土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大聖勝軍寺、聖徳太子と物部守屋の激戦舊地です。

2019年04月01日 | 大阪の古寺巡り





(2019.03.28訪問)


国道25号線太子堂付近一帯は飛鳥の昔、崇仏廃仏論争で蘇我馬子、聖徳太子連合軍と物部守屋が争った激戦の舊地。あの「和を以っ
て貴しとなす」と唱えた太子が馬子と共に戦った宗教戦争に勝利した激戦地、そこに建立されたのが大聖勝軍寺なんです。旧来より
大聖勝軍寺は河内三太子の一つで「下の太子」と呼ばれ「上の太子」の叡福寺と「中の太子」の野中寺の三か寺を河内における太子
信仰の中核を成す寺院と云われているんです。今日は太子奮戦の舊地に建つ大聖勝軍寺を訪ねてみたいと思います。





            ▼R25号線沿いに建つ太子堂の碑。

            





            [ 大聖勝軍寺 ]
            ●山号 神妙椋樹山(しんみょうりょうじゅさん) 
            ●寺号 大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)愛称太子堂
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●開創 推古天皇2年 (594年)
            ●開基 聖徳太子 (しょうとくたいし)
            ●本尊 木造二臂如意輪観音思惟半跏像、聖徳太子(植髪太子)像
            ▲大阪府八尾市太子堂3-3-16 TEL..072-922-3000
            ▲拝観料 無料
            ▲JR「八尾駅」徒歩15分、藤井寺行バス「太子堂」徒歩3分





▼参道と山門。門前は小さいながら駐車場になっています。







大聖勝軍寺縁起 (八尾市文化財情報システムHPから抄出)
大聖勝軍寺は高野山真言宗に属します。河南町の叡福寺の「上の太子」羽曳野市の野中寺の「中の太子」に対して「下の太子」と呼
ばれています。聖徳太子が物部守屋との戦いで信貴山の毘沙門天に戦勝祈願し四天王を祀り、その加護により戦に勝ったので、この
寺を建てたと伝えられます。門前に「守屋池」付近に「鏑矢塚」「弓代塚」や「物部守屋の墓」があり、聖徳太子に関連する史跡が
あります。天文二十二年(1553年)公卿三条西公条が、吉野詣の帰途ここに参詣し、特に許されて秘仏の植髪太子像を拝したと伝え
られています。





            ▼この地が物部守屋との激戦古戦場らしいですネ。







▼門前には四天王に戦勝祈願の太子像が祀られています。







▼その由来が語られています。







▼16歳の太子像。







▼大聖勝軍寺山門。1間1戸、切妻造、本瓦葺。







            ▼右柱の木札。太子堂の文字が思い切り主張しているようです。







▼境内中央に見えるのは本堂です。







            ▼左柱には寺号が。







▼鐘楼です。







▼毘沙門天堂。小さいお堂ながら、厩戸皇子に必勝秘法を授けた毘沙門天王が祀られています。
 桁裄3間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。







▼毘沙門天堂扁額。学無きながら「多聞天」と読みましたが……。







▼堂内正面の大提灯。







▼格子戸の奥に本尊毘沙門さんがお立ちなんでしょう。







▼僅かながらその姿が……。







▼多宝塔型の平和塔。新しい塔のようです。







▼平和塔扁額。珍しや左からの運筆。







▼平和塔初層須弥壇最奥に「太子と二皇子像」その前に「物部守屋像」が祀られています。







▼太子命の恩人「神妙椋樹」のガイド。







▼太子が物部軍に包囲され絶体絶命窮地のとき、大椋の幹が割れ、その空洞に身を潜め窮地脱出できたのがこの神妙椋樹。







        





▼地蔵堂。







▼地蔵堂本尊地蔵菩薩坐像。







▼本堂。太子が建立したという別名植髪太子堂。如意輪観音、太子手彫りの植髪太子像を安置。
 方3間、宝形造、本瓦葺、1間向拝付。堂前面は格子設え、三方に外縁。

      





▼本堂扁額。何と書かれてるんだろう、植髪太子殿かナ。







▼本堂内陣須弥壇。中央に如意輪観音と植髪太子像が安置されているそうですが、目をさらにしましたが、植髪太子像は発見出来ま
 せんでした。







            ▼境内片隅に不動明王が睨みを効かせています。   













▼様子が全く分からない太子殿。







            ▼ここでも空海さんが修行中です。







            ▼聖徳太子とは付かず離れず救世観音立像が境内を睥睨中。 













▼新太子堂。寺院のお堂と云うイメージはなく前面に菊の御紋が仰々しく付けられています。







            ▼新太子堂内へは入堂出来ません。







            ▼こんなお方もお立ちです。魚籃さんかナ、独特のお顔ですネ。







▼聳え立つ感のデッカイ樹。







▼この地で太子に敗れ去った物部守屋の墓が25号線沿いにひっそりと。  













            ▼門前右に守屋池。秦川勝が守屋の首を洗ったと伝わる池には今は水もない。













▼太子と守屋の激戦の旧地と知ってか知らずか、一本のマンサクが血の色を思わせる赤い花を咲かせていました。







▼ご朱印です。






太子奮戦地の名残は今、交通奮戦地に変わり国道25号線はクルマでごった返えしています。大聖勝軍寺はこんな環境の中で聖徳太子
時代以来の法灯を今に伝えています。聖徳太子伝承に彩られている寺院は各地に数多く残るようですが、ここ大聖勝軍寺には太子と
敵対する敵将物部守屋の人となりも伝わり、太子信仰とともにこの寺の変遷に彩りを添えてきた、そんな気がした大聖勝軍寺でした。

大聖勝軍寺これにてオシマイ

大念仏寺、「万部おねり」は無形民族文化財なんです。

2019年03月25日 | 大阪の古寺巡り





(2019.03.23訪問)


大阪市平野区として大阪市の一角を占めている町中に今日訪ねた大念仏寺はあります。このお寺、境内は結構広く新旧織りまぜた大
小の堂宇がこれでもかと軒を並べています。比叡山の良忍さんが念仏勧進の根本道場とし開基したと伝えており、日本の念仏門最初
の宗派として信仰を集めて今があるそうです。宗派を問わず広く門戸を開けているのが、人気のお寺の由縁でしょうか。





            ▼参道口に建つ寺号石標。







            [ 大念仏寺 ]
            ●山号 大源山 (だいげんざん) 
            ●院号 護念院 (ごねんいん)
            ●寺号 大念仏寺(だいねんぶつじ)
            ●宗派 融通念仏宗 (ゆうずうねんぶつしゅう) 総本山
            ●開創 大治2年 (1127年)
            ●開基 良忍上人 (りょうにんしょうにん)
            ●本尊 十一尊天得如来(絵像)
            ▲大阪市平野区平野上町1-7-26 TEL. 06-6791-0026
            ▲拝観時間 9:30~16:30
            ▲拝観料 無料
            ▲JR大和路線「平野駅」より南へ徒歩5分、または大阪メトロ谷町線 「平野駅」①②出口より北へ徒歩8分
             国道25号線平野警察署西交差点より国道479号線へライフ前交差点から駐車場へ
             阪神高速松原線(大阪市内から)駒川出口(奈良から)平野出口





▼参道と山門。桁行3.6m、梁行2.7m、両脇に2.1mづつの壁落ち屋根が付く山門です。江戸初期建造。







大念仏寺縁起 (大念仏寺HPから抄出)
1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根
本道場として創建したのが始まり。平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念仏道場と
いわれる。その後火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い現在に至る。融通念佛宗の総本山。





▼山門扁額は霊元天皇皇女法鏡寺宮徳厳尼の親筆。群青に金の鮮やかな墨跡、とても女性の筆とは思えない豪快な筆跡です。







▼手水舎。







▼本堂です。桁裄約50m、梁間約40m、総欅造、銅板葺、入母屋造、本瓦葺、3間向拝付、昭和13年(1938年)再建。







▼本堂正面。寺院象徴の五色幕がよく目立ちます。







▼本堂外縁の吹き通し。前面扉は総て開けられています。







▼本堂内陣。







▼白壁宝形造りの経蔵。







            ▼経蔵にはこんな方が。教典を持って何やら説法をしているところかな。







▼地蔵堂。楽山上人の融通念仏5万人勧進達成記念の地蔵菩薩が安置されています。
 弘化元年(1844年)創建。方1間、宝形造、桟瓦葺。







▼円通殿 (観音堂) 。本尊として伝教大師作と伝えられる聖観音立像を祀り、左右には大通上人が募った日月祠堂位牌を安置。







▼円通殿本尊聖観音菩薩立像。なぜか上半身のみ金箔が剥げ落ちています。     







            ▼この像が伝教大師作と伝わるそうです。







▼鐘楼。







▼豪華な獅子の木鼻が四方柱に付けられ、相当睨みが効いているようです。







▼楽邦殿。胎内仏や水子地蔵をお祀りする御堂です。







▼楽邦殿扁額。







▼楽邦殿内陣。主尊を中央に諸菩薩が左右に祀られています。







▼双肩法衣で結跏趺坐する主尊はおシャカさんかな。







▼霊明殿山門。







▼霊明殿。鳥羽上皇を奉安する権現造りの社殿。江戸時代建造。







▼龍王殿。八大龍王が祀られています。







▼瑞祥閣。百畳敷きの大書院で諸事受付もここで。







▼白雲閣。多目的の会館。







▼宗務所。







▼宝物館。いかにも宝物館と云う感じの宝物館、正面扉は施錠ガッチリ。







            ▼宝物館前の聖観音立像。「宝物館への入場は諦めてネ」と云わんばかりの冷たきお顔。







▼境内唯一の花色。







▼ご朱印です。






このお寺は毎年5月にある「万部おねり」と云う行事で有名ですが、とても行事中は参拝出来ません。人で溢れ返っているんです。
万部おねりとは阿弥陀経を一万部読み上げ、極楽浄土をこの世に現出し二十五菩薩の練り供養が繰り広げられる大阪市指定無形民族
文化財に指定されている大念仏寺最大の仏教行事なんです。
(おねりとは橋渡りのことで、本堂の周りの橋を渡って本堂へ入り、ご本尊に一礼して通り抜ける行事のことです)


▼万部おねりの一部。(写真は大念仏寺HPからお借りしました)




大念仏寺これにてオシマイ


興禅寺、羅漢石仏で有名なんですよ。

2019年02月25日 | 大阪の古寺巡り





(2019.02.23訪問)


今日は我が大大阪の南、河内長野市にやって参りました。この町は観心寺や金剛寺で著名な町ですが、忘れてはならないのは羅漢石
仏で有名なお寺が在るんです。近年急激に都市化して来た河内長野市美加の台にある興禅寺という曹洞宗のお寺です。蓮池の周囲に
約50体の羅漢さんがズラリと並ぶ景観は半端じゃないそう、早速行ってみましょう。





▼一応山門と見ておきましょう。







            [ 興禅寺 ]
            ●山号 八幡山(はちまんざん)
            ●寺号 興禅寺(こうぜんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 伝神護景雲元年 (767年)
            ●開基 伝行基(ぎょうき)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像 (あみだにょらい)
            ▲大阪府河内長野市美加の台1丁目25-1 TEL 0721-64-0466
            ▲拝観 境内自由 
            ▲南海高野線「美加の台駅」バス南海バスで美加の台団地線「美加の台口」バス停下車 徒歩15分





            ▼山門脇に建つ興禅寺略縁起。







興禅寺縁起
神護景雲元年(767年)行基により創建され、古稱陀洛山 神宮寺または大乗院と称し、上宮神(現在の赤坂上之山神社を鎮守社として
創建元禄12年(1699年)曹洞宗に改宗、伽藍を禅宗様式に改変した。





▼庫裡山門。







▼山門前を通過して行くと蓮池が冬の表情。
 境内には蓮池があって千数百年前からの白い蓮の花「白蓮華」が咲き誇るそうです。
 







▼蓮池を取り囲むように羅漢さんが並んでいます。もちろん同じ人はいません、一人一人お顔が違います。







▼表情仕草や法衣も個性的です。     













▼一段高いところに慈母観音さん。







            ▼龍に乗る観音さん。この彫が凄すぎるほど凄いです。
             衣の裾の表現など石像とは思えない動きを感じます。







▼庫裡を訪ねたんですが残念お留守、よってご朱印またまたナシ。







▼本堂は銅板葺き、両サイドの丸窓が印象的な本堂です。が中を窺うことで来ません。







▼真新しい扁額は寺号が書かれています。







▼本堂本尊阿弥陀如来坐像 (重文)。(本尊写真はネットからもらってきました)







▼本尊説明石碑。これを建てるのならせめてお堂開扉ぐらいはして欲しいもんです。







▼境内の一部。







▼ユニークな宝蔵。







▼石仏が並んでいます。







▼鎮守社の赤坂上之山神社への石段。     













▼赤坂上之山神社の本殿。







▼境内高台から河内長野市街の景観を眺めつつ興禅寺オシマイ。






小さなお寺でしたが、羅漢さんで著名なお寺だけに、池の周囲に整然と並ぶ羅漢さんには一種の感動を覚えます。勿論それぞれにお
名前が書かれていますが、初めて聞くお名前ばかりで覚えるのは少々無理、表情仕草などよくこれだけ多くの羅漢さんを彫ったもん
だと仏師にエールをおくりつつ興禅寺を辞しました。


齢延寺、山門彫刻の見事さに感激。

2019年02月20日 | 大阪の古寺巡り





(2019.02.18訪問)


あべのハルカスの36階へお使いに行った帰り、例によりダラダラと谷町筋を谷九に向かって歩いていると思って下さい。四天王寺前
夕陽ケ丘を過ぎて谷九に近づくと左手に生国魂さんの森が、その一帯が生玉寺町といってお寺村。見るともなく見ながらフラフラ路
地みたいな道を歩いていると突然豪華で立派な山門が目の前に。勿論その門に吸い込まれて行ったのは云うまでもありません。お寺
の名は齢延寺。





            ▼このビルにお使いにいった帰り谷町筋を歩いていると思って下さい。







            [ 齢延寺 ]
            ●山号 生魂山(いくだまさん)
            ●寺号 齢延寺(れいえんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 元和9年 (1620年)
            ●開基 義春上人 (ぎしゅんしょうにん)
            ●本尊 釈迦如来 (しゃかにょらい)
            ▲大阪市天王寺区生玉町13-31 06-6772-0065
            ▲拝観 境内自由 6:00~18:00
            ▲地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」下車 3番出口徒歩8分





▼仁王門前に建つデッカイ寺号石柱。

 





▼立派な仁王門。ですが門前の道が極めて狭い、ビックリするほど狭い道に沿っているんです。
 仁王門としては非情に珍しい構造で、下層屋根部分に室が設えられ梵鐘が吊るされています。
 3間1戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に仁王像安置。







齢延寺縁起
曹洞宗の寺として真田山に開創された齢延寺は、1623年に今の場所、減聖寺坂を上がってすぐ左手のところへ移転。志摩国領主稲葉
家の菩提寺でもあった。江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所で、いまも大樹古墓の多い風格のある寺として知られる。
境内には、幕末に私塾泊園書院を興して活躍した儒者藤澤東咳、南岳父子や画家の鍋井克之、名刀鍛冶師の左行秀の墓がある。また、
御方洪庵、斉藤方策と並ぶ浪速の3名医の一人原老柳ゆかりの老柳観音には、病気平癒を願って訪れる参拝者が多い。





▼こういう感じの室造り。室内には十六羅漢が祀られています。







▼山号生魂山と揮毫された仁王門扁額。







▼この仁王門やたら各部に彫刻が施され、素通り出来ない魅力があります。







▼例えばこの奥貫の龍、身はのたうちまわる感じですが、顔はしっかり正面向き、迫力顔でこれでもかと云うほど細かい彫です。







            ▼内柱の彫刻と寺号の木札。







            ▼観音菩薩まで彫られています。







            ▼初層左右の仁王像、先ずは右の阿形金剛力士。     













            ▼左の吽形金剛力士。                 













▼境内から仁王門を振り返ります。前方に見えるのは別のお寺です。







▼観音堂。







▼境内は狭いですがこんな花壇が一時のやすらぎ。







▼立派な向拝付きの庫裏玄関。







▼やはりこの貫にも龍の彫刻。







▼前柱木鼻にも目一杯の植物で飾られています。







            ▼前柱彫刻もこんな感じ。(この写真はネットからもらってきました)







▼本堂です。桁裄5間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。







▼山号が書かれた本堂扁額。山門扁額と同じ方の揮毫だと思われます。







▼本堂正面ガラス戸から覗いた内陣の様子。瓔珞が半端じゃないですネ。







▼須弥壇最奥に本尊お釈迦さんがお坐りのようです。瓔珞は凄いのですが須弥壇周りは質素な荘厳です。







▼本堂を見納めて齢延寺 オ シ マ イ






街中の極々小さなお寺で、細い路地に面して仁王門が立っていますが、これがただただ驚きの仁王門。柱と云わず貫までが彫刻で飾
られています。失礼ながらこのお寺、小さな境内にこれほど堂々とし、そして似つかわしくない仁王門はかって知りません、しかも
鐘楼まで備えているんです。この生玉寺町はお寺の密集地、どれほどのお寺が甍を接して軒を並べているのか知りませんが、歩いて
いるうちに、新たな発見があるかも知れません。興味津々の生玉寺町でした。



願泉寺、南大阪真宗寺院の拠点です。

2019年02月07日 | 大阪の古寺巡り





(2019.02.02訪問)


極楽密寺から真宗本願寺派の南大阪の拠点とも云える貝塚御坊、願泉寺を訪ねます。悪名高きR26を約10キロ北上スグです。
願泉寺は平成16年から23年まで7年がかりで平成大修復工事が行われたそうで、意外だったのはその境内、通常真宗寺院は広い境
内に多くの伽藍が軒を並べているイメージなんですが、ここの主要伽藍は本堂一つ、結構な大きさなんですが、拠点寺院としては少
しばかリ寂しい印象。この日はまったくの無人で、本堂も閉ざされたまま、残念ながら真宗寺院の真髄には触れることは出来ません
でした。




            ▼門前には金凉山と山号が刻された石灯籠が両脇に2基建てられています。

 





            [ 願泉寺 ]
            ●山号 金凉山 (きんりょうさん)
            ●院号 真教院 (しんきょういん)
            ●寺号 願泉寺 (がんせんじ) 別称 貝塚御坊
            ●宗派 浄土真宗本願寺派 (じょうどしんしゅうほんがんじは)
            ●開山 伝行基菩薩 (ぎょうき)
            ●開創 伝天平十二年 (740年)
            ●中興 天文十四年 (1545年) 卜半斎了珍 (ぼくはんさいりょうちん)
            ●本尊 阿弥陀如来立像
            ▲大阪府貝塚市中846 TEL.072-422-1302  
            ▲拝観料 境内自由
            ▲南海本線「貝塚駅」から徒歩約5分





▼山門。真宗の貫禄か豪快な四脚門です。切妻造、本瓦葺。江戸期延宝7年 (1679年)建立。







願泉寺縁起
僧行基の開創と伝えられ、応仁年間に蓮如上人が教えを説いた草庵であるという。 天文十四年 (1545年) 根来寺から卜半斉了珍を
招請、再興し同二十四年 (1555年) 免租権を付与された。その後、織田信長に攻められ兵火にかかり焼失、三年後方8間の本堂を建
立、 天正十一年 (1583年) 顕如上人が紀州鷺ノ森からこの地に移り、2年余りここは本願寺であった。江戸初期、家康より寺内諸
役免許の黒印状を受け明治維新まで貝塚の領主であった。





▼山門貫上の龍の彫刻。







▼手の混んだ彫の龍が睨みつけています。木彫ですが目は玉眼、歯牙は白く着色、しかも持っている龍玉が光ってるんです。







▼両脇に大灯籠を従えた山門。







▼山門からは境内が見えません。3間の隠塀です。







            ▼本堂前に青銅の大灯籠。笠、火袋、竿、基壇にまで彫刻が施されています。







▼本堂 (重文)。桁行9間、梁間9間、入母屋造、本瓦葺、向拝3間付。 寛文三年 (1663) 建立。
 とにかくデカイ、境内に聳え建つと云う感じ。この日は内部を窺うことも入堂することも出来ませんでした。







▼本堂前面が格子戸。







▼本堂内陣の様子。真宗荘厳でキラキラ輝いていますネ。(この写真はネットから借用)







▼本堂外縁は全面格子戸。







▼外縁は前一段落しの二段廊下になっています。        







▼跳ね上げた上蔀戸。金具で吊り下げられています。







▼篰戸の性格上すこぶる頑丈な作りのようですネ。







▼廊下の両端の板戸画、こちらは桜に雉、反対側は雪の情景でした。

 





▼こういうところまで、凝に凝った豪華な大屋根妻の懸魚と破風飾り。







▼破風飾りと奥の貫彫刻。







▼屋根瓦の妙、何種類の瓦が乗っかってると思います?







▼流れ。







▼本堂。







▼手水舎。







▼鐘楼 (重文)。方1間、四本柱、切妻造、本瓦葺。元禄十三年(1700年)建造。







▼鎌倉期の梵鐘。







▼太鼓楼 (重文)。桁行三間、梁間三間、重層、入母屋造、本瓦葺。江戸中期享保四年 (1719年) 建造。







▼経蔵。方1間、宝形造、本瓦葺き、1間向拝は唐破風のとても見栄えのする建物です。







▼経蔵扁額。







▼庫裡玄関。曰く「大玄関は平時は使用いたしません、無理に開けぬよう。こわれます。」
 真宗寺院はご朱印のないところが多く、この一文でこちらもご多分に漏れず無いようですネ。






人っ子一人いない真宗寺院はどこか寂し気、明るい開けっぴろげの本願寺のイメージが少々崩れた今日の願泉寺でした。
オシマイ。