箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

箕面山麓 池巡り!

2019-03-03 | *編集・箕面の森ガイド

箕面山麓 池巡り!

 

箕面山麓には沢山の池があります。

これはほとんどが農業用の溜池ですが、どうしてこんなにも池があるのだろうか? 

 それはかつて箕面ビジターセンター所長だった箕面の森博士 浅葉 清さんから、箕面の山の地形が北方向へ

向いていて、雨水が止々呂美の方向へ流れるのが一因だと聞きました。そして才が原林道を歩いてその側面岩をみると、地層が北方向へ斜向しているのがよくわかります。

  農業の発達と共にその水源を求めて多くの溜池ができ、今でも村落ごとの大きな池が残っている。

今日はそんな山麓の代表的な池めぐりをしてみようとでかけました。

 (小さな写真をクリックすると拡大します)


新稲の <桜池><半町池> 教学の森の入口付近にある

     

 

如意谷の <山口池> その西側の龍王神社 

      

 

<山口池> 東側の如意輪観音堂  後方は北小学校

      

 

        

* 如意輪観音御堂の境内に大きなヤマモモの木があり、その二股の間に

  挟まれた「手水石(ちょうず)」が木の成長と共に一体となっ絡み合い、

  木に抱きかかえられており、何百年の歳月がもたらした木と石の姿に驚く!

 <泉池> 北側は如意谷のマンション群

   

 

白島の <大宮寺池>  

その昔、織田信長勢の焼討ちにあったという大宮寺跡の鐘

   

 

<大宮寺池> 西側の水神宮

      

  

白島の <普請池> その南側の薬師寺

        

   

白島の <取池><上取池> 取池の少し上に医王岩がある

        

   

白島の <尊心谷池> 大宮寺跡の森を抜けて~

      

 

白島の <薩摩池>

   

 

白島の <新薩摩池>

   

 

白島の <五藤池> その北側に白姫大明神(水神社)がある

   

 

石丸の <打越池>

      

 

外院の <大畑前池> <中池>

   

 

 森の中の <才ケ原池> 

巡礼道、古参道を登り、谷山から才が原の森に出ると大きな池があり、

その経緯を記した石碑がある

      

 

その他 山腹には <奥の池> <うつぎ池> <山池>や名もない池が多く点在する

 

 箕面山麓線の道路から南側の平地には、数え切れないほどの池が今も現存し、その時代の水源の必然性を感じさせてくれます。


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箕面山の霊力・歴史話し!

2013-10-17 | *編集・箕面の森ガイド

箕面山の霊力 ・ 歴史話し!

 

 

今日は地獄谷を登り、こもれびの森から箕面ビジターセンター前に

着くと、一休みをしてから、「東海自然歩道」に入りました・・

最勝ケ峰(535.5m)にある 鎌倉期の開成皇子の墓

(宮内庁管理)を経て、やがて勝尾寺の裏山から「二階堂」横に

下りてきました・・・

 

この二階堂は「法然上人第5番霊場」とのこと。

鎌倉時代に法然上人はここで4年間止住され、念仏三昧に入られた

とか・・・

この時に善導大師の夢のお告げにより、浄土宗本基の戒を授けられ

たと、記されている所です。

私は新装なった勝尾寺山門周辺を一回りした後、再び二階堂へ

戻り、勝尾寺の全景を眺めながら一休みにしました。

 

この地は数千年の昔より箕面山自体の持つ霊力によって、無類の

聖地として崇拝されてき、奈良末期時代の西暦724年に

善仲、善算の両上人がこの山中に草庵を構えたのが始まりと

言いますから、もう1280年も昔の事とて私には想像もつきません。

 

やがて私は自然4号路を戻り、箕面大滝前を経て瀧安寺に下りて

きたので、弁財天を訪ねてみました。

この本尊の弁財天は、日本最初にして最古であると伝えられ、

日本四弁財天の一つとして有名なのだとか・・・

開基は西暦658年に、役行者(えんのぎょうじゃ)が箕面寺

(後に後醍醐天皇の勅額を賜って瀧安寺と改称)を建立したのが

始まりと言われているので、これも1351年も前のことです。

古くから山岳信仰・修験道の根本道場として知られているそうで、

かの空海や日蓮、蓮如などもここで修行したそうですから

すごい所ですね。

 

先日のこと、箕面ビジターセンター横の自然2号路から修験道を

登り、天上ケ岳(499.2m)へ向う途中で、山伏姿の修行僧と

出会いました。

その前は、同じ山伏姿で法螺貝を吹きながら下りてきた修行僧とも

出会いました。

 

この天上ケ岳には瀧安寺・奥の院として、役行者昇天の地としての

山伏姿の銅像があり、大きな石碑がたっています。

数年前にここを通りかかった時、偶然にここでの年一回のお祭りに

遭遇したことがあります。

そしてその時に、そこで偉い高僧の話を聞く機会がありましたが、

私はその説法より、その後の大阪大学の教授と言う方が、科学的に

測定したという 「この山の磁力は相当強い!」 という解説だけが

印象的でした。 

それを聞いたとき以来、この周辺での小便は全くやめに

しましたが・・・ スイマセン! 

 

また瀧安寺は「日本の宝くじの発祥の地」としても有名で、「富くじ」と

呼ばれ、全国に広がっていったのだとか・・・

数年前に大阪商業大学の商業史博物館で開催された

「富くじ博物展」、その当時の瀧安寺の富くじを見せてもらった

事があります。

 

私は帰路に、箕面駅近くの西江寺にも立ち寄ってみました。

ここも西暦658年、役行者によって仏教の修行地として開かれ、

大聖歓喜天と虫供養で有名です。

そして10月3日はその「虫供養万灯会」の日で、盛大な催しが

開かれていました。

 

 

前置きが長くなりましたが、今日のお話はこれからです。

 

私は今日、箕面のお寺巡りをしようとか、そんな事を意識して歩いて

きたわけではないのですが・・・

帰宅して、例によって古本屋で1ドルで買い置きしていた本の中から

一冊を取り出して読んでいました・・・

すると・・・!

偶然手にしたこの本の中から、昔の箕面の歴史話しが出てきた

ので、そこでその本をご紹介方々、箕面山の歴史を少し記して

みたのです。

 

本は、 「旅芸人の風景」(遍歴、流浪、渡世)

                沖浦和光著 (文春新書)

 

今年82歳になる著者が、かつて昔の箕面村に住んでいた事から

始まり、旧東海道と旧山陽道を結ぶ脇往還だった「西国街道」

(今の171号線沿い)を通る遊行者、旅芸人、渡世人、香具師、

行商人、渡職人、遊女など よるべなき漂泊の人生をおくった

道々の者、ワタリ稼業の民族誌・・・ とあり、

それらの人模様から・・・

かつて12世紀の後半、後白河院によって編まれた「梁塵秘抄」

(りゅうじんひしょう)に歌われた「箕面山」と、中世に修験道で名を

知られた勝尾寺、瀧安寺のことなどが記されているのです。

又、明治の後半、急速に変貌していった箕面村や、今の阪急・

箕面線(箕面有馬電気軌道)の変遷なども記されています。

 

ちなみに古来から箕面山は、山岳信仰に基づいて修験者たちが

修行する霊山「九峰」に準じられていたそうですが、他はいずれも

標高1000mを超える巨峰なのに、300m級の低山の箕面山が、

なぜそれに準じていたのか?

その霊力がいかに大きかったか分かります。

 

十四世紀前半に知恩院で作成された「法然上人行状絵図」に、

箕面の山奥にある勝尾寺が描かれていて、山深い渓谷の道を歩く

法然一行の背後に、一条の箕面滝が描かれている・・・ とあります。

修験者たちは山に篭って修行し、滝に打たれながら山の霊気に

感応し、呪力を身につけたとのこと・・・

 

ご存知のように、勝尾寺は「西国三十三ケ所観音巡礼」の23番札所

ですが、これは今人気の「四国八十八ケ所巡拝」よりもずっと古い

歴史があり、その始源は有史以来の熊野信仰であり、縄文、

弥生時代からのアミニズムと、渡来人がもたらした道教や仏教が

複雑に混交しなら形成されたものだと著者は言います。

 

そんな歴史があったからこそ、この箕面大滝周辺は原生のまま

広葉樹林が残り、人里からそんなに遠くないのに野猿が群れ、

豊かな自然が残ったと言えるのでしょうね。

私はそんな歴史のある箕面の森とは深く知らずに歩いて

きましたが、改めてその歴史の変遷をかみしめた次第です。

 

しかし、偶然 手に取ったこの古本の帯びコピーに・・・

「定めなき浮世、道に生き、道に死す・・・」 とあり、この定めなき

よるべなき漂泊の遊芸民という言葉に親しみを覚え、もしかしたら

私の前世のような気がして買い求めたのですが・・・ 

 

1ドル本も探せば、まだまだ面白い発見がありそうなので、

当分 私の古本屋通いもやめられません・・・

 

 

 

 

 

 

 

('09-10-5 - 再掲)

 

 


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古代・箕面を想う!

2010-01-10 | *編集・箕面の森ガイド

古代・箕面を想う!

 

 

今日は森に入る前に、箕面駅前の「箕面市立郷土資料館」

(サンプラザ1号館地下)に立ち寄ってみました。

 

今は「くらしの道具展」が開催中です。(~3月29日まで)

昔、田舎の祖父母の家にあったような昭和初期の懐かしい

道具類が沢山展示されていて、一つ一つ見ては当時を

思い出していました。

 

同じ展示フロアーに、昨日歩いた白島(はくのしま)の

「白島遺跡」の出土品なども展示されています。

そこには・・・

  「白島遺跡は複合遺跡(縄文、奈良、中世各期)で縄文後期の

   擦消(すりけし)縄文、晩期の土偶(どぐう)、奈良時代の

   蔵骨器(ぞうこつき)、中世の羽釜(はがま)などが見つかって

   います」 と。

 

箕面・瀬川には「瀬川遺跡」があり・・・

縄文時代前期(約6000-4500年)の北白川下層式土器片が

多数出土し、その片などの資料も展示されています。

稲、新稲、如意谷の遺跡などの資料もありました。

 

箕面には約3万年前に人が住んでいたという物的証拠がある

そうですよ。

気の遠くなるような大昔に、この同じ土地に人が住み生活して

いた事を想うと、不思議な感覚に陥ります。

 

古代の旧石器時代、縄文、弥生、古墳時代からの箕面・・・

奈良、平安時代の勝尾寺、箕面寺なども・・・

中世から近世への村の成立過程から近代、現在に至る箕面の

歴史などを調べ出したら、面白い資料が沢山あり楽しそうです。

学芸員の専門家に話を聞けば、更に面白い話が聞けるかも

しれません。

 

明治時代の「日本一の箕面動物園」なるパンフレットを見ると、

獅子、大象、大虎、大豹、ゴリラ、樋熊、孔雀、それに火食鳥、

駱駝(らくだ)までそうそうたる動物の姿が描かれています。

当時の栄華の産物は今の箕面観光ホテル一帯の山裾などに

見られ、私も一度好奇心で探し、山穴に作った猛獣の檻跡などを

見つけたことがあります。

 

大正時代には「箕面植物見本園」があったり、

昭和期には今ドイツで盛んな「森の幼稚園」まであって

私の興味を引きます。

 

歴史人物に興味があれば・・・

かの織田信長が1579年に箕面の滝を見物した(信長記)とか、

赤穂浪士、頼山陽から伊能忠敬、野口英雄、夏目漱石なども

面白い。

 

人口13万人弱の大阪近郊の小さな街ながら、

明治の森・箕面国定公園を抱し、自然豊かな我が街の昔を

たまにはふれてみるのもいいものです。

 

しかし、箕面の新稲から山麓沿いに外院、粟生の方にかけて

箕面市街の主要部は五月山断層という活断層の真上にあり、

1596年の慶長伏見大地震ではM8.1の大被害が出たと言う

物騒な地層でもあります?

しかしちょっと脅かしてみたものの、これも調べてみると

周期は2500年と言いますから、次は西暦4000年頃のようで?

まず心配はいらないようですよ。(笑)

 

駅前では今日は「110番の日」だそうで、

箕面・止々呂美(とどろみ)特産「箕面の柚子(ゆず)」を模した

箕面の名物新キャラクター「たきのみち ゆずる」着ぐるみ人形が

、婦人警官らと共にPRに一役買っていました。

山伏姿のゆずるや、振袖姿のゆずるもいるそうですから

これから箕面の新キャラクターたちが街を賑やかにしてくれる

ことでしょう。

 

それにしても古代の箕面人が天上から見ていたら、

さぞビックリな光景でしょうね。(笑)

 

 

10-1-10  (完)


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年間120万人が訪れる瀧道とは・・・?

2008-11-24 | *編集・箕面の森ガイド

年間120万人が訪れる瀧道とは・・・?

 

 

昨夜(22日)、TVを何気なく見ていたら、”箕面の紅葉” の特番を

やっていました・・・  

約30分ばかりの紹介でしたが、なぜか自分の庭を改めて見直した

ような感じになりました。

そこで今日は、何年振りかで紅葉最盛期の瀧道を、大滝まで歩いて

みる事にしました。

 

箕面駅前には沢山の人々で溢れています・・・もうそれだけでビックリ

です!

滝上の大日駐車場(無料)から勝尾寺方面へは、臨時バスが出ている

ようです。

沢山の人並みにつられるように、歩調を合わせてゆっくりと歩いていく

、昆虫館前で川面を見る人が沢山います・・・

何事?  人でも落ちたのかな?

私もやっと前に出て下を見ると、いつものアオサギが、岩の間を見つめ

まま魚狩りをしている最中でした。

賑やかな人々の騒ぎやフラッシュをよそに、じっと動かずに集中して

います・・・

ところが何を思ったのか、急に大きな羽根を広げたかと思うと、下流の

方へ優雅な舞いで飛び立っていきました・・・ 

あ~あ~ という残念な声がこだまします・・・

川面にはまだ緑のもみじ、黄色く色づいたもの、鮮やかに紅葉した

もみじ、そしてもう枯れ散るもみじが、それぞれにうつし出されて

います。

それまで、前で陣取って眺めていた子供たちはガッカリですが、

アオサギも余りの煩さに、逃げ出したくなった気持ちも分かります 

 

山本珈琲館を過ぎても、人並みは道頓堀並みで、途切れる事は

ありません。

たまに見上げて美しい紅葉に立ち止ると、後ろの人がぶつかるので、

ゆっくりと紅葉狩りに浸るどころではなく、ただ前の人の頭を見ながら、

前を向いて歩くのみです・・・ (笑)

落合橋を過ぎ、修行の古場休憩所に着くと、WC前には長い列が

できています・・・

いつも暇そうな茶店も、この日ばかりは かき入れどきの様相です。

 

やがて、唐人戻岩から大瀧の近くに着くと、上の大日駐車場に車を

置いた沢山の人々と合流して、もう茶店の前でニッチモサッチモ動か

ない、満員の通勤電車状態です。

いつもの茶店のオバサンは、カップ酒を両手に持って、汗だくで店内を

駆け回っているのが見えます。

 

やっとこさ遠くに大瀧の見える前に来ると、さすが人々もホッとしたの

か、やっと着いた!  ああしんど!  と いった表情です。

しかし、大滝の流れる渓流の岩場には、その両岸も含めてものすごい

人々が座り込み、お弁当を広げたりしています・・・

こんな光景を見るのは初めての事でビックリです・・・

私の前後左右に英語、韓国語、ロシア語?、・・・?語 が入り混じって

会話が聞えます・・・  目を閉じると、一瞬ここがどこか分からなく

なってしまいましたよ (笑)

 

その時、突然に道が開き、3匹の犬を連れ、なにやら大声でつぶやく

英国紳士然としたおじさんが現われて、回りの人はビックリして道を

空けます・・・

よく見ると私もよく瀧道で出会う方ですが、昨日のTV特番でも紹介され

いた人なので、それを見た人々が ”あの人 あの人・・・” と、

指差していました・・・

かなりユニークなキャラなので、特異な注目を浴びていました。

道頓堀で、燕尾服の英国執事が、ステッキ片手に犬の散歩・・・ 

なんて感覚です (笑)

 

「なんや! 小さい滝やんか・・・ 33m?  そんなもんか・・・」

「滝のもみじが紅葉してへんな!  写真とえらい違いやな・・・」

「電線が邪魔やな! こんな観光地で電線なんか、地中化したら

ええのにな・・・」  

「それにしても人が多いな! 今年のもみじはもうひとつやな!  

こんなんやったら京都へ行ったほうが良かったな・・・」

そんなマイナス会話ばかりがしっかりと私の耳を捉えます。

箕面ドライブウエイは、この時期一方通行となり、ガードマンも沢山

配置されていますが、駐車場に入りきれない車がびっしりと路上駐車を

してるので、余計に渋滞して、車で来ても身動きできない状態です。

 

私はなぜこんな日に、こんな所へわざわざ出かけてきたのかと

後悔です。

しかし、郷にいれば郷に従え・・・ で、こうなったら・・・ と、

私も皆さんと同じく滝下の川岸に下りて、川べりの一ヶ所空いている

ところを見つけて、やっとこさ腰を下ろしました・・・ 

余りの人の多さに、 疲れた・・・!

左隣には8人の家族連れ・・・ 

前の岩間で遊んでいた子供が滑って川にポチャン! ずぶ濡れに

なって寒い! と泣いていて・・・ そんな孫を叱りながら着替えさせて

いる

二人のおばあちゃん・・・ パパ、ママの母親達のようで手馴れた

ものです。

右隣には6人連れのコテコテの大阪のおばちゃん達です・・・ 

この大音響の笑い声や賑やかさには、私はいつまでたっても

慣れません (笑)

前にも後にも、モレ聞えるそんな人々の会話に一人クスクスしながら

私も、やっとリュックからおにぎりを取り出して食べていました・・・

 

見上げると、大瀧から流れ落ちる水音、水しぶき・・・ 紅葉した

もみじ、青空に白い雲、左側にそそり立つ絶壁・・・ 思わず喧騒を

忘れて、自然に浸ります・・・

あれ?  アレは何んだろうか?

その絶壁の岩陰に、丸いサッカーボールのような物が・・・ 

早速、おにぎりを双眼鏡に持ち替えて覗いてみると・・・

大きな蜂の巣だ!

スズメバチのような蜂が飛び回っているのが見えます・・・ 

この下界の喧騒をよそに自然は生きづいているな・・・ 

今日はさすがにお猿さんたちはいないな・・・

そう思いながら双眼鏡を覗いている時でした・・・

 

    * これ食べません?

隣に座るあのオバサン連からミカンの差し入れです・・・

・  どうもありがとうございます・・・ いただきます!

(うるさいけど、いい人たちなんだ! 頂くとすぐに気持ちが変ります

(笑)

    * それにしてもごっつい人でんな! 

      みんなオジンとオバンばっかしやんか!

    * (別の人が・・・) アンタはクソババやんか!  

       アハハハハ?

・  私もジジですが・・・  ハハハハ!

 

そんなたわいもない会話が温かい!

年間120万人が訪れるというこの箕面の大瀧ですが、やっと本当

なんだな・・・ と、実感しました・・・  と 言うのも、このブログでも紹介

ましたように、何度かこの瀧道でも、大滝前でも、私一人だけ・・・ と、

いうことがよくあったので、本当にそんなに沢山の人々が訪れる所

なのか?  と思っていたからですが・・・ 納得です!

  

来週はまた、一人静かに晩秋の箕面の森を楽しみたいものです・・・

 

 

「人ごみに 紅葉忘れ 見る頭」

「見上げれば 紅葉舞う滝 秋の風」

「ふと見れば 渓流にのる 紅もみじ」 

「人ごみに 温かさしる 紅葉狩り」       (花詩)

 

 

08-11-23 (完)


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箕面の森のランブリングガイド概要 

2007-04-17 | *編集・箕面の森ガイド

箕面の森のランブリング ガイド 概要 (* 準備中です!)

 

 

 

(1) 箕面の森の散策に適した、主なる12コースを設定しています。

春夏秋冬の三ヵ月毎に四季折々に散策できる設定です。

(毎週一回の散策を基本に一ヶ月4x3ケ月で12回(12コース)で、

春夏秋冬と同じコースを回るのですが、季節が変ると全く違う環境に変化しま

すので飽きる事はありません。)

 

(2) コースルートの開拓・・・

最初の12コースを一回でも歩いてみると、後はご自分の趣向を加えて

オリジナルなルートを開拓してみてください。

獣道まで加えると無数の道順を組む事ができます。

 

(3) 自分専用の散策地図を作っていきます。

3ケ月毎に一枚の地図を使い、色鉛筆などで回ったルートを記入し、その

折々の森の変化や自分の心身の状態、歩いた距離や時間、出会った感激や

感動も少しメモしておくと、次回の時、また翌年回る時などに大変参考になり

ます。

また新しく開拓したルートも記入して新たな地図に書き込みコピーしておくと

便利です。

(「箕面の森のハイキングマップ」は 箕面駅前の 「箕面観光案内所」

頂けますが、簡単なものなので先ずはそれに書き込み、書き込んでご自分なり

のマップを作って見て下さい。)

* 私のオリジナルマップ 「箕面の森のランブリングガイド マップ」は 

作成中です。 画面上で準備ができましたら公開いたします。

 

(4) 心の癒し・・・? 

私の森の散策目的は、当初から意図したものではなく、結果としてそうだった

のか・・・と後で知った事は、ランブリング セラピー(散策療法)とか

フォレスト セルフ カウンセリング(森の中で一人自分の心を見つめる

療法) などと定義されている事を知りました。

しかし、私はそのような定義や枠にとらわれている訳ではありません。

今も自分の心のおもむくままに、自由に気楽に、ただ好きな森の中を歩き、

浸り、いいな~と感じ入っているだけのことですから、専門的なことは分かり

ませんし、具体的にそれで何かをする事などありませんので、ご了解願い

ます。

 

(5) 箕面の森のランブリングガイド 情報

次頁(B-3)からご案内する 12コースとガイド情報 は随時更新していき

ますが、当初は不備が多いと思いますがどうぞご了解願います。

・ (出発点)   コースの出発地点です。

・ (コース順)  コースの順路です。

・ (距離)    コースの大体の距離です。

・ (時間)    コースの大体の所要時間です。

・ (特徴)    コースの特徴と留意点です。

・ (春夏秋冬期) 季節の見所やポイントなどです。

・ (私の体験記) コース内での私の体験記です。

・ (派生コース) このコースから派生する組み合わせコースをご案内します。

・ (その他)    コース内の歴史的な場所や案内、地名の言われなど・・・

             参考的なご案内などなどです。


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明治の森 箕面国定公園の誕生前夜 

2007-03-07 | *編集・箕面の森ガイド

明治の森・箕面(みのお)国定公園の誕生前夜 

 

箕面の森の歴史を書いてみようと調べてみると、この方の存在を抜きにして

語ることはできません。

そこで、私が知ったかぶりをして書くよりも、直接ご本人からのお話をお聞き

頂きたくご紹介をいたします。

 

これは、私が何年か前に 「箕面観光ボランテイアガイド」の 養成研修で

参加した時の資料からです。

(私は研修終了後、事情で登録はしませんでしたが・・・)

その後、箕面ビジターセンターの 「森の博物館」 でよくいろんな事を教えて

いただきました。

 

箕面ビジターセンター前所長で 「箕面自然観察会」を永年運営され、

こよなく箕面を愛されておられる「箕面の森博士」・浅葉 清 氏 です。 

 

 

「 明治の森 箕面国定公園が誕生したのは、昭和43年(1968年)10月23日

のことです。

その総面積は大変小さく、963ha(9.63km2)しかありません。

大阪の中央区位の広さです。

どうしてこんな小さな区域が国定公園になったのでしょう。

それには、次のようなわけがあるのです。 

 

昭和41年(1966年)4月、「政の茶屋」(現在のビジターセンターのある所)から

勝尾寺付近の山々をならして「墓地公園」を造る計画が大阪府(企業局)から

提出されました。

その場所は現在の東海自然歩道の、政の茶屋~清水谷~開成皇子の墓~

北攝霊園に至る両側の山や谷です。

つまり、政の茶屋、勝尾寺園地、箕面川ダムの北方を結ぶ三角形の区域内と

いう、広大が地域です。

 

当時、千里ニュータウンをはじめ各地に団地,住宅地が開発されていました。

それに伴って、墓地不足が深刻になってきたのです。

そこで、箕面の勝尾寺付近が墓地公園を造成するのに適した所として選ばれ

たのでした。

ところが、箕面から勝尾寺にかけての一帯は 「日本三大昆虫生息地」とか、

「日本のシダ植物の宝庫」とか、「野鳥観察の最適地」と言われる所です。

ここでは、多くの科学者が動植物を採集して、研究活動をしていました。

あるものには箕面産のタイプ標本として研究雑誌に発表しました。

タイプ標本の産地は、そこを保護しなければならない道義的な責任があると

思います。 

もしも、ここをなりふりかまわずブルドーザーで開発するならば、道義的な

責任はおろか、自然界のバランスまでもが大きく崩れ「動物,植物の宝庫」

は潰えてしまうに違いありません。

 

そんなことにならないように、いち早く「墓地公園を造る場所を変えて

ください」と、お願いしたのは 箕面生物研究会(故・村田賢三、西川芳太郎

、藤下英也、浅葉 清・・・その他多くの方々)でした。

箕面生物研究会は箕面の山地に生息する 動植物約4900種のうちの

大部分のものの目録を作成して、大阪府議会へ提出しました。

同時に、箕面の動植物の素晴らしさをより多くの方々に理解していただく為に、

「箕面自然に親しむ会」と なづけて自然観察会を毎月実施し、会誌の発行も

しました。

参加者は月毎に増え、会員家庭数は3000を超えました。

会員の間からは、「こんなに沢山の、素晴らしい動植物のある所を、どうして

墓地公園にしてしまうのでしょう。

ブルドーザーで開発するとこんな動植物はみんななくなってします・・・」と、

このような会話が聞かれるようになりました。

 

一方、学者の皆さんの間でも「箕面の山を墓地公園として開発すべきか、

止めるべきか」について論争がおこりました。

日本自然保護協会の先生方(大阪市立自然史博物館初代館長、

故・筒井嘉隆氏、他)の方々はなんと「箕面の山は余りにも荒れすぎている。

ここに墓地を造っても損なうものはないだろう・・・。」と、調査結果を報告

されました。

大阪府立大学の箕面山調査団も同様で・・・ ここまで言い切るならば、

調査結果を公表し、結論を導いた道筋について経過を説明しなければ

ならなかったのですが、そういう手続きは一切しなかったのです。

そういう手続きを省略して 結論だけを押し付けることは、学者として誠に

恥ずべき行為であると思います。

そので、昭和41年(1966年)12月2日、当時の箕面市役所大会議室で意見の

交換会がもたれました。

座長は箕面市教育長 故・河野良作氏で、参加者は大阪府,箕面市の

関係者、日本自然保護協会、大阪府立大学箕面山調査団,箕面生物研究会

でした。 

多数の記者の方たちも取材をされていました。

自然保護協会の先生方のご意見が? 心に残りました。

大阪府立大学箕面山調査団の方たちの箕面の山の動植物や自然のことに

ついて、あまりの無知に驚きました。

箕面山のことは何一つ調べていなかったのです。

両者の行き詰まる会議においてすら、箕面の動植物を保護しようと願う方

たちの心が晴れるまでには至りませんでした。

 

ところが、事態は突然開けてきたのです。

昭和42年(1967年)1月4日、厚生省と農林省から ”明治100年を記念して

、大阪の箕面と東京の高尾を「明治の森」国定公園に指定し、自然を

生かした国民の森にする”・・・事を発表しました。

箕面の森は、永遠に国定公園として保護される事になったのです。

箕面も高尾も自然公園としては余りに小さいのですが、大都市近郊の

自然公園として豊かな自然を保護し、多くの人々に自然のよさを味わって

もらう為に造られたのです。

 

では、最初に大阪府が発表した「墓地公園」はどうなったのでしょう。

箕面生物研究会は、墓地公園の場所の変更をお願いしました。

(1) 自然の宝庫といわれる箕面地域の北隣にするか、

(2) 松尾山と五月山ドライブウエイとの間、を提案しました。

結局、(1)案の 箕面市と豊能町との境界付近から高山地区にかけてと

いうことになりました。

(2)案は「箕面ゴルフ場」になりました。

懸案の「墓地公園」は、私達の提案を受け入れていただいて 「北摂霊園」と

して設立していただいたことに感謝しています。

私たちの願いは最高の結果を持って叶えられました。

私たちに与えれれた課題は、明治の森、箕面国定公園がより充実した

自然公園になるよう、努力を怠ってはならないことであります。」  (おわり)

 

 

私は、毎週のように「箕面の森の散策」を愉しんでいますが、

浅葉 清先生はじめ、先人の先輩方の懸命の努力があって、この森が

守られてきたことを・・・

本当に心から感謝いたします。

 

 

07-3 (完)


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箕面人は3万年前から・・? 

2007-02-17 | *編集・箕面の森ガイド

箕面人は3万年前から・・・?

 

箕面の歴史は古く,約3万年前に人がいたという物的証拠があります。                  

私が資料館で見たときは感動ものでしたよ。

* キャンプ生活の旧石器時代や一万年前の縄文時代の土器。

5000年前の米作りの跡が現在の箕面稲, 瀬川 遺跡から発掘され

20~30人程度が群れで点在して暮らしていたようです。新稲にも古墳群が

ありました。

* 縄文後期の2400~3000年前の遺跡が箕面 白島から発掘されています。

 

* 400年前、箕面にもM8.1の大地震がありました。  

それ以来、地震断層の安全地帯に人々は住むようになりました。

しかし近年は、そんな事おかまいなしに断層の真上にもいっぱい住宅が

建っていますね。

恐いですね・・・ それはどのあたりなのか知りたいですね。

私は郷土資料館の学芸員の専門家に一度聞いた事があり、わが住まいの

有る所は大丈夫だ! と、安堵したことがあります。

でも、この地震は2.500年周期とか?        

全く関係ないですね・・・?   

(こんな事も知るのも面白いと思いませんか? )

                                                            箕面には面白い歴史がいっぱいあります。 

郷土資料を見るのも私の楽しみです。 

 

 

* 箕面市立郷土資料館 

阪急、箕面駅の前のみのおサンプラザ 1号館の地下一階にあります) 

電話 (072) 723-2235 

開館時間 午前10時~午後5時

休館日 毎週木曜日 年末年始   

箕面の遺跡や古墳から見つかった埋蔵文化財を展示した考古資料から 

江戸時代からの箕面の農業や農機具などの民族文化財も展示されてます。 

また昔の農家を再現したコーナーもあり、私には楽しい一時です。

 

 

箕面山の略年表

 

650年   役小角が「箕面寺」(現在の瀧安寺)を創建。      

701年   役小角、箕面山天上ケ岳で遷都化する(現在、碑がある)     

727年   光仁天王の皇子「開成」が勝尾寺を創建。

       (平安時代の流行歌を集めた「梁塵秘抄」に勝尾寺・箕面寺が

       「聖の住所」として収められている。     

1333年   2月21日、箕面寺に対して、皇太子大塔宮親王が、後醍醐天皇

        の無事を祈るための令旨を出す。

        天皇は隠岐島から脱出し、天皇から「瀧安寺」の寺号を賜る。     

1575年   日本最古の「富くじ」が箕面寺ではじまる。      

1579年   天正7年 織田信長が箕面の滝を見物する。(信長記)     

1596年   滝周辺にあった箕面寺が地震により崩壊、慶長8年(1603年)

        に、現在地に再建。          

1687年   松尾芭蕉が箕面の滝・勝尾寺を訪れる。     

1701年   赤穂浪士、大高源五が箕面の萱野三平と共に、勝尾寺・

        箕面の滝へ 

1829年   頼山陽が母と共に箕面の紅葉狩りをする。     

1871年   箕面山が官有地になり、東京の高尾山と共に、我が国最初の

        「公園地」となる。     

1875年   箕面山が「勝地」となる。     

1886年   一の橋から瀧安寺までの箕面川沿いに道が新設される。     

1898年   大阪府の管理公園として「箕面公園」が開園する。     

1899年   箕面山が再び瀧安寺の所有地になる。     

1907年   大阪府が再び買収して公園となる。     

1910年   箕面有馬電気軌道株式会社により、箕面と梅田が鉄道で結ば

        れ、「箕面動物園」が開園する。

        鉄道開設にあわせて沿線沿いには宅地造成が増加する。      

1915年   野口英雄が母と共に、箕面の滝を見物する。

        箕面動物園が宝塚へ移転する。     

1921年   「箕面植物見本園」が開設される。     

1922年   隣接する国有林に約6kmの回遊道路が開設。     

1932年   箕面山遊覧自動車道(ドライブウエイ)の工事開始。     

1956年   箕面山が「国の名勝」となり、サル生息地が天然記念物の指定と

        なる 

1967年   明治100年記念として、明治にできた公園として東京の高尾山と

        共に「明治の森箕面国定公園」に登録される。     

1974年   箕面山と高尾山を結ぶ全長1.697mの「東海自然歩道」か完成

        する。

 

   

 

                                                                         


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明治の森・箕面国定公園とは・・?

2007-02-16 | *編集・箕面の森ガイド

(1) 明治の森・箕面国定公園とは・・・?

 

明治の森 箕面国定公園は、昭和42年に明治百年を記念して東京都の

高尾山と共に国定公園に指定されました。

大阪府箕面市北部の低・山岳地帯(標高100~600m)に位置し、昔から

箕面大滝と紅葉で有名で大阪府営箕面公園とその周辺の森林963haの、

明治の森高尾国定公園に次いで小さな地域です。

大都市近郊にありながら(都心の梅田から阪急電車で早ければ約40分

足らずで着きます)、およそ1.300種の植物と3.500種の昆虫、野鳥、動物、

両性・爬虫類、魚類など生息する自然の宝庫です。

ちなみにイギリス全土の植物は400種ぐらいです) 

また、我が国最古の町石(塔婆)や八天の石蔵など豊かな文化財を有する

地域です。

自然観察や文化財探訪、散策やハイキングなど四季を通じて訪れる人の

絶える事はありません。

 

 

(2)箕面ビジターセンター

箕面の森のほぼ中央にある「政の茶屋園地」(*御茶屋さんではありません)

、のなかに有るビジターセンターは森を利用する人々に森の内容を説明し

、自然と人間の対話を図る為に設けられたこの公園の中心施設です。

自然解説指導員が公園内の季節ごとの見所や、動物,植物,昆虫などの

箕面の森の自然に関する質問に答えています。

また施設の中にある「森の博物館」の展示室では箕面の森の動植物,地形

、地質などを模型や写真、標本などで分かりやすく解説しています。

レクチャールームは、自然観察やハイキングの集まりにも利用でき

「森の図書館」には2.000冊の自然関係の本やアウトドア関係の蔵書を

そろえています。

この「政の茶屋園地」は、箕面の森の散策、ハイキングコースの起点と

なっており、東京の明治の森・高尾国定公園ビジターセンターまでの

「東海自然歩道」は一都ニ府8県を結び、総延長 1.697kmのスタート

地点です

また、ここから自然3号路、2号路、百年橋,箕面の滝、天上ケ岳、堂屋敷跡,

箕面川ダム、自然6号路、7号路、エキスポ90みのお記念の森・・・ へは、

政の茶屋園地駐車場から登ります。

ばばたれ坂、こもれびの森、才が原林道、地獄谷、風呂ケ谷、・・・ へは、

政の茶屋園地入り口の府道の向かい側からのぼります。

 

*休館日  毎週火曜日 (祝日の場合は翌日)、年末年始。

*開館時間 午前10時~午後4時

*駐車場  平日は開館日、開館時間と同じ

        土、日、祭日は午前9時30分~午後4時30分

*もみじ広場の利用  午前10時~午後3時 (定休日はセンターと同じ

      ・バーベキューは予約制です           

      (ごみは全て持ち帰っていただきます)

箕面ビジターセンター電話 (072) 723-0649 

 

 

(3) エキスポ90みのお記念の森 

1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」の開催を記念して、明治の森

箕面国定公園に整備された森林公園です。

園内には四季の花が楽しめる「花の谷」や、野外学習の場として活用できる

「芝生広場」、晴れた日には遠く神戸の六甲山まで見渡せる「展望塔」、

などの施設があり、自然の持つさまざまな魅力が満喫できます。

広い駐車場に車を置いて、例えば、鉢伏山から明ケ田尾山~キリシタン大名

だった高山 右近の生地「高山」の集落へ~府下最大の「北摂霊園」~

東海自然歩道~清水谷~四反田谷から駐車場に戻るコースなど

私の好きなコースでお薦めです。

(開場、時間、休場などは箕面ビジターセンターと同じです)

 

(4)


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