会」 )。

 牛久入管総務課の話によると、被収容者の約3分の2を占めるのが、難民認定申請中、もしくは申請はしたが不許可となった人たちだ。母国での弾圧や差別を逃れ短期観光ビザなどで来日した。

 彼らは入管施設で難民認定申請をすると、審査期間の数年間は日本に居住できる暫定的な在留資格を付与される。もし難民認定不許可との裁定を下されると、在留資格がない人間となり「退去強制令書(強制送還命令)」が出される。しかし、母国での虐待を恐れて帰国を拒否する人もいれば、そもそも強制送還者の帰還を受け入れない国もある。そこで入管施設は、「帰還の準備が整うまで」との前提で、そういった外国人を収容する。

 被収容者の残り約3分の1は、不法就労が発覚したり、在留資格(労働ビザや永住者資格など)があったが何かしらのルール違反(禁止事項の副業をした、刑事事件を起こしたなど)で在留資格が抹消された人たちである。

つまり、在留資格のない外国人は母国に送還するか、それができない場合は収容するということだ。

ただし、人道的配慮から長期収容を避けるため収容を一時的に解く「仮放免」という措置が取られている。これは、「母国に送還する」との前提は変わらないが、本人に逃亡の恐れがなく、保証人がいて、「就労禁止」と「居住県からの許可なき移動の禁止」さえ守れば一般社会での居住が許可される措置だ。被収容者本人が申請し、各収容施設長の判断で許可・不許可が決まる。

 問題は、ここ23年で、仮放免を許可される被収容者が激減し、長期収容が常態化していることだ。

牛久入管で20年以上も被収容者との面会を続ける市民団体「牛久入管収容所問題を考える会」の調査で明らかになった数字がある。

196月末で、牛久入管の被収容者316人のうち、1年以上の長期被収容者が約9割の279人。長い人で5年だ。この数字は、132月時点の97人から3倍弱も増えている。牛久入管以外では、長崎県の大村入国管理センターと東京入管と大阪出入国在留管理局に長期収容の傾向がある。

これは、入管が仮放免を許可せず、外国人を長期にわたり閉じ込めているという状態が続くことを意味する。

NPO法人「難民支援協会」によれば、牛久入管で2016年に許可された仮放免378件に対し、不許可は375件。それが1年後には、それぞれが224件と803件と不許可が断然多くなっている。

 その理由を牛久入管総務課に問い質すと、担当職員は「上からの収容を継続せよとの指示があるので」と回答した。

 確かに指示はある。16年4月7日付で入国管理局長(現・出入国在留管理庁長官)が全国の収容所長に通知を出した。その概要は、2020年の東京オリンピックまでに、不法滞在者等「我が国社会に不安を与える外国人」の効率的・効果的な排除に積極的に取り組むことというものだ。さらに18228日には、「収容に耐え難い傷病者でない限り、収容を継続しろ」との指示を出しているのだ。

 つまり、外国人の収容や国外退去を徹底したうえで、無期限の収容に努めよと命令したということだ。

仮放免の実態は?

「確かに入管がひどくなったのは2016年からです」

 こう話すのは、まゆみさんの夫で埼玉県川口市に住むトルコ国籍のクルド人、ウチャル・メメットさんだ。

クルド人は、トルコでは差別と弾圧の対象になっている。ウチャルさんも小学生のときクルド語を喋っただけで教師から殴られ、周囲の大人も反政府デモへの参加を理由に警察で拷問された。

 ウチャルさんは2008年、18歳のとき、「平和な国」日本へと飛び、成田空港で難民認定申請をした。すぐに成田空港の収容施設、次いで牛久入管へと送られ、合計半年を過ごす。仮放免されると14年にまゆみさんと出会い、翌年1月に入籍した。

 だが日本人と結婚しても、ウチャルさんの身分は今も「仮放免」のままだ。まゆみさんは「同じような組み合わせでも、子どもが生まれたら在留資格が与えられる事例はあるようです。子どもがいない場合は難しいですね」と語る。

仮放免が許可され、普通に生活できる期間は2カ月前後。つまり、仮放免者は2カ月ごとに東京入管(住んでいる場所によって出向く入管は異なる)に赴いて、入管からインタビューを受けるといった更新手続きを取らねばならない。

 この更新の際に、仮放免が不許可となる場合がある。理由は一切教えられない。

17112日、ウチャルさんは仮放免更新のためにまゆみさんとともに東京入管を訪れた。まゆみさんが待合室で待ち、ウチャルさんがインタビュー室に入ると、職員が告げた。

「更新が不許可となったのであなたを収容します」

「私がいったい何をしたのですか?」

「あなたが判っているのではないですか?」

「妻に連絡させて」

 携帯電話でまゆみさんを呼び出し「まゆみ、オレ収容……」と言ったとたん、10人ほどの職員がウチャルさんの全身を確保し、床に組み伏せた。携帯電話が床に転がる。まゆみさんの電話にはガヤガヤした不穏な物音しか聞こえない。

「マモ(ウチャルさんの通称)! マモ! どうしたの!」

 まゆみさんは「もしかして……」と恐怖を覚えた。果たして、ウチャルさんはまゆみさんに会うことなく、そのまま東京入管内に収容され、その後、牛久入管に移送され、1876日まで収容された。

 この8カ月間は「人として扱われなかった」とウチャルさんは振り返る。

 夫婦であっても面会はアクリル板越しだ。互いの手に触れることも許されず、面会時間も30分だけ。一日5時間程度の自由時間以外は、5人の外国人が6畳の部屋に押し込められ施錠をされる。外出は一切禁止。いつ出してもらえるかの情報は与えられない。その環境に、多くの人が閉塞感と展望なき明日への不安から熟睡できず、睡眠薬や精神安定剤を服用する。その結果、徐々に精神バランスを崩していく人もいる。

 私は牛久入管で延べ30人以上の被収容者に面会取材をしたが、素人目にも精神状態を疑える人は多くいた。視線が合わない人、口が開きっぱなしの人、体を洗わない人……。

仮放免者が辛いのは、収容生活の体験がPTSDとしてまとわりつくことだ。じつはウチャルさんも、毎日、寝る直前まで外で過ごしている。

「ダメなんです。四方を壁に囲まれていると収容の苦しさがフラッシュバックして」

まゆみさんも同様の辛さを訴えている。

「彼とは2カ月おきに東京入管に仮放免の更新手続きに行きますが、入管に入ったとたんに収容されたあの日が思い起こされ、怖くて自然と涙が出るんです」

1973日、ウチャルさんは更新手続きに臨んだ。数日前から特に強い不安に襲われ、収容に備え着替えを準備した。まゆみさんも睡眠不足に陥った。幸いにもこのときは、仮放免は更新された。だが、入管職員は「難民認定の結果が不認定になったら再収容します」とウチャルさんに伝えた。

 これは脅しではない。ウチャルさんは今、複数回目の難民認定申請中だ。入管は18112日に「難民認定制度の適正化のための更なる運用の見直し」との方針を出し、繰り返される難民認定申請に対しては再申請を認めないということにした。つまり、複数申請者には収容か強制送還かの措置を取るということだ。

さらに、入管は新たな「指示」文書を出して、仮放免を許された者への監視を強めることを表明している。ウチャルさんにもこんなことがあった。

 ウチャルさんが東京入管での更新手続きを済ませ、電車で自宅のある川口市まで戻るとき、電車の中で自分をチラチラ見る黒いジャンパーの男がいたという。

「その人、同じ駅で降りると、私が喫茶店で友だちと話していても近くにいる。そのうち、ジャンパーの開いている胸元から制服の『IMMIGRATION』(入管)のロゴが見えたんです。友だちが飛んでいって『お前、入管だろ!』と怒鳴って追い返しました」

 こういった尾行のほかにも、入管の監視活動には抜き打ち訪問や抜き打ち電話などがあり、私は複数の仮放免者からその証言を得ている。

まゆみさんはこう訴える。

「私たちが安心して暮らすためには何かしらの在留資格が必要です。私たちは今後法的措置も視野に入れて闘っていきます」

施設内では死を賭したハンストが始まった!

 なかなか仮放免の許可を出さなくなった牛久入管では、最近憂慮すべき事態が起こっている。これに抗議するため、最大時で約100人の被収容者が「死を賭した」ハンガーストライキを行っているのだ。

 この本気のハンストが功を奏したのか、牛久入管は少しずつハンストを行った被収容者に仮放免の許可を出している。被収容者の支援団体も当初は「よかった」と胸をなでおろした。ところが、その仮放免期間はわずか12週間と異常に短く(通常は1カ月以上)、その後の再更新はほぼ例外なく不許可となり、期間終了しだい即日で牛久入管に送り返されるという異常事態が続いている。

 水以外を口にしないハンストは、20195月、イラン人男性のシャーラムさんが一人で始めた。すでに2年以上も収容され先の展望が見えないシャーラムさんの「生きて出るか、死ぬか」を覚悟しての行動だった。

1週間後、シャーラムさんは体調を崩し倒れた。それでもハンストを続ける姿に徐々に同調者が現れ、集団無期限ハンストに発展。その数は最大時で約100人に膨れ上がり、牛久入管では誰かが吐血したり、昏倒する毎日が当たり前になった。

 私が牛久入管でもっとも多く面会取材をしたデニズさん(40歳。トルコ出身のクルド人)もその一人。妻は11年に結婚した日本人女性だ。

 デニズさんがハンストに参加したのは6月から。デニズさんはトルコで反政府デモに参加したことがある。すると警察に連行され殴る蹴るの暴行を受けた。クルド人というだけでトルコ人から差別される日常に嫌気がさし、075月に来日した。これまで幾度も難民認定申請をしているが、いずれも不許可となっている。

同年、デニズさんは生きるために不法就労をした。それが発覚し10カ月牛久に収容された。翌年に仮放免と2度目の収容を経験。そして(2度目の仮放免のあと)3回目の収容で、ハンスト開始。その時点で収容期間は3年にも及んでいた。

 前述したように、長期収容は被収容者の体と心を壊す。デニズさんもあまりの絶望感からこれまで4回の自殺未遂を収容中に起こしている。

 絶望の淵にいる夫を助けたい。その想いから、妻のA子さんは、牛久入管にデニズさんの仮放免を求めて手紙を書いた。A子さんの許可を得て、内容を紹介する。

「収容されてからの彼の精神面は心配なことばかりで、月に一度は必ず面会に行き、電話でも話をします。私の母は心臓も悪く、一人で外出もできず、車椅子で生活をしております。

私は仕事をしながらの介護と彼の収容で、そして毎日が一人っきりの状態で、精神的にも、肉体的にもギリギリのところに来ております。もう一度、夫婦二人で力を合わせ、法律厳守を誓い、生きていく所存でございます。どうぞデニズの仮放免の許可をいただけますようお願い申し上げます」

 デニズさんが一日も早く妻に会うためには、とにかく仮放免を待つしかない。だが3年間で10回以上申請しても仮放免は一度も許可されなかった。その絶望感が時に限界を超えることがある。17129日、デニズさんは天井を破壊し、むき出しになった軽量鉄骨に破いたシーツを使って首をかけた。幸いにもシーツが伸び、長身の体のつま先が床についたことで一命はとりとめた。3度目の自殺未遂だった。

たった2週間の仮放免。再収容後の闘い

 デニズさんも、今年5月から始まった「生きるか死ぬか」のハンストに「生きて出る」ことを賭け参加した。

6月になると、最初のハンスト者、シャーラムさんの仮放免の方針が決定された。シャーラムさんの今回の仮放免は、79日からわずか2週間。デニズさんは職員から「彼はまた戻ってくる」と聞かされていた。そして722日、シャーラムさんは東京入管に仮放免の更新手続きに訪れたが「不許可」となり、職員の言っていた通り、即日で牛久入管に戻された。

「最初からそのつもりだったのか!」と被収容者たちはこれを知って怒りに燃え、新たにハンストに加わる人が増えた。長期化するハンストの中で、デニズさんはA子さんとの電話でこんな言葉を漏らした。

「もう死んでもいい」「面会にはもう来なくていいよ」「あなたのそばにいきたかったよ」

A子さんは泣いた。死を賭ける選択肢なんてあんまりではないかと。A子さんはすぐに牛久入管に電話をして「どうか夫を死なせないでください!」と訴えた。

724日、私の携帯電話にデニズさんから弾んだ声での連絡があった。「仮放免が決まった!」。ただし、2つの条件をのまねばならない。ハンスト中止と血液検査を受けることだ。デニズさんはこれに従い、82日についに仮放免される。だが、期間はシャーラムさんと同じ2週間……。この時点でデニズさんは再収容を覚悟したようだ。

 仮放免されてすぐに、デニズさんは精神科で診察を受けると、「拘禁反応の疑いあり」との診断が下された。その病巣ともいえる場所に、治療もせずに、たった2週間後に戻るのか。32カ月ぶりに会った妻とわずか2週間で別れるのか。難民認定申請をするだけなのになぜ犯罪者のように扱われるのか。813日の更新手続きを前にした記者会見の席で、デニズさんは絶望感から泣いた。

816日の朝920分、東京入管にバスで降り立ったデニズさんは取り乱した様子もなく、覚悟を決めたのだろう、淡々と報道陣の取材に答えていた。

「この2週間、毎日、奥さんと一緒にご飯を食べて、一緒に笑って、楽しかった」

 彼の言葉に支援者の中には涙をこらえる人もいた。

1020分。デニズさんは仮放免更新手続きのためのインタビュー室に入った。支援者たちは彼と握手を交わし「ここで待っているから!」と声をかけた。デニズさんは悲しそうに「いえ、牛久に行きますから。面会に来てくださいね」と笑った。

1250分頃、入管職員がデニズさんの主任弁護士に仮放免の不許可を伝えた。デニズさんは姿を現すことなく、牛久入管に移送された。

「再収容されたら、またハンストやるよ。もし、また仮放免2週間という提示を受けたとしてもハンストは続ける。1カ月以上の仮放免が出るまで食べないよ」

 デニズさんは、私にこう話していた。大丈夫だろうか。体も心も壊れないだろうか。

821日。私はデニズさんに会いに牛久入管を訪れた。面会室に入ると、アクリル板の向こうにいたのは、車椅子に乗って、目に力がなく、無精ひげを生やしたデニズさんだった。

「早速ハンストをしていますが、もう体力がなくて歩けない。体重は5日間で5キロ減りました。でも今度は1カ月間とか2カ月間の普通の仮放免が出るまでハンストをやるから」

牛久入管では821日時点で約80人がハンストを続けているという。この日、デニズさんに面会を申し込んだ支援者によれば、デニズさんは起き上がることができない状態にまで衰弱し、面会は実現しなかった。そして92日には、デニズさんから私に弱々しい声だが「まだハンスト頑張っています。ここから出るか、死ぬかのどちらしかありません」との電話が入った。私にはデニズさんが生きぬくことを祈るしかなかった。

※     

 収容中も収容後も苦しむ在留資格なき外国人たち。特に、この7月からの「短期仮放免+再収容」といった入管の運用はいったい何のためなのか。

 私の周囲を見れば、この問題に関心を持つ人は少ない。普段は「人権を守れ」と声高に訴える組織もこの問題にはほぼノータッチ。遠い外国で難民支援に携わるNPOなども足元にいる難民(申請者)には目を向けない。メディアも同様で、私がこの件で企画を出すと編集者から言われるのが「彼らは不法滞在してるんだろ。自業自得だよ」との一言。一般市民も同様で、その奥にある問題に意識が向けられないのが現状だ。

 この問題は、国会で入国管理法などを審議しない限り解決しない。だが、その国会議員が牛久入管などを視察するのは年にほんの数人だ。

 現実は実に厳しいが、それでもインターネット上で情報を発信したり、街宣行動をしたり、入管施設前で抗議行動をする市民団体や個人は存在している。私も、せめて国会でこの問題が審議されるまでは、今後もこの問題に関わろうと思っている。


 生きずらい世の中で、生きるか死ぬかの闘いをしている。彼らは「犯罪者」ではない。ただ、命を守るために逃げて来ただけだ。


オレンジピーマン・パブリカの勧め

2019年09月10日 | 食・レシピ

■ピーマンやパプリカに含まれる栄養成分とその効用

 ●ビタミンCが多く含まれています。風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどに効果

  ビタミンCはアスコルビン酸とも呼ばれる水溶性ビタミンの一つで、人体の中では作ることが出来ないため、食事などによって外部から摂取しなければならない栄養素です。水溶性であることに加え、熱や中性、アルカリにも弱い栄養素です。また、摂取にあたっては一度に採らず、数回に分けて採るほうが良い。

ビタミンCの働き

  • コラーゲンは美肌を保つために大切なタンパク質ですが、ビタミンCはこのコラーゲンの生成に欠かせない栄養素です。
  • 老化やがんの原因とも言われている活性酸素を自らが酸化される事で身体を酸化から守る働きがあります。
  • 白血球の免疫力を高める働きがあります。これにより、風邪やウイルスに対する抵抗力が高まります。
  • 副腎皮質ホルモンの生成を促す働きがあり、これにより、精神的なストレスだけではなく、痛みや暑さ寒さといった外的なストレスに耐える力となります。
  • まだ治験段階ではあるようですが、抗癌作用があるという学会での発表もされています。
  • メラニンの生成を抑える働きがあります。
  • 鉄分の吸収を助ける働きもあります。

不足したとき

  • 免疫力が弱くなり、風邪などを引きやすくなります。
  • 肌荒れやシミなどが出来やすくなります。
  • 歯茎から出血しやすくなります。ひどくなると、壊血病という、皮膚などからも出血したり、関節痛などを起こしてしまいます。
  • 動脈硬化などの生活習慣病にかかりやすくなります。
  • 子供の場合成長が止まり、大人は老化が進んでしまいます。

摂り過ぎたとき

 通常の食事で過剰になる心配はありません。サプリメントなど不自然な形で過剰に摂取する場合は、摂取の目安量を守る事が大切です。

表1:ビタミンCの食事摂取基準(mg/日)3)
性別男性女性
年齢等推定平均必要量推奨量目安量推定平均必要量推奨量目安量
0~5(月) 40 40
6~11(月) 40 40
1~2(歳) 30 35 30 35
3~5(歳) 35 40 35 40
6~7(歳) 45 55 45 55
8~9(歳) 50 60 50 60
10~11(歳) 60 74 60 74
12~14(歳) 80 95 80 95
15~17(歳) 85 100 85 100
18~29(歳) 85 100 85 100
30~49(歳) 85 100 85 100
50~69(歳) 85 100 85 100
70以上(歳) 85 100 85 100
妊婦(付加量)       +10 +10
授乳婦(付加量)       +40 +45


◆野菜や果物、魚介類に含まれるビタミンCの量

野菜類 果物類 魚介類

野菜が含んでいるビタミンCの量

 色々な野菜に含まれているビタミンCの含有量を日本食品標準成分表2015年版(七訂)をもとに多く含んでいる物順に一覧にまとめています。

色々な野菜のビタミンC
含有量(単位mg)

トマピー 果実 生  

200

赤ピーマン 果実 油炒め  

180

赤ピーマン 果実 生  

170

黄ピーマン 果実 油炒め  

160

めキャベツ 結球葉 生   

160

黄ピーマン 果実 生  

150

 出典「健康長寿ネット」

普通のピーマンもたくさん含んでいますが、パプリカのほうがさらに倍以上たくさん含んでいます。特にオレンジのものはたった1/6個、赤色は1/3個分で、一日の必要量を摂取することができる量が含まれています。風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどに効果があります。

●緑黄色野菜でカロテンが豊富

 これもビタミン同様、ピーマンにも多いのですが、さらにオレンジのピーマンには30倍以上含まれているそうです。抗発ガン作用や免疫賦活作用で知られていますが、その他にも体内でビタミンAに変換され、髪の健康維持や、視力維持、粘膜や皮膚の健康維持、そして、喉や肺など呼吸器系統を守る働きがあるといわれています。

●苦味成分はクエルシトリン

 ピーマンの苦さは、ポリフェノールの一種「クエルシトリン」にピーマン特有の臭いが加わって感じる事が2012年に判明しました。でも、その「クエルシトリン」には高血圧抑制や抗うつ作用などの効果があります。

ピーマンの切り方

縦切りのほうが栄養価は下がりません。

でも、生で食べるなら断然横切りです。醤油や青じそドレッシングでそのままバリバリどうぞ。サラダの食材の1品ではなく、それだけでバリバリと。

 実にうまいです。酒の肴にも?うちで作ったものだからうまいのか?息子はそう言いますが・・・。手前の方がオレンジ、後ろが黄色。

■五訂日本食品標準成分表

 ピーマン 可食部100gあたりの成分

 下の表に含まれる成分の量を載せています。それぞれの栄養成分の働きはその成分をクリックすれば各栄養素のページに移ります。

エネルギー

水分

たんぱく質

脂質

炭水化物

灰分

飽和脂肪酸

不飽和脂肪酸

コレステロール

食物繊維

22
kcal

93.4
g

0.9
g

0.2
g

5.1
g

0.4
g

-g

-g

0

2.3
g

 

ビタミン

カロテン

E

K

B1

B2

ナイアシン

B6

葉酸

パントテン酸

C

400
μg

0.8
mg

20
μg

0.03
mg

0.03
mg

0.6
mg

0.19
mg

26
μg

0.30
mg

76
mg

 

無機質

ナトリウム

カリウム

カルシウム

マグネシウム

リン

1mg

190mg

11mg

11mg

22mg

0.4mg

五訂日本食品標準成分表より

●赤ピーマン(ベル型) 可食部100gあたりの成分

 下の表に含まれる成分の量を載せています。それぞれの栄養成分の働きはその成分をクリックすれば各栄養素のページに移ります。

エネルギー

水分

たんぱく質

脂質

炭水化物

灰分

飽和脂肪酸

不飽和脂肪酸

コレステロール

食物繊維

30
kcal

91.1
g

1.0
g

0.2
g

7.2
g

0.5
g

-g

-g

0

1.6
g

 

ビタミン

カロテン

E

K

B1

B2

ナイアシン

B6

葉酸

パントテン酸

C

1100
μg

4.3
mg

7μg

0.06
mg

0.14
mg

1.2
mg

0.37
mg

68
μg

0.28
mg

170
mg

 

無機質

ナトリウム

カリウム

カルシウム

マグネシウム

リン

Tr

210mg

7mg

10mg

22mg

0.4mg

五訂日本食品標準成分表より

 出典 「旬の食材百科」等


[週刊ポスト」問題について 1/2-内田樹

2019年09月09日 | 社会・経済

BLOGS

2019年09月05日 

  週刊ポスト問題についていくつものメディアから電話で取材を受けた。

 どれにも同じことを言っているのだけれど、切り取り方はそれぞれである。

 同じことを繰り返すのも面倒なので、ブログに「コメント」を上げておく。

 ネット上のテクストはすべてコピーフリーなので、ご自由に切り取って使ってくださって結構である。複製許諾も不要。

『週刊ポスト』9月13日号が「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 韓国なんて要らない」というタイトルで韓国批判記事を掲載した。新聞に広告が載ると、直後から厳しい批判の声が上がった。

 同誌にリレーコラム連載中の作家の深沢潮さんはご両親が在日韓国人だが、執筆拒否を宣言した。続いて、作家の柳美里さんも韓国籍で日本に暮らしているが、「日本で暮らす韓国・朝鮮籍の子どもたち、日本国籍を有しているが朝鮮半島にルーツを持つ人たちが、この新聞広告を目にして何を感じるか、想像してみなかったのだろうか?」と批判した。

 私もお二人に続いて「小学館とは二度と仕事をしない」とツイッターに投稿した。その後もかなりの数の人たちが同趣旨の発言をされたようである。

 それで終わるのかと思っていた。どうせ『週刊ポスト』も「炎上上等」というような気分で広告を打ってきたのであろう。「おお、話題になった。部数が伸びる」と編集部では高笑いしているのだろうと思っていた。腹の立つ話だが、所詮、「蟷螂之斧」である。私ごとき三文文士が「小学館とは仕事をしない」と言っても、先方は痛くも痒くもない。10年ほど前に観世のお家元と共著で能の本を出したのと、小津安二郎のDVDブックにエッセイを書いたくらいしか小学館の仕事はしたことがないし、いまもしていないし、雑誌に連載も持っていない。そんな男が「もう仕事をしない」と言ってみせても、ただの「負け犬の遠吠え」である。

 ところが、意外にも、2日午後に版元の小学館から謝罪文が出された。

「多くのご意見、ご批判」を受けたことを踏まえて、一部の記事が「誤解を広めかねず、配慮に欠けて」いたことを「お詫び」し、「真摯に受け止めて参ります」とあっさり兜を脱いだのである。

 というところで取材がばたばたと続くことになった。この件について幾つかのテレビや新聞から取材を受けたが、とりあえず私が『週刊ポスト』編集部に言いたいのは「あなたがたには出版人の矜持はないのか」ということに尽くされる。

 『新潮45』の時にも同じことを書いたが、あえて世間の良識に反するような攻撃的で差別的な言葉を世間に流布させる時には、出版人はそれなりの覚悟を決めるべきだ。私なら覚悟を決めて書く。書いたことが「炎上」して火の粉が飛んで来て火傷したら、それは「身から出た錆」だと思う。それが物書きとしての「筋の通し方」である。

 まさか、書いたあとに「炎上」したからと言って、「あれは書かなかったことにしてください」とは言わない。

 しかし、『新潮45』の騒ぎのときには「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられ」という社長名の指摘に編集部は一言の反論もしなかった。

 仮にも自分の責任で公にした文章である。ならば、自分自身と彼が寄稿依頼した書き手たちの名誉を守るために、編集長は社長宛ての辞表を懐に呑んで、記者会見を開き、「新潮社の偏見と認識不足と戦う」と宣言すべきだったろう。でも、彼はそうしなかった。記者会見を開くことも、他誌に新潮社批判を書くこともなかった。

 これは出版人としていくらなんでも「覚悟がない」態度と言わなければならない。

 あえて好戦的で、挑発的な記事を掲載しておきながら、「炎上」範囲が想定外に広がると、たちまち泡を食って謝罪する。この「覚悟のなさ」に私は今の日本のメディア関係者たちの底知れない劣化の徴を見るのである。

 彼らが簡単に記事を撤回できる理由はある意味簡単である。それはそれが「職を賭しても言いたい」ことではなかったからである。

 どうしても、誰に止められても、言わずにはいられないというくらいに切羽詰まった話であれば、ネットでつぶやかれる程度の批判に耳を傾けるはずがない。むしろ、「ほう、三文文士の分際で小学館相手に喧嘩を売るとはいい度胸だ。全力で叩き潰してやるから首を洗って待ってろ」くらいの構えで応じてよかったはずである。

 でも、そうならなかった。

 ということは、『週刊ポスト』の記事は「職を賭しても言いたいこと」ではなかったということである。

 この事件で第一に言いたいことは、市民的常識を逆撫でして、世の良風美俗に唾を吐きかけるような言葉を発表するときには、それなりの覚悟を決めてやってくれということである。それで世間から指弾され、発言機会を失い、場合によっては職を失って路頭に迷うことを覚悟してやれということである。覚悟がないなら書くな。

 これが第一に言いたいことである。第二に言いたいことは、実はもっと深刻である。

 それは「職を辞してまで言いたいこと」ではないにもかかわらず、そういう言葉が小学館のような老舗で、良識ある出版社の出版物で「ぺろっと」口から出てしまったということである。

 世の中には「職を賭しても言いたいこと」とは別に、「職を賭してまで言いたいわけではないが、職を賭さないで済むなら言ってみたいこと」というがある。

 うっかり人前で口にすると品性知性を疑われるリスクがあるので、ふだんは呑み込んでおくびにも出さないのだが、「言っても平気だよ」という保証が与えられたら、言ってみたい。そういう言葉である。

 私は今の嫌韓言説は「それ」だと思っている。

 韓国政府と韓国国民については、いまどれほど非常識で、下品で、攻撃的なことを言っても「処罰されない」という楽観が広く日本社会に拡がっている。現に、周りをきょろきょろ見回してみたら、「ずいぶんひどいこと」を言ったり、書いたりしている人たちがいるけれど、別に処罰もされていないし、仕事も失っていないし、社会的威信に傷がついたようにも見えない。なんだ、そうか。いまはやってもいいんだ・・・そう思った人たちが「職を賭してまで言いたいというほどのことではないが、職を賭さないで済むなら、ちょっと言ってみたいこと」をぺらぺら語り出したのである。それが現在の嫌韓言説の実相であると私は思っている。

 日本人がこれほど集団的に卑劣にふるまうようになった責任はもちろん一義的には政府にある。

 政権末期に政治的浮揚力を得るために隣国に喧嘩を売ってみせるというのは凡庸な為政者が歴史上繰り返しやってきたことである(李明博も政権末期に竹島に上陸するパフォーマンスで支持率を回復したことがある)。外交上の悪手でありながら、そういう挑発が繰り返されたのは、有効だということが知られていたからである。

 隣国に喧嘩を売るというのは、長いスパンで考えると有害無益のふるまいだが、短期的に見ると政権支持率が一時的に回復する。だから、たとえ国益を損なっても、政治的延命を図りたい政治家がそうするのは冷徹なマキャヴェリズムの論理的帰結である。そこには一抹の論理性がないではない。

 だが、その尻馬に乗ってぺらぺら語り出される嫌韓言説には、そのような論理性がない。

 その非論理性が私にはむしろ恐ろしいのである。

 メディアが嫌韓に唱和する最大の理由は「売れる」とか「数字がとれる」ということだという説明がなされる。現に、嫌韓本や嫌韓雑誌の作り手たちに個人的に訊いてみると、ほぼ例外なく「こんな本、ほんとうは作りたくないんです。でも、売れるからしかたないんです」という言い訳を聞かされる。

「金が欲しいので、ほんとうはそう思っていないことを書く。金が要るので、ほんとうは支持していない政治的主張を本にする」というのは矛盾しているようだが、実は合理的な言明である。「金がすべてに優先する」というのはひとつの原則的立場だからである。「すべては金だ」で人生を首尾一貫させているなら、それはそれで整合的な生き方だと言えるだろう。

 だから、彼らは「ほんとうはイヤなんです」と言うことを通じて、「自分のふるまいには論理的整合性がある」と主張しているのである。たしかに、そういう要素もあるのかも知れない。そういうふうに「シニカル」にふるまっていると、ちょっと賢そうに見えると思っているのかも知れない。

 けれども、嫌韓言説をドライブしているのは、それほど「シニカル」で計算高い思考ではない。

 もっと、見苦しく、薄汚い心性である。

彼らが嫌韓という看板を借りて口にしているのは、先ほど言った通り、「職を賭してまで言いたいというほどのことではないが、職を賭さないで済むなら、ちょっと言ってみたいこと」である。ふつうなら「非常識」で「下劣」で「見苦しい」とされるふるまいが、どうも今の言論環境では政府からもメディアからも司法からも公認されているらしい。だったら、この機会に自分にもそれを許してみよう。

 周りを見回したら、どれほど下品で攻撃的になっても、それが隣国への非難であったり、それを咎める「良識ある人たち」への罵倒であったりする限り、まったく検閲スルーであるように見える。だからこそ、彼らは抑圧された攻撃性と下品さを解発することにしたのである。「処罰されない」と思ったので精一杯下品で攻撃的になってみせたのである。

 だから、「処罰」がちらついた瞬間に、蜘蛛の子を散らすように消えてゆく。「処罰されないなら公言してみたいが、処罰されるくらいなら言わないで我慢する」ということである。

 だが、彼らが忘れていることがある。それは、人間の本性は「処罰されない」ことが保証されている環境でどうふるまうかによって可視化されるということである。

「今ここでは何をしても誰にも咎められることがない」とわかった時に、人がどれほど利己的になるか、どれほど残酷になれるか、どれほど卑劣になれるか、私は経験的に知っている。そして、そういう局面でどうふるまったかを忘れない。それがその人間の「正味」の人間性だからである。

平時では穏やかで、ほとんど卑屈なように見えていた人間が、「何をしても咎められない」状況に身を置いた瞬間に別人になって、人を怒鳴りつけたり、恥をかかせたりという仕事にいきなり熱心になるということを私は何度も見て来た。「そういう人間」の数はみなさんが思っているよりずいぶん多い。そして、彼らがどれほど「ひどい人間」に変貌するかは、平時においてはまずわからないのである。

 だから、私は人間を簡単に「咎められない」環境に置かない方がいいと思っている。できるだけ、法律や常識や「世間の目」などが働いていて、簡単にはおのれの攻撃性や卑劣さを露出させることができない環境を整備する方がいいと思っている。

 今の日本は倫理的な「無秩序」状態になっている。

 倫理的にふるまう人(正確には「倫理的にふるまう人が一定数いないと社会は維持できない」ということを知っている人)を「かっこつけるんじゃねえよ」と冷笑することが批評的な態度だと勘違いしている人たちがすでに言論の場では過半を占めようとしている。

  このような無秩序がこのまま続くのかどうか、私にはわからない。

 続くなら日本にもう未来はないということしかわからない。

 


今日は町内会の地神祭。いよいよ稲刈りが本格化する。

blogについて。

 多くのご訪問をいただきありがとうございます。フォローしていただいている方のところへは更新の有無にかかわらず毎日1度は訪れる予定でいます。フォロアーではないが、来ていただいて足跡を残してくれてる方のところへも必ず行くようにしています。ただ朝、畑へ出ますと夕方まで帰ってきませんので朝の7時過ぎから昼までに訪問くださった方が、足跡を残してくれても「6時間の壁」がございます。私には確認することができません。そのところどうぞご理解ください。アクティビティも表示されるのは5件。午前中にアクティビティをいただいた訪問者さんをまったく認識せずに終わってしまう可能性もございます。どうぞ、それらのことをご理解の上、お付き合いください。よろしくお願いいたします。



ウォルマート、拳銃の弾薬販売を停止へ。「私たちは変わらなければいけない」

2019年09月08日 | 社会・経済

全米ライフル協会は「ウォルマートは銃反対のエリートたちに屈服した」と非難した。

 

ハフポストWORLD  2019年09月04日 

Antonia Blumberg

   アメリカの小売り大手「ウォルマート」は9月3日、拳銃や一部の殺傷能力の高い軍仕様ライフル銃の弾薬の販売を止めると発表した。

さらに、銃器の持ち歩きが認められている州であっても、店を訪れる際には銃器を見える形で持ち歩かないように求める。

   アメリカでは8月に、3件の銃乱射事件が発生した。

そのうち一件は、テキサス州エルパソにあるウォルマートの店舗で起きた。同事件では22名が亡くなっている。

   また、この事件の4日前の7月30日にも、ミシシッピ州の店舗でウォルマート従業員が同僚を銃で殺害する事件が起こっている。

   声明でウォルマートのダグ・マクミロンCEOは「1週間の間に、私たちの会社は2つの悲劇的な出来事を経験しました。私たちは変わらなければいけない」と従業員に訴えた。

   ウォルマートが今回販売を停止するのは、拳銃と一部の殺傷能力の高い軍隊仕様のライフル銃の弾薬。また、唯一ウォルマートが拳銃を販売していたアラスカ州での拳銃の販売停止も、発表した。

「顧客の中には、今回の決定を不便と感じる方もいると思いますが、ご理解いただきたい」とマクミロンCEOは説明する。

一方で、狩猟用のライフルおよびスポーツ射撃用の拳銃と銃弾については、引き続き販売するという。「私たちはこれまで長い間、責任あるハンターやスポーツ選手たちに銃を提供してきました。それは今後も続けます」

今回の決定により、ウォルマートの銃弾のシェアは20%から6〜9%になるだろうと、マクミロンCEOは予測する。

   ウォルマートは近年、銃器の販売規制強化を強めてきた。

2015年には殺傷能力の高いライフルの販売を停止した。2018年には、フロリダ州パークランドの高校で元生徒が17人を殺害した事件を受けて、店舗で銃や弾丸が買える年齢を21歳に引き上げた。

エルパソ銃撃事件の後は、暴力的な描写のあるゲームソフトを宣伝しないようにした。

それでも、同社が全米ライフル協会(NRA)が支援する政治家を援助していること非難する声もあった。

9月3日のマクミロンCEOの発表の後、NRAはウォルマートの決定を「残念」であり「ウォルマートは銃反対のエリートたちに屈服した」と非難した。

3日の発表でマクミロンCEOはNRAには触れていないが、ホワイトハウスや国会議員に、銃暴力への対応を強めるよう求める書簡を送ったことを明らかにした。

「我々は国のリーダーたちに、身元確認の強化、および差し迫った危険を及ぼすような人物に武器を持たせないことを求めます」

「我々は軍仕様のライフルを販売しません。そして殺傷能力が高い武器を再び禁止することを、議論すべきだと考えています」

「(銃撃のような)暴力的な行為を引き起こす根本的な原因が何かを考えるべきです」

ウォルマートの発表の数時間後、大手スーパーマーケットチェーン「クローガー」も、武器を見えるような形で店内に持ち込まないように求めると発表した。

クローガーは2018年に、武器や銃弾のビジネスから完全撤退を決めている。

   今回、「許可された警官以外は、見えるような形で武器を店内に持ち込まないよう求めることにしました」と、クローガーグループ企業行動課のジェシカ・アデルマン副代表はハフポストUS版に話した。

ウォルマート同様、クローガーも政治家たちに「身元調査の強化、および暴力行為を起こすリスクが高い人から、武器を取り上げること」を求めているという。

「アメリカでは、現状に満足していない人、そして具体的で常識的な銃の改革を求める人たちの声がどんどん高まっています。クローガーは、彼らの声に合わせていきたい」と同社は声明で述べた。


 苛立たしい気持ちで「銃社会アメリカ」を見つめてきたが、ようやくその声も高まりつつあるようです。これ以上の犠牲者が出ないよう願うばかりです。

 友人に誘われて近くの山に落葉キノコとコクワを採りに行ってきました。

たくさん採れました。


なぜ朝鮮人虐殺の記憶を否定したがるのか 虐殺否定論者の戦略

2019年09月07日 | 社会・経済

  Imidas時事オピニオン2019/09/06 

   1923(大正12)年、関東大震災直後に自警団や軍などによって多くの朝鮮人が虐殺されたことは、中学の教科書にも載っている近代史上の大事件だ。ところが近年、ネット上に、「虐殺などなかった」と主張する人々が現れている。

 荒唐無稽にもほどがあるが、それで済む話ではない。なぜなら、そうした主張が実際に現実世界に侵入し、虐殺事件をめぐる教育や展示、犠牲者の追悼などを潰そうとする動きとなって現れているからだ。

 

関東大震災時に広まった朝鮮人の狂暴などについてのデマに注意を呼び掛ける警視庁のビラ。東京都復興記念館所蔵資料より

朝鮮人虐殺事件とはなんだったのか

 まずは、朝鮮人虐殺とはどのような事件だったのか振り返ってみよう。

歴史の教科書、たとえば『中学社会 歴史』(教育出版)は、「混乱のなかで、『朝鮮人が暴動を起こす』などの流言が広がり、住民の組織した自警団や警察・軍隊によって、多くの朝鮮人や中国人が殺害され」た事件として説明している。

 関東大震災が発生したのは1923年9月1日の昼前。東京と横浜の中心部がほぼ全焼し、約10万5000人という死者・行方不明者を出す惨事となった。突然の厄災に不安と怒りが渦巻くなかで、「朝鮮人が暴動を起こしている」「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が広まり、至るところで自警団などが朝鮮人を殺害した。「虐殺」と呼ばれるのは、無防備の相手を集団で取り囲み竹やりで刺す、火の中に投げ込むといった方法の残忍さのためだ。虐殺は1週間ほど続いた。

 この事態に対しては行政機関の責任が大きかった。警察は真っ先に流言を信じて人々に拡散させたし、戒厳令によって市街地に進出した軍隊の一部も、各地で朝鮮人を銃殺した。

 内閣府中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会が2008年に発表した報告「1923関東大震災【第2編】」は、以下のように書いている。

「関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」

「特に(9月)3日までは軍や警察による朝鮮人殺傷が発生していた」

流言を基にしたネットの虐殺否定論

 ところが冒頭に述べたように、ネット上に「朝鮮人虐殺はなかった」と主張する人々が現れている。正確に言うと、彼らが言っているのは、「朝鮮人テロリストたちが武装蜂起し、街に火を放ち、井戸に毒を入れたのは事実だ。自警団が朝鮮人を殺したのはこれに対する正当防衛であって、虐殺とは呼べない」ということである。つまり、朝鮮人の「暴動」「放火」「投毒」といった流言を、彼らは事実だったと考えるのである。

 その証拠として彼らが示すのは、当時の新聞記事の数々だ。

 たとえばこんな見出しの記事が、画像つきでアップされている。

「不逞鮮人1千名と横浜で戦闘 歩兵一個小隊全滅か」(「新愛知」1923年9月4日)

 同工異曲の内容の記事画像が、ネット上にはいくつもアップされている。「主義者と鮮人一味、上水道に毒を撒布」「鮮人浦和高崎に放火 高崎にて十余名捕わる」などなど。

 なるほど確かに、「朝鮮人暴動」を伝える当時の記事は無数に存在する。だがそれらは、震災直後の混乱期にあふれた流言記事として知られているものだ。当時、東京の新聞社のほとんどは焼失し、焼け残った在京紙と地方紙は被災者から聞き取った流言をそのまま書き飛ばしていたのである。その結果、朝鮮人関連以外でも、「伊豆大島沈没」「富士山爆発」「名古屋も壊滅」といった誤報が氾濫した。

 混乱が落ち着くころには、それらが虚報・誤報であったことは誰の目にも自明だった。著名な新聞記者の山根真治郎は、「在留朝鮮人大挙武器をふるって市内に迫る」などの虚報が氾濫したことを回想して「数えるだにも苦悩を覚える」と悔いている(山根『誤報とその責任』1938年)。

 ちなみに先の「不逞鮮人1千名と横浜で戦闘」という記事も、震災の3年後に内務省がまとめた『大正震災志』に典型的なデマ記事の一例として挙げられている。

 実際には当時、殺人、放火、強盗、強姦の罪で起訴された朝鮮人は一人もいなかったし、武装蜂起やテロ、暴動の存在についても司法省や警視庁、神奈川県知事、陸軍の神奈川警備隊司令官などが否定している。朝鮮人の暴動をこの目で見たという証言も(震災直後の流言記事以外には)全く存在しない。

朝鮮人虐殺否定論の仕掛け人

 一方で、無防備の朝鮮人が日本の民間人や軍によって殺されたという記録は、公的な記録から目撃証言に至るまで無数に残っている。日本のまともな歴史学者で、「朝鮮人が暴動を起こした」とか「虐殺はなかった」などと言っている人は、左右を問わず存在しない。

 震災直後の流言記事の画像を見て「朝鮮人暴動」の証拠だと考えるのは、早合点なのである。

 だが、こうした流言記事を最初に「朝鮮人暴動」の証拠として掲げた人々がいる。彼らは、決して早合点だったわけではない。世の人々に「朝鮮人虐殺はなかった」と信じさせるために、分かった上でそのように喧伝してみせたのである。それは、彼らが「発明」したトリックであった。

 彼らとは誰か。ノンフィクション作家の工藤美代子・加藤康男夫妻である。

 工藤氏は『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』から『美智子皇后の真実』に至るまで、幅広いジャンルで旺盛に執筆してきた作家だが、日本会議系の団体の呼びかけ人を務めるなど、右派言論人の顔も持つ。夫の加藤康男氏も、1928年に起きた張作霖爆殺事件にコミンテルンが関与していたと主張する本などを出している人で、やはり右派言論人と言ってよい。

 2009年、工藤美代子氏の名前で『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)が刊行される。これによって「朝鮮人虐殺否定論」が誕生する。5年後の14年には、同書の「新版」として『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック)が刊行される。しかしこちらの著者名は「加藤康男」になっている。工藤氏の夫である。同じ本なのに著者が交代するとは奇妙な話だが、加藤氏による新版の後書きによれば、もともと妻との「共同執筆」だったので今回は自分の名義にしたのだという。共同執筆なのであれば、2人の名前を出して共著ということにすればよいはずだ。著者が「交代」するなど、前代未聞である。面倒なので、本稿では以下、この本を書いた人物を“工藤夫妻”とし、本のタイトルを“この本”としておく。

虐殺否定論のトリック

 さて、工藤夫妻はこの本において以下のような主張をしている。

「震災に乗じて朝鮮の民族独立運動家たちが計画した不穏な行動は、やがて事実の欠片もない『流言蜚語』であるかのように伝えられてきた。(略)何の罪もない者を殺害したとされる『朝鮮人虐殺』は、はたして本当にあったのか。日本人は途方もない謀略宣伝の渦に呑まれ、そう信じ込まされてきたのではあるまいか」(加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』p20)

 つまり、朝鮮人テロリストたちが震災に乗じて暴動を起こしたのは流言ではなくて事実だった、自警団の行動はこれに対する正当防衛だったのであり、「虐殺」と呼ぶべきではないというのだ。

 その証拠として彼らが示すのが、震災直後の流言記事である。たとえば「朝鮮人が放火した」と書いてある記事を示して、それをそのまま朝鮮人が放火を行った証拠だとしてみせる。こうした主張の羅列が、この本の軸をなしていると言ってもよい。

 だがすでに触れたように、彼らが自らの主張を本当に信じているかといえば非常に疑わしい。なぜなら、この本を仔細に検証すればするほど、それが史料の恣意的な切り貼りをはじめとするトリックの上に成り立っていることが分かるからだ。奇術師が自分を超能力者だと思い込むことがないのと同様に、意図的なトリックを作り出して読者に何かを信じさせようとする著者自身が、それを信じているとは考え難い。

工藤夫妻は、それらの記事の多くを姜徳相/琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(1963年、みすず書房)に収録されたものから“引用”している。

『現代史資料6』は、朝鮮人虐殺関連の資料を包括的に集めた本である。そこに収められている新聞記事は、震災直後の「朝鮮人暴動」記事だけではない。世の中が落ち着いて以降の、朝鮮人虐殺の凄惨な様相を伝える記事や、虐殺を行った自警団を裁く裁判の記事も収録されている。それらを読めば、震災から1カ月もたったころには誰も「朝鮮人暴動」を信じていなかったことも理解できるだろう。そして、『現代史資料6』を出典として繰り返し明記している工藤夫妻は、当然、そうした記事にも目を通しているはずである。ところが彼らは、朝鮮人暴動が事実ではなかったことが分かった震災翌月以降の新聞記事をすべて黙殺した上で、震災直後の流言記事だけを抜き出して「朝鮮人暴動」の「証拠」として読者に提示してみせているのである。

 この資料集には、新聞記事以外にも、公的な記録や数年後に書かれた手記なども収められている。工藤夫妻は、そうした手記からも“引用”を行っている。ところが、その切り取り方が作為的なのである。たとえば、朝鮮人暴動の噂を聞いていた人が実際に市街地に行ってみたところ、朝鮮人暴動どころか自警団の朝鮮人迫害を目撃したという内容の手記から、前半の「朝鮮人暴動の噂」だけを切り取って朝鮮人暴動があった証拠として読ませるといった具合である。また、“引用”に際して、至るところで「略」とも示さずに都合の悪い部分をこっそりブツ切りにしている。

 この本には、他にも大小のトリックがちりばめられている。初歩的な数字の詐術で朝鮮人犠牲者の数を極小化する、権威ある資料を出典として明記しながら、そこにまったく書いていないことを書いてみせる、などなどである。そうした作業の上に、空想をまぶして虐殺否定論を成立させているのである。詳しくは、ブログ「工藤美代子/加藤康男『虐殺否定本』を検証する」か、あるいは拙著『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ころから刊)を読んでいただければと思う。要するに、虐殺否定論は仕掛けが分かれば脱力するようなレベルのトリックなのである。

 

加藤直樹『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ころから、2019年)

差別が虐殺に行き着いたという史実

 だが、この本が生み出した「朝鮮人虐殺否定論」というトリックは、その後、確実に社会に広がり、現実を動かし始めている。
 まずはネット右翼、次いで政治家たちがこれに飛びついた。たとえば自民党文部科学部会の部会長である赤池誠章参院議員が自らのブログでこの本を讃え、「『朝鮮人虐殺』という自虐、不名誉を放置するわけにはいきません」と書く(14年9月1日「9月1日 防災の日 関東大震災を考える」)。憲法改正を掲げる「日本会議」は、ブックレット『緊急事態条項Q&A』(明成社、16年)の中で、この本を引用して「朝鮮人独立運動家」などがテロを行ったと記述し、憲法改正による緊急事態条項の必要性の根拠とした。
 この動きは行政の現場にも波及する。12年には、横浜の歴史を教える中学生向け副読本の中の朝鮮人虐殺の記述を自民党市議が市議会で批判。「虐殺」などという表現はおかしいと主張した。これを受けて教育長がその場で回収を明言し、実際にすべて回収するに至った。こうした動きのきっかけとなった産経新聞の記事(2012年6月25日)には、工藤美代子氏の「当時は朝鮮独立運動のテロがあった」とのコメントが添えられていた。
 17年には、東京都議会で自民党の都議が「小池知事にぜひ目を通してほしい本があります」として工藤美代子氏の本を紹介し、朝鮮人が震災に乗じて凶悪犯罪を行ったのは事実であり、歴代の都知事が行ってきた朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付をとりやめるべきだと小池都知事に迫った。これを受けて、小池都知事は実際に追悼文送付を取りやめてしまった。以来、18年、19年と送付を行っていない。
 トリックにすぎない虐殺否定論が現実の世界に侵入し、虐殺についての教育、追悼、展示を押し潰す武器となっているのだ。いくら荒唐無稽であっても、虐殺否定論を主張し続けていれば「朝鮮人虐殺の有無については諸説あるらしい」という雰囲気を社会に醸成することはできる。そうなれば、「諸説ある事柄について公共の場で教育するな、展示するな」といった圧力を加えることができるようになる。虐殺否定論を広める人々の「目的」はそこにある。つまり、虐殺の記憶を封印することだ。
 ではなぜ、虐殺の記憶を封印したいのか。そこには、民族差別をガソリンとする、排外的で歪んだナショナリズムの高揚がある。そうした傾向を煽りたい人たちにとって、差別が虐殺に行き着いた朝鮮人虐殺の史実は喉元に刺さった骨だからである。
 だが、朝鮮人虐殺の史実が本当に忘れ去られてしまったら、どうなるだろうか。
 先に紹介した内閣府中央防災会議の専門委員会報告「1923関東大震災【第2編】」は、朝鮮人虐殺の史実から受け取るべき教訓として、「民族差別の解消の努力」と災害時の「流言の発生」への警戒を挙げている。この教訓が忘れ去られ、むしろ災害時には外国人のテロや凶悪犯罪に備えよという「教訓」にすり替えられたとき、100年前の惨劇がかたちを変えて繰り返される。実際、東日本大震災のときは「被災地で中国人窃盗団が暗躍している」といった流言がネット上で広がったし、それを真に受けて、中国人を見つけたら殺してしまおうと武装して被災地に乗り込んでいった右翼団体もあったのである。
 虐殺否定論は犠牲者への冒涜であり、歴史への冒涜であるとともに、未来の惨劇を招き寄せかねない恐ろしさをもっているのだ。民族的な多様化が進む日本社会で、決して許してはならない「トリック」なのである。

 


1923年9月1日、関東大震災、そして昨年9月6日は北海道胆振東部地震があった。「教訓」は生かされなければならない。「教訓」のすり替えは許さない。



樹木希林最後の主演映画『あん』を見てきた。

2019年09月06日 | 映画

久しぶりに映画を見てきた。近くに映画館がなく、札幌や旭川までいかなければならないので、運転や駐車場のことを考えるとなかなか足が出ない。今回は「北海道新聞の読者サービスに当たったもので深川市文化交流ホール」で行われたものです。

 樹木希林最後の主演映画ということもあり、話題になっていたものです。
訴えるというよりは静かに考えさせられる映画でした。

映画『あん』予告編

 


雨宮処凛がゆく!第494回:命の選別は「仕方ない」のか? 〜『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』。の巻

2019年09月05日 | 本と雑誌

  201994日 マガジン9https://maga9.jp/190904/

   “今、この国を表す言葉をひとつ挙げてみよ”。

 そう問われたら、あなたはどんな言葉を挙げるだろうか。

 私が迷わず挙げるのは、「不寛容」という言葉だ。ゼロトレランスとも呼ばれるその言葉は、今のこの国の窮屈さ、息苦しさ、生きづらさなどなどを象徴しているように思う。

 そんな「不寛容」さは、あらゆるところで幅を利かせている。

 収まる気配のない生活保護バッシングや貧困バッシング。在日外国人へのヘイトや嫌韓、嫌中という言葉。ワイドショーで堂々と韓国ヘイトや女性差別を繰り広げる高齢男性。「たらたら飲んで食べて、何もしない人の金(医療費)をなんで私が払うんだ」という麻生大臣の発言や、過労死も過労自殺も病気になるのも「自己責任」という空気。「生産性」ばかりを求め、どれほど金銭的利益を生み出したかで人間の価値が測られるような社会のあり方。自分と異なる意見を持つ人への強烈な批判。選挙中、野次を飛ばしただけの人を排除した警察。有名人のスキャンダルや不倫などに対するバッシングの嵐。安田純平さんが帰国した際にメディアをまたもや賑わした「自己責任」という言葉。そして「少子高齢化」社会で財源不足という言葉のもと、「命の選別」が正当化されてしまうような空気。

 2007年、世界各国で、貧困問題への意識調査が行われた(The Pew Global Attitudes Project)。そこで「自力で生きていけないようなとても貧しい人たちの面倒をみるのは、国や政府の責任である。この考えについてどう思うか?」という質問に対して、「そう思わない」と答えた人が突出して多いのが日本だった。実に38%の人が「助けるべきとは思わない」と回答したのだ。

 他国を見ていくと、ドイツでは「そう思わない」と答えたのはわずか7%、イギリスでは8%、中国では9%、そして「自己責任社会」と言われがちなアメリカでさえ28%だったという。

 この調査がなされたのは12年前。今、同じ調査をしたら、もっと多くの人が「国や政府は助けるべきとは思わない」と答えるのではないだろうか。そんな予感がするのは私だけではないはずだ。

 07年頃、フリーターや非正規労働の問題を論じていた私たちは、よく「椅子取りゲーム」の話をした。現在の労働市場は、全員には決して行き渡らない正社員の椅子を奪い合う椅子取りゲームの状態である。どんなに頑張っても、どんなに「自己責任」と言われようとも、非正規雇用率3割の状況では、10人中、3人は必ず正社員の椅子に座れない。だから少ないパイを奪い合うのではなく、「椅子を増やせ」「10人に対して10の椅子を用意しろ」と主張すべきではないか、と。

 しかし、10人中、4人は必ず「正社員の椅子」から漏れるという非正規雇用率4割の今、もう誰も椅子取りゲームの話はしていない。

気がつけば、「均等待遇」「働き方改革」「非正規という言葉をなくす」といった名目で、「もう全員の椅子をなくして、みんな地べたでいいのでは?」と国が率先して椅子を片付けようとしている状況だ。その上「椅子に座っているなんて贅沢だ」などと言う人まで出てきて、その椅子が「AIに置き換えられる」「椅子に座るのは移民になる」なんて噂も飛び交っている。しかも椅子を乗せた床はどんどん沈み、浸水し始めているような状況。それがこの国の多くの人たちの心象風景ではないだろうか。

 過酷なサバイバルに勝ち抜かないと、生き残れない。誰かを蹴落とし続けないと、リアルに死ぬ。そんな危機感はこの20年くらい、どんどん強まっている。毎日、毎分、毎秒、人生も、近い未来も人質にされている。みんなが崖っぷちで、「手を離したら死ぬ」と思い込まされている。そんな中、人に優しくなれるはずなんてないし、余裕が持てるはずもない。

 そんなふうに「寛容さ」が枯渇したこの国で、3年前の夏、障害者19人が殺される相模原事件が起きた。

 「障害者470人を抹殺できる」と、それが「世界経済と日本のため」だと衆院議長に宛てた手紙に書いた植松被告は、今も獄中で「日本の借金問題」についてさかんに言及している。

「日本は社会保障を充実させていって100兆円もの借金を抱えることになりました。あなた自身はそれをどう思いますか?」

 「僕の言うことを非難する人は、現実を見てないなと思います。勉強すればするほど問題だと思いました。僕の考え、どこか間違っていますか?」

 「日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。これで大地震でも起きたら無茶苦茶になりますよ」

 借金はいけない。人に迷惑をかけることもいけない。国の将来を憂い、危機感を持っている。それらの思いをすべて凝縮し、危機感と正義感をもって彼が実行したこと。それは障害者の大量殺人だった。

 この飛躍は、どう考えても異常である。

 しかし、「彼のしたことは決して許されない」としつつも、その主張について「否定できない」と語る人が一定数いることも知っている。このまま「生産性がない/低い」とされる人々を生かし続けると社会は大変なことになるから、「命の選別は、ある程度仕方ないよね」というような空気。言い訳として必ずつくのが「財源不足」という言葉だ。生活保護バッシングや公務員バッシングはするのに、タックスヘイブンの問題には決して怒ったりしないこの国の善良な人々がまとうマイルドな優生思想は、じわじわとこの国を侵食している。

 そんな相模原事件をめぐるあれこれについて、6人と対談した本を9月中旬に出版する。タイトルは『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)。事件について、優生思想について、財源論について、私たちが抱える剥奪感について、対話について、神戸金史さん、熊谷晋一郎さん、岩永直子さん、杉田俊介さん、森川すいめいさん、向谷地生良さんと語り合った。

RKB毎日放送の記者である神戸さんは、事件後、重度の自閉症の長男について、「障害を持つ息子へ」という文章を書いた人だ。ある朝、目が覚めたら息子に障害がなかったことに気づき、安堵する。そんな夢を何度も見てきたという告白から始まる神戸さんの文章は事件後に書かれて瞬く間に拡散され、多くのメディアで報じられた。そんな神戸さんは、植松被告と面会を重ねている。「いつまで息子を生かしておくのですか」。植松被告が神戸さんにぶつけた言葉である。二人の間で、どんな言葉が交わされているのか。

 熊谷晋一郎さんは、脳性まひの当事者であり、医師であり、また東大先端研で当事者研究をする人である。事件が起きてから、車椅子で通勤中に「知らない人に突然殴られるんじゃないか」という恐怖を感じたと率直に語る熊谷さんと、「社会モデル上、新たに障害者になった層」などについて語った。

   BuzzFeed Japanの記者である岩永直子さんとは、終末期医療、尊厳死などについて語りつつ、「ファクト」を重視した冷静な議論の大切さについて話し合った。

 批評家で介助者でもある杉田俊介さんとの対談は驚くほど多岐に渡った。また、精神科医の森川すいめい氏とはオープンダイアローグなど対話について語り、そうして本書の最終章では「生きづらさ界のラスボス」が登場。べてるの家の向谷地生良氏である。向谷地氏とは、無差別殺人を匂わす青年と向谷地氏の交流、その青年の変化などについてが語られた。

 自分で言うのもなんだが、今だからこそ読まなければならないテーマが詰まりまくった一冊になったと思っている。何より、私と対談してくれた人々が素晴らしい。

 「生産性」「自己責任」「迷惑」「一人で死ね」という不寛容な言葉が溢れる今だからこそ、ぜひ手にとってほしい。そして、一緒に考えてほしいと思っている

 『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)

 ※2019年9月16日発売予定


雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」85キャリア女性でもなく妻でもなく生きる方法

2019年09月04日 | 社会・経済

Imidas 連載コラム  2019/09/04

 この9月で、リーマンショック(アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破たんによる世界的な金融危機)から11年になる。そしてちょうど10年前の2009年は、年越し派遣村で年が明けた。あの頃、反貧困運動の只中にいた私は多くの現場を駆け回っていた。

 あれから、10年以上。私は今も貧困の現場にいて、もう13年以上、このテーマで取材を続けている。

 なぜそんなことを書いたのかというと、最近、ふと苦い記憶が蘇ったからだ。それは年越し派遣村が開催される少し前のこと。ある文化人との対談の席でのことだった。

 対談テーマは、政治とか選挙とかそんなことだったと思う。私は貧困問題を取材している活動家として呼ばれていた。対談相手は著名な男性で、年齢も私よりずっと上。初対面ではなかったが、会うのは数年ぶりだった。そんな男性A氏は私と顔を合わせるなり、挨拶もそこそこに憎々しげに言った。

「この前、〇〇さん(忘れたけど偉い人)のシンポジウムに出たら、あなたの話になりました。みんなあなたが貧困問題や不安定雇用の問題に取り組んでいて素晴らしい、と絶賛しているから、私は言ってやりましたよ。『私は前から雨宮処凛のことを知っていますが、あれはただの自分探し女で、たまたま今、彼女の自分探しに貧困問題がハマったからやってるだけですぐにやめるに決まってます。そういう女なんですあの女は』って。だから安心していつでも活動なんかやめてください。断言します、絶対にあなたはすぐこんな活動やめるでしょう」

 突然すごい剣幕でまくし立てられ、ポカンとしていた。ポカンとしつつも、自分がものすごく侮辱されていることはなんとなくわかった。その頃の私は活動を始めて1年ちょっとくらい。言葉を失う私に向かって、ダメ押しのようにA氏は言った。

「いいですか、あなたは間違いなく、こんな活動、すぐに飽きる。僕にはわかるんです」

 あまりにあまりな言い分に記者の人が止めに入ってくれて、A氏はそれ以上はそのことに触れなかった。そうして対談が始まったものの、私はなんだかうわの空で、そしてぼんやり思っていた。

 どうしてこの人、私のことを勝手に「代弁」してるんだろう? しかも、本人の前で。本人に向かって。そして、本人不在の場で。

 

 占い師でも預言者でもないのに、勝手に私の未来を「予測」する人。そんな人は、私の人生にそれまでも現れたことがあった。それはなぜか、100パーセント男性だった。

 例えば、20代の頃によく遭遇したのが、私が誰かと付き合うたびに「あんな男とはすぐ別れるに決まってる」と断言する男。やはり私より年上で、顔を合わせるたびに「まだ付き合ってるのか」などといちいち確認してくる。「はぁ」と答えると、「すぐ飽きるに決まってる」「お互い飽きる」「あと1カ月は持たない」などと勝手な予言を連発。そんなことを言われるたびに、「お前はすぐに飽きる程度の男としか付き合っていない」「お前なんてすぐ飽きる程度の女」と言われている気がして不愉快極まりなかった。

 タイプは違うものの、「女の身に起きることはすべて“いい母親になる”ための修業」と決め付けている人もいた。そんな男に出会ったのは25歳で物書きデビューし、イベントなどで自分自身のことを話すようになってから。しょっちゅうイベントに来てくれるその男性との間では、いつもこのような会話が交わされるのだった。

「雨宮さんて、いじめられてたんだよね?」

「はい」

「いいお母さんになれるよー」

「リストカットもしてたとか?」

「はぁ……」

「いいお母さんになれる!」

「あと、右翼だったんだよね?」

「ええ、まぁ」

「絶対、いいお母さんになれると思うよー!」

 何がどうしてどうやったらそんな結論になるのか謎すぎたけれど、その男性にとって「女の最終形態」=「母親」という図式は決して崩れないもののようだった。が、44歳の現在、私は母になる気配など微塵もないし特になりたいとも思っていない。思えば子どもの頃から「母親になりたい」なんて一度たりとも思ったことがなかった。しかし、「女」と見れば「いつかは母になる」「なりたいに決まってる」と信じている男性のなんと多いことか。

 

 だけど思えば、直接口に出されなくても、小さな頃からいろんなことを決め付けられていた。「いつか結婚するだろう」とか「いつか子どもを産むだろう」なんてのは最たるものだ。しかしその決め付けは、大事なことから目を逸らす結果ともなった。例えば私は19歳から25歳までフリーターで、毎月電気かガスか電話が止まるような貧困生活だったが、そんな私の低賃金を誰も問題にしなかったのは、私がいつか結婚し、「家庭」に吸収されていくだろうと決め付けられていたからである。

 それだけではない。現在に至るまで「女性の貧困」は放置されているわけだが、それはまったく同じ理由からである。それどころか、「女性活躍推進法」下のこの国では、「もっと活躍したい」でしょう、「キャリアアップしたい」でしょうとこれまた決め付けられ、常に「上を目指して」努力しなければならない空気が蔓延している。

 フリーターの頃、私はこの「無条件に上を目指さなきゃいけない感じ」が嫌で仕方なかった。今している仕事やその立場を否定的に見られ、続けているだけで「いつまでそんなこと やってるんだ」と詰られてばかりいたからだ。

 当時の私には物書きになりたいという漠然とした思いはあったものの、それとは別に、どうしてフリーターってだけでこれだけ怒られるんだろうと思っていた。ちゃんと働いてるのに。誰かがやらなきゃいけない仕事を担ってるのに。それなのにこの日々自体が「ダメの上塗り」のように見られる。

 なぜ、社会は低賃金の非正規雇用者をこれほど求めているのに、非正規労働者である私には「こんな日々」を一刻も早く脱出して、バリバリのキャリア女性、もしくは「妻」を目指すことを強いるのか。

 そんな歯噛みしたくなるような日々を鮮明に思い出したのは、栗田隆子(くりた・りゅうこ)さんの『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社、2019年)を読んだからだ。1973年生まれの栗田さんと私は同世代で、彼女は私と同じく単身。大学院で哲学を学び、その後、非正規で働いてきた彼女は女性の労働・貧困問題に取り組んできた一人だ。

 そんな彼女は本書で「私がとりわけわからないのは、『キャリア』という言葉である」と書く。そうして、派遣の仕事の「事前面接」(禁止されている)で、「キャリア計画」を聞かれた時のことを描写する。

「とにかく、自分にできる仕事をやっていきたいです」と答えた栗田さんに、面接官は「そんな先を考えないようでは困る。あなた自身のキャリアをよく考えるように」と言ったのだという。「違法面接」で説教された上、「お断り」された顛末のあと、彼女は以下のように書く。

《「キャリア」とみなされない労働に従事していないと、なぜ「生きていけない」社会なのか。「誰にでもできる仕事」とみなされる仕事に就くことは、生活保護を受けるよりも、苦しい場合さえある。フルタイムで働いていても月収が一〇万円を超さない労働。そのような仕事には「女性」が就いている場合が多い。そしてその状況から脱するためには「キャリア」の積める仕事に就くことを勧められ、自立支援させられる――。でもなんかこれっておかしくないだろうか。

だって、自分は「一抜け」できたとしても、その自分がかつて担っていた単純労働を結局は誰かが担わされるのだとしたら、全然社会的には解決されていないのだから》

《ともあれ単純労働でどうして食べていけないのかが私にとっては一大テーマだ。私はたとえば郵便局でハガキを延々と手で仕分けることを八時間くらい続けても大丈夫だ。(中略)そのような労働で一定の賃金を得られ、かつ社会保障の後ろ盾もあるのならば、私は労働問題なんてやっていなかっただろう 》

 そんな彼女の願う「一定の賃金」を示す文章も引用しておく。

《もっともアルバイトであれ、正社員であれ、単純労働とみなされる仕事を八時間して、(東京の家賃レベルの感覚では)月額手取り一五万円の給与をもらえていたら私は今のような活動をしていただろうか。始まりは、とにかく自分にできる(と思える)、安定した仕事がない、というわかりやすい事実にぶつかったことだった 》

 手取り15万円プラス社会保障。ものすごくリアルな数字ではないだろうか。そして私にはここまで栗田さんが書いてきた鬱屈が、ものすごーく、わかるのだ。

 フリーターの頃、いつも思っていた。なぜ、社会に求められる仕事をしているのにそれが責められ、食えないのか。なぜ、普通に認められないのか、と。だって、当時も今も非正規の人たちが担っている仕事の多くは、ひと昔前は正社員男性が担い、それで妻子を食わせて子どもを学校にやり、その上でローンを組んだ一戸建てなんかを建てられたものだったのだ。

なのに今、正規・非正規は身分制度のようにこの国の人々を分かち、格差を広げている。現在、非正規雇用で働く人の平均年収は175万円。非正規女性に限ると150万円だ。それを「食える」「子育てできる」賃金にすればいいのに、賃金を上げたいならキャリアを積んで転職しろと迫られる。そのための転職産業や資格産業が儲ける仕組みになっていて、今のままでも上を目指しても搾取される構造だ。それに嫌気がさして結婚を望もうものなら、今度は婚活産業に搾取される。

 だけど、「結婚さえすればどうにかなる」なんて幻想だ。栗田さんは、この「結婚すればどうにかなる」という価値観や感覚について、「逆に女性フリーターを苦しめるものにも思える」と書いている。

《個々の女性が結婚さえすれば、フリーターの問題は解決するとは思えないから。女性で、公務員等の手堅く稼げる職(それはなんと少ないことだろう)に就けないとすれば、銀行でお金を借りることもできず、相手を保証することも当然できず、家を借りることすらままならず、それならばと親と同居すれば「パラサイト」と言われる「構造」、その「構造」は微塵も変わらぬまま、「結婚さえすれば」よいのか 》

 そんなことを悶々と考えながら、栗田さんも私も40代になった。私はフリーランスで、栗田さんは非正規で働きながら。そんな単身アラフォーの人生はトラップだらけだから、私は今も貧困問題をテーマにし続けるしかない。そんな私や栗田さんの現実について、立派な肩書きがあり、安定した高所得があるA氏のような男性には決して想像がつかないだろう。だからこそ、「すぐ飽きてやめる」と思ったのだろう。だけどA氏と違い、私の人生は落とし穴だらけなのだ。

A氏との対談から、10年以上。私が今もこの活動を続けていることについて、彼はどう思っているのだろうか。聞いてみたい気もするけれど、もっとひどい「代弁」をされたらたまらないので、やめておこう。


またもや、狂い咲き。(大山蓮華)

落葉キノコは順調です。




週刊ポスト、なんて要らない・・・?

2019年09月03日 | 社会・経済

週刊ポスト、「韓国なんて要らない」特集で謝罪 「10人に1人は治療が必要」が物議、有名作家も多数批判

  J-CASTニュース / 201992

201992日発売の「週刊ポスト」13日号をめぐり、小学館は219時、同誌のニュースサイト「NEWSポストセブン」上に、週刊ポスト編集部名義で「週刊ポスト913日号掲載の特集について」と題した謝罪文を掲載した。

同号では「韓国なんて要らない」と銘打った特集記事に対し、ツイッターなどでは作家・ジャーナリストからの批判が相次いだ。

「誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました」

「週刊ポスト」913日号では「韓国なんて要らない」というタイトルでの特集記事を掲載し、GSOMIA破棄などが韓国に与える悪影響をシミュレーションする内容だった。

さらに第2特集「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」では、韓国人の10人に1人が、日本で「火病」とも揶揄される「間欠性爆発性障害」であるという韓国の医学レポートを根拠に韓国社会のストレス構造などを批判した。

表紙には「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 厄介な隣人にサヨウナラ」「『10人に1人は治療が必要』――怒りを抑制できない『韓国人という病理』」などの文字がおどり、2日の新聞各紙には広告も掲載された。

この内容にネットでは批判が噴出し、同誌でリレー連載「作家たちのAtoZ」を連載していた作家の深沢潮氏は連載から退くことを表明し、小学館の「月刊!スピリッツ」に連載している漫画家のゆうきまさみ氏も「週刊ポスト、僕の漫画に出てくる週刊誌よりひどい」とツイートした。作家の柳美里氏も同誌を批判するツイートを複数投稿している。

一連の指摘を受けて、小学館は9219時に「NEWSポストセブン」サイト上に、週刊ポスト編集部名義で、

「週刊ポスト913日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります」

と謝罪文を掲載した。J-CASTニュースでは2日午後、小学館広報に取材したが、これに対しても同様のコメントで回答した。

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ハフポストNEWS  2019年09月03日

 

青木理氏「週刊ポスト」の「断韓」特集受け「排外主義的な特集に出版社がすがりついている」

 

テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に出演し、テレビで韓国に関するニュースが増えている「理由」についても危機感を示した。

 

   ハフポスト日本版編集部

 

9月2日発売の週刊誌「週刊ポスト」が「韓国なんて要らない」などと題する特集を掲載し、小学館と関わりのある作家らから「差別扇動」などと批判を受けた問題。

 

発行元の小学館はハフポスト日本版の取材に対し「誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました」などと回答している。

 

この問題について、9月3日の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)が取り上げた際、コメンテーターとして出演していたジャーナリストの青木理(あおき・おさむ)氏が、「排外主義的な特集をするとそれなりに売れるというようなところにある種すがりついている」というような兆候が出版社の中にあると指摘した。

 

また、韓国についてのニュースに注目が集まる背景に、「韓国が混乱しているということを、ある種のエンターテインメント」としてとらえる感覚が日本社会の中にあるのではないかと指摘し、危機感を示した。

 

■「『韓国を叩いておけばうけるでしょ』というような風潮」

 

青木氏は、2018年に性的少数者に対する差別的な論文を掲載したとして批判を受け、休刊となった月刊誌「新潮45」(新潮社)について言及した後、こう続けた。

 

「雑誌が全般的に売れなくなってくる中で、こういう排外主義だったりとか、ある種『ネトウヨ(ネット右翼)』的な特集をするとそれなりに売れるというようなところに、ある種すがりついているっていうような兆候が各出版社にあるんですよ」

 

「ちょっと派手にうてば売れるだろうみたいなところがあって、これが雑誌業界のほんと悲しいところなんだけど、現実としてそういうのがある」

 

ただ、これは出版業界だけではなく、テレビ業界の問題でもあると指摘した。

 

「ただ、テレビもそうですよね。テレビなんかでも最近、『韓国を叩いておけばうけるでしょ』っていうような風潮がものすごい強まって、昔日本(メディア)の方が多様性があって、韓国のメディアの方が反日一色だったんだけど、韓国のメディアの方がむしろ今回、文在寅政権に対する疑問の声が出ている」

 

「(日本で)挙句の果てには、ヘイトクライムを誘発するような発言をテレビで言う人たちが出てくる。雑誌が平気で特集を組む。あるいは隣国を本当に単に差別しているような本がベストセラーになる。我々もメディアの片隅に生きている人間として、ほんと深刻に考えないといけないと思いますよ」

 

8月には、TBS系の「ゴゴスマ」で、出演者の韓国に関する発言で批判を受け、番組が謝罪をする事案もあった。

 

■「韓国の混乱はある種のエンターテインメント」ととらえる風潮?

 

元共同通信記者の青木氏は、日本人は国際ニュースにあまり関心がないと感じてきたといい、韓国のニュースにこれだけ注目が集まっていること自体には「うれしい」部分もあるとしつつ、テレビで韓国に関する報道が多くなっていることの「理由」への危機感を示した。

 

「(韓国が)混乱するのは、ちょっとある種うれしい、というような気持ちが、今の日本のある種内向きな気持ちが逆に出てきていると、こういう形の興味の持ち方になるのかなという気が。僕は心配です」

 

「韓国と対立して、韓国が混乱しているということを、ある種のエンターテインメントというかニュースを楽しむ、みたいな感じが日本の中にあるとすると。興味を持つことはいいんですよ、知ることはいいことなんだけれども、あんまり健全じゃない面も一部にあるのかなという気はします」



防衛費、米追随色濃く 20年度概算要求

2019年09月02日 | 社会・経済

  東京新聞 2019年8月31日 朝刊

 

 防衛省は三十日の二〇二〇年度予算の概算要求に、米軍と自衛隊との軍事的一体化を進める武器の購入を多く盛り込んだ。貿易赤字削減のために米国の武器購入を迫るトランプ大統領の要求に応え、国内外で問題が多発しているF35戦闘機の配備も継続する構えだ。

 概算要求の総額は、七年連続増加し六年連続で過去最大を更新する五兆三千二百二十三億円。このうち、米国に有利な条件で武器を購入する「対外有償軍事援助(FMS)」による調達費は五千十三億円に上る。

 護衛艦「いずも」の事実上の空母化に向け、戦闘機を発着艦させるための甲板の耐熱改修費は三十一億円を計上。安全保障関連法に基づき、改修後は他国を攻撃する米戦闘機の着艦や洋上給油も可能になる。

 いずもへの搭載を念頭に短距離離陸・垂直着陸できる米国製ステルス戦闘機F35B六機の購入費八百四十六億円が初めて盛り込まれた。通常の離着陸を行うF35Aも三機(三百十億円)を購入する。いずれもレーダーを避け敵基地を攻撃する能力を備え、憲法九条の専守防衛を逸脱しかねない。

 F35を巡っては、航空自衛隊のF35Aが四月に墜落して操縦士が死亡し、米国でも昨年九月に海兵隊のF35Bの墜落事故が発生。米政府監査院(GAO)はF35の重大な欠陥十七件が未解決だと指摘している。

 米国製の地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」も、候補地選定に使用したデータの誤りなどにより、配備予定地の秋田県が強く反発し、同意を得る見通しが立たないにもかかわらず、ミサイルの垂直発射装置六基の関連費百二十二億円を計上した。

 岩屋毅防衛相は三十日の記者会見で、GAOが指摘したF35Bの問題点について、安全性の確認が米政府からまだ取れていないと認めた。日米貿易交渉と同様に、防衛予算でもトランプ政権への配慮がにじむ。 (上野実輝彦)


 どこにこんなお金あるんでしょう!
年金削って、福祉削って・・・
賃金上がらず、生活削って、命削って・・・

 先日までの雨不足がいろいろな形で表れてきている。
梅の木が葉を落とし、接ぎ木している部分から新しい枝を伸ばしている。これが台木から出たものか、接ぎ木部分から出たものか微妙である。こんな時はほとんど台木からのものだろうと思う。1本だけではやはり受粉しなかった。それで植木鉢から1本地植えしたのだが、これまたすっかり葉を落とし、先日紹介したように花をつけてた。
 また、シャクナゲの花まで咲きだした。

 来春咲かせる蕾だと思っていたら、なんと今頃咲き出した。

アライグマに食べられたスイカ。

豊作ズッキーニ。

支柱を立てる栽培方法もあるようですが、やったことはありません。今も1.5~2.0メートルほど「ツル」を伸ばし、節々からは新たな根を伸ばしています。