(2013.05.25訪問)
南北朝争乱のどさくさで、北朝持明院、南朝大覚寺両統迭立の原則が破棄され、南朝幽閉の身となり即位し
たとか、していないとか幾度も地獄を見てきた光厳天皇晩年に行き着いた常照皇寺。なんとも暗いイメージ
を持って訪ねた常照皇寺なんですが、なんのなんの山寺にありがちな暗くて寂しい感じ、皇室関係寺院のか
た苦しさ、格の高さなどはまるでなく、それドコの寺といわんばかりの実に明るい、開けっぴろげお寺の印
象を受けたのはボクだけではないでしょう。それが地獄を見てきた光厳さんの禅悟の遺志だったんではない
でしょうか。
▼茅葺き屋根の方丈。
[ 常照皇寺 ]
●山号 大雄名山 (だいゆうめいざん)
●寺号 常照皇寺 (じょうしょうこうじ) 正式名 万寿常照皇禅寺
●宗派 臨済宗天龍寺は (りんざいしゅう)
●開基 光厳法皇(こうごんほうおう)
●創建 貞治元年 (1362年)
●本尊 釈迦如来
▲京都府京都市右京区京北井戸町字円山14-6 電話 075-853-0003
▲拝観料 300円 御朱印300円
▲JR京都駅から周山行き(JRバス)約1時間30分 周山から山国御陵前(京北ふるさとバス)約15分
常照皇寺縁起
北朝の初代上皇光厳さんが無範和尚として出家し、伴の道覚さんと山国 (今のこの地) を巡拝中、村人の厚意
で無住の荒寺成就寺に案内されます。二人は感謝を込めてその寺を改創、光厳さんは禅僧夢窓国師に帰依し
ているところから、臨済宗天龍寺派常照皇寺と定め、その二年後崩御、この地に葬られました。現在の山国
陵 (やまくにのみささぎ) です。
▼門前桂川に架かる「さんりょうはし」。真っすぐ行くと参道です。
▼寺標。光厳法王御開創と刻されています。
▼参道石段。
▼山門です。石段が続きます。
▼参道。ヒョイヒョイと行ける石段です。フィトンいっぱい鬱蒼とした緑が続きます。
▼やがて勅額門。切妻造、新しく葺き替えられた銅板葺のきれいな門です。
▼勅額門扁額。
▼勅額門を入るとスグ、猿帰石橋。下の小川らしき溝がありますが、水はありません。
▼碧潭池。放生池でしょうか、水が涸れかかっているようです。
▼勅額門を境内から。
▼鐘楼。
▼庫裏玄関。ここで入堂手続きです。受付のおじさんがまたイイ、最高のお人柄!
▼左書院を通して正面方丈です。
▼書院玄関。飾り幕はさすが菊の御紋。
▼茅吹き方丈。
▼方丈扁額。
▼方丈正面。
▼天井下鴨居に設えられた珍しい仏壇です。
▼このお像が常照皇寺のご本尊釈迦如来かどうか?です。脇侍はおられませんお一人です。
▼方丈庭園。
▼方丈室内。風通し最高、気持ちいいでしょ。左上が仏壇です。
▼方丈から開山堂への渡り廊下。
▼方丈から開山堂。
▼方丈庭園池。
▼開山堂。緑がわんさかの為、全景が撮れません。
▼別名怡雲庵 (いうんあん) 開山堂扁額。
▼開山堂内陣。
▼ご本尊、開山光厳法王の木彫像。非常にリアルで怖いぐらい。
▼外陣左側に阿弥陀三尊像 (重文) が安置されています。
脇侍の両観音、どこかで皆さんご覧になったことありませんか。そう、大原三千院往生極楽院の本尊脇侍両
菩薩の大和坐りと同じポーズをとっています。そう云えばここから大原はそんなに距離はありません、光厳
さんもひょっとして大原詣りをされたのかも知れませんネ。
▼阿弥陀さんです。
▼左脇侍の観音さんです。
▼右脇侍の勢至さんです。
▼外陣両脇の天井下に勾欄、羅漢さんが並んでいます。
さていよいよ常照皇寺人気ナンバーワン、桜の登場です。
▼天然記念物、九重桜。どれが幹やら枝やらサッパリ。
▼九重桜を下から見ると。
▼九重桜の隣、左近の桜を下から見ると。
桜は花を見るに越したことはないんですが、この葉桜の豪快さも一興ですよ。
この緑に代わるピンク一面を想像してみてください。花のシーズンの人出、相当なものらしいです。
▼白藤が咲き誇ってました。どう見ても白には見えませんネ、なんでやろ?
と云う訳でこれにて常照皇寺オシマイ。それでは光厳天皇陵「山国の御陵」へ行ってみましょう。
▼御陵参道.相変わらず鬱蒼です。
▼参道をもう少し。
▼上りきるとチョットした広場に、これ以上は行けません。陵門が見えます、仰ぎ見つつ合掌。
▼常照皇寺御朱印です。
お天気良好のせいもあるんでしょうが、こんなに気持ちの昂揚するお寺も珍しい、何とも気持ちのイイお寺でした。