(2011.05.21 訪問)
晴れそで晴れない、降りそで降らないムシムシの日です今日は。琵琶湖瀬田川の
西側丘陵地に境内を広げ、奇岩硅灰石上に堂宇が並ぶ石山寺はアップダウンがキ
ビシ~イお寺ですボクにとっては。この日はもう一か寺予定していましたがバテ
バテで遠慮しました。
お寺にいるより門前のコーヒーショップでのだらだら時間の方が長かったです。
この夏が思いやられますワ。
▼石山寺門前
[ 石山寺 ] いしやまでら
●山号 石光山(せっこうざん)
●寺号 石山寺(いしやまでら)
●宗派 東寺真言宗
●勅願 聖武天皇
●開基 良弁僧正
●創建 天平十九年(747年)
●本尊 如意輪観世音菩薩(秘仏 三十三年に一度、天皇御即位の翌年に開扉)
●西国三十三所観音霊場第十三番札所
石山寺縁起
東大寺大仏造立のための黄金不足で聖武天皇が、この地に伽藍を建て如意輪法を
修すようにとの夢告を受け、良弁僧正を開基として開かれた寺院だそうです。石
山寺の寺名由来は境内や伽藍堂宇が奇岩硅灰石上に建造されたからと伝わります。
▼東大門(重文)
▼寺標
▼金剛力士阿形像
▼金剛力士吽形像
▼提灯
▼参道
東大門越しの参道。
▼参道
▼手水舎
▼境内中心への石段
▼蓮如堂(重文)
硅灰石の崖にせり出し、懸造の堂宇ですがわかります?
▼毘沙門堂
正面三間、宝形造。
▼毘沙門堂本尊 兜跋毘沙門天立像(重文)
木造、平安時代。脇侍 吉祥天、善貮師童子。
▼御影堂(重文)
正面三間、宝形造。
弘法大師、良弁僧正、淳祐上人を祀っています。
▼硅灰石(天然記念物)
石山寺の寺名由来になっている奇岩。
▼本堂参道
▼本堂(国宝)
本尊 如意輪観世音菩薩。(重文)
柱間7間、寄棟造の本堂と柱間9間、寄棟造で懸造の礼堂を繋ぐ相の間で構成、総
檜皮葺の複雑な構造です。
巨大な硅灰石の上に建てられています。
▼本堂源氏の間
本堂東側に張り出して設えられている部屋。このお寺の売りの一つ。この部屋で
紫式部は源氏物語を執筆したと伝わります。
▼紫式部が源氏物語を執筆中。
紫式部は、石山寺参篭中に中秋の名月が琵琶湖に美しく映るのを見て、源氏物語
の構想を得て「須磨」の帖から書き始めたと言い伝えられています。式部の後ろ
の女性はどなたでしょう?
▼本堂
周辺を回りましたが、全景を撮れるところはどうも無いようです。
▼鐘楼(重文)
重層袴腰、檜皮葺、入母屋造。立派な鐘楼です。鎌倉時代後期。
▼多宝塔への石段、短いですが皆さんフーフー。
▼多宝塔(国宝)
源頼朝寄進、鎌倉時代、建久五年 (1194) 建立された日本最古の多宝塔。日本三
大多宝塔の一つ。ちなみに日本三大多宝塔とは
●石山寺多宝塔(大津市)
●金剛三昧院多宝塔(和歌山高野町)
●浄土寺多宝塔(尾道市)
▼多宝塔本尊 大日如来坐像(重文)
大日如来坐像はどうしても円成寺の運慶作を思ってしまいますが、両者とも密教
儀軌通りの作法でなされているのでしょう、ほとんど変わりません。ただ一か所、
玉眼は、運慶の方はやや半眼の伏目気味で静を、快慶の方はキリッと正面を凝視
で動の感じ。堂内光にもよるでしょうが、この大日如来の目は非常に印象強く残
りました。運慶と快慶ライバル同士の競演と云ったところでしょうか。
鎌倉時代、建久五年 (1194) 造像。寄せ木造、玉眼、像高102cm、
快慶作と伝わります。
▼頼朝宝篋印塔(重文)
高さ128cm、南北朝時代造。
多宝塔のすぐ横に建てられています。源頼朝の供養塔と伝わります。
▼芭蕉庵
松尾芭蕉ゆかりの茶室。非公開です。
▼月見亭
後白河上皇行幸に際して建立。近江八景の一つ「石山秋月」はここ。瀬田川の流
れを眼下に名月を愛でるいにしえ人の心を想うのは、真っ昼間はいけません。風
流を感じません。
▼心経堂
本尊 如意輪観世音菩薩半跏像。般若心経写経を永久保存用のお堂。
平成二年三月落慶。緑の中で朱が映えています。
▼光堂
鎌倉時代に存在したと伝えられる光堂(慰霊堂)を平成二十年(2008)復興再建。
▼紫式部銅像
牡丹園に囲まれて像はありますが、その周りをおばさん方が取り囲んでました。
一瞬の隙ですこの写真。
▼無憂園
綺麗に手入れのされた回遊式庭園 無憂園。琵琶湖をかたどった池や滝のある庭園
では、今、花菖蒲が盛りです。春夏秋冬、季節の旬には花々が乱れるそうです。
右に見えるのは休憩所です。
▼無憂園黄菖蒲
▼無憂園黄菖蒲
▼無憂園しゃが
▼無憂園小川
巡拝コース最後に無憂園はあり、広い綺麗な休憩所があります。回遊式庭園を眺
めながらしばしの一刻、紫煙を燻らす贅沢な一刻を過ごさせていただきました。
お寺の配慮に感謝。実感!