朝、起きてみると、寮の外は暴風雨が吹き荒れていました。これは中止じゃないのか?と思いながらも、すぐに準備をまとめてバイクで出発しました。国道330号線を走っていると、横風が強く、安定性の悪い二輪車では何度も流されかけました。旭橋の交差点から国道58号線に出ると、海岸線を走るため、強烈な向かい風を受けました。特に高架道路の上がひどく、しばらく徐行していると、後続のワゴン車がクラクションでまくし立ててきます。こっちは命がけで走っているのにまったく・・・と思いながら運転していると、まもなく那覇軍港の臨時駐車場に到着しました。
そこからシャトルバスで奥武山(おうのやま)運動公園に向かい、スタート地点に到着。写真部の皆様と合流し、柔軟をしながら出走時間を待ちます。この際、無料でスプレー式の液シップをかけてくれるサービスを見かけたので、とりあえず私もしてもらいました。
スタート時間になり、万国津梁の鐘(確か重要文化財のはずですが、こんな悪天候に野外に出して大丈夫なのでしょうか?)が鳴ると、先頭のランナー達が一斉に走り出しました。が、私のスタート位置はかなり後方で(ゼッケン番号で決まっているのですが、最後尾は23000番でした)、先頭のスタートから18分後にようやく走り始めました。さあ、いよいよ私のNAHAマラソンの始まりです。
NAHAマラソンのコースは、NAHA(那覇)という名称ではあるのですが、那覇市、南風原(はえばる)町、東風平(こちんだ)町、具志頭(ぐしかみ)村、糸満市、豊見城市、そして再び那覇に戻ってくるという沖縄本島南部周回コースです。当然ながら道のりは42.195kmあり、中間地点は糸満市の平和祈念公園です。これを6時間以内に走りきれば、完走と認められ、完走証とメダルが貰えます。しかも、ただ6時間以内に走れば良いわけではなく、中間地点を12時15分までに通過、糸満市の兼城交差点を13時45分までに通過しないといけません。時間内に通過できないと、ゲートがしまり、そこでマラソンは終了となってしまいます。
さて、私の方は、スタートから順調に走り続け、国道58号線~県庁前~国際通り~ひめゆり通り~爬龍橋~那覇東バイパス~国道507号線をほぼノンストップで走り抜けました。自分でも意外だったのですが、いつもなら10kmくらいで足が痛くなるのに、今日は何km走っても痛くなりませんでした。出発前の液シップがかなり効いたようです。また、沿道からの声援や、差し入れ、給水、スポンジを見るたびにがぜんやる気が出てきました。沿道の住民からの差し入れで一番多かったのが、黒糖で、これが体力補充に効果覿面でした。変わったところではセロリの差し入れがあって、南風原町のおじいさんが「これおいしいよ~」と渡してくれたのですが、これがまた本当に美味しくて、これまで食べたセロリの中で一番だと思いました。
とりあえず、私の当初の目的は、海が見えるところまでは走ろうということでした。20km地点に近づくと、ついに左手に海が広がりました。太平洋です。ここらへんは、太平洋戦争の沖縄戦で、追い詰められた軍・民多くの方が最期を迎えた地で、至るところに慰霊塔が建っています。そんなことにも思いをはせていると、21km地点のあたりで、制限時間の説明が流れていました。あと10分ほどで中間地点の制限時間になるそうで、ゲートまで残り1.2kmほどなのですが、あきらめた人がすでに歩き始めています。私も、そろそろ足が痛くなりはじめていましたが、ハーフまではなんとか走りきりたかったので、先を急ぎました。12時14分、制限ぎりぎりで中間地点を通過することができ、なんとか希望を繋げられました。ここからは一路那覇に戻るコースなので、気分もだいぶ楽です。といっても、しばらく本島の南端を走り続けるので、あの、ひめゆりの塔や喜屋武岬など、南部戦跡がまだ続きます。名城の交差点まで来ると、次のゲートの制限時間が近づいていることを知らせる放送が流れていました。私の頭の中では、残りの距離と時間を鑑みて、まだ完走できると踏んでいたのですが、よくよく考えてみると、計算違いをしていたようです。中間地点からここまで、私は早歩きで進んできたのですが、時速6kmで進んでいるのを、時速10kmだと勘違いしていたのです。考えてみれば、時速6kmでは、時間内にゴールできません。かといって、もう走る気力も無く、ただ歩くしかありませんでした。
兼城交差点のゲートまであと2kmほどのところまで来たところで、道路の通行規制が解除され、ランナーは歩道に退避するように指示されました。しばらく歩き続けたのですが、すでに31.8km地点の兼城交差点のゲートは直前に閉まっていて、そこで止められてしまいました。スタートから4時間半が経っていました。
残念です。しかたなく、むくんだ足の痛みを和らげるため、裸足になってリタイアランナーの収容バスまで歩きます。すると、その場に居たテレビ局のカメラが私を撮っているではないですか・・・!これはもしやと思っていたら、案の定インタビューされてしまいました。
「おつかれさまでした。裸足になっておられますが、どうされたんですか?」
「いやあ、もう足がむくんじゃって・・・。30kmくらいまではなんとか来れたんですけどね・・。ちょっともう足が動きませんね。」
「それは残念でしたね。本当におつかれさまです。では、来年はどうされますか?」
と聞かれ、「いや、もう走りたくないです。」などと言えるわけもなく、
「また挑戦して、今度は完走したいですね。」などと答えてしまいました。(爆)後悔・・・。orz
かくして、私のマラソンの初挑戦は4分の3地点をもって終了を迎えました。終わった直後はそうでもなかったのですが、次第に筋肉痛がひどくなってきて、今(夜)、歩くのもやっとな感じです。
最初、走り続けることのなにが楽しいのだろうとずっと思っていたのですが、道のりを踏破していくのがだんだんと面白くなってきて、今日は案外楽しめたと思います。私の人生で最も長く走った経験で、少しは自分の体力に自信を持てたとも思います。
でも、正直もうしばらく走るのは嫌です。・・・(-皿-;)
図は、今日のマラソンのルートです。赤線が私の走ったところです。いやあ、惜しかった~・・・。
そこからシャトルバスで奥武山(おうのやま)運動公園に向かい、スタート地点に到着。写真部の皆様と合流し、柔軟をしながら出走時間を待ちます。この際、無料でスプレー式の液シップをかけてくれるサービスを見かけたので、とりあえず私もしてもらいました。
スタート時間になり、万国津梁の鐘(確か重要文化財のはずですが、こんな悪天候に野外に出して大丈夫なのでしょうか?)が鳴ると、先頭のランナー達が一斉に走り出しました。が、私のスタート位置はかなり後方で(ゼッケン番号で決まっているのですが、最後尾は23000番でした)、先頭のスタートから18分後にようやく走り始めました。さあ、いよいよ私のNAHAマラソンの始まりです。
NAHAマラソンのコースは、NAHA(那覇)という名称ではあるのですが、那覇市、南風原(はえばる)町、東風平(こちんだ)町、具志頭(ぐしかみ)村、糸満市、豊見城市、そして再び那覇に戻ってくるという沖縄本島南部周回コースです。当然ながら道のりは42.195kmあり、中間地点は糸満市の平和祈念公園です。これを6時間以内に走りきれば、完走と認められ、完走証とメダルが貰えます。しかも、ただ6時間以内に走れば良いわけではなく、中間地点を12時15分までに通過、糸満市の兼城交差点を13時45分までに通過しないといけません。時間内に通過できないと、ゲートがしまり、そこでマラソンは終了となってしまいます。
さて、私の方は、スタートから順調に走り続け、国道58号線~県庁前~国際通り~ひめゆり通り~爬龍橋~那覇東バイパス~国道507号線をほぼノンストップで走り抜けました。自分でも意外だったのですが、いつもなら10kmくらいで足が痛くなるのに、今日は何km走っても痛くなりませんでした。出発前の液シップがかなり効いたようです。また、沿道からの声援や、差し入れ、給水、スポンジを見るたびにがぜんやる気が出てきました。沿道の住民からの差し入れで一番多かったのが、黒糖で、これが体力補充に効果覿面でした。変わったところではセロリの差し入れがあって、南風原町のおじいさんが「これおいしいよ~」と渡してくれたのですが、これがまた本当に美味しくて、これまで食べたセロリの中で一番だと思いました。
とりあえず、私の当初の目的は、海が見えるところまでは走ろうということでした。20km地点に近づくと、ついに左手に海が広がりました。太平洋です。ここらへんは、太平洋戦争の沖縄戦で、追い詰められた軍・民多くの方が最期を迎えた地で、至るところに慰霊塔が建っています。そんなことにも思いをはせていると、21km地点のあたりで、制限時間の説明が流れていました。あと10分ほどで中間地点の制限時間になるそうで、ゲートまで残り1.2kmほどなのですが、あきらめた人がすでに歩き始めています。私も、そろそろ足が痛くなりはじめていましたが、ハーフまではなんとか走りきりたかったので、先を急ぎました。12時14分、制限ぎりぎりで中間地点を通過することができ、なんとか希望を繋げられました。ここからは一路那覇に戻るコースなので、気分もだいぶ楽です。といっても、しばらく本島の南端を走り続けるので、あの、ひめゆりの塔や喜屋武岬など、南部戦跡がまだ続きます。名城の交差点まで来ると、次のゲートの制限時間が近づいていることを知らせる放送が流れていました。私の頭の中では、残りの距離と時間を鑑みて、まだ完走できると踏んでいたのですが、よくよく考えてみると、計算違いをしていたようです。中間地点からここまで、私は早歩きで進んできたのですが、時速6kmで進んでいるのを、時速10kmだと勘違いしていたのです。考えてみれば、時速6kmでは、時間内にゴールできません。かといって、もう走る気力も無く、ただ歩くしかありませんでした。
兼城交差点のゲートまであと2kmほどのところまで来たところで、道路の通行規制が解除され、ランナーは歩道に退避するように指示されました。しばらく歩き続けたのですが、すでに31.8km地点の兼城交差点のゲートは直前に閉まっていて、そこで止められてしまいました。スタートから4時間半が経っていました。
残念です。しかたなく、むくんだ足の痛みを和らげるため、裸足になってリタイアランナーの収容バスまで歩きます。すると、その場に居たテレビ局のカメラが私を撮っているではないですか・・・!これはもしやと思っていたら、案の定インタビューされてしまいました。
「おつかれさまでした。裸足になっておられますが、どうされたんですか?」
「いやあ、もう足がむくんじゃって・・・。30kmくらいまではなんとか来れたんですけどね・・。ちょっともう足が動きませんね。」
「それは残念でしたね。本当におつかれさまです。では、来年はどうされますか?」
と聞かれ、「いや、もう走りたくないです。」などと言えるわけもなく、
「また挑戦して、今度は完走したいですね。」などと答えてしまいました。(爆)後悔・・・。orz
かくして、私のマラソンの初挑戦は4分の3地点をもって終了を迎えました。終わった直後はそうでもなかったのですが、次第に筋肉痛がひどくなってきて、今(夜)、歩くのもやっとな感じです。
最初、走り続けることのなにが楽しいのだろうとずっと思っていたのですが、道のりを踏破していくのがだんだんと面白くなってきて、今日は案外楽しめたと思います。私の人生で最も長く走った経験で、少しは自分の体力に自信を持てたとも思います。
でも、正直もうしばらく走るのは嫌です。・・・(-皿-;)
図は、今日のマラソンのルートです。赤線が私の走ったところです。いやあ、惜しかった~・・・。