天平仏教文化の華々しい開花と聖武天皇の国家鎮護の願いを秘めた宝物展、正倉院展や興福寺のお堂や塔の特別開扉の雑踏からは、秋の気配を感じることは不可能に近い。しかもこの暖かさで錦織なす秋の古都といっても今年(注 : 平成18年)の秋は特に遅い。まだまだ木々は緑のシーズン真っ只中、11月の始めというのにまさに小春日和、行き交う人々の雑踏の中、細身の僕でもジットリ来る。「古都の秋を感じにここに来たのになによ」「なんでこんなに暑いのよ」「ガイド文が人の頭ばかりで読めないじゃないの」「何でお寺で押しくら饅頭」「京阪電車の朝のラッシュでも、もう少しましよ。」と八つ当たり、少々ふてくされている我が女房。「それって電車と比較するのはチョット無理があるやろ、11月に暑いってそれ変と違うか、自然に八つ当たりしてもなァ」となだめてみても、もう一つ説得性に欠ける。
そうこうして昼食をすませ、「よし、いまから本当の奈良へ行こう。」ということで平城京の東北の隅、法華寺と海龍王寺を訪ねた。両寺とも僕も初めての訪問。周辺は住宅街、それ以外緑の彩りは奈良公園と変わらないが、幸いというべきか今のシーズンほとんどのお寺で寺宝の特別展などで秘仏公開がされ、法華寺では著名な十一面観音立像に拝することが出来た。光明皇后の姿を写したといわれる由緒伝承に飾られたこのお像は、こぢんまりとした本堂須弥壇のお厨子の中にいらっしゃる。像高1mと小柄だが、このお像は白木のままの檀像でお顔と宝髻のみに彩色、見事としかいいようのない観音様だ。これには女房もいたく感激の様子、一応ヨカッタ。法華寺は門跡尼寺ということで何故か時間がゆったりと過ぎているような、落ち着いたというべきか周辺の環境に埋もれながらも古の顔を今にシットリ残している、奈良公園のあの雑踏はここにはない。
海龍王寺は法華寺のお隣でバス道からいきなり寺門へ、境内への道のりがなんともいい感じでまさに古刹の雰囲気。天平の息吹を今に伝える西金堂には国宝の高さ4mの五重小塔が鎮座していてそれ以外荘厳するものは何もない。本堂では若い僧侶が一心に何か書き物をしている、後ろ姿から真言律宗戒律の道場としての一端を視た思いがした。奈良公園から3キロ少々、古都の風情がこんなに違うとは。
そうこうして昼食をすませ、「よし、いまから本当の奈良へ行こう。」ということで平城京の東北の隅、法華寺と海龍王寺を訪ねた。両寺とも僕も初めての訪問。周辺は住宅街、それ以外緑の彩りは奈良公園と変わらないが、幸いというべきか今のシーズンほとんどのお寺で寺宝の特別展などで秘仏公開がされ、法華寺では著名な十一面観音立像に拝することが出来た。光明皇后の姿を写したといわれる由緒伝承に飾られたこのお像は、こぢんまりとした本堂須弥壇のお厨子の中にいらっしゃる。像高1mと小柄だが、このお像は白木のままの檀像でお顔と宝髻のみに彩色、見事としかいいようのない観音様だ。これには女房もいたく感激の様子、一応ヨカッタ。法華寺は門跡尼寺ということで何故か時間がゆったりと過ぎているような、落ち着いたというべきか周辺の環境に埋もれながらも古の顔を今にシットリ残している、奈良公園のあの雑踏はここにはない。
海龍王寺は法華寺のお隣でバス道からいきなり寺門へ、境内への道のりがなんともいい感じでまさに古刹の雰囲気。天平の息吹を今に伝える西金堂には国宝の高さ4mの五重小塔が鎮座していてそれ以外荘厳するものは何もない。本堂では若い僧侶が一心に何か書き物をしている、後ろ姿から真言律宗戒律の道場としての一端を視た思いがした。奈良公園から3キロ少々、古都の風情がこんなに違うとは。