森の浸りと痛み!
(* 管理人のあれこれ話し)
四反田谷(自然6号路)の小さな渓流に下りてみる。
途中から急に水が溢れ出し、それが周りの少しの谷水を集めて
谷川になり箕面川に注いでいる。
岩場の間に大きな枯れ木が横たわり、その上に二輪の赤い
ヤブツバキの花が落ちている。
上から眺めていると、そこだけが急にスポットライトを浴びた
ように谷間が華やぎ、輝いているのだ。
ゆっくり慎重に斜面を下り谷底に近づくと、何か時々鳴声が
聞えてくる・・・?
水の流れにかき消されてよく聞き取れないものの、
岩場で耳を澄ましていると・・・
どうやらカエルの鳴声・・・ウシガエル? イワガエル?
二匹いるようで交互に鳴いている。
求愛行動なのかな?
人間のおじゃま虫がきても恋に夢中のようで、その鳴声は益々
熱を帯びてきているようだった。(笑)
木漏れ陽が渓流を照らすと、水面がキラキラと輝いている。
見上げればヤブツバキの紅花が沢山咲いている。
ここは野鳥の村と言われるだけあって、沢山の鳥たちが
飛び交っている。
こんな谷間で一人浸っていると、自分がすっかり自然の一部に
なったようで、人間を忘れてしまいそうになる。(笑)
小さなタチツボスミレが薄紫の清楚な花を咲かせ、風になびいて
いるのに見とれた。
清水谷から自然8号路を上り、北摂霊園の満開の桜を見ている
と、霊人たちも今頃お花見をしていることだろう・・・
などと想いを馳せる。
高山の村落を経て明ヶ田尾山へ向かう谷間で、それまで痛みを
感じつつも何とか歩いていた右足がとうとう動かなくなった。
足裏を地面につけるだけで 激痛!
何だこれは?
ここで半分の折り返し地点だから、まだまだ歩かねばならない
というのに・・・
ケイタイは繋がらないし、一人のハイカーとも出会わない谷間で
不安になってきた。
それにイノシシの足跡を幾つか見つけると、とても野宿するような
勇気もなく、痛む脚を休めほぐしながら苦悩した。
しかし、一時間も休むと何とかストックを頼りに左足で歩き始めた。
早くしないと日が暮れる・・・
それから必死の思いで尾根にで、梅ヶ谷へ下り、また斜面を登り
時には四足になって鉢伏山を経て何とか下ってきた。
よかった・・・ 安堵!
今日の前半、あの四反田谷で自然の一部になったようだ・・・と
浸っていた至福の一時間と・・・
後半、明ヶ田尾山の谷間で痛みと苦悩していた一時間と・・・
同じような所にいたのに、この落差はどう違うというのだろうか?
そこには「痛み」と言う人間的な意識のあるなしによっての差で
あったこと・・・のみ。
家に帰り、熱い風呂に入りながら痛んだ脚周辺をマッサージして
いたら治まってきた。
人間も獣、鳥、昆虫などもそうだが、自らの意思や都合で動く事が
できる。
しかし植物や樹木は大地に根を下ろし動かないし、
勝手に動けない。
鹿に樹皮を食べられても、虫に食われ、天候に苦悩しても
じっと我慢している。
小さな木から大樹に至るまで、春になれば年に一度は新芽をだし
常緑樹でも若葉と入れ替えて成長していく。
それなのにただそこに沈黙し、たたずんでいるだけ。
そして動ける人間や動物たちよりも遥かに長い年月を
生きている。
(時には屋久島の縄文杉のように7000年も~)
この自然界の静と動の違いは何だろうか?
自然界の生物は人間がいなくても生きていけるが、
人間は自然なしでは絶対に生きてはいけない・・・
どんなに万物の霊長と威張って見ても、科学技術がどんなに進歩
しても、ジャガイモ一個、牛1頭の生命を創ることもできない。
そうなれば好物の肉じゃがも作れない・・・(笑)
やはり人間は自然界の生物と共存共生していかねばならない
事を実感する。
それなのにこの地球の環境破壊はひどい・・・
自然が破壊され、最近の気象異常や天変地異をみると
人間の自然との対立の結果なのかな~ と思ったりする。
そんな取り留めのないことを考えながら風呂の湯船につかり
浸っていると・・・
このひと時もまた、あの谷間の自然と一体となっていたときの
ような、違った浸りの幸せ感だな~ と、トロンとしてくる。
お陰でゆでだこになってしまった。(笑)
’10-4-17 (晴れ)