(2018.02.17訪問)
最近の天気予報はいつからか精度が上がったみたいでよく当りますネ。今日も和歌山は午後からパラつく予報、こりゃいかん早めに
行こうと大阪から一番近い岩出市にやってまいりました。かの有名な秀吉根来攻めで、根来衆が頑張った甲斐なくお寺は壊滅、悲し
い歴史を持つそんなお寺も、今ではホントに壊滅したのと思うくらい強大なお寺、境内は広いは堂塔伽藍は多く建つはで、余りの広
さに結局途中でギブアップ。未拝観伽藍に心を残しながら、パラつく前に阪和自動車道に向いました。やっぱりよく当ります、高速
に乗った途端パラパラきましたヨ。
▼大門。五間三戸、重層楼門、切妻造、本瓦葺。
根來一山の総門、嘉永三年 (1850年)再建。
初層左右に仁王像、上層に釈迦三尊と十六羅漢像が安置。高さ16.88m、横幅17.63m、奥行6m
[ 根来寺 ]
●山号 一乗山 (いちじょうざん)
●寺号 根来寺 (ねごろじ)
●宗派 新義真言宗総本山 (しんぎしんごんしゅう)
●開創 長承元年 (1132年)
●開基 覚鑁上人 (かくばんしょうにん)
●本尊 大日如来坐像
▲拝観料 500円 朱印300円
▲時間 9:00~16:30 (冬期は~16:00まで)
▲和歌山県岩出市根来2286 Tel.0736-62-1144
▲「JR新大阪駅」特急くろしお「日根野駅」で乗換 JR阪和線「和泉砂川駅」又は「紀伊駅」下車
「JR大阪駅」「JR天王寺駅」方面からJR阪和線「和泉砂川駅」又は「紀伊駅」下車
阪和自動車道「泉南IC」より岩出方面へ「岩出・根来インター南」の交差点を左折
京奈和自動車道「岩出・根来IC」から右折「岩出・根来インター南」交差点を左折
▼三文字に分かれ根来山と書かれた大門扁額。
根来寺縁起 (根来寺HPから抄出)
根來寺を開創された覚鑁上人は肥前国藤津荘で生まれ、十三歳で仁和寺で出家得度し仏教を学び、二十歳で高野山に登り真言密教の
復興に努力しました。鳥羽上皇の庇護を受け、長承元年 (1132年) に学問探究の場「伝法院」修禅道場の「密厳院」を高野山に建立。
同時に根来近郊の豊福寺 (後の根來寺) を賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。
覚鑁上人は、豊福寺 (ぶふくじ) 境内に学問所「円明寺」「神宮寺」を創建、康治二年十二月十二日 (1143年) 円明寺にて四十九歳の
生涯を閉じられました。覚鑁上人入滅後、大伝法院は高野山で発展し十三堂塔が建立されましたが、仁治三年 (1242) 焼失。その後、
正応元年 (1288年) 頼瑜僧正が大伝法院の僧侶の教学拠点を根来に設立。学風は聖憲尊師に受け継がれ「新義教学」として大成。戦
国時代、根來寺は大勢力となり、強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正十三年(1585)紀州根来攻撃、大塔、大師堂などの堂塔を
残して全山消失。やがて紀州徳川家の外護を受けて、大門、伝法堂、不動堂など主要な伽藍が復興、また東山天皇より覚鑁上人に興
教大師の大師号下賜。現在根來寺は新義真言宗の総本山として興教大師の御廟を守り続けております。
▼三戸口から見えるのは境内ではなく県道です。境内からかなり離れたところに建っています。
▼大門。
▼参道石段。上りきると主要伽藍のエリアに入ります。
▼正面大伝法堂。
▼大伝法堂 (本堂)。桁裄7間、梁間7間、入母屋造、、半瓦葺、三間向拝背付、下層屋根は裳階。
本尊は大日如来坐像、脇仏は金剛薩埵 (こんごうさった)、尊勝仏頂 (そんしょうぶっちょう)
真言宗の修法を伝える道場、僧侶の修行道場。文政十年 (1827年) 再建。
▼大伝法堂前面。
▼本尊大日如来坐像 (重文)。像高350cm、木造、室町時代。
▼左脇侍尊勝仏頂尊 (重文)。像高335cm、木造、室町時代。
▼右脇侍金剛薩埵尊 (重文)。像高343cm、木造、室町時代。
この三尊の組み合わせは非常に珍しく、高野山の大伝法院にすでにあったことが知られ、教義解釈による組み合わせではないかと
云われてるそうです。造像後7~800年関わらずなんとキレイな姿でしょう。三尊とも金箔、金泥がこれほどキレイに残っている例
もまた珍しいのでは。
▼大伝法堂。
▼大塔 (国宝)。我国最大の木造多宝塔。塔高40m、方5間、本瓦葺。天文十六年 (1547年)建立。
豊臣秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったものですが、その頃の戦乱の弾痕がはっきり残ってるそうです。
腰の坐った安定感とともに堂形の素晴らしいこと、さすが国宝の貫禄。
▼対称の美とはコレか、大塔の軒と組み物。
▼大塔の内部。初層外見は方形ですが、初層内部には円形の内陣が造られ周囲は回れます。
▼大塔本尊。この尊像もキレイです。どなたか不詳ですが、
手印が定印なので宝冠釈迦如来ではないでしょうか。
▼大塔。
▼大塔の相輪。
▼大師堂 (重文)。方3間、宝形造、本瓦葺。明徳二年(1391年)に建立。
このお堂も豊臣秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったお堂。
▼大師堂須弥壇。
▼大師堂本尊弘法大師空海像。この空海さんかなり若かりし頃の精悍な印象を受けます。
▼きれいな花天井ですネ。須弥壇に近い6×6格子は繰上格天井になってます。
▼大師堂。
▼鐘楼。
▼不動堂。八角円堂、本瓦葺。
▼不動堂本尊不動明王。お不動さん、チョットポーズつけ過ぎと違いますやろか。
脇侍は矜羯羅童子と制多迦童子。
境内の都合上先に奥の院へ行くことにしました。
▼奥の院参道。
▼参道途中にこんなお堂が……。
▼なおも参道が続きます。チョット鬱蒼として来ました。
▼奥の院は覚鑁上人の御廟なんです。
▼御廟が見えてきました。
▼立派な御廟門、奥が御廟で円墳のようですネ。
光明殿エリアへ行く正式ルート?
▼参道の向こうに見えるのが……、
▼鐘楼門。竜宮門式重層の鐘楼門です。勿論上層には梵鐘が吊られています。
白袴の角張りにドッシリ感倍増、それにしても大きな楼門です。
▼鐘楼門の向こうに見えるのが光明殿。
▼光明殿。正称は光明真言殿。開山興教大師覚鑁さんの尊像をお祀りしています。
▼光明殿前面。
▼光明殿扁額は密厳堂と書かれています。密厳とは真言宗で云う大日如来がいる浄土のことだそうです。
▼光明殿内陣。奥が深くて判りませんが……、
▼内陣奥須弥壇上のお厨子に宗祖興教大師覚鑁さんの尊像が祀られているそうです。通情拝見出来ません。
▼行者堂。
▼行者堂須弥壇。本尊役行者坐像。
▼チョット他では見れない超リアルな役行者。
▼聖天池。円形の中之島が見え,お社がお祀りされているようです。
▼聖天堂は聖天池に浮かぶお堂です。享保二十一年 (1736年) 建立。
▼堂内須弥壇奥のお厨子に本尊聖天尊が祀られています。
小さな須弥壇の小さな赤い勾欄、かの有名な根来塗りだそうです。
▼聖天池を挟んで境内の一部です。
▼本坊です。
▼本坊大玄関。こちらから名勝庭園を巡ります。
▼池泉式蓬莱庭園と称されるも作庭者は不詳。
▼お庭にこんな蹲踞。
▼残念ながらお庭は歩けません。池、島、石、橋、築山と上手く配置されたお庭、歩けてこそのお庭だと思うんですがネ。
▼境内西北端に鎮守社「九社明神」が鎮座。
▼九社明神本殿。
因みにどんな神様が祀られているのでしょうか、
●丹生大明神(にう) ●高野大明神(こうや)●伊太祁曽大明神(いたきそ)
●御船三所大明神(みふねさんしょ) ●金折六所大明神(かなおりろくしょ)●金峯山金剛蔵王(きんぷせんこんごうざおう)
●熊野三所権現(くまのさんしょごんげん) ●白山妙理権現 (はくさんみうりごんげん) ●牛頭天王八王子 (ごずてんのうはちおうじ)
だそうですが、何方がどのお社の神様かはガイドがありませんでした。
▼瀧見橋を渡って……、
▼宗祖興教大師覚鑁上人の荼毘所跡の菩提院御堂へお参りして根来寺オシマイです。
▼ご朱印です。
このお寺、拝観順をどうするか着いた途端悩みました。拝観にどのコースをとっても順序よく一巡という訳にいきません。今回は順
不同の拝観写真になりました。余りに広い境内にも困りもんですワ。 ああしんど、フー。
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