(2018.05.26訪問)
大報恩寺、千本釈迦堂と云う方が有名かも。特にお亀桜という大枝垂れ桜で名を馳せているお寺ですネ。時期は済みましたが大枝垂
の今は青葉満載の大樹、本堂が隠れるほどの樹勢です。そうそう「お亀さん」のお話も。本堂建築棟梁のおかみさん「お亀さん」に
まつわる天晴伝説が今も語り継がれ、本堂にはその「お亀さん」のお面や人形が展示されています。
今日は究極のベッピン「お亀さん」に会いに大報恩寺にやって参りました。目的はもう一つあるんですヨ。
▼参道口に立つ寺号石柱。やはり大報恩寺よりも千本釈迦堂ですか。
[ 大報恩寺 ]
●山号 瑞応山(ずいおうざん)
●寺号 大報恩寺 (だいほうおんじ)通称 千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)
●開山 義空上人 (ぎくうしょうにん)
●創建 安貞元年 (1227年)
●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは)
●本尊 釈迦如来坐像
▲京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町 TEL.075-461-5973
▲拝観料 一般500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲JR京都駅市バス50系統、阪急京都線四条大宮駅から市バス51系統で上七軒下車徒歩約3分。
▼綺麗な参道です。参道口は五辻通りに面しています。
大報恩寺縁起
鎌倉時代、承久三年(1221年)義空上人が、この地に小堂を建て、釈迦如来像と十大弟子像を安置したことに始まり、倶舎、天台、
真宗三教の霊場となる。安貞元年 (1227年)、現在の本堂が建立。室町時代、応仁文明の乱 (1467~1477年) では西軍の中心地(西陣)
だったため焼失。ただ、本堂だけは奇跡的に焼失を免れました。
▼山門。簡素ですが五本線が施された格調の高さを感じる山門ですネ。切妻造、四脚門、本瓦葺。
▼参道は一直線に本堂を目指しています。
▼山門を潜るとすぐ左、北野経王堂。
▼北野経王堂の縁起。
▼山名氏清の碑。
▼さて本堂参道に戻りましょう。右の大きな樹は……、
▼これが「お亀桜」枝垂れの見本のような桜樹、樹齢60~70年とのこと。満開の頃は圧巻です。
▼本堂(国宝)。桁行五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺、正面一間向拝付。安貞元年(1227年)建立。
十年続いた応仁の乱で唯一残ったのがこの本堂です。
正面五間はすべて蔀戸になっているため入堂は左側面から。
▼蔀戸が開けられた正面。
▼広々とした堂内、外陣から内陣の様子。
▼本堂須弥壇。中央方一間を鮮やかな仏画が残る四天柱で囲み内々陣とし、本尊釈迦如来像は秘仏のため奥のお厨子に。
▼本尊釈迦如来坐像(秘仏)。
像高約90cm、木像、玉眼、仏師行快(快慶の弟子)、鎌倉時代。
千本釈迦堂の名前の由来は、この釈迦像から名付けられたと云います。
(写真はネットからもらってきました)
▼内陣四天柱と貫、梁に残る柱絵の鮮やかなこと。
▼応仁の乱の生々しい痕跡が残る柱。
▼本堂左脇の間にお亀さんワンサカ集合。
▼こんな方や、
▼こんな方が。
▼本堂から境内の左方を見ると……、
▼いてはりました、お亀さん。
▼なんとふくよかな、これこそジャパニーズベッピン。
▼おかめ塚の由来。
▼本堂裏に千体地蔵塔が天を目指して。
▼鎮守の稲荷社も鎮座。
▼霊宝館。過去二度ほどこのお寺を訪ねているのですが、霊宝館に入るのは今回初めて、ブラボーな仏像が迫ってきますヨ。
▼感動の六観音立像 (重文)。仏師肥後別当定慶、貞応3年(1224年)
右端如意輪観音坐像を除いて各立像は、ほぼ像高175cmくらいの等身像。一部ガラス越しに拝見することになりますが、相
当真近で見ることが出来ますので細かい彫技がよく判ります。凄い技の仏師がいたものです。
他に十大弟子立像10躯も必見。
▼一番右の如意輪観音坐像。
▼ご朱印です。枝垂れ桜が地面まで枝垂れてます。
お亀さんの顔がまだ瞼の奥にチラチラしますが、今日の感動NO1は六観音に会えたことです。ザッと800年前の造像仏、大仏師運慶
さんの流れをくむ仏師定慶さん、プロ中のプロの弟子筋もやはりプロ中のプロでした。久々にプロの凄技を見た大報恩寺訪問でした。
大報恩寺 オ シ マ イ
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