(2011.07.23訪問)
人がいない夏のアツーイ時こそお寺拝観のチャンス!とばかりに和歌山の大寺を
訪ねました。ほんまガラガラ、僅かに観光バスが一台、若い添乗のお兄さんが汗
タラタラで昔の娘さんと今のジィジィ(ジジィと云ってません)十数人の団体を
ダラダラ引き連れて大塔エリアから出てきました。入れ替わり入ったのは云うま
でもありません。あの広いエリアにもう一人ラッキーな方がいました。
お堂内出入りフリー、太っ腹ですわ根来寺は。といってもこのお寺は悲しい過去
の出来事があるのです。
▼大門の山号偏額。院号ではなくて根来山と揮毫されています。
▼寺標。
[ 根来寺 ] ねごろじ
●山号 一乗山(いちじょうさん)
●院号 大伝法院(だいでんぽういん)
●寺号 根来寺(ねごろじ)
●宗派 新義真言宗総本山
●開山 興教大師覚鑁(かくばん)上人
●開創 1130年
●本尊 大日如来坐像
根来寺縁起
覚鑁上人は20歳で高野山に登り、真言密教の復興に努力。伝法院密厳院を高野山
上に建立。、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛。しかし覚鑁一門の寺
院が高野山内の反対勢力により焼き討ち、保延六年(1140年)根来に移る。伝法院
荘園の豊福寺に拠点を移し、新たに円明寺を建て豊福寺、円明寺を中心として寺
院が建てられ、一山総称としての根来寺が形成されました。
戦国時代、強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585年)根来に攻め入
り、大塔、大師堂などの2~3の堂塔を残して全山焼き払い壊滅。その後紀州徳川
家の庇護を受け、主要な伽藍が復興、今の根来寺があります。
(根来寺HPから抜粋)
▼大門。
高さ16.88m、幅17.63m、奥行6m。現在の大門は1850年再建。
左右に阿吽金剛力士が控える堂々の山門です。豊臣秀吉の根来攻めの兵火を免れ
ましたが、大和郡山に運ばれ、その後は明らかではないそうです。
往時の境内はよほど広かったのでしょう、主要伽藍のあるところからはかなり離
れたところにポツンと建っています。
▼大門金剛力士阿形像。
▼大門金剛力士吽形像。
▼大師堂(重文)。
本尊 弘法大師空海上人像。1391年建立。
▼大塔(国宝)。
多宝塔は大日如来のシンボル。木造多宝塔では日本一の大きさを誇っている。
1496年建立。高さ40m、横幅15m。
▼大塔須弥壇の仏像。
▼大塔内部。円形に区切られた内陣壁、わかります?
▼大塔。
▼手水鉢。
▼大伝法堂。1827年建立。根来寺の本堂。
▼本尊三尊(重文)。大日如来坐像、金剛薩埵菩薩坐像、尊勝仏頂尊坐像は宗祖覚鑁
上人開山以来の新義真言宗の根本尊像。
▼大伝法堂本尊 大日如来坐像。
▼大伝法堂本尊 金剛薩陲菩薩坐像。
▼大伝法堂本尊 尊勝仏頂尊坐像。
▼大伝法堂天井画。
▼大伝法堂。
▼奥の院覚鑁上人廟参道。
▼奥の院覚鑁上人廟。
根来寺開山興教大師覚鑁上人の御廟所。康治二年(1143年)寂。
▼光明殿参道。
▼光明殿参道鐘楼門。
▼光明殿。正式名称常光明真言殿。
▼光明真言殿須弥壇。
本尊 興教大師覚鑁上人像。
▼本坊庭園(国指定名勝)。
▼行者堂。
本尊 役行者。真言密教修法のための行堂。
▼行者堂本尊役行者。
▼聖天堂。
聖天池に浮かぶお堂。聖天像を安置。根来塗の修法壇が伝わるそうです。
▼聖天池。
▼九社明神。
▼九社明神。根来寺の鎮守社。
丹生大明神、高野大明神、伊太祁曽大明神、御船三所大明神、金折六所大明神、
金峯山金剛蔵王、熊野三所権現、白山妙理権現、牛頭天王八王子を祀っています。
これだけの神様、もめることは無いのでしょうか。
▼九社明神参道。
社の榊替えと掃除をされていた僧侶が戻ってゆかれました。後ろ姿が清々しいと
思いません?
▼根来塗発祥地碑。
根来寺で僧侶が什器として使用するため作ってしていた漆器。江戸時代には根来、
根来ものとして珍重されたそうです。
▼蓮池の蓮。合掌。
根来寺は、戦国時代の僧兵大将杉乃坊こと、津田監物の住坊も残り、強力な僧兵
を持ち、一種の城郭構えであったと云います。周囲を山に囲まれたこの地に立っ
てみると秀吉も相当苦労したのではないかと想像してしまいます。
根来寺オ シ マ イ !
それではお隣紀の川市の大寺、粉河寺へ レ ッ ツ ゴ ー !