風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

行ってみたいなスカイツリー

2012年06月01日 | 日常ヴギ

東京タワ-は行けるんですが

流石に スカイツリーには当分いけそうも無く

遠くから見ているだけ

遊園地なら雨が降った日に 我慢していけばいいんだけど

雨でも風でも雪でも 人が少ないことは無いですね

新しいシンボルは 遠くから見詰めいてましょう

もしかしたら 目がよくなるかもしれません

今日も又足元をウロウロしてきました

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曾良庵の許に・・・  一太郎と中村七十

2012年06月01日 | 曾良庵ヴギ

 一太郎翁 立像

 

小さいときから 客間の床の間に飾られていたので覚えていた像であり 

わけもわからずテカテカに磨いていた

立像の置き台は 龍の彫り物がしてあり 組木細工になっている

*置き台については 又 後に掲載したい

去年 この像を母から譲り受け はじめ知った事は 

製作者が「中村七十氏」とあったことです

<中村七十氏について> 

昭和16年10月20日没中村七十(なかむら・しちじゅう)は、

本名を中村永男(なかむら・ながお)といい、明治44年(1911年)に

長野県上伊那郡朝日村平出(現在の上伊那郡辰野町)に生まれた。

昭和12年には、日本彫刻家協会の創立に参加し、13年に結婚。

16年には文展無監査となり、

江古田駅近くの豊玉にアトリエを建設するが、文展会期中に急逝してしまう。

わずか30才と8ケ月の人生だった。

何故 一太郎の像を中村七十氏が作成したのか?

上伊那郡辰野町という事 中村姓という事から 不折氏との関係を追ってみたが不明 

政友会がらみでの関係とも考えられ検索したが不明

「何故」と「何処から」という 関係までは追う事は出来ませんでしたが

残された数通の書面に「平林」という名前が書かれており紹介者である可能性は見えたが

詳しくはまだ調べていません A子さんか叔母さんに聞いてみます

《一太郎ブロンズ像と七十氏の手紙》

 七十氏の書面に残る名前

其の一、十一月十六日拝啓過日は御配慮にあずかり御礼申し上げます

小生 四五日中に 帰国の機会にあります故ブロンズ代 

上諏訪 平林宅まで届け下さい宜しくお願い申し上げます

 

其の二、拝啓ブロンズ代 受け取りました作品は帰京後になりますので御承知ください

●この手紙にだけ 印が押してある 領収書のつもりなのか?

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