(2017.05.27訪問)
今日は目の病に効能新たか本尊十一面千手千眼観音菩薩に逢いに壺阪寺を目指しています。
せんだってウチの奥さんがTVで壺阪寺ガイドを見て、目に効くお寺があるので土曜日に行こうと云うので、今日は壺阪詣です。
我が家は二人揃ってN記念病院眼科へ通っています。病名は二人ともまだ有りません。何となく通っているんです。
ここで一発、スカット爽やかな目になるようにと、キリットしたおメメの十一面さんにご利益をいただきにと云うことで……。
▼この方が「目の佛」キリットしたおメメの十一面さんです。
[ 壺阪寺 ]
●山号 壺阪山 (つぼさかやま)
●寺号 壺阪寺 (つぼさかでら) 正称 南法華寺 (みなみほっけじ)
●宗派 真言宗 (しんごんしゅう)
●開基 伝 弁基上人 (べんきしょうにん)
●開創 伝 大宝三年 (703年)
●本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像
▲奈良県高市郡高取町壷阪3番地 Tel. 0744-52-2016
▲時間 8:30~17:00
▲拝観料 600円 朱印300円 駐車場500円
▲西国三十三カ所観音霊場第六番札所
▲http://www.tsubosaka1300.or.jp/
▲近鉄阿部野橋より吉野行き「壺阪山駅」下車(特急で約40分)バスまたはタクシー
▼本堂で祈願の上これをいただきました。眼病封じのお札。
これで一安心、目の前がパッと明るくなりました。
壺阪寺縁起 (壺阪寺HPより抄出)
創建は大宝三年 (703年) 元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行中、愛用の水晶壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀っ
たのが始まりといわれる。平安期、長谷寺とともに定額寺に列せられ霊験の寺として挙げられている。藤原道長の頃、子島寺の真興
上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流 (壷坂法流) の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに大いに栄えていった。
その後南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退。勢時は山内に三十六堂、六十
余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。近世には豊臣秀長の家臣本多利久が高取城主とな
り、本多氏とその後の藩主植村氏の庇護を受け復興していった。
▼山門脇に建つ寺号石標。
▼仁王門。三間一戸、入母屋造。本瓦葺、十二脚門。両端に金剛力士が睥睨。建暦二年(1212年)建立。
▼金剛力士阿形さん。像高3.3m、木造。
▼金剛力士吽形さん。像高3.3m、木造。
両像ともかなりお疲れの様子ですが、目力は凄い! 入り口からしてご利益有りそう。
▼多宝塔。本尊 大日如来坐像、平安時代造像。壷阪寺開創1300年に発願、平成十四年落慶の新しい宝塔。
▼多宝塔本尊大日如来坐像。平安仏にしては痛みが激しくお顔が判別出来ません。
▼多宝塔横に建つ灌頂堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。平成十七年再建。
本尊 十一面千手観音菩薩、室町時代造像。
▼灌頂堂本尊十一面観音坐像。右前興教大師覚鑁像、左前弘法大師空海像。
▼灌頂堂北側に天竺渡来十一面観音石像。像高500cm。
壺坂霊験記のお里澤一の澤一開眼から350周年で思いやりの心を後世に伝えることを祈念して造立。
▼優しいお顔ですネ。
▼手水舎。
▼大仏さんのもとへ全員集合!
奥大釈迦如来石像 (壺阪大仏) 像高10m。中央十一面千手観音石像像高3.3m、右文殊菩薩石像像高3m、左普賢菩薩石像3m。
前右持国天石像、前左増長天石像。奥右多聞天石像、奥左広目天石像。
▼大釈迦如来石像 (壺阪大仏) 像高10m。貫禄のお釈迦さん、螺髪の形注目!ガンダーラ仏を思わせます。
▼三重塔 (重文)。塔高23.06m、本瓦葺。明応六年 (1497年) 再建。
石垣基壇上に建ち、再色彩堂が多い中、古色を見せる塔の姿は、なぜかホッとしますネ。
▼普照堂 (重文)。本堂への礼堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。中央三間が木製扉仕様。確かな建立時期は不明だが文正
元年(1466年)以前に建立されたものであることがわかっているといいます。内部は本堂と行き来で隔壁がありません。
▼本堂。八角円堂、創建は大宝三年 (703年)。本尊 十一面千手千眼観世音菩薩坐像。
▼礼堂から本堂仏殿。
▼本尊 十一面千手千眼観世音坐像。像高2.4m、木造。
独特のお顔と頭上の化仏を見てください、通常の十一面とは相当の違いが判りますネ。
御本尊は「眼の佛」として広く信仰を蒐め、四十の慈手その一手一手が衆生の苦しみを救うと説き、正面向かって右に赤い玉を持
った手が日摩尼手で眼を救う御手と云われているそうです。
二人揃って手を合わすなんてことは久々のこと、虚心でお願いしました。
▼本堂から西を望めば、あら偶然二上山が二つ? 一番遠くが本物の二上山。
▼眼鏡供養観音石像。なぜか色付きの蓮をお持ちです。台座には使用済みの眼鏡が山ほど奉納されていました。
▼澤一さんの碑がヒッソリ建てられています。
▼大石堂 (納骨永代供養堂)。総重量1,500トンにおよぶ壮大な石の御堂。アジャンタ石窟寺院がモデル。
中央の塔は仏舎利塔。
▼十一面千手観音石像。像高500cm。
石像でこれだけのものが刻されるテクニック、特に脇手40本の精巧さには驚きです。
▼一字金輪曼荼羅。日輪内に金剛界大日如来が智拳印を結び、
周囲に神宝を配している浮き彫り曼荼羅。
▼境内南の丘の大観音石像。相当デカい観音さんのようです。
▼先ず大涅槃石像。全長8m。すべての教えを説き終えて今まさに入滅せんとするお釈迦さんの姿です。
▼後方の観音さんはどんな思いでお釈迦さんを見ているんでしょうネ。
▼大観音石像。なにしろデカイですがブロックの継ぎ目が目立つようになってきましたネ。
像高20m、全重量1200トン。この石像はインドハンセン病救済事業の縁でインドから
招来したもの。
▼お顔です。造立後34年、少しおやつれになられたかな。
▼ご朱印です。お里澤市像に置いて撮りました。
ビッグ石像の大半は天竺彫像で現地で分割彫りして日本に運ばれ現場でセットアップ、特にお顔は全員男前ですが、お顔はほとんど
同じに見えました。それにしてもようもまあ、これだけデカイ石像を刻したことと総てが手彫りと云うことに敬意を表します。
大観音石像の丘からもう一度本堂に戻り、二人で十一面さんにごアイサツして、今日の「目の佛」さまへの祈願詣オ シ マ イ
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