(2016.10.26訪問)
心斎橋からの帰り、久し振りに御堂筋を歩いてみました。
銀杏並木も黄色の到来にはまだ早く、緑の樹々は相変わらず元気です。
御堂筋西側には、真宗本願寺と大谷派の大阪拠点、北御堂と南御堂が少し間を置いて並んでいます。
以前北御堂は訪ねましたが、南御堂はまだ訪ねたことがなかったので、ちょっと寄って見る事に。
何やら工事中のようです。
▼御堂筋の銀杏は黄色い兆しはまだないようです。
[ 南御堂 ]
●寺号 真宗大谷派難波別院(しんしゅうおおたにはなんばべついん) 通称南御堂(みなみみどう)
●宗派 浄土真宗大谷派(じょうどしんしゅうおおたには)
●開基 教如上人(きょうにょしょうにん)
●開創 文禄四年(1595年)
●本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観 無料 朱印なし
▲時間 6:00~16:00
▲大阪市中央区久太郎町4-1-11 電話06-6251-5820
▲http://minamimido.jp
▲地下鉄御堂筋線本町駅8号出口南へ200m 地下鉄中央線本町駅13号出口南へ50m
▼現在の南御堂の正面。
真宗大谷派難波別院縁起 (南御堂HPから抄出)
難波別院(南御堂)の創建は、安土桃山時代の末、文禄四年(1595年)本願寺第十二代教如上人が大坂渡辺の地に「大谷本願寺」を建立
したことに始まります。豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革でなどにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと
移転します。また関ヶ原合戦に勝った徳川家康によって京都烏丸七條の地が寄進され、教如上人は大坂から京都へ寺基を移されます。
教如上人は東本願寺の建立と共に、大阪の大谷本願寺の地を「難波別院」とし、大阪における念仏の中心的な道場とします。上人亡
き後も難波別院は宗祖親鸞聖人のみ教えを伝えていく上において今日まで大きな役割を果たしてきました。
▼取り壊し前の正面入口、いわば山門ですネ。すでに姿カタチはありません。
御堂会館建替工事について
難波別院の山門を兼ねた「御堂会館」は、老朽化によって止むなく2016年1月に休館いたしました。定期借地権を活用した建替工事
を行うことが決定。新施設は事業者の資金を活用した建替によるもので、難波別院は御堂会館があった土地を賃貸することになります。
建替を行う事業者は、積和不動産関西(株)でホテルを中心に運営されます。日本初の寺院山門と一体となったホテルに加えて、浄土真
宗のみ教えを発信していくため、難波別院の総合案内所や多目的会議室を含む複合施設が建設されます。
▼南側の道に廻りなさいと工事用外壁。
▼南入口に廻ってみました。
▼本堂前庭はこの通り。
▼境内すぐ左に鐘楼。この梵鐘は文禄五年(1596年)鋳造の東本願寺草創を伝える宝物です。
▼本堂に掛る五色幕と報恩講の幟。
▼本堂前にはテントが張られ大勢の参拝者が休憩中。
▼満席の中法要中。須弥壇中央には本尊阿弥陀さんがお立ちです。
▼本尊阿弥陀如来立像。
▼境内南のお庭、散策の方はいません。本堂の人いきれに比べて静かなもんです。
▼芭蕉の句碑が建ってます。 旅に病で ゆめは枯野を かけまわる
芭蕉は伊賀から門人たちに迎えられ、この南御堂前の花屋仁佐衛門の屋敷で五十一歳、
旅の生涯を閉じた。と云う掲示があります。
▼お庭。
▼こんな街灯も残ってます。御堂筋の旧街灯です。
昭和二十五年~二十六年にかけて難波、淀屋橋間に二百二十基の街灯が復旧、
その中の一基がこれ。
▼お庭の影も長くなってきたので、これにて事務所に帰ります。
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