箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

お猿さんの恩返し?  不思議な体験!・・・(2)

2007-02-22 | *編集・その他

お猿さんの恩返し?  不思議な体験!・・・(2)

 

 (1) から続く・・・

それは一瞬の思いでした・・・ 心に浮かんだことがありました。

もう遠くにいたので思い違いかと ?

あれから何度か心に確認してみましたが・・・

やっぱり1年半前のあの時のお猿さんに違いない・・・!?

 

それは左足を引きずっていた障害をもつお猿さんでしたが・・・ 

先ほど森であったときは恐怖の方が先でそんなことまではよく見ていなかった

のに今、去っていく少し先から改めてみると左足を引きずっていたのでした。

そしてその数秒後にはもう森の中に入っていって見えなくなりましたが・・・。

 

 

あれは夏の暑い日でした。

私は 「EXPO90みのお記年の森」 から 「堂屋敷山」 を経て 

「天上ケ岳」 で一休みをして後 「山伏の修験道」 を 

「ビジターセンター」 へ 向かって歩いているときでした。      

山道の切り株の上に一匹の親ザルとまだ幼い小猿がちょこん! と、座って

いました。 

急に横にいて私はビックリしたのですが、私を見ると2匹ともゆっくりと私の後

付いて来ました。

 

よく見ると2匹とも 何となくやせていて少し哀れな印象をもちましたが, 

親猿の方は左足を引きずっていて少し気にはなりましたが、私はそのまま

歩いていたのです。

でも何となく後ろを振り返るとある一定の距離を保ちながら ず~ とついて

くる様子です・・・   群れを追われたはぐれ猿か?    

何か理由があって群れにおれないのか?   

群れで行動する大家族制の猿族ですから、何か理由がありそうです。 

足が悪くて食料調達ができないのか?  小猿は可哀想にな~・・・ 

いろいろ考えたり, 振り向いてそれとなく観察したりしていました。   

 

この森の西側には天上ケ谷があり、この谷には

「箕面猿の保護管理センター」(正式名称は?)  があって専門係官が

常駐し、1日の決まった時間に餌をやっているので、ここに群れている限り

飢えることはないはずだが・・・?

一度私はこの谷を歩いたとき, 丁度餌やりの時間にぶつかった事があるが、

約1kmの谷間をマウンテンバイクに乗った係官が大きなバケツに餌 

(雑穀の米粒のようだったが・・) を撒きながら・・・      

その後を数百匹の猿達が追いかけながら続いているのを、目の前で見た

ことがある。

どこから出てきたのか?      餌の時間を知っているのか?       

とにかくすごい数だったが、それが谷間を埋め尽くすようにしていた。

 (私も一時、その大群の中に埋まってしまったが・・・)      

一粒一粒を拾って食べている姿は壮観だった・・・・・。

 

どうしてあの親子猿はそこにおれないのだろうか? 

そんなことを思い浮かべながらまた、振り返ってみたらまだ遠くからついて

きている・・・    

「分かった・・分かったよ!  ちょっと待ってな・・ 」 

私はリュックを下ろして何か食べ物を探した。  

私はいつもお昼を二分して食べるのでまだ残っていたバナナとふかし芋、

それに常備して持っているピーナツとチョコレートを全て出して、横の切り株の

上に並べた・・・ 

よし!   これでいいや・・・ 

私はありったけの食料をだして、遠くから見ている親子猿に指さして・・  

ここに置くとくからね・・・  と合図をし、すぐに歩き出した。  

しばらくして振り返ったら相変わらずのゆっくりした歩きだが、私の置いた

食べ物の所へ近づいていた。

それからの事は分からないし・・・ もうとっくに忘れていたのだが・・・。

 

でも、あの母親の足の怪我の事は他の事故のことから思い出すことが

あった。

それは、いつか滝上の駐車場で見た悲しい光景だ。

ここには車から猿達に禁じられているお菓子などの餌をやる人々が絶えず、

たまに車に轢かれてしまう小猿がいる・・・

 

私はその日、いつものように沢山の猿群が観光客から餌をもらい人も猿も

ワイワイ、キーキーといっている所に、一匹の母ザルがもうとっくに皮ばかり

に干からびた小猿の亡骸を大事に抱えながらいるのを見て、衝撃を受けた

事があった。

その時にあの左足を引きずっていた親子猿のことを思い出したのだが・・・・

 

(箕面ドライブウエイの道路わきによく車を停めて猿達に食べ物をやっている

人がいて、 それを覚えていて人間様から餌をもらう為に待ち受けている

猿達・・・ そしてその中の小猿が車に轢かれることがある・・・

この事はまたいつか機会を見て話をしよう・・・ ) 

 

そんなわけで余談が長くなったが・・・ 

話を元に戻すことにしよう・・・

この迷った森の中で私に道案内をしてくれた(?) のは、 あの時に

出会った親子ザルの足の悪かった母猿なのか?    まさか?

良いように解釈すれば、 あの時の私を覚えていて迷った私を助けてくれた

のか? 

普通に解釈すれば、たまたま通りかかっただけで、たまたまそのとき足を悪く

していただけの別の猿で、 こじつけにしても程がある・・・ となるのか?・・・

どうやら後者のほうが常識的かも知れない・・・?

でも、あの時の小猿はその後どうしたのかな?   生き延びたのか?

あれから1年半を経てもう立派な大人になって親離れしたに違いない・・・ 

母猿は子育てを終えて今は一匹 悠々自適に森の中を駆け回っているの

かもしれない・・・ 

そんなことを勝手に思いながら 時の移ろいを感じつつ不思議な思いを胸に

箕面の森 を 後にしたのでした・・・

 

のお猿さんも、今ごろ ”世話のやける人間だな~もう・・・”  と つぶやいて

いるかも? (笑)

 

 

06-12 (完)


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お猿さんの恩返し?  不思議な体験!・・・(1) 

2007-02-22 | *編集・その他

お猿さんの恩返し? 不思議な体験! (1)

 

 

数年前の初冬の1日の事だった・・・

暖冬のせいか?  暖かい冬の始まりだ・・・   

穏やかで、冬の寒い風もなく、まるでもうすぐ一気に春が来そうな

気配の一日だった。

私はこの日、箕面ビジターセンター駐車場に車を停めて、前の

道から「東海自然歩道」に入り、 最勝ケ峰から 北摂霊園、 

高山, 明ケ田尾山、 梅ケ谷、と回り  鉢伏山へと向かって

いた。

まだ残り紅葉が最後の色香を見せていたし、鳥の群れが木々から

飛び立つごとに大量の落葉があって、それはまるで枯れ葉の

シャワーのようだった。                          

何本かのカエデの木がありその紅葉が見事でしばしそこで休憩を

しようとしたが・・・

どうせならもう少し奥の森に入ってみようとおもい・・・   

全く初めての森の中だが、ごく細い「獣道」だろうか?   

そこへ分け入っていった。

 

すると急に開けたところに出て・・・

そこは余り人が来ないのであろうか何とも自然で気持ちのいい

ところだった。

私はもう4時間ほど歩いていたのでこのところで一休み・・・と、 

リュックを下ろし,中に入れていた折り畳みの小椅子を出して座り、

残っていたコーヒーとチョコレートを食べながら私の好きな森浸りを

愉しんでいた。

それは目を閉じて体を楽にし、瞑想するような感じだが 

実に心が穏やかになり癒されるものだ。

小鳥のさえずり・・森の風の音、落葉の瞬間の音、時々風で

揺れる木々が擦れ合う音、耳を清ませばいろんな音が共感し合い

それはそれは素晴らしいハーモニーとなって私の心に響き渡る。

 

その内、少し疲れたのか、または森のコンサートに酔いしれた

のか眠たくなってきて、私は小椅子を枕にして落ち葉の中で体を

伸ばし再び目を閉じた。

どうやら眠ってしまったようだった。     

しかしその時間は僅かだったように思う。冬の日が落ちるのは

早い・・・

もう西に太陽は沈みかけていたが、やがてそれが消えると急に

森の中が薄暗くなってきて私は急いで帰り支度をした。

 

寝ぼけているのか頭がぼんやりしながらも帰りを急いだ。

しかしどうも先ほどから道がおかしい?   

さっき来た方面の景色と違う?   

もともと獣道を辿ってきたので足元が薄暗くなると間違えたのかも

しれない・・? 

回りを見渡しても思い当たる景色は見当たらない・・・どうしよう?   

一瞬このまま迷って夜になれば全く装備なしではいくら暖冬とは

いえ、冬の冷え込みには耐えられない。   

困った・・・!  どうしよう・・・

 

ところが,そこへ一匹のお猿さんが前から来たのだ・・・

このときは恐さが先に走った・・・

朝や昼なら話は別だが、薄暗くなった森の中では不気味な

出合いだ。 

しかし、お猿さんは横へそれながら、私の顔を見ると,

私が来た逆の方へ歩いていく・・・ そしてまた私のほうを見る。

私は何となく後について逆に歩き始めた・・・ 

    

途中で右に入った・・・

道なき道だがそういえばさっき来るとき分け入った道に似ている?           

すると、まもなくあの最初に休もうかと思ったカエデの木々が

先方に見えてきた・・・ 

 助かった!    よかった・・・  

ホッ! とした安堵感でいっぱいなった。

 

つかの間の恐怖と不安感を味わった後なだけに カエデの木が

どんなに美しかった事か・・・  

もし、あそこで お猿さんの後をついていってなければ

全く逆方向に向かっていた事になり、少し背筋が寒くなった。

お猿さんの道案内? なんて・・・   誰も笑うだろうな・・・ と 

思いつつ今日まで誰にもいわなかった。

 

(実はこの体験話はこれから始まるのだが・・・)

 

もうすでに遠くを行く先ほどのお猿さんを改めて見ようとしたとき、

一瞬私の心に衝撃が走った・・・

 

(長くなったのでコーヒーブレイクとして、この続きは明日にしよう。)

 

 

(2) へ 続く・・・


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箕面人は3万年前から・・? 

2007-02-17 | *編集・箕面の森ガイド

箕面人は3万年前から・・・?

 

箕面の歴史は古く,約3万年前に人がいたという物的証拠があります。                  

私が資料館で見たときは感動ものでしたよ。

* キャンプ生活の旧石器時代や一万年前の縄文時代の土器。

5000年前の米作りの跡が現在の箕面稲, 瀬川 遺跡から発掘され

20~30人程度が群れで点在して暮らしていたようです。新稲にも古墳群が

ありました。

* 縄文後期の2400~3000年前の遺跡が箕面 白島から発掘されています。

 

* 400年前、箕面にもM8.1の大地震がありました。  

それ以来、地震断層の安全地帯に人々は住むようになりました。

しかし近年は、そんな事おかまいなしに断層の真上にもいっぱい住宅が

建っていますね。

恐いですね・・・ それはどのあたりなのか知りたいですね。

私は郷土資料館の学芸員の専門家に一度聞いた事があり、わが住まいの

有る所は大丈夫だ! と、安堵したことがあります。

でも、この地震は2.500年周期とか?        

全く関係ないですね・・・?   

(こんな事も知るのも面白いと思いませんか? )

                                                            箕面には面白い歴史がいっぱいあります。 

郷土資料を見るのも私の楽しみです。 

 

 

* 箕面市立郷土資料館 

阪急、箕面駅の前のみのおサンプラザ 1号館の地下一階にあります) 

電話 (072) 723-2235 

開館時間 午前10時~午後5時

休館日 毎週木曜日 年末年始   

箕面の遺跡や古墳から見つかった埋蔵文化財を展示した考古資料から 

江戸時代からの箕面の農業や農機具などの民族文化財も展示されてます。 

また昔の農家を再現したコーナーもあり、私には楽しい一時です。

 

 

箕面山の略年表

 

650年   役小角が「箕面寺」(現在の瀧安寺)を創建。      

701年   役小角、箕面山天上ケ岳で遷都化する(現在、碑がある)     

727年   光仁天王の皇子「開成」が勝尾寺を創建。

       (平安時代の流行歌を集めた「梁塵秘抄」に勝尾寺・箕面寺が

       「聖の住所」として収められている。     

1333年   2月21日、箕面寺に対して、皇太子大塔宮親王が、後醍醐天皇

        の無事を祈るための令旨を出す。

        天皇は隠岐島から脱出し、天皇から「瀧安寺」の寺号を賜る。     

1575年   日本最古の「富くじ」が箕面寺ではじまる。      

1579年   天正7年 織田信長が箕面の滝を見物する。(信長記)     

1596年   滝周辺にあった箕面寺が地震により崩壊、慶長8年(1603年)

        に、現在地に再建。          

1687年   松尾芭蕉が箕面の滝・勝尾寺を訪れる。     

1701年   赤穂浪士、大高源五が箕面の萱野三平と共に、勝尾寺・

        箕面の滝へ 

1829年   頼山陽が母と共に箕面の紅葉狩りをする。     

1871年   箕面山が官有地になり、東京の高尾山と共に、我が国最初の

        「公園地」となる。     

1875年   箕面山が「勝地」となる。     

1886年   一の橋から瀧安寺までの箕面川沿いに道が新設される。     

1898年   大阪府の管理公園として「箕面公園」が開園する。     

1899年   箕面山が再び瀧安寺の所有地になる。     

1907年   大阪府が再び買収して公園となる。     

1910年   箕面有馬電気軌道株式会社により、箕面と梅田が鉄道で結ば

        れ、「箕面動物園」が開園する。

        鉄道開設にあわせて沿線沿いには宅地造成が増加する。      

1915年   野口英雄が母と共に、箕面の滝を見物する。

        箕面動物園が宝塚へ移転する。     

1921年   「箕面植物見本園」が開設される。     

1922年   隣接する国有林に約6kmの回遊道路が開設。     

1932年   箕面山遊覧自動車道(ドライブウエイ)の工事開始。     

1956年   箕面山が「国の名勝」となり、サル生息地が天然記念物の指定と

        なる 

1967年   明治100年記念として、明治にできた公園として東京の高尾山と

        共に「明治の森箕面国定公園」に登録される。     

1974年   箕面山と高尾山を結ぶ全長1.697mの「東海自然歩道」か完成

        する。

 

   

 

                                                                         


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明治の森・箕面国定公園とは・・?

2007-02-16 | *編集・箕面の森ガイド

(1) 明治の森・箕面国定公園とは・・・?

 

明治の森 箕面国定公園は、昭和42年に明治百年を記念して東京都の

高尾山と共に国定公園に指定されました。

大阪府箕面市北部の低・山岳地帯(標高100~600m)に位置し、昔から

箕面大滝と紅葉で有名で大阪府営箕面公園とその周辺の森林963haの、

明治の森高尾国定公園に次いで小さな地域です。

大都市近郊にありながら(都心の梅田から阪急電車で早ければ約40分

足らずで着きます)、およそ1.300種の植物と3.500種の昆虫、野鳥、動物、

両性・爬虫類、魚類など生息する自然の宝庫です。

ちなみにイギリス全土の植物は400種ぐらいです) 

また、我が国最古の町石(塔婆)や八天の石蔵など豊かな文化財を有する

地域です。

自然観察や文化財探訪、散策やハイキングなど四季を通じて訪れる人の

絶える事はありません。

 

 

(2)箕面ビジターセンター

箕面の森のほぼ中央にある「政の茶屋園地」(*御茶屋さんではありません)

、のなかに有るビジターセンターは森を利用する人々に森の内容を説明し

、自然と人間の対話を図る為に設けられたこの公園の中心施設です。

自然解説指導員が公園内の季節ごとの見所や、動物,植物,昆虫などの

箕面の森の自然に関する質問に答えています。

また施設の中にある「森の博物館」の展示室では箕面の森の動植物,地形

、地質などを模型や写真、標本などで分かりやすく解説しています。

レクチャールームは、自然観察やハイキングの集まりにも利用でき

「森の図書館」には2.000冊の自然関係の本やアウトドア関係の蔵書を

そろえています。

この「政の茶屋園地」は、箕面の森の散策、ハイキングコースの起点と

なっており、東京の明治の森・高尾国定公園ビジターセンターまでの

「東海自然歩道」は一都ニ府8県を結び、総延長 1.697kmのスタート

地点です

また、ここから自然3号路、2号路、百年橋,箕面の滝、天上ケ岳、堂屋敷跡,

箕面川ダム、自然6号路、7号路、エキスポ90みのお記念の森・・・ へは、

政の茶屋園地駐車場から登ります。

ばばたれ坂、こもれびの森、才が原林道、地獄谷、風呂ケ谷、・・・ へは、

政の茶屋園地入り口の府道の向かい側からのぼります。

 

*休館日  毎週火曜日 (祝日の場合は翌日)、年末年始。

*開館時間 午前10時~午後4時

*駐車場  平日は開館日、開館時間と同じ

        土、日、祭日は午前9時30分~午後4時30分

*もみじ広場の利用  午前10時~午後3時 (定休日はセンターと同じ

      ・バーベキューは予約制です           

      (ごみは全て持ち帰っていただきます)

箕面ビジターセンター電話 (072) 723-0649 

 

 

(3) エキスポ90みのお記念の森 

1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」の開催を記念して、明治の森

箕面国定公園に整備された森林公園です。

園内には四季の花が楽しめる「花の谷」や、野外学習の場として活用できる

「芝生広場」、晴れた日には遠く神戸の六甲山まで見渡せる「展望塔」、

などの施設があり、自然の持つさまざまな魅力が満喫できます。

広い駐車場に車を置いて、例えば、鉢伏山から明ケ田尾山~キリシタン大名

だった高山 右近の生地「高山」の集落へ~府下最大の「北摂霊園」~

東海自然歩道~清水谷~四反田谷から駐車場に戻るコースなど

私の好きなコースでお薦めです。

(開場、時間、休場などは箕面ビジターセンターと同じです)

 

(4)


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箕面の森への「私の提案」 

2007-02-16 | *編集・その他

(私の提案項目です・・・)

 

 

(1) 

箕面・滝道(箕面駅前から箕面大滝までの2.4km)に架設されている

見苦しい電線と電柱を地中に埋めてもらい、景観を良くしたい!。

 

 

 (2) 

箕面大滝の上の「大日駐車場」から、「箕面ビジターセンター駐車場」へ

かけての景観の良い車道の渓流沿いに車椅子でも、お年寄りでも、

安心して散策出来る「散策歩道」を作りたい!

 

 

(3)  

箕面駅から箕面大滝までの滝道にお年寄や体の不自由な方のために

展望電動車、または、観光人力車を走らせたい!

 

     

 

(4) 

ドイツの「森の幼稚園」を参考に、箕面の森にも森の幼稚園をつくり

たい!

 

     

 

(5)  

箕面ビジターセンターの施設外に公衆電話を設置してください!

(箕面の森の中はほとんどの携帯は圏外でつながりません。

森の唯一の有人施設のビジターセンターにも公衆電話がありません。)   

 

   

(6)  

                                                                                       


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森にごみを捨てないで下さい! 

2007-02-15 | *編集・その他

 森にごみを捨てないで下さい・・・ 怒ってます!

 

 

ごみを森に無造作に捨てている方を見かけます。 

捨てられたプラスチックやビニールやビン、缶などはこれから100年間、いや

もっとそれ以上・・・貴方の孫やひ孫の時代にまで森の中で置かれ続くの

ですよ。

家の中の心安らぐ部屋の中に貴方は空き瓶や空き缶をほり投げておき

ますか・・・?

森は貴方の心やすらぐ部屋と同じです。

「自分の出した森のごみは全て持ち帰る・・・」 事にしましょうよ。

 

一人一人が心して、少し意識すれば、誰か人が見ていようが 見ていなくても

ちょっとした心遣いでポイ投げの連鎖が防げると思いますよ。

この前、修験道で若者が飲んだ空き缶をどこまで投げられるか山の尾根で

競っているところに出くわしました。        

私の怒りは頂点に達しました。

上からは見えませんが、下にはいくつも山道が通り、どこをハイカーの人が

歩いているかもしれません。     

私の怒り声に一瞬ひるんだものの反撃してきました。

 

   *  なに言うてるねん!  ここにもあっちにもいっぱいっぱい棄てて

       あるやん。

       なんで俺らだけ怒られないかんね・・・ 

       さっきもな~そこで飯食ってたらおじんや おばんが食べた後、

       藪のなか・・・放ってるの見たもんな・・・

私は ダメなものはダメなんや・・・ と、諭す事しかできませんでしたが、

マ ナーを示さねばならない大人から常識に欠けることをしていたら、何をか

言わんやです。

だから連鎖を防ぐ為にはまず自分から、次いで家族,友人、親しい人へと

棄てない習慣が伝わっていけばいつか悪習は少なくなると思いますが・・・。

 

それとも・・・あの車のシートベルト無着用時には高かった事故死亡率が、

罰則が強まり、皆が否応なしに着用するようになってから急に死亡率が減り、

いつしか着用が習慣化しましたね。

人間、あるときは共生していく為に、罰則を持った強制化が必要なので

しょうか?。

 

少し悲しいですが・・・ 

例えば国によっては森へのごみ棄ては10万円の罰金だったか?

かなりの罰則のようで、そのとき読んだ本を他人事のように見ていて、今どこ

へいったか分かりませんが、日本でもそんな法律が必要な時期が、その内

くるのかもしれません。

 

昨日は、EXPO90箕面の森から五月山ドライブウエイを歩き、途中から

天上ケ谷へ向かいましたが・・・

途中,池田側の斜面にはおびただしいごみが棄てられていて呆然としました。 

夜にでも車で棄てに来るのでしょうか? 

(もっともこの前は昼間から堂々と棄てている車を山の上から丁度目撃して

大声をあげたらビックリしてすぐ飛び乗っていってしまいましたが、そのときは

もうほとんど棄てた後でした )

 

アルピニストの野口 健さんがやっておられるあの世界のエベレスト清掃

登山、モンブランもエベレストも ごみが多いんですってね・・・

それに2003年から始められた富士山清掃登山、大変なごみの量だそうです

が、不法投棄されたごみや、トイレから垂れ流された汚物による環境問題

から自然遺産登録からも外されたとか・・・

日本の象徴、霊峰富士山がこれでは世界にも恥かしいですね。

でも野口さん達はまず「富士山から日本を変える」をスローガンに活動されて

いる姿には賛同し、敬服しています。

 

「箕面から日本の森を変える・・・」 なんて、心意気と気概でやってやって

行きたいものですが、先ずは自分からです。  

千里の道もまず一歩から・・・ と、言いますからね。

 

 

(お知らせです・・・)

 

第三回 箕面の山をきれいに・・・大掃除大作戦

  (参加者募集 !)

   

みのお山麓保全委員会と箕面パトロール隊は、毎月定期的に

箕面の山や森のゴミ拾い活動を続けてきましたが、毎回数人の体制

では大量のゴミ収集は難しく、次の要領で「大掃除大作戦」を催す事に

なりました。

ぜひ、たくさんの方々のご参加をお願いいたします・・・・とのご案内です。

* ちなみに私も参加の予定でいます *

 

日   時   3月25日(日) 雨天時は31日(土)に順延

時   間   9時(受け付け8時半~ )

集合場所   阪急、箕面駅前の「箕面観光案内所」前へ

大掃除場所  箕面、才ケ原林道一帯

参加費     無料(保険あり)

準備物     ご自分の昼食、飲み物、雨具,タオルなど

募集人数    200人

 

問い合わせは・・・

NPO法人 みのお山麓保全委員会

電話 072-724-3615

  

07-2 (完)


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私の生まれ故郷 信州・安曇野(あずみの)を想う (D-3)  

2007-02-15 | 箕面の森のあれこれ話し!

 私の生まれ故郷 信州・安曇野(あずみの)を想う!

   

 

私は、長野県南安曇郡 南穂高村立小学校に入学しました。 

家は藁葺きの平屋で、祖母が家の前で野菜を作っていた。                            国鉄大糸南腺の「豊科駅」と篠ノ井線の「田沢駅」の中間に位置する「寺所村」に住んでいたが、は私が2歳のとき病死し、は父から感染した結核の為、松本の国立療養所にいて,面会もままならず私は田舎で祖母と暮らしていた。

 

朝起きて、裏木戸を開けて外に出ると・・・目の前には万年雪を抱いた常念岳(2857m)、横通岳(2767m)、大天井岳(2922m)が正面に見え、左方面には穂高岳(3190m),大滝山(2616m)、槍ヶ岳(3180m)、右方面には有明山(2268m),遠く鹿島槍(2889m)、白馬岳(2932m)など・・・

この日本アルプス連山の見事な景観はいつも当たり前のように見ていたが、しかし子供ながら真冬の晴れた日に見上げる真っ白な山々や、春から夏にかけて・・・また秋から冬にかけての山の移り変わりには子供ながら何か畏敬的で神秘的なものを感じていた。

 

になると田畑はレンゲ草のピンクの花で埋め尽くされ、頭上には天高くヒバリが囀っている・・・麦畑で新芽を踏む手伝いをしながら、なぜせっかく出てきた芽を踏むのか不思議だった・・・祖母は畑に種をまいている。

アルプスの山々の雪が少なくなってくると野山は新緑で溢れ、花や木が一斉に綺麗なを咲かせ始める・・・生き生きとした新鮮な季節が始まるとみんな嬉しくなってくるのだった。

 

になると野菜畑にはいろんな野菜が実ってくる・・・大きなトマトを取って、横の小川で洗って口いっぱいにほおばったとき、目の前に大きなアオダイショウがこっちを向いていて,ビックリしたり・・・でもその小川では、竹で編んだザルを持ってよくどじょうすくいをした・・・沢山取れて祖母に持っていくとそれを甘辛く煮て出してくれたが生臭くて嫌いだった。

 

家の周りにはいろんな果物の木があった。栗,柿、梅,桃、ぐみ、サクランボ、ぶどう、 くるみ、りんご、アンズ、はらんきょう(スモモ)・・・それに名前はよく知らないがもみの木に似た大きな木には小さな真っ赤な実がなって、それは甘くて美味しかった。                  

学校から帰るとそれらの木に登り木の上でよく食べてた。

 

梅の木にはいつも季節のなると鳥が巣をつくり,卵を産みやがてヒナが顔を出し、間もなく巣立っていく・・・そんな光景を木に登り毎日観察していた。                             時にはいたずら心で卵を隠したりすると、親鳥は泣き喚き必死で探している・・・       可哀想になりまた巣に戻してやると嬉しそうにしている・・・

いつか孵ったヒナを鳥かごに入れて縁側に置いていたら、私がせっかく虫を捕まえてやっていたのになぜか食べない・・・ところが元気なのだ・・・ある日そ~と見ていたらなんと親鳥がせっせと餌を運び、鳥かごの外からヒナに餌をあたえていたのだった。

その母子離れ離れになっている光景に自分を重ね合わせ可哀想になり、すぐ鳥かごから巣に戻してやった。

 

小川の土手や、田畑のあぜ道にはセリ、ナズナ、よもぎ、つくし・・・また、少し入るとふき、アサツキ、イタドリ、ウド、ゼンマイ、わらび・・・など沢山の食材があり、祖母と袋を担いで、散歩がてらよく採りに行った。子供ながら何とまずいものかと思っていたが、大人になって飲み屋でそれらが出てくると以外に美味しく懐かしかったものだが・・・ 

                                                       畑の横には桑畑があって・・・もともと桑の葉はまゆを取るための(かいこ)の餌だが,私は桑の実が大好物・・・  口の周りを紫にしてほおばったものだ。                         そして蚕が糸を出してサナギになると、それは甘辛く煮てまた食卓に上る。

田んぼにはタニシが沢山いた・・・これも茹でておやつになった・・・サザエのごく小さい感じで小枝でなかから引っ張り出して食べた。大人になって飲み屋でこのタニシがでて、海のもの・・・と大将が言っていたのでその気で食べたが味は一緒だった?

 

引っ張り出すというと「蜂の子」もよく食べた・・・屋根の軒下に大きな蜂の巣があった。 みんなで棒で叩き落し、はちが去った後で巣の中にある鉢の子を小枝で取り出して食べるのだが、なにぶん蜜を吸って子に与えているのかとにかく甘くて美味しいのなんの・・・  でも失敗すると大変で蜂の逆襲を受けて子供達は頭から蜂に刺され大事になる・・・でもやめられないんだな。

                                         

になると、学校から帰るとすぐ友達と腰に袋を下げて稲穂の間に入りイナゴを採りに行く・・・袋は飛び跳ねるイナゴですぐいっぱいになった・・・   それはまた祖母が炒めてくれた。                                          フライパンの中でピヨンピヨンと跳ねる上から蓋をして、仕上げに醤油をすこし入れるだけだが、イナゴの足がすこし硬かったが、バリバリとよく食べた。大阪に来て初めてイナゴの佃煮が百貨店で売っていたので食べてみたが、高くて不味かった思いがある。

 

小川にはコイやフナもいたのでたまには魚も食卓にはあったが、海の無い山国なので大概は干物や塩づけや味噌づけの魚が多かったな・・・                                              

そんなわけで、終戦直後にもかかわらずひもじい思いもせずに、田舎の大自然で伸びのびと育ってきた・・・ 

 

近くの神社の境内では季節ごとにいろんな御祭りがあり、夜店など出ると,それはそれは嬉しかった。                                                               夏祭りの後で飛んでる沢山のホタルを追いかけて川に落ちたり・・それでもずぶ濡れになりながらも太いネギの中にホタルを入れて持ち帰り、蚊帳の中に放ち・・・夏の風情を愉しんだりしていた。

 

しかし、母のいない家は寂しかった・・・

でも、たまに母方の祖母がいる松本へ行く事ができた・・・                                                             祖母は昔、馬小屋だった田舎家の端をあるときから豆腐屋に貸して、そのおじさんが松本まで豆腐の豆を買出しに行くときに連れて行ってもらっていた。

それは田沢から梓川沿いに2~3時間かけて歩いていったが、山には藤の花がきれいに咲いていたし、梓川の急流では釣りをしている人がいた。                                       おじさんは自転車にいっぱいの闇米を乗せ、おまわりさんがいたらその検問を避ける為に荷物の上に子供の私を乗せてごまかすのだが、ある日 前からおまわりさんが来て、おじさんは慌てて前の家に飛び込み隠してもらったりしていたが・・・でも優しい良いおじさんだった。

おじさんが豆腐のマメ屋さんに行っている間は、松本の祖母と楽しく過ごし、母の匂いを感じる時が大好きだった。 

 

私は8歳のとき、大好きだった祖母を田舎に残して大阪に来た。

は病気から回復し元気になっていた。  

そして母は母と共に,同じ病院で療養していた人と・・・ 

それはかつて母が幼児の私を背負い、病院で亡き父の看病をしていた母の姿を知る人で、父の亡骸を共に担いでくれたと言う人と母は再婚した。 

私にクリスチャンの新しい父ができた。 

そして養父となった父の仕事の関係で大阪に引っ越してきたのだった。                    憧れの蒸気機関車に乗り、いくつものトンネルを抜け石炭のススで真っ黒になった顔で大阪に着いた。

                                                        着いた大阪の西淀川は、敗戦から8年経っていたとはいえ,まだ焼け跡が残り、軍需工場があったらしく米軍に爆撃され廃墟となった建物が散乱し,今までいた田舎の光景と余りにも違いビックリしたものだ。

                                                           転校した「大阪市立大和田東小学校」で初めてコンクリートの校舎の太い柱を見たときもビックリした。                                                      家の周りには樹木も草花も何も無かった。殺風景なバラックの家が並んでいるだけだった。 田舎に帰りたかった。

でもそれ以上に二度と母の傍を離れたくなかった。それに二人の弟が生まれ、兄貴となっていつしか故郷への想いも遠のいていってしまった。

 

そうして中学,高校、大學、サラリーマン、結婚、会社経営23年間を経て、50代前半で引退、早い隠居生活に入ったもののなぜか急に生活環境が変ったからか、心が空虚になってしまい・・・そして箕面の森に魅せられ、心癒され・・・そんな訳で・・・ 再び半世紀を経て心の中にあの懐かしい故郷の原風景が蘇ってきたのでした。

 

晩年、父と共に信州に帰った母は今、あのアルプスの山々を背景に、国宝松本城を望む城山のきれいな「教会墓地」で二人仲良く眠っています。

 

故郷(安曇野)を、遠く(大阪)において想うもの・・・

まさに 「三つ子の魂、百まで」 ですね。

 

(完)

 


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