風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

ロバのパン屋さん◎と昔遊び・・・ 

2012年06月12日 | お絵かきヴギ

僕の小さい頃 まだ 車も少なく 道路も舗装されていない時代

「ロバのパン屋さん」が道の向こうから ユックリと現れましたのどかでしょう

皆さん 知ってます 仔馬ガラスケ-スの荷台を引いてパンを売りに来るんです

写真も見つけました

 

ロバのパン屋は、株式会社ビタミンパン連鎖店本部という、

京都市に本社を置く蒸しパンの行商を行なっていたチェーン店である。

1953年(昭和28年)に、浜松市と京都市とで移動販売を始めた。

四輪の馬車を牽くロバのパンとして日本各地で昭和30年代に見られた馬車である。

ひいていたのは ポニ-だったらしいので 記憶も間違いではないですヨ

僕の少年時代にジャストミ------------------ト

こんな時代 今と違って 遊びは自分達で考えなくてはいけませんでしたね

だから 路地にはいつでも子供達が 遊んでいて

今で言えば壁面ア-トみたいに ロウセキでそこらじゅうに絵がかかれいました

*ロイセキとは言うものの 買うことが出来ないので そこらへんの石で書いていたナ

ロウセキ遊びで覚えているのは

1.ケンケンパ  

2.石蹴り(天下一ともいったかな)

こんな感じだった気がする(場所によって違うと思います)

1.2.も石を投げたり・けったりして前に進んでいく 

3.ろくむし(調べてください) 

4.字隠し

文字を土にほり その上に砂をかけて 文字を探し出す 単純な遊び

先日 こんな話をしていたら BAaBA「高鬼」という遊びがあったと言い出した 

鬼ごっこなのであるが 掴まりそうになったら 高いところに逃げれば良いらしい 

こんな 遊びをいつか纏めても面白いのかも知れないネットで探したら 

ありました 

「たかたか、たかたかとうばん」という呼称も使われるそうです びっくり

 

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オハヨウ 蝸牛さん☆★☆★

2012年06月12日 | 日常ヴギ

日本全国 入梅宣言されてきていますネ

僕は 毎朝には家を出るんですが 

月くらいまでは 誰も歩いていない時間帯だったのに

今は ウォ-キングをする人 犬の散歩をする人 何故か買物帰りの人

色々な人とすれ違います

変な意味で 声はかけない顔見知りです

今日は こんな方とすれ違いました

ユックリと自分のペ-スで あたりを気にせず歩いていた

紫陽花の葉の紳士  蝸牛さん どこに出勤するのでしょう? 

急いで撮ったのでブレてしまったのが残念でしたが

「又 いつかお会いしましょう」と言っておきました

 

 

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今日は 取材受けちゃいましたァ◇◆

2012年06月12日 | 日常ヴギ

「来るものは 拒まず主義」なので

昨日は雑誌の取材を受けて

今日は業界新聞の取材受けちゃいました

雑誌に連載したり セミナ-で資料作るよりも 気楽です

2年間掲載していた去年までは 毎月 追われているような感じでした

動くまで 「面倒くさがり屋」の僕にとっては ス・ト・レ・ス

今回は 先方が全て原稿を書き起こしてくれるので校正するだけなんです ラッキ- 

何を話したかって・・・ ドラッグストア業界のことですヨ・・・ でも書いても興味ないでしょう・・・

DAKARA 

僕が知っている編集者の特徴あれこれ書いちゃいます

「疲労顔」「薄毛」「バイタリティ」が 共通三要素

毎月毎月原稿に追われ 自分で取材し・写真を撮って 構成する

月末会うと ぼろ雑巾のように ヨレヨレになっています

何故か 担当する人の多くが 薄毛 僕も年齢的に余りいえませんが

頭を使いすぎているのか こればかりは 聞くことも出来ません

でも 全員に言える事は なんかギラギラしているんですよね

仕事終わりの一杯がおいしいのでしょうカ

「ほと゜ほと゜元気」 が身上の 僕には 真似できない世界観です

今度 逆インタビュ-してみようかな

 

 

 

 

 

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曾良庵の許に・・・  焼き物 其の六

2012年06月12日 | 曾良庵ヴギ

<扇方 飾り皿>

土自体は 花瓶・急須と同じだと思いますが

釉薬を全体にかけず 土の質感をだしている様に感じます

文字は 「寿」 お祝い事に飾るようにと作成したのかもしれません

 

勿論 自分のを持っていたようです

場所は 諏訪上社の入り口 今も店屋がありますが

昔は ここで 一太郎の妻が店をしていたようです(下の写真)

は この店の裏側あったと思います

「上社楽焼」という印鑑が 手元に残っているので

 もしかしたら自分の焼いた作品を売っていた可能性もあります

 時を経て どこで焼いたかは定かでありませんが 

父が焼いた「上社楽焼」が残っています

 

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