風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

森田屋 古物語 其の一

2012年06月02日 | 田舎ヴギ

長男の号が生まれた時 父親からもらった鎧兜

父自身の人形であったらしい

保存状態は非常によかった刺子の部分も虫くいもない

五月には これと一緒に飾る武者人形がある 

その人形は 傷んでいる部分がある

又 整理して載せておきたい

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍入者現る・・・

2012年06月02日 | 日常ヴギ

ベランダのおじさんの手元に何かいる・・・

カメラ片手に 珍入者の正体をパチリ

何だこれみの虫 中から何か出てきますあっちに行ったりウロウロしてます

 

上の右の写真 少し体出ていますよう 

そういえば 一年前位に 芋虫みたいな 擬態する虫がいました

日に日に 大きくなって 更に 枝みたいになってました

探すのが大変だった久しぶりの お客様です

 

追伸;昨日から泊まっている 六ちゃんと虎太郎

これから コウちゃんと合体して先週の再現 合体ギャングズ。になります

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曾良庵の許に・・・ 一太郎と小川平吉

2012年06月02日 | 曾良庵ヴギ

小川氏とは生家近隣の関係で知り合いになっている

一太郎も議員と思った時もあるようですが 小川氏に会い

自分の進む道を決めたようである

小川平吉との関係逸話の一つ(ネットに掲載されている文章を抜粋する)

政界初出馬は明治35年(1902年)8月の第7回衆議院議員総選挙。

当時の平吉は貧乏弁護士であり、木綿の紋つきよりほかに持ち合わせはなかった。

これを見た友人の矢守一太郎が気の毒に思い、自分のフロックコートを脱いで着せた。

借り着のフロックコートはダブダブだった。これを着て街頭へ出たところ、

「かかしの化け物が来た」と陰口をたたかれた。

だが珍妙な服装にもかかわらず、演説のほうはピカ一だった。

堂々と天下国家を論じ、その抱負を述べたので一躍人気スターとなった。

開票の結果は1473票。わずか37票差で落選した。

政界に身を置き 小川平吉の秘書として動いていた一太郎であるが

良いことばかりではなかったようで勝つために行われていた

 金権政治 これも仕方ないことであるが 一つ間違えば捕まりかねない

そして それは有名な事件として起こった・・・

その時 おくられた不折氏からの手紙 

 中村 不折から 曽祖父と祖父へ

謹賀新年さて此度は思ひもよらぬ御災厄にて 実に御気毒の次第御察し申上候

然に小生等は何事も不案内にて御慰め申すべもなく

 空敷(むなしく)打過不行届の段 御免申被下度(くだされたく)候兼々御病気の事も存候 

一層御案じ申候も如何とも致し難く徒(いたずら)に焦慮候のみに御座候

然るに昨日新聞紙にて保釈出場の事を読み欣喜措く虜を不知(しらず)

早速拝芝の栄を何度も孝へ慮々御所在を探候

松下くんの 御注意にて一先思ひ止まり候

附ては何か御機嫌伺度(うかがいいたし)と兼々

 十二月帖を作りさし上げ候も家教教訓との書籍の他は一切さし

入不叶と注意を受其まゝ中止候ものを再取り出し

補筆の上平松くんに托し 御手元迄御届け申上度拙劣にて

尊眼を煩はすも恐縮に候然共御見舞の印迄 拝呈仕候

万一幾分にても御慰めとも相成候 

ナホナホ御面会の機を何度と考候乱筆ながら取敢へず一筆め記候

草々

尚々寒気殊の外厳敷候保養専一に拝候

十二日     中村 不折

 一太郎 様         侍史

今も昔も政治は難しい・・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする