東京タワ-は行けるんですが
流石に スカイツリーには当分いけそうも無く
遠くから見ているだけ
遊園地なら雨が降った日に 我慢していけばいいんだけど
雨でも風でも
雪でも
人が少ないことは無いですね
新しいシンボルは 遠くから見詰めいてましょう
もしかしたら 目がよくなるかもしれません
今日も又足元をウロウロしてきました
東京タワ-は行けるんですが
流石に スカイツリーには当分いけそうも無く
遠くから見ているだけ
遊園地なら雨が降った日に 我慢していけばいいんだけど
雨でも風でも
雪でも
人が少ないことは無いですね
新しいシンボルは 遠くから見詰めいてましょう
もしかしたら 目がよくなるかもしれません
今日も又足元をウロウロしてきました
一太郎翁 立像
小さいときから 客間の床の間に飾られていたので覚えていた像であり
わけもわからずテカテカに磨いていた
立像の置き台は 龍の彫り物がしてあり 組木細工になっている
*置き台については 又 後に掲載したい
去年 この像を母から譲り受け はじめ知った事は
製作者が「中村七十氏」とあったことです
<中村七十氏について>
昭和16年10月20日没中村七十(なかむら・しちじゅう)は、
本名を中村永男(なかむら・ながお)といい、明治44年(1911年)に
長野県上伊那郡朝日村平出(現在の上伊那郡辰野町)に生まれた。
昭和12年には、日本彫刻家協会の創立に参加し、13年に結婚。
16年には文展無監査となり、
江古田駅近くの豊玉にアトリエを建設するが、文展会期中に急逝してしまう。
わずか30才と8ケ月の人生だった。
何故 一太郎の像を中村七十氏が作成したのか?
上伊那郡辰野町という事 中村姓という事から 不折氏との関係を追ってみたが不明
政友会がらみでの関係とも考えられ検索したが不明
「何故」と「何処から」という 関係までは追う事は出来ませんでしたが
残された数通の書面に「平林」という名前が書かれており紹介者である可能性は見えたが
詳しくはまだ調べていません A子さんか叔母さんに聞いてみます
《一太郎ブロンズ像と七十氏の手紙》
七十氏の書面に残る名前
其の一、十一月十六日拝啓過日は御配慮にあずかり御礼申し上げます
小生 四五日中に 帰国の機会にあります故ブロンズ代
上諏訪 平林宅まで届け下さい宜しくお願い申し上げます
其の二、拝啓ブロンズ代 受け取りました作品は帰京後になりますので御承知ください
●この手紙にだけ 印が押してある 領収書のつもりなのか?