(2015.07.25訪問)
車中から車載の外部温度を見ると、38℃をさしてました。実際には35~36℃だと思いますがそれにしてもあんまりな
暑さ。お寺参拝でぶっ倒れたら絵になりません。皆さん気をつけてくださいね。
今日はそんなバカらしい暑さの中、醍醐寺を訪ねました。一番の目的は西国三十三カ所観音霊場第十一番札所の御朱印
を戴くため。山上「准胝堂」健在ならば上醍醐登山のところ、今は下醍醐観音堂で戴けるとのこと、こんな嬉しいこと
はありません。
▼「西国第十一番霊場登山口」と刻されてます。
[ 醍醐寺 ]
●山号 醍醐山(だいごさん)
●寺号 醍醐寺(だいごじ)
●宗派 真言宗醍醐派総本山(しんごんしゅうだいごは)
●開基 理源大師聖宝(りげんだいししょうぽう)
●開創 貞観十六年(874年)
●本尊 薬師如来坐像(重文)
▲拝観料 600円 (三宝院、霊宝館、上醍醐それぞれ) 御朱印 300円。駐車場 700円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲京都市伏見区醍醐東大路町22 電話 075-571-0002
▲http://www.daigoji.or.jp
▲平成六年(1994年)ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」として登録
▲西国三十三カ所観音霊場第十一番札所
▲ JR京都駅からJR東海道本線(琵琶湖線)または湖西線「山科駅」京都市営地下鉄東西線に乗り換え「醍醐駅」下車。
JR奈良線「六地蔵駅」京阪「六地蔵駅」地下鉄東西線に乗り換え「醍醐駅」下車。
京阪バス「京都駅八条口」山急醍醐寺ゆき約30分「醍醐寺」下車
▼総門。
醍醐寺縁起 (醍醐寺HPから抄出)
醍醐寺は理源大師聖宝が貞観十六年(874年)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を
建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そののち醍醐、朱雀、村上三帝のご信仰がよせられ、延喜
七年(907年)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。それ
に引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長四年(926年)に釈迦堂が建立。ついで天暦五年(951年)に五
重塔が落成し、下醍醐伽藍の完成をみた。
▼総門を潜るとスグ左に三宝院の唐門(国宝)。三宝院拝観今日はスルー。
▼春の桜参道も35℃越ではさすが参拝者の姿見当たりません。
▼西大門、仁王門です。三間一戸、二層楼門式、八脚門、入母屋造、本瓦葺。
豊臣秀頼が慶長十年(1605年)再建。
▼金剛力士阿形像(重文)。
▼同じく吽形像(重文)。
長承三年(1134年)造立、仏師勢増、仁増。檜寄木造、両像とも像高約360cm。
鎌倉仏風マッチョ感はなく穏やかな感じの仁王さん。お顔もマンガチックと云ったら失礼かな。
▼西大門。
▼下醍醐の伽藍エリアへの緑の参道も暑い時は暑い。
▼五重塔(国宝)。京都府下最古の木造建造物。塔高約38m、本瓦葺。
相輪約13mで、塔の三分の一を占め、これが安定感に繋がっているそうです。
▼清瀧宮拝殿。
桁行三間、梁間二間の単層、屋根は入母屋造、桟瓦葺。室町時代(1532~55年)再建。二段広縁付、窓は蔀戸。
▼清瀧宮本殿(重文)。醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社。永正十四年(1517年)再建。
瑞垣に囲まれた乱積石垣上に鎮座。桁行三間、梁間一間、切り妻造、檜皮葺。
▼金堂(国宝)。
桁行七間、梁間六間の単層、入母屋造、本瓦葺。延長四年(926年)創建。慶長三年(1598年)移築再建。
▼金堂須弥壇。
▼本尊薬師三尊(重文)。
本尊御薬師さんは青年期の漲るパワーを秘めたきかん気イッパイのお顔、やや目尻の上がった目の精悍さは小さめの
口元の紅が一層の引き立て役か、納衣に僅かに残る錐金も往時の豪華さが偲ばれます。脇侍の日光さんの円光背どう
見てもズレてるように見えますが。
薬師三尊像は慶長三年(1598年)豊臣秀吉よって、金堂の建物とともに紀州湯浅の満願寺から移設。
中央 本尊薬師如来坐像(重文)、像高約132.1cm、檜寄木造、漆箔。鎌倉時代。仏師は善円か?
左 日光菩薩立像(重文)、像高約145.4cm、檜一木造、鎌倉時代。(向かって右)
右 月光菩薩立像(重文)、像高約145.6cm、檜一木造、鎌倉時代。(向かって左)
須弥壇両脇には四天王が祀られています。
▼右前 持国天立像。像高約200cm、玉眼、木造割矧ぎ造。
▼左前 増長天立像。像高約200cm、玉眼、一木造。
それぞれの後ろに広目天、多聞天が控えています。
▼金堂前の簡素な鐘楼。
▼不動堂。堂前は護摩道場。桁行三間、梁間四間の単層、入母屋造、本瓦葺。
▼不動堂扁額。小さいながらもシンプル&パワフル、扁額の見本のような扁額。
▼本尊不動明王立像。お不動さんを中心に五大明王が奉安されています。
▼堂前の不動明王石像、石像ながら細部まで丁寧な彫りで迫力満点。
▼不動堂をちょっと斜めから。
▼真如三昧耶堂。
朱雀天皇勅願により法華三昧堂として天暦三年(949年)創建。平成九年(1997年)に真如三昧耶堂として建立。
醍醐寺で出家得度した真如苑の開祖伊藤真乗が創始した真言小野流の一派が醍醐寺により顕揚されたことで法華三昧堂
の跡地に建立。
▼今はやり普通の扁額。
▼須弥壇上には釈迦涅槃像が奉安されています。
▼祖師堂。真言宗宗祖の空海さんと、孫弟子で、醍醐寺開創の聖宝さんが祀られています。慶長十年(1605年)建立。
▼ダブル宗祖の扁額。
▼蓮華が前にありよく判りませんが須弥壇上に並ぶ両雄。右、弘法大師、左、理源大師。
▼大伝法院の山門。
▼山門天井ですが、こんな高い所どうして貼ったんでしょうといつもの疑問です。
ここから観音堂を中心に広がる林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます。これら諸堂は、醍
醐天皇一千年御忌を記念し、昭和五年(1930年)山口玄洞居士の寄進により造築されたものだそうです。山口玄洞さんは
神護寺金堂を寄進したことでも知られています。
▼12脚柱の豪壮な鐘楼。
▼梵鐘も大きいです。
▼観音堂(旧大講堂)。西国三十三所観音霊場第十一番札所。
西国三十三所十一番札所の朱印は上醍醐「准胝堂」が再建されるまでこの「観音堂」で受けることが出来ます。
平成二十年(2008年)8月24日に落雷で札所上醍醐准胝堂が炎上、本尊も焼失。平安以来、上醍醐にあった西国札所は
下醍醐に移り、大講堂は観音堂と名称を改められたそうです。
▼紅葉の名所、弁天池と弁天堂。秋には凄いことになりそうです。
▼反り橋と弁天堂。
▼この扁額も非常に結構です。
▼反り橋から池越しに観音堂を撮ってみました。
さてこの辺りから上醍醐エリアとなるそうで……、
▼参道を少し行き石鳥居を潜るといよいよ上醍醐への登山口です。
▼「西国第十一番霊場登山口」石柱。
▼成身院女人堂。まさに上醍醐への入口。怖いモノ知らずの人はココで上醍醐への入山料600円を支払ってください。
▼女人堂前の五仏。奥から不動明王、理源大師、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られています。
▼おりしも十四五人の山伏装束の皆さんがやってきました。
早速女人堂への拝礼です。静かに重々しく真言だと思いますが唱えていますがハッキリとは判りませんでした。
この暑いのに上醍醐への登山ご苦労様。おきばりやす。
今日の参拝はココまで、間違っても上醍醐登山はいたしません! 前方坂道を見るだけで目が回ってきました。
▼西国三十三カ所観音霊場第十一番札所のご朱印です。
今日最大目的は、この御朱印を戴くこと。上醍醐登山をしなくとも下で戴ける幸運、あるもんですネ。
上醍醐札所「准胝堂」の復興再生を心より願って、今日の醍醐寺 オ シ マ イ !
▼今日のフロク 醍醐寺駐車場のギンギンの直射に淋しげな景観。
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