土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

長谷寺、大舞台とデッカイご本尊が待ってますヨ。

2019年11月14日 | 奈良の古寺巡り





(2019.11.06 訪問)



大和路号は近畿道から南阪奈道を経てR165号線を隠国初瀬の地を目指して走っております。恵まれた秋の好天に意外や意外なんて
ことでしょう、混んでるはずのクルマがほとんど走っていません。楽チン走行で目指すは長谷寺、本尊大十一面観世音菩薩の足元を
お触り出来るとのことで勇躍初瀬の地を目指しているのです。行き違いもままならない細い門前町を大和路号がドンドン行きます、
時折初瀬名物草餅を焼く香りが漂ってきます。



            [ 長谷寺 ]
            ●山号 豊山 (ぶさん)
            ●院号 神楽院 (かぐらいん)
            ●寺号 長谷寺 (はせでら)
            ●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 徳道上人 (とくどうしょうにん)
            ●開創 伝 神亀四年(727年)
            ●宗派 新義真言宗豊山派総本山
            ●本尊 十一面観世音菩薩立像 (重文)
            ▲拝観料 拝観料 500円 朱印300
            ▲拝観時間 9:00~17:00
            ▲西国三十三カ所観音霊場第八番札所
            ▲http://www.hasedera.or.jp/
            ▲奈良県桜井市初瀬731-1 TEL.0744-47-7001
            ▲近鉄大阪線「長谷寺駅」を下車、徒歩15分
             西名阪自動車道「天理IC] 国道169号線を桜井市内で国道165号線を東進、
             初瀬西を左折し門前町へ。
             



            ▼参道前の寺号石標。






長谷寺縁起 (長谷寺HPから抄出)
朱鳥元年(686年)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図を西の岡に安置、神亀四年(727年)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、
衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。徳道上人は観音信仰にあ
つく、西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳であり、当山は三十三所の根本霊場と呼ばれてきました。現在の長谷寺は、
真言宗豊山派の総本山として、西国三十三観音霊場第八番札所として多くの人々の信仰をあつめています。




▼参道。






▼仁王門。三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に金剛力士安置。






▼寺号長谷寺と書かれた仁王門扁額。






▼登廊 (のぼりろう)。108間、399段、上中下の三廊に分かれています。長歴3年 (1039年) 建造。






▼名花も今は充電中。






▼登廊登りきったところに本堂。早速大舞台へ。

       




▼振り向けば大扁額。大悲閣と書かれています。

                                  




▼本尊十一面観世音菩薩立像が見えますネ。流石に大きい本尊、像高10.18m、木造、天文7年(1538年)再興。
 通常の十一面観音像と異なり、右手に数珠と地蔵菩薩が持つ錫杖を持ち、左手に通常の十一面観音像と同じ水瓶を持っている姿
 です。錫杖を持った十一面観音は「長谷寺式十一面観音」と呼ばれています。






▼本堂大舞台から本坊遠望。






            ▼舞台から秋色に染まる五重塔。






            ▼五重塔をほぼ下から仰ぎます。青空に映えますネ。
             塔高 31.39m、桧皮葺、昭和29年( 1954年)建立。






▼小高い丘の上に一切経蔵。方3間、宝形造、本瓦葺。残念ながら内部は窺うことは出来ません。






▼弘法大師御影堂。方5間、宝形造、銅板葺、1間向拝付。宗祖弘法大師をお祀りしています。






▼興教大師祖師堂。方3間、宝形造、本瓦葺。両脇は格子の蔀戸。






▼祖師堂扁額。






▼本長谷寺。桁裄3間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。
 天武天皇勅願で道明上人がここに精舎を造営したことから、今の本堂に対し本長谷寺と呼んでいる。朱鳥元年 (686年)道明上
 人は天武天皇の御病気平癒のため「銅板法華説相図」を鋳造、本尊としてお祀りされた。






▼本長谷寺内陣。正面に国宝本尊「銅板法華説相図」が祀られています。











▼本坊から本堂を望む。






▼境内の秋色を満喫して今日の長谷寺 オ シ マ イ。





隠国の泊瀬とよく云ったもので周りは総て山また山、いつもながらこんな所によくお寺を開いたもんだわいと道明上人、徳道上人の
パイオニア精神に感動しながら境内を周りました。モチロン大ご本尊にお触りしてきました。

薬師寺、最高の美仏は変わることなく優雅に佇んでいます。

2019年10月30日 | 奈良の古寺巡り





(2019.10.26 訪問)


久々に西の京を歩きました。近鉄橿原線西の京駅で下車、前方右に薬師寺興楽門の寺石標が見えます。左に折れ北へ行くと右手に玄
奘三蔵院の伽藍を仰ぎつつ唐招提寺への道が続きます。右側にコーヒーショップを発見、「オネーサン、コーヒーとジャムトースト
お願い」、コーヒーの香りを楽しみながら今日の予定を思案中……。




            [ 薬師寺 ]
            ●寺号 薬師寺 (やくしじ)
            ●宗派 法相宗 (ほっそうしゅう) 大本山
            ●勅願 天武天皇 (てんむてんのう)
            ●開創 天武天皇九年 (680年)
            ●本尊 薬師三尊。
            ▲拝観 玄奘三蔵院公開時1100円 玄奘三蔵院非公開時800円 朱印300円 
            ▲時間 8:30~17:00
            ▲奈良市西ノ京町457 電話0742-33-6001
            ▲http://www.nara-yakushiji.com/
            ▲1998年「古都奈良の文化財」として世界遺産登録。
            ▲近鉄橿原線「西ノ京駅」下車徒歩3分




            ▼興楽門 (北門) 前の寺号石標。






薬師寺縁起 (薬師寺パンフから抄出)
天武天皇発願。天武天皇九年 (680年) 持統十年 (697年) 本尊開眼、文武天皇の時、飛鳥に堂宇伽藍が完成。のち和銅三年(710年)
平城遷都で現在地に移転。享禄元年 (1528年) の兵火で東塔を除く諸堂が灰燼に帰しました。昭和四十二年 (1967年) 高田好胤管主
により白鳳伽藍復興の発願、写経勧進に寄って諸堂が、平成十五年 (2003年) 大講堂がさらに平成二十九年 (2017年) 食堂が復興再
建され白鳳伽藍が甦りました。




▼世界遺産碑。英文表記もされてます。






            ▼中門を潜ると左手に三重の西塔が。
             旧西塔は享禄元年 (1528年) の兵火で焼失、昭和五十六年 (1981年) 復興再建。
             各層の下屋根は裳階で屋根の大小でリズム感を出しているそうです。






▼西塔初層が開扉され、釈迦の一生がリアルに再現されています。              











            ▼在りし日の東塔。現在東塔は鋭意修復修理中。令和二年完了予定。






            ▼現在の東塔の姿。                                   











▼金堂。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺。二重二閣の竜宮造り、各層に裳階付、初層の裳階は三間繰上げ式。
 昭和五十一年 (1976年) 復興再建。






金堂本尊の薬師三尊。
日本仏像史上最高の彫刻。制作年代の定説は不詳と云いますが、約1300年前にこの美仏を完成させた仏師がこの時代に確かにいた
んです。

▼中央、薬師如来坐像 (国宝)。 像高254.7cm、銅鋳造像。






            ▼正面右、日光菩薩立像 (国宝)。像高317.3cm、銅鋳造像。






            ▼正面左、月光菩薩立像 (国宝)。像高315.3cm、銅鋳造像。






▼大講堂。
 桁裄九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、下屋根は裳階。平成十五年(2003年)の再建。
 薬師寺伽藍最大の建造物。なんと左右41mある横長のお堂です。






▼講堂本尊、弥勒如来坐像。像高約267cm。






▼講堂後堂には釈迦十大弟子がお並びです。彫刻家中村晋也さん造像。






▼今日は講堂全戸口が開扉されています。






▼食堂 (じきどう)。桁裄十一間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。






▼食堂内部。中央に絵本尊「本尊阿弥陀三尊浄土図」作家は田渕俊夫さん。壁面三方に「仏教伝来の道と薬師寺」  











▼境内北端の玄奘三蔵院へ向いましょう。






▼礼門。桁裄三間、梁間三間、切妻造、本瓦葺のシンプルな門で連子窓の回廊で囲まれています。






▼境内中央の玄奘塔には、法相宗祖である玄奘三蔵の遺骨を奉安し、須弥壇には玄奘三蔵像をお祀りしています。






▼壁画殿。平山郁夫さんの「大唐西域壁画」が公開。






▼壁画殿扁額。






▼平山郁夫さん作大唐西域壁画「西方浄土須弥山」






▼東院堂 (国宝)。桁裄七間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、弘安八年(1285年)再建。元明天皇の鎮魂を祈り建立。






            ▼本尊聖観音菩薩立像(国宝)。像高188.9cm、銅鋳造像。
             表情の柔和さ、天衣や裙裾のドレープの柔らかさ、金堂本尊薬師三尊に決して
             負けない、欠点が見出せない美仏です。






            ▼聖観音菩薩のお顔。





           聖観音の柔和なお顔に見惚れつつ、なお名残惜しげに久々の薬師寺参拝を終えました。


瀧上寺、オシャレな鼓楼山門が迎えてくれました。

2019年02月15日 | 奈良の古寺巡り





(2019.02.09訪問)


世尊寺からいったん来た道を引き返し途中R309へ左折、2キロほど南下すると瀧上寺に到着です。R168とR169に挟まれたR309は
比較的よく走る道なんですが、その途上にある瀧上寺はまったく未知のお寺、東西に流れる吉野川を境に南は紀伊山地、その吉野川
の支流に沿う道沿いに瀧上寺は在ります。黒滝村や天川村が控える魅力満載の地の入口にお寺は在るんです。




▼白漆喰で塗られ鼓楼付の中々オシャレな山門ですネ。

 





[ 瀧上寺 ]
●山号 藤谷山(ふじやさん)
●寺号 瀧上寺(りゅうじょうじ)
●宗派 浄土真宗本願寺派 (じょうどしんしゅうほんがんじは)
●開創 承元2年 (1208年)
●開基 聖空上人 (しょうくうしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲奈良県吉野郡下市町大字善城26 0747-52-2853
▲拝観料 境内自由
▲近鉄「大和上市駅」から車で10分





▼タヌキのようでタヌキでない、こいつは何者か。







瀧上寺縁起 (瀧上寺HPより抄出))
藤谷山瀧上寺の開基は、宇野太郎有治という。「瀧上寺縁起」によれば、宇野氏は現在の五條市宇野に居城を構え、治承の戦で敗れ
発心して浄土宗の祖法然上人に師事。法名を法光房を賜った。さらに親鸞聖人の教化を受け聖空を賜る。承元元年の両聖人流罪に当
り、聖空は本国に帰り、念仏弘通をもって師恩に報いるため下市の地に入り善城村堂に一宇を創した。 時に承元二年七月であったと
伝えられている。





▼旧山門ではありますが正面に本堂が見えますのでこれが正門でしょうか。







▼手水舎。







▼鐘楼。屋根が立派すぎて4本柱が弱々しく感じたのはボクだけかナ。







▼書院と思われます。







▼多分「藤華閣」と書かれている扁額です。







▼決して広くない境内に堂々と建つ本堂です。前面左右の青銅の灯籠が貫禄を添えています。
 桁裄7間、梁間7間、入母屋造、坂瓦葺、1間向拝付。







▼本堂前面。1間三分割の正面入口は唐紙障子戸、左右は桟唐戸。







▼障子戸の上部、これも欄間と云うんでしょうか、菱形格子に家紋が付けられています。







▼扁額です。藤渓山房と読め、山号からの命名かナ。







▼本堂内陣です。正面三間の中央に本尊阿弥陀さんが立たれ、脇壇には軸が掛けられていますが暗くて詳細は不詳。







▼内陣の扁額は寺号。目立ちすぎるほど目立っています。それにしても上手い字ですネ。







▼本堂斜景。







▼オシャレ山門の鼓楼を見上げて瀧上寺オイトマ。






本堂だけの小さなお寺、庫裡をお訪ねしましたがご不在のようでお寺の詳細をお聞きすることは出来ず、よってご朱印もナシ、なん
にもナシ、消化不良と傷心甚だしく、小雨シトシトの中、瀧上寺これにてオシマイ。


世尊寺、吉野路に悠久の時を刻んでいます。

2019年02月13日 | 奈良の古寺巡り





(2019.02.09訪問)


吉野路大淀町を目指して大和路号は走っています。目指すは吉野の名刹世尊寺。吉野の大寺と呼ばれる世尊寺は1400年の時を刻ん
だその面影を感じさせる遺跡を残し、往時の寺勢を偲ぶことの出来る悠久のお寺。ひたすら南へ南へと橿原、飛鳥、壺阪と吉野路
R169を行くと、吉野川に突き当たりそこが大淀町、左に方向転換、しばらく走ると左に折れる指示、なだらかな坂道を上って行く
と目指す比曽寺跡世尊寺に到着です。





            ▼山門左に史跡比曽寺跡の石標。

 





            [ 世尊寺 ]
            ●山号 霊鷲山(りょうじゅせん)
            ●寺号 世尊寺(せそんじ)
            ●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
            ●開創 用明天皇2年 (587年)
            ●開基 伝聖徳太子
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲奈良県吉野郡大淀町比曽762番地 0746-32-5976
            ▲拝観料 300円 朱印300円
            ▲近鉄「大和上市駅」から車で10分





▼比曽寺から世尊寺への縁起が語られています。







世尊寺縁起
聖徳太子が父用明天皇の勅を受け、建立された比曽寺がその緒と伝わるそうです。このお寺は比曽寺、法興寺、四天王寺、法隆寺と
共に聖徳太子建立四大寺院の一つであり往時は隆盛を極めたと云います。その後比曽寺、吉野寺、現光寺、栗天奉寺、世尊寺と寺名
の変遷はいかにこのお寺が栄枯盛衰を繰り返したかが理解出来ます。武家政治の台頭で情勢の激変と、吉野という僻遠の地のため無
住荒廃を辿り、江戸中期雲門即道禅師が伽藍整備図り、曹洞宗寺院として霊鷲山 世尊寺として今の姿になったと伝えています。
日本書紀や残されている瓦などから少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたと推測されているお寺です。





▼旧道に面して山門があります。







▼山門から境内を見ますと、中門と本堂が一直線に見渡すことが出来、相当広い境内のようです。







▼中門への参道。







参道中途左右に塔礎石が、往時を偲ぶ三重塔跡。

▼東塔跡。往時の東塔は豊臣秀吉により伏見城に移され、その4年後家康により大津三井寺に移建、現在の塔がそれです。







            ▼現在の三井寺三重塔。この塔がかつての世尊寺の三重塔。







▼西塔跡。西塔は戦乱によって焼失したと今昔物語に記されているそうです。







▼中門です。







▼霊鷲山の山号が揮毫された大きな偏額が掲げられています。







▼鐘楼。







▼庫院と称していますが庫裡のことでしょう。横に長い建物で、瓦の量も半端じゃないでしょうネ。







▼中門を中心にした廻廊内の広場。







▼大師堂。本尊聖徳太子像。桁裄3間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。







▼お堂前面にやたらタコ糸が張り巡らせてあります。鳥除けの糸と説明されていましたがよく判りません。

 





▼法王殿と書かれた大師堂扁額。







▼この空模様、折角の黄色が冴えません。







▼こんな方もいます。







▼敷石が一直線、その先に本堂。







▼本堂。桁裄5間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺、3間向拝付、昭和43年 (1968年) 再建。
 旧比曽寺の講堂跡に建てられています。本尊は阿弥陀如来坐像。







▼墨跡鮮やかに知恩報徳と書かれた本堂扁額。







▼本堂内陣。チラッと見えますのが本尊阿弥陀如来坐像。







▼本尊阿弥陀さん。やや笑みを含んだお顔は「吉野路の微笑み仏」と呼ばれているそうです。









{この写真はネットから借用)





            ▼脇壇の十一面観音菩薩立像。この十一面さんが素晴らしい、
             お顔は後補らしいが、躰部は切れ味のいい彫の冴えを魅せています。
             これが真近で拝見出来るのです。







            ▼お顔です。後補と云っても鎌倉期の彫と云います。







▼もう一度本堂。







            ▼十三重石塔。







            ▼石塔軸部四面には如来像が刻されています。







▼芭蕉の句碑。貞享五年 (1688年) 芭蕉がこのお寺を参詣した時、壇上桜を眺めて詠んだ句。
 世にさかる 花にも念佛 まうしけり







▼壇上桜も形なしです。







山門右側に天照大神社が鎮座。祭神天照大神。世尊寺鎮守社、旧比曾村の氏神。

▼鎮守社鳥居と前方拝殿。







▼拝殿。







▼鎮守社本殿。







▼ご朱印です。






旧比曽寺はかなりの寺勢を誇った寺であることは、今に残る旧伽藍の礎石を見てもよく分かります。東西両塔、金堂、講堂とそれを
囲む回廊状から薬師寺式伽藍配置の大寺院であった往時の盛況が偲ばれます。栄枯盛衰は歴史の流れとは云え、今に残る世尊寺は整
然と法灯を守り、往時の寺勢を僅かながらも伝えている気がします。
パラパラときたり止んだりの繰り返し、吉野まで足を運んだ甲斐なしの世尊寺でした。写真のヘタさ加減ご容赦を。
これにて世尊寺 オ シ マ イ
 

龍泉寺、修験道根本道場です。

2018年10月29日 | 奈良の古寺巡り





2018.10.27訪問)


学生時代や職場山岳部で何度か入山した大峰山。その麓洞川にある大峯山龍泉寺を今日は久々の訪問です。錦秋の彩りは下界ではまだ
まだの感強しも、吉野山中では黄や赤とりどりの世界がボツボツという期待感を持って大和路号はR309を南下、途中黒滝村でコーシ
ーブレイク、ななんと抽出仕立てのコーシーが1杯100円、2杯飲んでも200円、3杯飲んでも300円、なんという太っ腹の黒滝村、
1杯100円で気持ちよく龍泉寺を目指したのは云うまでもありません。





▼R309号から県道21号へ入りドンドン北上、やがて道沿いに立派な石垣に五線塀が見えてきます。龍泉寺到着です。







[ 龍泉寺 ]
●山号 大峰山 (おおみねさん)
●寺号 大峯山 龍泉寺 (おおみねさんりゅうせんじ)
●開基 役行者小角 (えんのおずぬ)
●開創 伝白鳳年間(645年~710年)
●宗派 真言宗醍醐派大本山
●本尊 弥勒菩薩坐像
●再興 理源大師聖宝
▲拝観料 無料 朱印300円
▲奈良県吉野郡天川村洞川494 Tel. 0747-64-0001
▲近鉄南大阪線「阿部野橋」から「下市口駅」下車 奈良交通バス「洞川温泉」行終点下車(約1時間20分)





▼最初の門は修験門、この門は通過。


 





龍泉寺縁起 (龍泉寺HPから抄出)
大峯山登山口洞川(どろがわ)にある大峯山龍泉寺は、真言宗修験(当山派)総本山醍醐寺の大本山であり、大峯山寺の護持院でもありま
す。白鳳年間、役行者が大峯を開山し修行していた頃、山麓の洞川に下りられ、岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見しま
した。役行者がその泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられています。
この泉を「龍の口」と言い、この地を龍神様の住まわれる泉ということから、龍泉寺と名付けられました。その後、修験道中興の祖、
理源大師聖宝によって再興、修験道の根本道場として修行者を迎える霊場となりました。龍の口より湧き出る清水によって満たされ
た池は、水行場としても名高く、修行者の身心を清める第一の行場となっています。





▼少し行くと朱色の総門、ハイ到着。境内は少し染まって来てるようです。







             ▼山号寺号が刻された立派な石柱。







▼総門から境内を見ると、石畳の右に池があるんです。







            ▼第一水行場。岩から湧き出る泉を竜の口の霊水と呼び、これを湛えた池の水行場。
             大峰入峰者がまずこの水行場で身を清めます。                    

        





            ▼小角さんが高みから……、







            ▼ワシャ眠たいよとうつらうつらか。

  





▼境内放生池の周りもだんだん染まってきましたネ。







▼朱色鮮やか鐘楼、なんと12本柱ですヨ。







▼庫裡から境内を見る。







▼神聖殿。方3間宝形造、銅板葺、1間向拝付。役行者神変大菩薩、理源大師聖宝の霊をお祀りしています。







▼神聖殿扁額。







▼正面格子から覗くと須弥壇上に金ピカの観音さん、脇に役行者と理源大師が見えます。







            ▼本尊観音菩薩立像。







▼本堂。桁裄5間、梁間5間、入母屋造、檜皮葺、3間向拝付。
 本尊弥勒菩薩坐像、役行者、弘法大師、理源大師、不動明王をお祀りしています。
 昭和21年(1946年)洞川の大火によって類焼、昭和35年(1960年)再建。







            さて堂前に仁王さんならぬ、役行者の弟子と云われる前鬼と後鬼夫婦が控えています。
            ▼こちらが旦那の前鬼像。







            ▼こちら奥さんの後鬼像。



前鬼と後鬼は役行者が山中で修行をしていたとき、行者を襲った夫婦の鬼と言われていますが逆に行者から諭され、その後高弟と
なり、後鬼は後に洞川で暮らしたと伝わるそうです。





▼本堂内陣は格子で仕切られ内部は見にくいですが覗いてみましょう。







▼本尊弥勒菩薩がお坐りです。







▼本堂の側面です。







            ▼龍王の滝。龍泉寺の女人解禁に伴い設置された女性修験者の水行場。



突然甲高い気合いが聞こえたので覗いて見ると、白装束の若い女性が気合いと共に神域の荘厳な滝に打たれていました。圧倒される
気合いでしたヨ。さすがに写真は遠慮しました。





▼本堂横に護摩道場。方3間、宝形造、銅板葺、1間向拝付。







▼豪華なお厨子に火焔光背をバックにお不動さんがお立ちです。







            ▼本尊不動明王立像。バックの火焔が何か別物に見えます。







▼放生池越しに本堂方向、相当染まってきているように見えますネ。







▼池の中之島に建つ弁天堂。







▼水上はアートな世界。







▼龍泉寺最重要御堂、八大龍王尊をお祀りする八大龍王堂です。



八大龍王尊は役行者が龍泉寺草創の折、大峯一山の総鎮守として祀った龍神尊です。
方5間、宝形造、銅板葺、3間向拝付。向拝の中1間は唐破風仕様。
空海さんがこの堂前で雨乞い修法をしたとされています。洞川大火で唯一焼失を免れたお堂。平成13年(2001年)再建。





▼内陣。奥のお厨子に本尊がお祀りされてます。







▼八大龍王堂天井龍図。狩野派川面稜一画伯の「復元模写」  














▼八大龍王堂。







▼相当染まってますネ。赤い橋は龍王橋。







▼柴燈護摩道場。柴燈護摩とは、理源大師聖宝伝承の修法で、柴薪を積み点火、火の中に本尊不動明王を勧請、熱禱を捧げるもので、
 修験道の祈禱儀式としては最上のものだそうです。







            ▼剣の不動明王と二童子。







▼山手はさながら秋本番。







▼こんな役行者もいました。







▼境内から少しのぼって行くと、かりがね橋と云う怖いコワイ吊り橋にでます。長さ120m、高さ50mの吊り橋。 









両サイドネットで完全ガード、落ちる心配はありませんけど、びびりやのボクは向こうまで行けません、とにかく揺れるんです。
中途で引き返して今日の吉野龍泉寺これにて オ シ マ イ





▼ちなみに龍泉寺の位置です。







▼ご朱印です。






畿内一円我が庭の如く、空を飛び、山を走り、地を駆け廻る超人役行者、またの名をスーパー小角、そんな役行者が本人と修験者の
ために開いた龍泉寺。現在もこの地洞川から山上ヶ岳に入る修験者は、先ずここ龍泉寺に参拝、水行で身を清め、八大龍王に祈念後、
入山するそうで修験道の根本道場としての霊場寺院です。水の関わりが多く湧水が豊富で水行場、滝行場、境内には水場がたくさん
あります。お寺だけを見れば相当山中の印象ですが、川向こう、橋を渡れば洞川温泉、旅館やホテルが軒を競う温泉街。此岸と彼岸
を取り合わせ、一つの現世を作りあげた役行者、やはりただ者ではない超人ですネ。