箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

箕面山の霊力 歴史話し!

2019-09-09 | *編集・その他

箕面山の霊力・歴史話し!

  今日は地獄谷を登り、こもれびの森から箕面ビジターセンター前に着くと、一休みをしてから、「東海自然歩道」に入りました・・最勝ケ峰(535.5m)にある 鎌倉期の開成皇子の墓(宮内庁管理)を経て、やがて勝尾寺の裏山から「二階堂」横に下りてきました。

  この二階堂は「法然上人第5番霊場」とのこと。鎌倉時代に法然上人はここで4年間止住され、念仏三昧に入られたとか・・この時に善導大師の夢のお告げにより、浄土宗本基の戒を授けられたと、記されている所です。

私は新装なった勝尾寺山門周辺を一回りした後、再び二階堂へ戻り、勝尾寺の全景を眺めながら一休みにしました。この地は数千年の昔より箕面山自体の持つ霊力によって、無類の聖地として崇拝されてき、奈良末期時代の西暦724年に善仲、善算の両上人がこの山中に草庵を構えたのが始まりと言いますから、もう1280年も昔の事とて私には想像もつきません。

 やがて私は自然4号路を戻り、箕面大滝前を経て瀧安寺に下りてきたので、弁財天を訪ねてみました。この本尊の弁財天は、日本最初にして最古であると伝えられ、日本四弁財天の一つとして有名なのだとか・・・開基は西暦658年に、役行者(えんのぎょうじゃ)が箕面寺(後に後醍醐天皇の勅額を賜って瀧安寺と改称)を建立したのが始まりと言われているので、これも1351年も前のことです。古くから山岳信仰・修験道の根本道場として知られているそうで、かの空海や日蓮、蓮如などもここで修行したそうですからすごい所ですね。

 先日のこと、箕面ビジターセンター横の自然2号路から修験道を登り、天上ケ岳(499.2m)へ向う途中で、山伏姿の修行僧と出会いました。その前は、同じ山伏姿で法螺貝を吹きながら下りてきた修行僧とも出会いました。この天上ケ岳には瀧安寺・奥の院として、役行者昇天の地としての山伏姿の銅像があり、大きな石碑がたっています。数年前にここを通りかかった時、偶然にここでの年一回のお祭りに遭遇したことがあります。そしてその時に、そこで偉い高僧の話を聞く機会がありましたが、私はその説法より、その後の大阪大学の教授と言う方が、科学的に測定したという「この山の磁力は相当強い!」 という解説だけが印象的でした。それを聞いたとき以来、この周辺での小便は全くやめにしましたが・・・スイマセン! 

 また瀧安寺は「日本の宝くじの発祥の地」としても有名で、「富くじ」と呼ばれ、全国に広がっていったのだとか・・・数年前に大阪商業大学の商業史博物館で開催された「富くじ博物展」、その当時の瀧安寺の富くじを見せてもらった事があります。

 私は帰路に、箕面駅近くの西江寺にも立ち寄ってみました。ここも西暦658年、役行者によって仏教の修行地として開かれ、大聖歓喜天と虫供養で有名です。そして10月3日はその「虫供養万灯会」の日で、盛大な催しが開かれていました。

 前置きが長くなりましたが、今日のお話はこれからです。私は今日、箕面のお寺巡りをしようとか、そんな事を意識して歩いてきたわけではないのですが・・・帰宅して、例によって古本屋で1ドルで買い置きしていた本の中から一冊を取り出して読んでいました・・・すると・・! 偶然手にしたこの本の中から、昔の箕面の歴史話しが出てきたので、そこでその本をご紹介方々、箕面山の歴史を少し記してみたのです。本は「旅芸人の風景」(遍歴、流浪、渡世)沖浦和光著(文春新書)

 今年82歳になる著者が、かつて昔の箕面村に住んでいた事から始まり、旧東海道と旧山陽道を結ぶ脇往還だった「西国街道」(今の171号線沿い)を通る遊行者、旅芸人、渡世人、香具師、行商人、渡職人、遊女など よるべなき漂泊の人生をおくった道々の者、ワタリ稼業の民族誌・・・とあり、それらの人模様から・・・かつて12世紀の後半、後白河院によって編まれた「梁塵秘抄」(りゅうじんひしょう)に歌われた「箕面山」と、中世に修験道で名を知られた勝尾寺、瀧安寺のことなどが記されているのです。又、明治の後半、急速に変貌していった箕面村や、今の阪急・箕面線(箕面有馬電気軌道)の変遷なども記されています。

 ちなみに古来から箕面山は、山岳信仰に基づいて修験者たちが修行する霊山「九峰」に準じられていたそうですが、他はいずれも標高1000mを超える巨峰なのに、300m級の低山の箕面山が、なぜそれに準じていたのか? その霊力がいかに大きかったか分かります。

 十四世紀前半に知恩院で作成された「法然上人行状絵図」に、箕面の山奥にある勝尾寺が描かれていて、山深い渓谷の道を歩く法然一行の背後に、一条の箕面滝が描かれている・・・とあります。修験者たちは山に篭って修行し、滝に打たれながら山の霊気に感応し、呪力を身につけたとのこと・・・

 ご存知のように、勝尾寺は「西国三十三ケ所観音巡礼」の23番札所ですが、これは今人気の「四国八十八ケ所巡拝」よりもずっと古い歴史があり、その始源は有史以来の熊野信仰であり、縄文、弥生時代からのアミニズムと、渡来人がもたらした道教や仏教が複雑に混交しなら形成されたものだと著者は言います。

そんな歴史があったからこそ、この箕面大滝周辺は原生のまま広葉樹林が残り、人里からそんなに遠くないのに野猿が群れ、豊かな自然が残ったと言えるのでしょうね。私はそんな歴史のある箕面の森とは深く知らずに歩いてきましたが、改めてその歴史の変遷をかみしめた次第です。

しかし、偶然 手に取ったこの古本の帯びコピーに・・「定めなき浮世、道に生き、道に死す・・・」とあり、この定めなきよるべなき漂泊の遊芸民という言葉に親しみを覚え、もしかしたら私の前世のような気がして買い求めたのですが・・・ 

 1ドル本も探せば、まだまだ面白い発見がありそうなので、当分 私の古本屋通いもやめられません・・・

 (*管理人の「箕面の森のあれこれ話し」から再掲載)

 


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