箕面の森の小さな物語
(創作ものがたり NO-20)
真夏の蜃気楼 (1)
それは7月下旬の事だった。
朝から暑い日ざしが照りつけている。
美智子は、瀧道に新しく開店したと言うモダンなレトロ風のカフェを、
覗いてみた。
<箕面まつり>が始まり、芦原公園では夕方からの催しの準備が、
賑やかに行われている。
箕面駅前ロータリーでも、明日の箕面パレードの準備などに忙しそうだ。
美智子は朝方、夫と息子らが2泊3日のキャンプに行くと言うので、車で
箕面駅まで送ってきていた。
「さあ この3日間 何をして過ごそうかしら・・・
久しぶりに瀧道でもブラブラ散歩でもして見ようかな~」 と
上ってきたのだった。
毎日 男3人の中で、バタバタと騒がしく暮らしているので、時には静かに
のんびりとカフェで本でも読みましょうか・・・
少しワクワクする気分だった。
箕面の森の入り口に、新しくオープンしたという緑に囲まれたお洒落な
カフェの二階で、美智子はコーヒーを頼むと本を開いた。
新鮮な森の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、何年ぶりかで味わう
開放感を満喫していた。
夫の谷崎 泰造は45歳、公務員で生真面目・・・ 少しガサツで不器用
ともいえる堅物、家と仕事場を往復するだけで面白みも無く、特別の
趣味も取り柄もなかった。 しいて言えば、二人の息子達と時々キャンプに
出かけるぐらいだった。
美智子は21歳の時、母の知人の紹介で谷崎と見合いをし結婚した。
初めて聞く大阪弁に、当初はいつも怒られているようで、相当違和感や
嫌悪感を覚えたものだった。
やがて長男、次男とすぐに生まれ、彼らが17歳、16歳となる今日まで
子育てに追われてきた。
最近は子供達も大きくなり、そんなに手もかからなくなったが、家の中に
大の男が3人、ゴロゴロしていると息が詰まる時があった。
しかし、20代 30代と必死に家を守り、子供達を育ててきた満足感は
あったものの・・・ どこか女としても寂しさもあった。
「もうすぐ30代も終りね・・・ ちょっと早くに結婚しすぎたかしら?
友人達のように、旅をしたり、恋をしたり、働いてみたり、もっと世の中
の経験をしてからでも遅くはなかったのかな・・・
後 数年で子供達は親元を離れていくし・・・
そうしたら夫と二人だけになるのね・・・」
美智子は少し冷めたコーヒーを口に含みながら、そんな事を考えていた。
セミの大合唱が森に響いている。
その時だった・・・
そのセミの鳴き音よりも大きな騒がしい話し声が、下の方から聞こえてきた。
美智子が何気なく下を見ると、大きなケヤキの木の下で、一人の背の高い
外人さんが、さかんに何か言っている。
相手の人は、近くの店の主人らしく困った様子だ。
美智子はどこか懐かしい言葉に、ふっと席を立ち上がった。
会計を済ますと、下の通りに出てみた。
どうやら外人さんはバックパッカーのようで、大きなリュックに生活道具を
いっぱいぶら下げ、長い旅の様子だ。 そしてさかんに何かを説明している。
店の主人も 「誤解だよ・・・ 親切に言ってるだけなんだけどな・・・」 と
困惑している。
すでに 何事!? と10数人の囲いができていた。
美智子の父親は、かつてフランス在住の日本大使館付の料理人だった。
母親は現地の人に、日本のいけ花を教えていた。
そんな両親の元で美智子はパリに生まれ、エコール・マテルネル(幼稚園)
からエコール・プリメール(小学校)、そしてコレージュ(中学校)まで、パリの
学校に通ったので、フランス語会話は全くのネイチィブだった。
しかし 美智子が12歳の時、父親が急逝した。
それでやむなくコレージュを退学し、母親に連れられ、母の実家のあった
横浜に帰国したのだった。
そして、横浜で21歳まで過ごし、母の知人の紹介で見合いをし、大阪の
住人になった。
「もう何年も使ってないけど、フランス語会話なら聞くことも話すことも、
そう問題なくできるかもしれないわ・・・」
囲いの外から二人のやり取りを聞いていると、どうやら大きな荷物をいっぱい
担いで瀧道を歩く外人さんに、店の主人が 「もし大瀧へ行って、
また戻ってくるのなら、店へその重そうな荷物を置いていってもいいよ・・・
預かってあげるから・・・ 」 と、親切に言ったつもりが、
急に言葉も分からないまま荷物に手をかけられたので、ビックリして
抗議している・・・ という騒ぎの構図だった。
bonjour!
美智子は前にでて二人の間に入り、流暢なフランス語で店主の趣旨を
外人さんに説明した。
するとその外人さんは ゲラゲラ笑いながら・・・
「そうだったんですか ボクはてっきりこの荷物に問題があって、ここを
通れないのかと思っていました・・・」
その旨を店の主人に通訳すると・・・
「誤解だよ・・・」
二人は笑顔で握手を交わし、外人さんは店の主人の親切に感激し、
丁寧にお礼を言うと、店の奥に荷物を預かってもらった。
「bonjour enchant merci beaucoup
lln`y a pas de quoi
puis je vous demander votre nom?
mon nom est michiko」
「ありがとうございます 貴方にお会いできて嬉しいです
私の名前は Jef ジェフ です」
「私の名前はMichikoよ これから大瀧まで行くんでしたら、
私がご案内してさしあげましょうか?」
「メルシー ボークー 本当ですか それはとても嬉しいです
日本の皆さんは本当に親切でとても感激しています
ありがとうございます」
「ドウ エテヴー ヴニュ どちらからおいでですか?」
美智子は気軽に話しかけた。
美智子には予想外のハプニングだったけれど、久々のフランス語が相手に
通じた事や、感謝されたりしたことがとても嬉しかった。
それに今日は一人だし・・・
美智子はジェフと並びながら歩いた。
箕面渓流の水の音、セミの大合唱、野鳥飛び交う森の道の先に音羽山荘、
そして梅屋敷の横には涼をいただく清流の饗宴ともいうべき箕面川床が
見えてきた。
箕面川のせせらぎ、心地よい涼しさの中で旬の食材、箕面産ゆずなども
使った美味しい料理をいただくものだ。
ジェフは好奇心いっぱいに、その風情を眺めていた。
昆虫館まえから瀧安寺に着くと、ジェフは目を輝かせた。
「ボクの仕事は建築士で、日本の伝統建築に非常に興味を持ちました。
実は昨年8月に故郷を出発し、アフリカ、中南米、北米と周り、日本には
一ヶ月前に着きました。 それから大震災の東北を巡り、東京、松本
飛騨、彦根、そいて奈良、京都に着いたのが5日前です。
ここまで各地で見た日本の歴史的建造物や建築美にカルチャーショック
を受けました。
実は恋人を失い、人生の目標を見失ったので旅に出たのですが、
自分の仕事の目標がこの日本で明確になり嬉しいです。
3日後に帰国する予定です。
この箕面に立ち寄ってよかったです・・・」
「貴方の故郷はフランスのどちらなの?」
「ボクは南フランスのエクス・アン・プロヴァンスという人口14万人ほどの
街です。
パリからTGVで約3時間、飛行機だと90分ぐらいです。
ポール・セザンヌが亡くなるまで絵を描き続けていた街ですが
ご存知ですか?」
「街は箕面の人口が13万人位だから似てますね。 セザンヌが愛した
美しい水の都 パリに次ぐ麗しの都ね・・・ 私はまだ行ったことは
ないけれど、プロヴァンス文化の素晴らしい美しい街だそうね・・・」
美智子も自分の生まれた故郷を話した。
「私はパリで生まれ、育ったの・・・ 家は父が料理人をしていた日本の
大使館から歩いて15分くらいの所のモンソー公園の近くにあったのよ。
少し東にあるブローニュの森まで、友達と自転車に乗ってよく遊びに
行ったわ。 たまには北のモンマルトルの丘まで行って、塔からパリを
一望したり、テルトル広場では絵を描いている画家の卵さんらとよく
話したりして楽しかったわ・・・」
二人はお互いの身の上話をしながら瀧道を上った。
ジェフはしきりに左右の景観を楽しみながら、それ以上に流暢な仏語を話し
、しかもこんなに優しく美しい女性と歩ける事の方を喜んでいた。
美智子は山の道を歩くような靴を履いていなかったので、すこし阪道では
ゆっくりと歩いた。 でも長いジェフの足の一歩に追いつこうとすると2,3歩
歩かねばならず、少しつまずいてよろけた・・・
「あ-- 危ないですね 大丈夫ですか? ボクが気がつかなくて
ごめんなさい もっとゆっくりと歩きましょう・・・」
そう言いながらジェフは何気なく、自然と手をつないでくれた。
そしてしばらくそのまま二人は手をつなぎながら一緒に歩いた。
美智子は夫とも手をつないで歩いた事など一度も無かった。
それに夫はいつも一人で、先へ先へ歩くタイプなので、ジェフの優しい
心遣いに、胸がドキドキときめいた。
箕面大瀧で過ごした後の帰路は、二人ともお互いの事をもっともっと
知りたい・・・ の感情が残った。
やがてジェフが荷物を預かっていた店の前に戻り、丁重に感謝の言葉を
店のご主人に述べた。
再び大きな荷物を背負ったジェフは、美智子とともに箕面駅へ向かった。
・・・何となくこのまま別れるのが辛いわ
私どうしたらいいの? ・・・
それに先ほどジェフと話していたパリー祭りのことを思い出していた。
子供の頃、あのシャンゼリゼ通りでみたパリー祭パレードでみる
消防士達の勇姿に、淡い初恋心を抱いていたものだが・・・
・・・似ているわ・・・
美智子は自分の心の葛藤と闘っていた。
駅に着くと、いつしか二人は見つめあったままたたずんでいた・・・
「貴方は今晩どこへ泊まる予定なの?」
「ボクはこれからニシナリの安い宿を探す予定です」
「あの釜が崎のドヤ宿と言われてる所・・・?
それなら・・・ よかったら私の家へ来ませんか・・・ 夫と子供達は
キャンプに行っていて、明後日までいないので・・・」
美智子は衝動的にそう言ったものの、自分の心に素直に従ったまでだった。
ジェフは突然の申し出に少しビックリしながらも、満面の笑みを浮かべ、
有難く受け入れた。
谷崎家は、箕面山麓の新しい分譲地にあり、3年前に新築したばかり
だった。 まだ近隣には家も少なく、近所付き合いも余り無かった。
家の駐車場は建物の北側にあり、その裏は山なので人目にはつかない。
美智子は朝方、3人を駅前へ送ってきたワンボックスカーにジェフを乗せ、
自宅に案内した。
朝 バタバタと出かけたので、慌てて片付けた。
・・・それにしても見ず知らずの人を家に連れてくるなんて・・・
こんなにも大胆な事をしている自分が信じられなかった。
美智子は昨年、それまで横浜から呼び寄せ一緒に暮らしていた亡母の
離れの部屋に、ジェフを案内した。
坪庭つきの純和風で、華道の先生らしくお花の似合う清楚な部屋だった。
しかし、床の間の掛け軸はまだ初春の梅と鶯のままだったが・・・
「きれいなお部屋ですね。 日本を30日ほど旅してきましたが、こんなに
美しい日本の部屋で泊まれるのは初めてです・・・
ありがとうございます 貴方にお会いできて嬉しいです」
merci beaucoup
enchante je suis enchante de faire votre
connaissance.
ジェフは感激しながら、重い大きな荷物を部屋に置いた。
「今から私 デイナーの準備をしますね。 今晩は家にある食材なので
あまり期待しないでね。 お風呂が沸いたら知らせますから・・・」
美智子はもう自分が自分でないような・・・ 自分の言動に戸惑いながらも、
いつしか別の世界へと入っていった。
(2)へつづく