うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

嘉手納基地に行きました。

2005年12月07日 20時56分05秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日はなんとなくC-5ギャラクシーが見たくなり、嘉手納基地に行ってきました。
C-5ギャラクシーとは、米空軍最大の大型輸送機で、先日沖縄国祭大学の大学祭の折りに撮影に成功した、ロシアのアントノフAn124ルスワンと同じクラスの型式に当たります。まあ、とにかくデカイ飛行機なのです。嘉手納基地には時折飛来するそうなので、運が良ければ見られるかもしれません。
大学から国道330号線、329号線を北上して約40分、以前から目星をつけていた、嘉手納基地の展望場所、「道の駅かでな」に到着、まだまだ痛む足を引きずりながら階段を4階まで上ると、目の前に広大な飛行場の景色が広がりました。今日は天気が良く、逆光のため、かなり眩しいです。
日をさえぎりながら、遠くにある格納庫群を眺めると、対潜哨戒機P-3Cオライオンや、戦闘機F-15などが並んでいるのが、かすかに見えます。残念ながら、C-5は今日はいないようです。早速カメラで飛行機たちを撮ろうとしますが、遠すぎて、24倍ズームを使ってもまだ小さくしか写りません。ものすごい広さです。(普通の空港なら10倍ズームもあれば、航空写真を撮れる)
しばらく展望台から基地を眺めていると、上空を大型のジェット機が通過して行きました。尾部の形状から、空中給油機をいうことが分かりましたが、あの4発エンジンと垂直尾翼の先端の突起は、まさにB707です。B707は、ジェット黎明期の旅客機で、50年前に登場したオールドタイマーです。エンジンの騒音が現在のものよりもかなりひどく、そのままでは規制に対応できないため、現在この型式を使用している航空会社はほとんどなく、世界的にも軍用機や貨物機に僅かに残っているだけです。実は私がB707を見たのは今回が初めてだったのです。(後から調べたところ、米空軍ではKC-135という型式名だそうです。)急いでカメラを構えて写真を撮りましたが、このときは2枚しか撮れませんでした。
どうやらKC-135は慣熟訓練中のようで、複数の機体が上空をローパス(低空で通過)したり、滑走路でのタッチアンドダウンを何度か繰り返していましたが、1時間ほどすると、着陸してきました。その行く先を見つめていると、こちら側に曲がってきて、目の前の誘導路を通過していくではないですか!これなら4倍ズーム程度でも十分に大きく写真を撮れます。それこそ何枚も写真を撮りました。なにしろ初めて出会った飛行機ですからね。
撮影に熱中していると、いつのまにかカメラのバッテリーが切れてしまい、しばらくしてついに撮影できなくなりました。狙っていた、C-5が来る気配もなく、電池を買うお金も無いので、撮影を切り上げて、帰りました。
C-5が撮れなかったのは残念ですが、また撮る機会もあるだろうな・・・と思いながら、寮で新聞を読んでいると、月曜日の朝刊に、「米軍の大型輸送機C-5普天間基地に飛来・・・騒音が110dbを記録」という記事がありました。そういえば、この前の日曜日、マラソンから帰ってきて自室で寝転んでいると、ひときわ大きなエンジンサウンドが聞こえたのですが、それがC-5の離陸の音だったのです。私はてっきり、またアントノフだろうと思い込んでいたので、あまり気にとめていなかったのですが、すぐそばにC-5が来ていたとは・・・。しかもこれが5年ぶりの飛来だったそうです。飛来の理由は、先日のアントノフと同じで、新旧のヘリコプターを交換するためだったそうで、まさかアントノフが2連続で飛来した後にC-5が来るとは思っていませんでした。orz


超筋肉痛です。

2005年12月05日 18時54分10秒 | うちなー日記(沖縄編)
朝、目が覚めると、起き上がれませんでした。ものすごい筋肉痛です。なんとか壁づたいに這い上がって、立ち上がりました。
今日は四大写真展の搬出の日です。なんとかして首里まで行かなければいけません。足をひきずりながら、洗面をすまし、ユニットの玄関を出て階段を降りようとしたその時、激痛が身体を走りました。これはヤバイです。10分近くかかって、ようやく1階まで(私のユニットは3階)降りることができました。
バイクに乗れば、後は手で運転するので、足を使わずに済みます。車だったら足でアクセル・ブレーキを操作しないとならないので、大変だろうなと思いながら、強風の中首里の県立芸大まで走りました。
芸大に着くと、昨日マラソンを走った、写真部のメンバーが待っていました。やはり彼らも筋肉痛で、足をひきずって歩いています。作品はすでに壁からはずされていて、あとは先輩の車まで運ぶだけなのですが、作品を抱えようと、しゃがむ度に足腰に激痛が走り、老人の苦労がよく分かりました。
搬出を終えて、今回の写真展の感想を読んでいると、私の作品について書いてくれている人も結構居て嬉しかったのですが、ほとんどの人が私の苗字「堤」を、「提」とか「場」とか間違っているのがちょっと残念。(っていうか、作品の下にちゃんと名前が掲示されているのに・・・)
午後からは、琉球大学に戻って講義を受けました。その際、よく周囲を見ていると、足をひきずって歩いている人が何人か居て、一目で昨日マラソンに参加したことが判りました。その後、3時間の講義を終えて席を立とうとすると、またもや自力で立ち上がれませんでした。orz
今の私の願いはただ一つ、温泉に入りたい!(でも金がない!)orz orz orz orz orz orz orz orz orz orz orz


沖縄で今年一番の寒さ!

2005年12月05日 12時43分37秒 | うちなー日記(沖縄編)
いやあ、突然寒くなりました。
今日は、沖縄本島北部の国頭村で最低気温が11.8度を記録したそうで、一年を通してみても、かなり寒い日だったそうです。
ちなみに、情報では、近畿の方では今日初雪が降ったとか・・・。気温もこちらより10度は低かったそうですが。
それでも、沖縄の10度台前半は、本土の5度くらいに寒く、そろそろコートを着なければならなそうです。(私はこちらに二次試験の際に着ていたコートを持ってきています)
寮でもそろそろコタツを出そうかという話が出ていて、いよいよ冬本番のようです。
それにしても、先週の暑さからこの寒さとは・・・、沖縄の季節は夏と冬しかないのでしょうか・・・?

第21回NAHAマラソンに参加しました。

2005年12月04日 22時13分16秒 | うちなー日記(沖縄編)
朝、起きてみると、寮の外は暴風雨が吹き荒れていました。これは中止じゃないのか?と思いながらも、すぐに準備をまとめてバイクで出発しました。国道330号線を走っていると、横風が強く、安定性の悪い二輪車では何度も流されかけました。旭橋の交差点から国道58号線に出ると、海岸線を走るため、強烈な向かい風を受けました。特に高架道路の上がひどく、しばらく徐行していると、後続のワゴン車がクラクションでまくし立ててきます。こっちは命がけで走っているのにまったく・・・と思いながら運転していると、まもなく那覇軍港の臨時駐車場に到着しました。
そこからシャトルバスで奥武山(おうのやま)運動公園に向かい、スタート地点に到着。写真部の皆様と合流し、柔軟をしながら出走時間を待ちます。この際、無料でスプレー式の液シップをかけてくれるサービスを見かけたので、とりあえず私もしてもらいました。
スタート時間になり、万国津梁の鐘(確か重要文化財のはずですが、こんな悪天候に野外に出して大丈夫なのでしょうか?)が鳴ると、先頭のランナー達が一斉に走り出しました。が、私のスタート位置はかなり後方で(ゼッケン番号で決まっているのですが、最後尾は23000番でした)、先頭のスタートから18分後にようやく走り始めました。さあ、いよいよ私のNAHAマラソンの始まりです。
NAHAマラソンのコースは、NAHA(那覇)という名称ではあるのですが、那覇市、南風原(はえばる)町、東風平(こちんだ)町、具志頭(ぐしかみ)村、糸満市、豊見城市、そして再び那覇に戻ってくるという沖縄本島南部周回コースです。当然ながら道のりは42.195kmあり、中間地点は糸満市の平和祈念公園です。これを6時間以内に走りきれば、完走と認められ、完走証とメダルが貰えます。しかも、ただ6時間以内に走れば良いわけではなく、中間地点を12時15分までに通過、糸満市の兼城交差点を13時45分までに通過しないといけません。時間内に通過できないと、ゲートがしまり、そこでマラソンは終了となってしまいます。
さて、私の方は、スタートから順調に走り続け、国道58号線~県庁前~国際通り~ひめゆり通り~爬龍橋~那覇東バイパス~国道507号線をほぼノンストップで走り抜けました。自分でも意外だったのですが、いつもなら10kmくらいで足が痛くなるのに、今日は何km走っても痛くなりませんでした。出発前の液シップがかなり効いたようです。また、沿道からの声援や、差し入れ、給水、スポンジを見るたびにがぜんやる気が出てきました。沿道の住民からの差し入れで一番多かったのが、黒糖で、これが体力補充に効果覿面でした。変わったところではセロリの差し入れがあって、南風原町のおじいさんが「これおいしいよ~」と渡してくれたのですが、これがまた本当に美味しくて、これまで食べたセロリの中で一番だと思いました。
とりあえず、私の当初の目的は、海が見えるところまでは走ろうということでした。20km地点に近づくと、ついに左手に海が広がりました。太平洋です。ここらへんは、太平洋戦争の沖縄戦で、追い詰められた軍・民多くの方が最期を迎えた地で、至るところに慰霊塔が建っています。そんなことにも思いをはせていると、21km地点のあたりで、制限時間の説明が流れていました。あと10分ほどで中間地点の制限時間になるそうで、ゲートまで残り1.2kmほどなのですが、あきらめた人がすでに歩き始めています。私も、そろそろ足が痛くなりはじめていましたが、ハーフまではなんとか走りきりたかったので、先を急ぎました。12時14分、制限ぎりぎりで中間地点を通過することができ、なんとか希望を繋げられました。ここからは一路那覇に戻るコースなので、気分もだいぶ楽です。といっても、しばらく本島の南端を走り続けるので、あの、ひめゆりの塔や喜屋武岬など、南部戦跡がまだ続きます。名城の交差点まで来ると、次のゲートの制限時間が近づいていることを知らせる放送が流れていました。私の頭の中では、残りの距離と時間を鑑みて、まだ完走できると踏んでいたのですが、よくよく考えてみると、計算違いをしていたようです。中間地点からここまで、私は早歩きで進んできたのですが、時速6kmで進んでいるのを、時速10kmだと勘違いしていたのです。考えてみれば、時速6kmでは、時間内にゴールできません。かといって、もう走る気力も無く、ただ歩くしかありませんでした。
兼城交差点のゲートまであと2kmほどのところまで来たところで、道路の通行規制が解除され、ランナーは歩道に退避するように指示されました。しばらく歩き続けたのですが、すでに31.8km地点の兼城交差点のゲートは直前に閉まっていて、そこで止められてしまいました。スタートから4時間半が経っていました。
残念です。しかたなく、むくんだ足の痛みを和らげるため、裸足になってリタイアランナーの収容バスまで歩きます。すると、その場に居たテレビ局のカメラが私を撮っているではないですか・・・!これはもしやと思っていたら、案の定インタビューされてしまいました。
「おつかれさまでした。裸足になっておられますが、どうされたんですか?」
「いやあ、もう足がむくんじゃって・・・。30kmくらいまではなんとか来れたんですけどね・・。ちょっともう足が動きませんね。」
「それは残念でしたね。本当におつかれさまです。では、来年はどうされますか?」
と聞かれ、「いや、もう走りたくないです。」などと言えるわけもなく、
「また挑戦して、今度は完走したいですね。」などと答えてしまいました。(爆)後悔・・・。orz
かくして、私のマラソンの初挑戦は4分の3地点をもって終了を迎えました。終わった直後はそうでもなかったのですが、次第に筋肉痛がひどくなってきて、今(夜)、歩くのもやっとな感じです。
最初、走り続けることのなにが楽しいのだろうとずっと思っていたのですが、道のりを踏破していくのがだんだんと面白くなってきて、今日は案外楽しめたと思います。私の人生で最も長く走った経験で、少しは自分の体力に自信を持てたとも思います。
でも、正直もうしばらく走るのは嫌です。・・・(-皿-;)
図は、今日のマラソンのルートです。赤線が私の走ったところです。いやあ、惜しかった~・・・。


明日はNAHAマラソンです。

2005年12月03日 20時11分09秒 | うちなー日記(沖縄編)
まさかと思われた方は、お察しの通り、おこがましくも、私明日のNAHAマラソンに参加します。
あれは、9月の末のことでした。写真部の部会で、マラソンの話が出て、場の勢いで私も参加することになってしまったのです。ちなみに参加費は手数料込みで4500円でした。結構な大金です。元はとらないといけないので、なんとか走ってみようとは思います。明日生きて帰ってくることができるか・・・・。orz
軽くヤバイです。


ついに師走なわけですが・・・

2005年12月03日 02時46分18秒 | うちなー日記(沖縄編)
あいかわらず暑い今日この頃です。来週以降は、かなり気温も下がってくるそうですが(それでも最低16度/最高19度ほどはあるそうです)、さすが沖縄ですね。
今日も(12月3日)、街中をバイクで走っていると、半袖の人が多く見受けられました。
そういえば、沖縄県庁では、最近冬季のかりゆしウェア(アロハ)着用を認め、年中クールビズでOKになったそうです。また一歩沖縄が常夏の国に近づいたようです。
ちなみに、私がかりゆしウェアを着ると、バスの運転手か、市役所の職員もしくは旅行の添乗員に間違われてしまいます。・・・orz
写真は、秋晴れの首里城、県立芸大からの景色です。

NHKで紹介されていました。

2005年12月02日 20時06分08秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、ふとテレビでNHKを見ていると、地方ニュースの際に、四大写真展の宣伝をしていました。
内容は次の通りでした。
「沖縄県内の4つの大学、県立芸術大学、琉球大学、沖縄大学、沖縄国祭大学の写真部による、合同写真展が行なわれています。『生活』をテーマに、47人が表現する47通りの作品が展示されています。開催日時は、明後日4日日曜日まで、時間は午前10時から午後5時までです。場所は、沖縄県立芸術大学附属図書芸術資料館です。入場は無料です。お問い合わせは・・・・」
とのことでした。なんか自分の写真展がこうやってニュースで紹介されると、嬉しいですね。これで週末にたくさん来場者が来るといいのですが・・・。